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【ヨアガキ▶︎袋とじ企画】若手ショーケース企画稽古場レポート

余白について。

演劇のおもしろいところの結構大きい部分は余白にあると思っている。
演劇そのものが社会の余白とも言えると思っている。
余白がある社会は楽しい。

袋とじ企画 『藪の中』稽古場レポート

人間の記憶の中というのは余白だらけだ。まだら。その余白にどういう絵を描くか、だったりどういう音楽を流すか、だったりどういう文章を書くか、だったり。
ひとは無意識のうちにそういうことを楽しんで生きているのだと思うのだが、その手描きに汚された余白と余白が藪の中で出会う。そんな瞬間を見たと思った。

稽古場では役者と役者が一定距離を保ちながらぐるぐると動き回っていた。互いの余白と余白を犯さない程度に、だけど少し重なる程度に動く。シンプルな動きから生まれた余白の中でセリフが描かれていく。それぞれが持つ記憶についての言葉。死んだひとについての証言が描かれ、泳いでいく。

ぐるぐる。

考えてみるとこれって結構残酷な構造をしていると思う。人は個々人として生きていて、しかし余白同士で繋がっていないと生きていけない。さらにはそこに好き勝手に言葉を投げ込んでやれ誰が死んだとかどうやって死んだとか言う。あの人たちが何で死んだのか結局私にはわからないのになあ。

さらに考えてみるとこれって結構演劇だとも思う。社会や経済に余裕がないとひとは余白を楽しまない。コスパの悪い余白から順に淘汰されていく。にも関わらずそんな余白たる演劇の中で、私達はいつも何かを伝えようと台詞を投げ込み描き続けております。身体と感性のやり取りを繰り返しております。
だってひとは重なり合った余白の中でしか生きられないと、信じているんだもの!それが楽しいのだもの!!
「演劇って孤独ですね。」前にひとから聞いた言葉を思い出した。

全然稽古場レポちゃうやん。『藪の中』レポやん。
袋とじ企画さんの稽古場、ひたすら楽しかった。ひとの稽古場って楽しいなあ。
知らない発声練習の仕方とか、声を足の裏に響かせるとか。あと、シーンを丸々通すのではなくちょっとづつ止めて、丁寧に言葉の扱いとか役の性格とかについてやり取りしているのが凄いなあと思った。私がパワーゲームな稽古ばかりしてしまっているのが身に染みて、反省。花束みたいな稽古したい。
お邪魔でなかったことを祈りつつ、エヘエヘ言いながら帰路についた。
帰りに、腰にリードを巻き付けまくって6頭のシーズーを一気に散歩させているおじさんに出会った。私は、この6頭シーズーおじさんのような稽古ばかりしてしまっていまいか。自問した。
(※シーズーを6頭飼うことは何ら悪いことではないと思います。)

これはヨアガキの稽古場もそうだけれど、同世代のひとたちの感性に触れるのはやっぱり楽しい。
みなさん、いつもありがとう。
演劇、続けていきたいなあと思いました。

劇団ヨアガキ
興梠陽乃

左京東部いきいき市民活動センター周辺。
久々に行った。雰囲気が大好き。

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