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【連載小説】黒い慟哭  第3話「異変」

 翌日、友香は目を腫らせて出社してきた。隣に座っていた亜美がそれを見逃さなかった。
「黒川先輩、どうしたんですぅ〜」と泣き真似のポーズをした。
「別に何でもないわよ」いちいち癇に障る女だと思い目を逸らせた。
「ふぅ〜ん、ならいいんですけど」と口を尖らせてそっぽを向いた。
「どういう意味?」ちょっとイラッとした。
「彼氏さんと喧嘩でもしたのかなと思って心配しちゃいました」ぶりっ子も大概に同性相手にまでブリブリする女は危険だ。しかも、目の腫れを化粧で誤魔化しているのに、わざわざそこに気付く目ざとさが日増しに嫌な女に見えてくる。
「心配してくれてありがとう」めんどくさい女だ! 一応心配してくれているのだお礼くらいは言っておこうと思った。
 
 今日は珍しく利用者が途切れた時間があった。友香はスマホを持ち席を外した。
友香がトイレに行ったと思い亜美も席を外した。佐藤隆史《さとうたかし》にお願いして代わりに受付をしてもらった。
 佐藤隆史は亜美より2つ歳下で隆史は亜美に少なからず好意を抱いているのは、間違いない。それを亜美は勘づいている。『女の勘』それは、第六感そう言ってもいいくらい反応には敏感なのだ。言いやすさ故に事あるごとに隆史を利用している。もちろん断られた事はなかった。
 亜美もトイレに向かう途中反対の壁から友香の声がする。壁の向こうは喫煙スペースがあるだけだ。この時間なら休憩ではないので、喫煙者はいない。それで選んだのだろうか? なにやら、揉めているのか? あの家がどうこうとか? それ以上話を聞くのは盗み聞きしてる自分の心情に耐え難い。亜美はそういう一面を持っていた。足早にトイレに向かった。しばらく背後で声が聞こえていたが次第に聞こえなくなった。

 亜美が戻ると佐藤隆史は接客に追われていた。
「ちょっ、森田さん早く早く!」隆史は手招きで亜美を呼ぶ。
「何、してるんですか? 早く座って下さいってば!」慌てる隆史に亜美は顔の前で掌を立てて謝った。
「今、大変なんですって!」隆史が接客している客の後ろに長蛇の列を成して客が不機嫌そうな顔をして待っていた。短時間で客がなだれ込んでくることは、銀行ではよくあることだ。
それもそのはずで2つある窓口が1つしか機能していないのだ。
「大変申し訳ありません」と亜美が一礼して席についた。
友香はまだ帰ってきてないみたいだ。
二人で作業をこなしていくが、佐藤にしてみればいい迷惑で自分の業務も疎かにして別の仕事をやっているのだ!
亜美の頼みとはいえ苦行の極だった。
(佐藤くん……ごめんね)俺のしかめた顔を見たのか見ていないのか亜美が肩を寄せて小声で呟いた。フルーティな香りがした。
やがて、肩がぶつかり亜美の方に目を移すと佐藤隆史は思わず目を瞠った。上目遣いでこちらを真っ直ぐ見つめてくる瞳が照れ臭かったのか、さり気なく表情を隠すかのように佐藤はうつむいた。言葉に詰まっているのだ。
うつむいた先にスカートが少し上にめくれた状態で太ももが露わになった黒タイツ越しの脚がよけいに色気を感じさせた。長考したせいか慌てて顔を上げた。
 亜美は特に気にしている様子はなかった。下心を見透かされたら、こちらとしてはマイナスにしかならない。
 亜美が急に立ち上がりスカートの裾を直してひざ掛けをした。
(やってしまった!)バレていないと思っていても女性からしたら視線の先くらい気づくだろう。
そうこうしていたら、友香が帰ってきた。慌てて立ち上がり席を空ける。
「佐藤君ごめんね、勝手して」と友香が座りながら言った。
「いえ、大丈夫です」そう言い残して自分の席に戻った。

 佐藤隆史、彼女いない歴28年つまり童貞だ。女性の身体を見たこともなければ、触れたこともない。わかるのはアダルトビデオ越しの女体だけだ。
 今日は亜美との距離が縮まった事で、よけいに彼女の事が気になってしょうがなかった。パソコンのモニターを見るふりをして視線をずらした先に映る彼女の背中やたまに脚を組む動作、髪をかき上げる仕草その全てが愛おしく思えた。ムラムラが止まらない。終始無言で卑猥な目付きで魅入っていた。
 
