ウクライナの徴兵忌避汚職問題から考えること、軍事支援継続は本当に現在・将来のウクライナ市民・社会のためなのか?

徴兵逃れ汚職で新たな摘発、1人1万ドルの収賄か ウクライナ (msn.com)(8/27)
  この間ウクライナの「徴兵忌避」問題がかなり報道されています。8/27も上記のような報道がなされています。
 この件から私は下記のような考えをもちます。
1、「徴兵逃れ」という言葉には抵抗を感じる。「徴兵を忌避することは悪なのか」、「国のためには命を捨てるのは当然なのか」という疑問をもつからである。ロシア・ウクライナ戦争とゼレンスキー政権の方針支持から、「お国のために命をささげるのは当然」という論調の方にいつの間にか引っ張られているのではないか、私はその意味で「徴兵忌避」という言葉を使うようにしたい。
2、この報道にもあるように徴兵忌避のためには多額の金銭が必要。ウクライナ市民の経済状況を考えれば、決して少なくない金額、それでもゼレンスキー政権が「摘発」した人数からすると、多数の人たちが「徴兵忌避」している。ウクライナ市民は本当に「徹底抗戦・全領土奪還支持」「そのためには自分や親族の命を捨ててもいい」と考えているのか。これほどの経済的負担をしても、そして発覚した場合の大きなリスクにもかかわらず、少なくない人が「徴兵忌避」をしている、ということの示す意味を考えるべきではないか。ウクライナ市民の多数が本当に「ゼレンスキー政権の徹底抗戦・全領土奪還方針を支持しているか」「そのために自分や親族の命を捨ててもいいと考えているのか」、その点も議論において慎重に考慮すべきではないか。
3、「徴兵忌避」には多額の金銭が必要、つまりそれを用意できない層は「戦地に行く以外の選択肢はない」。ウクライナ社会がロシア社会と同様、かなりの格差社会であることは先に指摘したように否定できない。戦争は経済的社会的格差構造の下位層にとりわけ犠牲を強いる、戦場での命の犠牲も同様、というかその点にこそその本質が鋭く抉りだされている。「徴兵忌避」を論ずるとき、そうした視野が不可欠でそれを抜きにした議論は、経済社会の本質から目をそらす議論ではないか。ロシア・ウクライナ双方における、経済的社会的格差構造を踏まえた戦争による命の犠牲、戦争が抉り出す経済的社会的格差構造の方質の解明、そうした観点こそ必要ではないか。
そして戦争の本質的対立軸は、「ロシア対ウクライナ」、なのか、それとも「両国・それを支援する政権対関連諸国市民」なのか、私は後者と考えるがどうであろうか?
 私は「徴兵忌避汚職問題」について以上のような視点から考え、それをふまえた議論をしているし、これからもするつもりです。

(20) 野口和彦(Kazuhiko Noguchi) on X: "マルセティック氏「将来、キエフがロシア軍に対する作戦を成功させたとしても、それが戦争の終結につながるかどうかはわからない。ひとつには、モスクワがウクライナ軍が得たものをすべて消し去るために反攻に転じるかもしれないし、軍事的な行きつ戻りつが延々と繰り返されるかもしれない。あるいは、昨年秋の二の舞になる可能性もある。キエフとNATOの支援者たちは、9月のウクライナの反攻で大きな利益を得たことで勢いづき、『完全勝利』を追求するために、ロシアとの話し合いを拒否したのだ」。2/n" / X (twitter.com)
(原文は下記のもの
Are US officials signaling a new ‘forever war’ in Ukraine? - Responsible Statecraft
ぜひこちらにも目を通していただきたく思います)
  「徹底抗戦・全領土武力奪還」方針が仮に成功したとしても、それは「一時的な成功」にすぎず、「武力では武力」では、結局「延々と戦争が続く」ことになってしまう、というものです。こうなった場合ウクライナの市民・社会はどうなってしまうのでしょうか。膨大な経済的損失、まさに「領土」の想像もできない荒廃(「たかが領土」という発言を批判される方々は戦争継続で「領土」が荒廃していくことをどう考えるのか)、そして何よりもウクライナ市民(とともに戦場に行かされるロシア市民)の貴重な命の膨大な犠牲、が強いられることになります。
 「武力には武力で」という方法で、そうした「延々と続く戦争」を避けるには、「武力でロシアという国を消滅させる」しかなくなってしまい、それを本当に目指した軍事対応をしてしまったら、確実に「ロシア政権による核使用→核戦争」です。
 ロシア政権による核使用でまず大きな犠牲となるのは、ウクライナの市民・社会です。
 「ゼレンスキー政権の徹底抗戦・全領土武力奪還とともにそのための軍事支援支持」という立場は本当に、ウクライナの市民・社会の現在、将来を考えた立場なのでしょうか?
 「武力には武力で」ではなく、「即時停戦・和平交渉で解決を図る」というのが、ウクライナの市民・社会の現在・将来を考えた主張と思います。
(20) 野口和彦(Kazuhiko Noguchi) on X: "あるソ連時代の反体制派曰く「ソビエト連邦の時代、人々は自分の考えを言うことを恐れていたことはご存じでしょう。現在のウクライナにも似たような状況があると言わざるを得ない。これは、ロシアの侵攻による国民の怒りと憎しみ、そして国家による弾圧が原因です。ロシアとの妥協を主張する者は、たとえウクライナの自由と独立を支持していたとしても、すぐに公然と裏切り者の烙印を押され、SBU(ウクライナ保安局)の標的にされてしまうのです」。 
  前にも引用した旧ソ連時代の反体制派の言葉です。この方は旧ソ連時代はかなり迫害されたと思います。現在のゼレンスキー政権の下ではそれと似たような状況にあり、「徹底抗戦・全領土武力奪還」の方針に疑問を主張する者は、「たとえそれがウクライナのため」という立場からであっても、「公然と裏切り者の烙印を押され」「SBU(ウクライナ保安局、旧ソ連のKBGのようなもの)の標的にされる」、とのことです。
 何度も指摘しているように、ゼレンスキー政権の下では、ほぼ全ての野党が「親ロ政党」とのレッテルを張られ活動禁止、現在は事実上野党が存在しない状況です。ゼレンスキー政権に異を唱えることは、公然とはできない、わけです。
 ゼレンスキー政権の「全領土武力奪還」方針、そしてそのための軍事支援継続が本当に、「現在・将来のウクライナ市民・社会のためなのか?」という強い疑問から、そしてゼレンスキー政権の下では現在それに公然とは異を唱えられない、ということも踏まえ、そうした点から「も」、私は「即時停戦・和平交渉での解決」を強く訴えます。

白井邦彦
青山学院大学教授



 

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