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いつから食べることは破壊することになってしまったのか①


こんばんは。

突然だと思いますが、タイトルのような疑問がふと浮かび、ずっと考えていたので、こちらに残して置こうと

「生きる」

この意味には間違いなく、「食べる」という行為が含まれていて、食べることで生き物たちは遥か昔から命を繋いできた

また、植物以外は他の命を食べることで命を繋ぐことができたわけで、他の命に依存しながら命を繋げてきたとも言える

しかし、今の人間社会を見ると、「生きる」ために他の生き物の命を蔑ろにしている、更には人間の命すら蔑ろにして、成り立っているように見える時がある

最近で言うと、石垣島のカンムリワシ営巣地でのリゾート開発

他にも、メガソーラー開発などで目には見えないところで人間を支えてくれている、いわゆる生態系サービスというものを破壊しているようにしか見えないことがある

もちろん、中にはインフラなどの理由のために道路開発や、河川改修、電力開発が必要なことは十分わかっている

読まれてる方に、何が必要で、何が不必要なのか曖昧じゃないかと言いたくなる人がいるのはわかってる。自分だってその矛盾に納得のいく答えは見つかってない

だが、間違いなく今よりよい方向に物事を考えていくことはできる

自転車を使う、ゴミを減らす、節電、節水、地産地消などなど

よりよくなるためには何ができるのか、ベストな答えは見つけられないかもしれない。でも、今はよりよい答えを追い求めていくことは自分でもできる

冒頭で「食べる」=「破壊」になっているという疑問を提示した

これは世界中の漁業なんかも同じで、他の生き物を獲り、それで生活しているはずの人々が、気づいたら破壊的漁業を営んでいる時が多々見受けられる

このことについて昔の漁業者なんかから聞いてきた話を明日にも書いていこうかなと思う

ではでは

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