20歳11ヵ月の心境

約2週間後に21歳の誕生日を迎える。
今は進路に向けての就職活動による忙しさがピークだ。

正直、毎日とても楽しい。
大学、高校、中学の友達と予定をたてて遊び、話し、時間を過ごす。
大好きなフレンドと朝までゲームをする。
家族と出かけて外食をして他愛もない時間を過ごす。
今までの人生で一番自由度が高く、自分の意思決定でやりたいことを決め、自由に生きれていて、こんな日々が毎日続けばいいなと思っている。

人生は一度きりしかなくて、いつ死ぬか分からない。
そんな中でいつ死んでも後悔したくないと思って生きてきたが、実は結構狭い視野で生きてきているということに最近気づいた。

コロナによる制限が本格的に緩和されているこの頃では、海外旅行や留学、旅にでかける友達が去年より格段に増えた。
自分も大学生になったらお金をためて海外旅行をしまくろうと思っていたが、いざ大学3年生の春休みになってみたら、一度も日本から出ていないという現実だけが残っている。
私が行きたい国ややりたいことを妄想している間に、海外に出て、経験値をあげている友達たちがいると思うととてつもない焦燥感に襲われる。

でもいざ自由になってみても、「バイトをそんなに長期で休めない」とか「お金が足りない」とかくだらない言い訳をつくって仕方がないとあきらめている。

そもそもなんで海外に行きたいのか考えてみたら、自分が知らない世界を見てみたいからだという目的があって行きたいのだとわかった。

もちろん今も海外に行きたいという気持ちは変わらないが、果たして海外に知らないものを求めるほど自分は日本のことを知っているのか?という疑問も湧き出てきた。

私は義務教育を経て高校、大学と進学し、当たり前のように就職活動をしていて、それが絶対の世界だと思っている。
しかしオンラインゲームを通してそれが決して絶対ではないと実感した。

オンラインゲームはプレイヤーがリアルに知り合いであろうがなかろうが、繋がるチャンスがある。
そうして出会える人は、年齢も、性別も、住んでいるところも、考え方も、価値観も全く異なった人たちが多い。

そのような人たちと交流を重ねると、今まで生きてきた範囲がいかに狭く限定されていたかということを思い知らされる。

住む環境が違えばしゃべり方が違うし、そのような風土に根付く風習は地域によって異なる。その結果、生き方や価値観が異なるということに繋がる。

私はそんなオンラインゲームに夢中になった。
きっかけは高校の友達のオススメだったが、現在では顔も本名も知らないフレンドとゲームを楽しんでいる。
同い年だけど全然違う価値観を持ったフレンドや、自分と同じくらいの年齢の子供を持つフレンドなど想像もできなかったような繋がりを持っている。

このように良い面をあげてみれば、自分の価値観をぶっ壊して新しい考えを与えてくれる存在として捉えることができるが、オンラインゲームにはダークな一面もある。(人によって個人差はあるが。)

そもそもゲームはいつやるか?

もちろん仕事中や学校ではできない。
そうなると、だいたい夜にやることが多くなると思う。

夜集まってゲームをして朝になって、、、ということが続くと昼夜逆転に繋がる。
時間が有り余っている長期休みであれば、ひと時の思い出にできるだろう。
しかし、問題はそのような時期ではない時にハマってしまうことだ。

特に、日常生活にうまく溶け込めない、例えば学校の集団生活が苦手な人にとっては、オンラインゲームのコミュニティが、自分の不都合な点は隠せる都合の良い場所となりうる。

ゲーム中毒に関する本を読んでいて、未成年はそのようなことが危惧されるからゲームを取り締まるべきだという主張がされている。

実際自分の周りにも中学生だけど朝までゲームに付き合ってくれる人がいる。
しかし話をよく聞くと、小学生の時からゲームをやるのは当たり前で、ずっとやってるからなんの疑問も抱いていないといったスタンスが見受けられた。

こうした話を聞くと、本来は義務教育で学ぶべき時間をゲームに費やすのは良くないことだと思ってしまう。
だが、その人の生まれ育った環境が今の人格を形成していると考えると、一概にその人だけに問題があるとは言い切れない。

そのように育てた保護者にも一因があるのかもしれないし、そうさせた社会に原因があるのかもしれない。

むず。


ゲームが好きでやってるのか、
交流が好きでやっているのか、


自分が当てはまるのは後者だ。

ゲームでしかフレンドと話せないし遊べないから、ゲームという媒体を通じてそのフレンドとのコミュニケーションを望んでいる。

だからこそ「ゲーム」に執着するし、自分の生活も犠牲にする。

一緒にゲームができたときはものすごい嬉しいし、できなかったときはとてつもなく悲しい気持ちになる。

これは人によるのかもしれないが、メンヘラ気質のある自分にとって、自分のさらしたくないところを隠して繋がっている状態がとても心地よく感じる。

一歩踏み出せばフレンドとは違った関係になるかもしれないのに、その気持ちすら持っていない。そんなことをしてこのぬるま湯がなくなったら、心のよりどころがなくなってしまうからだ。

というのを文字に起こしてみて、衝撃を受けている。
自分こんなこと考えていたのかと。

まだ気持ちがあちこちにいってるけど今日はここまで。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?