 残業ですっかり遅くなった隆史は自身の住処であるハイツに着いた。時刻は午後21時を少し回っていた。
 ネクタイを外しながら、森田亜美について考える。茶髪のセミロングが良く似合う。目は少し垂れ目がちだが愛嬌のある顔だ。童顔かと言えばそうじゃない。どこか品のあるいやらしさが滲んだ大人の顔だ。やらせてくれと言ったら、かんたんに股を開きそうなそんな女性に思えなくもない。スタイルも抜群で黒川に負けていない。
二人は評判が高く他の男性社員からも一目置かれるほどの美人社員だ。ネクタイをソファに投げ捨てる。
 そんな美人社員を物に出来れば俺は……俺は……妄想が妄想を呼び気が付けばトランクスを濡らしていた。
 俺は幼い頃から何も無かった。
友だちのみんなは、自分の誕生日になったら1つや2つくらいは欲しい物があるものだ。そこから優先順位の高い物を買ってもらうのだが、俺には『物欲』それが無かった。あるのは『性欲』だけだった。
 しかし、このザマは何だ? プライドの高さだけが取り柄の俺がトランクスを濡らしている。あり得ない。
この屈辱は俺に致命傷を与えた。
生まれて初めて『物欲』という言葉の意味が分かった。あの女が欲しい……
 いつかはこのハイツに連れ込んであの女を自由に凌辱したい。
 隆史の身体が震える上がり気がつくと全て脱ぎ捨て全裸でリビングに突っ立っていた。また、悪い癖が出てしまった。
妄想をしている最中は長考するため体が止まってしまう。普通なら考えながら、別の事をすればいい事を俺はできない。
 そんな俺を見た一部の学生時代の友だちからは変人扱いを受けてきた。おまけにクラスの女子からは変態扱いをされるほどの嫌われっぷりだった。今ではあれが本気なのかお遊びなのかは分からないがおそらく本気で変態と思っていたのだろう。
 それもそのはずだ。気に入った女子を見てしまうとついジロジロ見てしまう。悪い癖が未だに直ってない。「変態で何が悪い!」と自分を封じ込めてきた。これまでは性格だからと言って仕方がないで済ませていた。今もそれは変わらないが、昔ほど酷くはない。この片思いが変態でも伝たえたい気持ちがある。その勇気があれば人生で初めて俺にも春が来る。
 寒さで震えながら、着替えを済ませてめずらしく料理を始めた。

 翌日、隆史はいつもより1時間も早く出社して昨日できなかった残りの仕事を片付けていた。
昨日のハードワークのお陰で何とか9時までには、終わらすことができた。ミーティングが終われば本日の業務にとりかかる。ミーティング後に前方に目を移すと亜美が座ろうとしている所だった。
(なんていいケツしてやがるんだ)
一人でブツブツ言いながら、席に着いた。
それからは、慣れた業務に指が勝手に反応してくれる。あとは計算を間違えていないかチェックする。印刷した書類を課長に持っていく。
「やればできるじゃないか! 下がっていいぞ」
隆史は踵を返して(えらっそうにいいやがって)と心中で文句をたれた。
それから背もたれに背中を預けたのが正午前だった。
(ふう、やっと飯だ)腹が減った。
昼食の準備をしようとカバンから弁当箱を出して机の上に置くと同時に目の前に影が差した。
四つ折りの紙が机上に置かれた。顔を上げるとそこには亜美が立っていた。
 俺は手に持った紙と亜美の顔を交互に見回した。
彼女は頬を赤らしめてこう云った。
「昨日はごめんなさい、佐藤君昨日は大変だったでしょ」
「いや、全然大丈夫ですよ」顔の前で手を振る仕草を見せた。
「だって、昨日顔をしかめながら、お仕事させてしまったから」早くその場から離れたいのか言葉をまくしたてる。
「いやいや、そんな〜 ハハ……」いつもの俺なら適当にごまかして終了だ。
だが、今日の俺は違う! 「困ったらまた、頼ってください!」年下の分際でよくもまぁ云えたものだ!
しかし、これもまた一歩前進だ。
俺は日々進化している……できる男をアピールするのだ。亜美の顔を見つめながら、手紙を人差し指と中指に挟んでみた。
「これは?」敢えて読まない。
目の前で読まれたら恥ずかしいに決まっている。この配慮が吉と出るか凶と出るか?
「読んで」と照れながら足早に去っていった。
(なるほど、これは昼食どころではないな)紙を広げてみる。
 まるで昼食前に思いついたのか手元にあった即席のメモ用紙に書いて渡してくれたのか。予め用意していたわけではなさそうだ。その内容はこうだ。
〈昨日は大変な思いをさせてごめん、今週の日曜日空いていませんか?〉
まさか向こうからやってくるとは予想外だったが、月曜日も祭日で休みになる。これはひょっとして泊まりまであるかも知れないと妄想を楽しんだ。
 きっかけを作ってくれたのだから、当日は男である俺が、リードしてやらないとな。
今からプランを考えるのが楽しみだ。
隆史は弁当を食べるのも忘れてニタニタと思いふけっていた。

