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映画『アバウト・レイ 16歳の決断


はじめに


クィアな表象を描く作品を観て議論しあうという授業で、
映画「アバウト・レイ 16歳の決断」を鑑賞した。

実はこの映画を授業で観るのは今回が初めてではない。
高校生の時も、トランスジェンダーについての学びの一環で
この作品を観たのだ。

高校生の時よりクリティカルな視点を持って鑑賞できたので残したい。


あらすじ


この映画は、16歳の誕生日を迎えたからだが女の子として生まれたレイが、ホルモン治療や様々なカウンセリングを経て、手術まであと一歩という段階から始まる。

あとは両親のサインが記入されれば、レイは体の女性的な特徴を排除することができるのだが、母親の過去と本心によってサインをもらうことに難航する。

映画を観て


トランスジェンダーを描いた映画は数あるが、このように成長途中の人間を中心に発展する映画だからこそ、教育の場で観られるのではないかと思う。

シスジェンダー(:自分の性をどのように認識するかと、生まれ持った性別が一致している人)である両親は、トランスジェンダーの考えを理解することが難しかったのかもしれない。

しかしレイと話す中でその考えを知り、最終的には手術の同意書にサインする。

このストーリーは起承転結が上手に作られている。
だがこの起承転結の造り物感が、いささかやりすぎなのではないかと異議を唱えたい。

日本生まれ日本育ちの、ごく一般的な過程で生まれたこともそう考える要因の一つなのかもしれない。

しかし母親が性に奔放(?)だったり、同居している祖母カップルがレズビアンだったりと、少し”特殊”な家庭に描かれることで、話を現実世界に落とし込める現実感が不足しているように感じられた。

ただ、このように描かれることでトランスジェンダーを知るキッカケになりその考え方のひとつを知ることになったので、良かったと思う。



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