経済制裁による経済、とりわけ諸国民市民の雇用・生活への悪影響を考えなくていいのか?-宮武弁護士のご質問への回答として5

 まず本題に入る前にこれまでの補足としていくつか述べておきたいとおもいます。
 最初に野口和彦先生のツイートからです。
「カチャノフスキー氏「実際、ロシアが壊滅的に敗北する可能性は限りなくゼロに近い。それを待ったり、それに賭けたりすれば、多くのウクライナ人の命を奪うことになる。ウクライナ人は均質な存在ではない。このようなメディアが、ウクライナ人学者である私の研究に基づく、ウクライナ紛争に関する意見を掲載できないのは、明らかにおかしい」(野口和彦先生のツイートから直接引用 )
 ゼレンスキー政権の「徹底抗戦・全領土武力奪還」方針に疑問を有するウクライナ市民も存在します。しかし同氏の意見のようにそうしたウクライナ市民の声は基本的に黙殺されています。同氏の「ウクライナ人は均質な存在でない(ウクライナ市民がみなが同意見ではない)」という点は私たちは認識すべきとともに、ウクライナ市民の中に本音として存在する多様な意見の存在自体を否定するのは、言論の多様性を認めるという民主主義の基本原理からはずれることではないでしょうか?
 次にウクライナ軍によるモスクワを含む(本来の)ロシア領内への攻撃がこのところ相次いでいますが、それに対する最大の軍事支援国アメリカの反応です。
米、ロシア国内への攻撃奨励していない=ホワイ/トハウス|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト (newsweekjapan.jp)(8/1)
「[ワシントン 31日 ロイター] - 米ホワイトハウス国家安全保障会議(NSC)のカービー戦略広報調整官は31日、CNNに対し、米国はロシア国内への攻撃を奨励したり、可能にしたりしていないと語った。」(同記事より直接引用)
  ゼレンスキー政権への最大の軍事支援国であるアメリカがこのような表明をするのは、当然こうした攻撃がロシア政権による核使用をもたらしてしまうリスクが極めて高い、と認識しているからでしょう。ロシア政権による核使用が万が一なされたら、アメリカ、その他私たちはそれへの対応をめぐり大変な混乱に陥ります。「プーチン政権を強く非難して終わり」とはいかず、かといって核には核で、では核戦争、NATO軍が通常兵器を使ってロシア攻撃では世界大戦で核戦争の恐れもあります。率直にいってそれらの場合私たちの大部分は生き残れないでしょう。そうした重大な状況に私たちは今立たされています。ベトナム戦争におけるアメリカの核威嚇とは質的に大きく異なる状況にある、と重ねて強調しておきます。
 第三に前回の記事についての補足ともいうべきものです。
ウクライナ出生数減少、独立以降最大の割合 侵攻前同期比28%低下(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース(8/1)
「世界銀行によると、ウクライナ侵攻前の同国の人口は約4380万人だったが、キーウ・インディペンデントは研究機関の話として、30年には3500万人以下に減少する恐れがあると伝えている。(イスタンブール=高野裕介)」(同記事より直接引用)
 さらに前回紹介した国連などの調査に関する記事でも下記の記述があります。
ウクライナ住民、1700万人が「限界状況」…国連機関の報告書、凄惨な現状明かす(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース(6/28)
「人口の高齢化と若年層の国外移住などによって、今後30年間で人口が3分の1に減少する可能性もあるという予想が出ている」(同記事より直接引用)
  ウクライナの人口構成はソ連崩壊とその後の混乱の影響で、「15歳から30歳までの層」がへこんだ(少ない)人口構成となっているわけですが(こうした人口構成はロシアも同じ)、このままではウクライナの人口は戦争前の人口4500万人弱から30年には3500万人程度に、そして30年後には1500万人程度にまで減少してしまう、というわけです。
 こうなったらウクライナの市民社会は成り立つのでしょうか、そもそも国家として成り立つのでしょうか?ゼレンスキー政権の「徹底抗戦・全領土武力奪還」方針はこうした将来的な危機を洞察したものであるとは、私にはとても思えません。

宮武弁護士の私へのご質問は以下の次第です。
「ロシアに対する即時撤退を求めNATO加盟国からウクライナへの軍事支援を認める」立場から、「両国に対して即時停戦を求めNATOからウクライナへの軍事支援を否定する」白井邦彦先生にご質問します。 - Everyone says I love you ! (goo.ne.jp)
 今回はこのうち「経済制裁」に関することについて回答したく思います。
具体的には下記の質問、15については経済制裁の部分についての質問にお答えしたく思います。
「6 ウクライナへの軍事支援があるから戦争が長引くとおっしゃいますが、侵略国であるロシアとの貿易額をウクライナ戦争後何倍にも増やして、ロシアの戦争継続を可能にしている中国やインドを全く批判しないのはなぜですか。