ムラサキ公園はそれぞれの家の中心にある。
子供の頃よくここで遊んだ。辺りを見回すと代わり映えするのは、当時よりも遊具の塗料が厚塗りされていることだった。長年の使用で錆びつく度に塗っているのだろう。夜になると不気味とも思える一人で待つ公園は寒さも相まって怖かった。
 少し早く着いたので、辺りを散策することにした。たしか公園を出てすぐにクリークが流れているはずだ。スマホのライトを照らす。昔はよくここでガードレールを跨いでよく釣りをしたり網でザリガニを掬ったりして遊んでいた。
 ふと、ガードレールに両肘を預けて友香の事を考えた。あれから電話やラインはない。色々不安はあったが、これが終われば連絡しよう。
 すると、ヘッドライトに照らされて目を掌で遮りながら、細めた目が車を捉えた。
黒の軽が公園のフェンス横に停まる。
まず、助手席が開き賢治が降りてきた。
続いて運転席からドアとフェンスに挟まれながら狭そうに降りてきた勝が動画用の機材を持っていた。
「ここに停めても大丈夫なのか?」悠介が問いかける。
「大丈夫だろう? ちょちょっとして、すぐに帰ってくる」勝が軽いノリで答えた。
「罰金くらい払ってやるよ、切符でも切りたけりゃ切ればいい」強気の勝に圧倒されながら、賢治が聞いてきた。
「お前は何で来たん?」
「まさか、歩きじゃねーだろーな?」賢治がタバコに火を点けた。
賢治の顔が照らされ視線の先はタバコ先端に集中していた。
「タクシーで来た」悠介が眼鏡を上げた。
「わざわざ金払ってか?」煙を吐きながら賢治が怪訝そうに聞いてきた。
「ワンメーターだから別に……」そう言う悠介に勝が背中越しに話しかけた。
「車におまえも誘ったんだが、どこか上の空だったから心配したぞ」悠介は全然記憶になかったのだ。その時は友香の事で頭がいっぱいだったのかも知れない。
「まぁ、とりあえず全員揃った事だし歩いて行くか!」
「えっ! 歩いて?」賢治が驚いた。
「だって、割と近いぜ」
「それに車止める場所なんか無いぜ!」勝があらかじめ調べているのか威厳を発した。それを聞いた賢治が頭を垂れた。
「じゃあ、出発だ!」勝が歩きながら自撮り棒にスマホをセットしていた。
「万が一に何かあったらムラサキ公園を集合場所にしよう」
「大丈夫だろ! そんなの」賢治がクリークにタバコを人差し指で跳ねた。
「念のためだよ」笑いながら勝が言った。
「たしか……このカーブミラーを左折だな」悠介がナビをして促した。
「なぁ? まだこんな時間なのによぉ」
「何で人とすれ違わないんだ?」勝がトーンを落として呟いた。
二人は背中でその言葉を間に受け身をこわばらせた。
『かえって……』
「んっ? なんか言ったか?」後ろを振り向くと勝の姿が見当たらなかった!
「おい、冗談だろ?」二人は怖気づいたのか「勝、冗談はやめろよな」
 賢治が「小便でもしてんじゃねーか?」震える声で言った。
すると、悠介の背後から手が肩に落ちた……
「──!」
 心臓が跳ね上がりその場でジャンプした。
二人が振り向くと顔が浮いていた。
勝の顔が懐中電灯に照らされて浮いていたのだ。
「はぁ? マジでビックリしたぞ!」
半分キレ気味のうわずった声で悠介が言った。
「ハハハ、びっくりした?」二人は勝に飛びかかる。三人でじゃれ合っている時に「悠介お前元気ないぞ」勝なりの気遣いだった。
