宮武弁護士のご質問への回答として、1

 宮武弁護士から私に質問がよせられています。
「ロシアに対する即時撤退を求めNATO加盟国からウクライナへの軍事支援を認める」立場から、「両国に対して即時停戦を求めNATOからウクライナへの軍事支援を否定する」白井邦彦先生にご質問します。 - Everyone says I love you ! (goo.ne.jp)
  このうち今回は以下の3点に回答したく思います。

「1 国際社会で普遍の原理となっている民族自決権や国民主権原理から、ウクライナが停戦するか戦闘を続行するかを決める権利があるのはウクライナの主権者だけです。白井先生はウクライナが戦争を継続するか、停戦するかは、主権者であるウクライナ人だけが決める権利があり、外野の私たちにはその権利はなく、たとえ私たちが即時停戦を提案しても、ウクライナ人はそれに従う義務がないことを認めますか?
2 主権者であるウクライナ人の意図が停戦にあるのか戦争継続にあるのか判断しがたいとおっしゃっているようですが、主権者たるウクライナ人に自分たちの意思決定の方法も判断方法も委ねられる以上、今のゼレンスキー政権をウクライナ人が支持し、また実際に戦争を継続している以上、主権者たるウクライナ人の意志は戦争継続にあると判断するしかないのではないですか。
7 同じく侵略国ロシアにドローン兵器を輸出してウクライナ人殺戮に手を貸しているイランを批判しないのはなぜですか。」(上記ブログ記事より直接引用)

1、については、まず質問そのものに疑問があります。
疑問1、民族自決権・国民主権原理については、「一民族一国家」なら両者は並列に扱えるが、現実にはそうはなっておらず、多民族でかつ少数民族が存在する、という構成となっている国家が多数存在する。その場合少数民族の地位をめぐって、民族自決権と国民主権原理と間には深刻な矛盾関係が生じうるのではないか。ウクライナも多民族国家であり、ウクライナ・ロシア民族間の問題はよく言われるが、そのほかにもウクライナ国内のハンガリー民族をめぐってもハンガリーと緊張関係にある。民族自決権・国民主権原理、どちらを軸においての質問なのか?
疑問2 「主権者であるウクライナ人」と言われるがここでいう「ウクライナ人」とは「ウクライナ民族」のことを指すのか、それとも「ウクライナ国民全体」を指すのか?「ウクライナ国民=ウクライナ民族」とだけでとらえられないのは明らか。ウクライナ国民という場合にはいわゆる「親ロ派勢力」も「主権者であるウクライナ国民」に含まれる。その人たちも含めての概念なのか(もちろん私は「親ロ派」の人たちの現在の対応は支持できない、ただし彼らも「ウクライナ国民」であることも否定できない)?
疑問3 「外野の私たち」という表現は適切だろうか。ゼレンスキー政権の「徹底抗戦・全領土武力奪還」という方針には、国力・軍事力の差から「他国の軍事支援を得て」という意味が当然含まれている。そしてその場合の軍事支援を求める先は、国際的位置関係から米欧日、すなわち「私たち」である。ゼレンスキー政権の「徹底抗戦・全領土武力奪還」の方針とは、「私たちに軍事支援を要求し、私たちが必要とされる軍事支援を受け入れる」を含んだものである。私たちはそうした「立ち位置」に置かされており、「外野の私たち」という位置づけには賛成できない。
1、の質問にはこうした疑問、ひっかかりを持ちます。
 そのうえで形式論のみで回答すると、まず「停戦派両国政府の合意がなければ成立しない」ものなので、ゼレンスキー政権が停戦の決定を行わない限り停戦は絶対成立しません。ウクライナ側としてはゼレンスキー政権だけがその決定権をもつのは事実です。そして形式論からだけいえば、ゼレンスキー政権が「徹底抗戦・全領土武力奪還」の方針をいくらかかげても、私たちには「軍事支援を行わなければならない義務はない」、そして「どのような軍事支援を行うかはそれぞれの国の市民が決めることで、他国市民が軍事支援を行わない、独力でやってくれ」となっても差し支えない、となります。形式論だけで議論するとそうなります。
 しかしこうした形式論だけで割り切れる問題なのでしょうか?「ウクライナに独力で戦え」は国力・軍事力の差からそれは実質的には「ロシア政権の侵略容認論」となってしまい結局ロシア政権の重大な国際法違反を容認することになります。単純に「ウクライナが独力で」ともいえません。同時にウクライナに対する軍事支援だからといって、その資金武器が突然どここから別に沸いてくるわけではありません。限られた予算・軍事資源を割いて、となります。そしてウクライナへの軍事支援は次のような事態にもなっています。
/米軍の弾薬備蓄量が低水準に、ウクライナ軍事支援背景に - CNN.co.jp(7/22)
「サリバン氏は、政権はその後、弾薬の備蓄分を許容出来る水準にまで補充するには数カ月でなく数年を要する作業になることを知ったと指摘。ウクライナを軍事面で支え続ける中での厳しい課題になったとも述べた。」
 これは結局軍事産業拡大・軍事費増額、となります。もちろん日本にもその補充の要求は今後ますますくるでしょう。
  「軍事支援を要求され必要な軍事支援を行うことを受け入れる」ということは、「こうしたことも受忍せざるをえない」ということを意味します。私たちは今こうした「立ち位置」に置かれています。そうした現実を踏まえて議論すべき問題なのではないでしょう?
1、のご質問については、上で述べた3つの疑問ひっかかりを感じる、ただし形式論のみで回答すると上記のとおりだが、現実に私たちのおかれている「立ち位置」を考えるとそうした形式論のみで議論できる問題なのか、私たちが現実に置かれている「立ち位置」を踏まえてそれに基づき問題設定・議論がなされる事柄ではないのか、形式論からだけでは割り切れないのではないか、が現段階の私の回答です。

2、について
 「主権者であるウクライナ人」ではなく、「主権者であるウクライナ国民」と読みかえてて答えると、「ウクライナ国民」の意見にはかなり幅があるのではないか、と思います。私が驚いたのはロシア政権による侵略で避難先としてロシアを選択した人たちも少なくなかった、ということです。常識的に考えて「なぜ侵略した国の側に避難するのか」となります。もちろん地理的人間関係的にやむをえず、の人たちも少なくないと思います。ただかれらも「ウクライナ国民」です。また徴兵逃れが20万から50万、徴兵対象者の1割程度とも言われています。徴兵逃れには多額の金額が入り摘発された場合のリスクが大きいにもかかわらず、です。
 同時にこれが一番大きな問題なのですが、「劣化ウラン弾・クラスター弾を使って領土奪還」ということに関してはゼレンスキー政権とウクライナ国民との間にはかなりの意見の相違があるのではないか?、ウクライナ国民の多数はそのゼレンスキー政権の方針は支持していないのではないか、と考えるのが普通ではないでしょうか。クラスター弾はゼレンスキー政権側が積極的に供与を求めたものです。この点に関してはゼレンスキー政権と国民多数との間にはかなり見解の相違があると思われます。なお万が一ですがウクライナ国民の多数が「劣化ウラン弾・クラスター弾を使って領土奪還」という意見であるとしたら、私はとてもそのウクライナ国民の多数意見を支持できません。

7、について
 ロシア政権の侵略については私は容認できず強く非難する立場です。その点は何度も強調しています。侵略が容認できないのに、「その侵略用に武器を供与するのは認められる」、などという議論はありうるのでしょうか?イランのドローンの供与は認められない、は当然のことではないでしょうか。認められるかどうかなど論点になるはずのない問題ではないでしょうか。

白井邦彦
青山学院大学教授



 
 


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