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カーボンニュートラルは日本の経済的自殺

まずここでの「カーボンニュートラル」の定義を。
環境省によれば「温室効果ガスの排出量と吸収量を均衡させることを意味します」とある。
また『二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスの「排出量」※ から、植林、森林管理などによる「吸収量」※ を差し引いて、合計を実質的にゼロにする』とあり、「温室効果ガスの排出量の削減」を謳っている。ここでは「温室効果ガスの排出量の削減」のための政策とそれに従う企業活動と定義する。
参考リンク:https://ondankataisaku.env.go.jp/carbon_neutral/about/

さて。
なぜ「カーボンニュートラル」が経済的自殺になるのか。
まず根本的な問題として、人々の購買行動に対して企業が「カーボンニュートラル」であることは達成も検証も困難なことであり、その全ての活動にコストがかかることがある。
これらのコストは商品単価に転嫁されれば人々の消費行動を抑制し、転嫁されなければ企業や労働者が支払うことになり、かれら自身の経済活動を抑圧・縮小する。
つまりやればやるほど、その企業の不利が拡大する。
そして生き残る者と淘汰される者、搾取する側とされる側とに分かれるマネーゲームにしかならないことも見えている。その生き残った者もやせ細らずに残れる者がどれほどいるか。このさらなる資本集約によって人々にもたらされるものは不利益以外なにもない。

次に工業技術のアドバンテージから見てみる。
世界的な電気自動車のシェア拡大の可能性もあるが、ガソリンエンジンの技術を捨てるべきではない。
いずれ各国が政策を転換してガソリンエンジンが社会的に優位となるはずで、むしろ積極的に維持蓄積以上のことをしておくべきである。
日本は自動車のエンジンを一から開発・製造できる数少ない国のひとつ。世界トップクラスのアドバンテージなのだから。
火力発電インフラは、依然世界的な需要が存在する。よって日本はその高い技術に裏打ちされた競争力の高い火力発電施設を積極的に輸出するべきである。
最後にメガソーラーはすでに起こっている環境破壊・負荷や将来におけるそれらのリスクと供給リスクとに対処が必要であり、そのコストは算定不能である。そして太陽光パネルに使用される太陽電池セルの日本のシェアは低い。

ひろく知られているように、欧州各国はすでにエネルギー政策の軸足を気候変動対策から安全保障へと転換している。
「カーボンニュートラル」というグローバリゼーションがいつどう終わるのか注視するべきだ。

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