すると勝が「ここだ!」と足を止めた。
 懐中電灯を当てた。表札には『木崎』とかすれているがそう読める。規制線だろうか?テープがヒラヒラと風で揺れている。
木造の一軒家だ。外壁は黒ずんで汚れている。
30坪ほどの小さな家だ。
 玄関に近づく。
すると、悠介が違和感を感じた!
「なぁ、両隣の家誰も住んでねーのかな?」
「部屋の明りがついてねーし、留守か?」賢治が生唾を呑んだ。
「外出でもしてんだろう? だってまだ20時過ぎだぞ。」さっさと終わらそう。そのために早い時間にしたんだ。スマホのカメラを動画モードに切り替えた勝が先頭に立った。
「よし、行くぞ」勝がドアノブに触れた。
ドアが開いた。
(うっそ、開いてやがる)心の声が口から漏れそうなほど緊張が走った。
勝が先に入り賢治が悠介の腰を二回叩いた。先にいけという合図だ。
悠介は頷き続けて入る。勝は土間に上がり土足で2人を先に行くように右手を振って促した。勝が賢治に懐中電灯を渡す。
 2人は恐る恐る忍び足で廊下をひた進む。リビングに続くドアにたどり着いた。
ホコリで汚れた磨りガラスが懐中電灯の光に照らされてぬらぬらと動いているように見えた。
ドアノブに手をかける。ゆっくりと開ける。リビングに空気がスッと入る。
部屋の中に漂う異様な臭い、埃と黴《かび》の臭いに混ざって何か独特の臭いがした。
 冬の寒さで手がかじかんでしまう。
悠介は右に曲がりキッチンへと移動した。その後ろから賢治そして動画を回している勝が続いた。
『カタ……』その音に前の二人は肩を震わす。勝が左手でシンクを叩いたのだ。
撮れ高を狙った演出だった。
 悠介が振り向き真顔の口パクで「お前なぁ」って言ってる気がして、吹いてしまいそうなのを堪えた。
冷蔵庫を開けた。賢治がすかさず明かりを入れる。勝が素早く冷蔵庫の中を映す。
 悠介は例の牛乳瓶を取り出した。
フタの代わりにラップなのか、赤黒く変色していた。
ライトで照らしてみる。
そこには、黒光りする無数のムカデが詰められるだけ詰められていた……
「気持ち悪いな、何匹いるんだ?」賢治が小声で呟いた。
「全部死んでるな」瓶の中で黄色い液を撒き散らして底に溜まっている。
「これ、ハサミで切断されたヤツもいるよな?」賢治がキッチンに目を移した。
シンクの上には黄色い液にまみれた赤い柄のハサミが置いてあった。
 すると、悠介がもう一つの牛乳瓶を取り出した。
 揺すると半固形物が左右に動いた。ユーチューブで観たのと同じだ。その中に数匹のムカデが沈殿していた。
その瞬間、その一匹が動き出した!
 ガラス瓶越しにキリキリと振動が伝わる。
仲間の体を足場にして上へ上へと頭部が上がっていく。何かを探すように頭が左右に動く。
 しっかり動画に収めた勝が満足気に冷蔵庫にしまうようにジェスチャーした。
 牛乳瓶から発する異様な臭いの正体がコレではないのか? そう思いながら冷蔵庫にしまった。
 辺りを照らして見回した時、キッチンの床に点検口を発見した。動画の締めにとその中を撮ろうというのだ!
汚れがこびりついた取っ手を掴み開ける。
ゴトッ……開口部が出現した。中は暗闇に満たされており床下からは黴臭い冷気が肌に刺さるくらい冷たかった。
すかさず賢治が明かりを向け勝のカメラが入る。
 
