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お下がりばかりの生き方

わたしには2歳上の兄が居て、父親はサラリーマンだった。母親は専業主婦。子供の頃からそれほど裕福ではない。中流でもない、中の下ぐらいのところ。節約倹約至上主義の家庭だった。わたしが小さな頃のおやつは、近所のパン屋さんからパンの耳をもらって来た母が、油でカリカリに揚げてグラニュー糖をふりかけた質素なものだった。

服とか靴とかはほとんど兄のお下がり。わたしの為に新品を買ってくれた事は無い。そんなので大人になった。会社に入って勤め出して自由になるお金を手に入れたとしても使い方がわからない。今までどおり節約倹約していた。それほど我慢ばかりで生きているのはつまらないのではないかとも思ったことがある。

結婚してからも、同じく節約する事になる。妻がとんでもなく節約家なのだった。わたしには自由になるお金は無く、欲しいものは買えず、飲み会も参加を控える時もある。まったくつまらない。同僚は高級車に乗ったり、輸入大型バイクに乗ったり、わたしはお金がかかる歯列矯正もあきらめる。待機電力とかもうるさくコンセント抜くの忘れると涙出るほど怒られる。

そんなこんなで3人の男の子がみんな成人した。で、わたしはこんどもやっぱりお下がりで生きていく。
リュック、ジーンズ、スニーカー、自転車、帽子、登山靴、キャップ、ジャージなどすべて子供のお下がり。今でも愛用している。

なので、わたしはいつまで経ってもお下がりで生きていくのだ。別に構わない。
この先、病気になって腎臓、肝臓、心臓もお下がりを移植するかもしれない。大いに結構ネコ灰だらけ。

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