そこには観察ケースいっぱいに詰められたゴキブリの死骸が二ケース横に置かれていた。あまりの気持ちの悪さに開口部の蓋を閉めて封印した。
 3人は顔を見渡した。
それは、観察ケースがわりと新しく見えたのだ! 犯人は生きているのか? 時々こちらに来ているのか? 
不気味なこの家を出ようと玄関に向かう途中、2階に続く階段が気になった賢治が明かりを照らす。半分ほど階段を上がった所で玄関から声がした。微かにフルーティな香りがした。
「おい! 賢治が早く行くぞ」と悠介の声に反応して玄関へ向かった。
外に出た3人の顔からは生気が抜けていた。
勝が振り向いてもう一度家を見た瞬間!
 固まった!
2階のカーテンが少し開いた隙間から、人影がこちらを見ていた。
「うわぁぁぁぁー!」勝が腰を抜かし後ずさりながら2階に向けて指をさす。
「お、おい2階の窓に誰かいるぞ!」
俺と賢治は顔を見合わせて笑った。
「おい、もう2度も引っかからないぞ」
悠介が云ったが勝の唇は震えていた。
2人が窓の方を見ると誰もいなかった……
「ほらな、誰もいないじゃないか? 見間違いなんじゃないの?」悠介がしゃがんで勝の顔をスマホのライトで照らした。
「本当にいたんだよ……見間違いなんかじゃ……」勝の目は見開かれ焦点が合ってなかった。
「お前、大丈夫か?」賢治が手をとり勝を立たせようとしたが勝はよろめきながら、賢治の肩にしがみついてなんとか立ち上がった。恐怖による脱力感で腰が抜けたのか立つのがやっとだった。
「おいおい、しっかりしろよ」賢治が肩を叩いた。
「マジで本当にいたんだよ! 信じてくれよ。俺達ダチだろ?」呂律が回ってなかった。
「分かった分かった、とりあえずここから離れよう。車も心配だしな!」
「……」
勝は無言でうつむいたまま、車まで歩いて行った。
 ムラサキ公園に着いたのが、午後21時前だった。あの家には一時間もいなかったのだが、体が鉛のように重く感じた。
 ふと、車を見ると車内を覗いている人影を発見した。
「あの家の影が追ってきたんだ!」勝が半狂乱になり絶叫した。2人は慌てて勝の動きを封じた。ペンライトの光がこちらに向けられる。
「この車は君たちのかな?」
警察官だった。車の後ろには125ccのバイクが止まってた。なんてタイミングの悪さだ。パトロール中だったとは、「ここ路上駐車禁止ですよ、最近多いので、パトロールを強化しています。ご協力ください。」そう、言いながら、踵を返してバイクに向かう。
「お巡りさん、あの家に行ってください!」両手を2人に押さえられている勝《まさる》が身をよじりながら、その背中に訴えた。
 おそらく背中に書いてある『POLICE』の文字が問題を解決してくれると信じているのか。
 バイクの後ろの黒い箱のフタが強く閉められた。なにやら紙切れを持ってこちらに向かってくる。
勝はそんなのお構いなしにさらに訴えた。「お巡りさん、ほんとうなんだよ!」
「あの家に一緒に行ってくださいよ!」肩を揺らしながら、吠え続けた。
「はいはい、とりあえずこれにサインして下さい」
「話はあとから聞くからね」慣れた口調で対応した。
「わかったよ、切符でも罰金でも何でもいいから、早くしてくれよ!」
 手が震えて自分の名前が書けない。寒さではない。あれを見てからずっと手の震えが止まらない。幽霊を見たら腰を抜かすとかよく言うけどそれとは比にならないほど身体に異変が起きている。
やっとの思いで記入することができた。
警察官が確認すると文字がガタガタでまるでミミズが這ったような読みにくい字だった。
「えーっと、城木勝さんですね、この車の持ち主さんですね」
「そうだよ!早くしてくれないか!」
「点数は1点減点の罰金が8千円になりますね」
「一応なんですが、お酒は呑んでませんよね?」三人の顔を見回した。
「俺達、呑んでませんよ、どうしてそんな事を聞くんですか?」
「いやね、最近ここに路上駐車して、飲みに行かれる方が増えていましてね。度々、飲酒運転を見かける近隣の方から苦情がありましてね。そこで、パトロールを強化しているんですよ」警察官は帽子のつばを持ち上げた。
「まぁ駐車料金をケチるのは分からなくもないですが、罰金なら8千円ですからね」なるほど、そこまでのリスクを払ってでも飲みたいのかと思った。バレなきゃなんでもいいわけだ。
「そんな、話はどうでもいい! 早く見てくれよ」2人は勝の変わりぶりに違和感を覚えた。
「はいはい、わかりました」と呆れたようすでバイクに戻る
「次は死人が出るかもしれないぞ!」
「死人?」警察官が振り向いた。
「ゴキブリ事件だよ、犯人があの家にいたかも知れない?」
「おい! 勝いい加減にしろよな!」胸ぐらを掴んだ賢治に警察官がまぁまぁとなだめた。
「では、その家はどこら辺ですかね?」
こっちです。そういいながら、勝は歩き出した。
「ちょっ、明日、大事な大会があるんだけど」
「賢治もう少しだけ付き合ってやろうや」
勝を先頭に3人があとをついていった。

 その頃、黒川友香は暗い画面を見つめて溜め息が漏れた。スマホを置いて壁掛け時計に目をやると22時前だった。あれから、悠介からの連絡はなかった。このまま自然消滅するんじゃないか?と不安な日々を過ごしていた。
あれから5日以上連絡がないのだ。
寂し過ぎて気が狂いそうだった……一点だけを見つめ頭を揺らしながら
「『うさぎ』はさみしかったらすとれすでしんじゃうみたいだけどわたしもおなじかもしれないおねがいだからわたしをひとりにしないで……」棒読みで何回も繰り返し唱えた。

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