15 国連憲章やその他の戦時国際法が守られるという法秩序を維持することが将来の戦争を抑止し、人命を尊重することになると思いますが、白井先生はどうお考えでしょうか。ウクライナへの軍事支援もせず、ロシアへの経済制裁もしないというご主張ですが、それではロシアの侵略得になって、国際法秩序は崩壊するのではないですか。」
 まずロシアへの経済制裁については私が主張していないことは事実です。それは「経済制裁による経済、とりわけ各国市民の雇用・生活への悪影響」という面「をも」考慮しなくていいのか、という考えからです。
 私は一応大学の経済学の教員です(しかし経済学者といわれるものとは程遠いと自覚はしています)。詳細にのべると「社会経済学・社会経済学視点からの労働経済」を専門にしています。現在経済学は新古典派経済学と社会経済学の二大潮流から成り、私は後者の方法に基づく分析研究を行っています。社会経済学とは、「ポスト・ケインズ派、マルクス派、新リカード派、旧制度学派ネオ制度学派現代制度学派に至る制度学派、ラディカル派などの非新古典派経済学に共有する理論を体系化した経済学」なわけですが、そうした観点からの「労働経済分析」においては、「市民の雇用・生活、とりわけ経済的社会的格差構造における下位層の雇用・生活への影響」という視点が極めて重要となってきます。
 侵略の責任主体は「ロシア政権、プーチン政権」です(私がロシア政権・プーチン政権というように「政権」と必ず書くようにしているのは、責任主体を明白にするとともに、あくまでも非難すべきはロシア政権・プーチン政権であり、ロシア市民その他ロシアの芸術スポーツなどロシアに関するすべてにまで責任を負わせ非難すべきではない、その点は区別すべきという私の強い主張のゆえです)。プーチン政権の関係者のみをターゲットとしその他には影響がいかない経済制裁には当然賛成します。ただそうした経済制裁はきわめて例外的と思います。
 経済の国際的連関関係、各種産業連関関係から、経済制裁を行った場合、必ず経済に負の影響を与え、各国市民(この場合ロシア市民も含みます)への雇用・生活への悪影響は避けられません。さらにその悪影響は国際的国内的経済的社会的格差構造の中での下位層にいけばいくほど強くなる、と思われます。侵略の責任主体はロシア政権です。そうでない各国市民の雇用・生活、とりわけそれでなくても雇用生活不安にさらされている「国際的国内的に存在する経済的社会的格差構造の下位層」に悪影響を及ぼすような対応は認めていいのか、私はそのように考えています。国際法・国際秩序を守ることは重要、同時に各国市民の雇用・生活に悪影響を与えない、も極めて重要なことではないか、私はそのように思わざるをえません。
 現在多くの国はロシア政権による侵略は非難しつつ、経済制裁に参加していません。それらの国に「経済制裁に参加を」といっても、「では経済制裁によって被る私たちの経済への悪影響、国内の雇用生活への悪影響が生じないような施策をしていただけますか?」という反応がかえってくるだけと思います。
 中国インドのロシアとの貿易増・先に指摘がなされたロシアからの原油輸入増の問題についても同様に考えます。感情論としては私も「中国・インドなどがロシアとの貿易を増やしたりしてロシア政権の侵略を経済的に支えるなどいかがなものか」ときわめて苦々しく思っています。しかし経済的必要が全くなくただロシア政権の侵略を経済的に支えるという政治目的でのみ行っているものならともかく(私は中国・インドともきわめて実利主義なので、そうした行動原理はとらない、とみています)、そうでない限りそうした貿易をやめさせた場合の両国市民の雇用・生活への悪影響は考えなくてもいいか、という疑問をもちます。前に指摘された原油に関していえば、ロシアからの原油の輸入増について中国・インドに「それはロシア政権の侵略を経済的に支える行為だ、やめるべき」と言ったら、両国から「では、現在ロシアから輸入して原油量と同じ量だけ、しかも同じ価格で供給していただけますか」という問いかけがかえってくるだけでしょう。当たり前ですがそうしたことが不可能なのはいうまでもありません。「侵略しているロシア政権を助けるような貿易を行っている中国やインドが悪い、自業自得、そのデメリットは両国が甘受すべき」といったところで、ではそれにより悪影響を被る両国市民の雇用・生活、とりわけ両国の経済的社会的格差構造の下位層の雇用・生活はどうなるのでしょうか?「それも甘受すべき」とは私はとても思えません。
 ロシア政権の侵略は許されない、それは強く非難する、が私の立場です。同時に「ロシア軍を撤兵させること『だけ』を、他のすべてに優先すべき唯一不可侵の正義」ともできません。「各国市民の雇用・生活、とりわけ国際的国内的経済的社会的格差構造の下位層の雇用・生活を守り、そこに悪影響を与えない」も同様なきわめて重要な正義と私はみています。その意味で「経済制裁」については慎重というか疑問を持っています。
 「侵略は許されない、しかし経済制裁にも安易に賛成できない」から出てくる結論としては、やはり「即時停戦・和平交渉による解決」です。
 ではその「停戦」はどうしたら実現可能なのか?
「8 冒頭に書いたように、そもそもロシアとウクライナの停戦に向けての言い分が食い違い過ぎているので、即時停戦は無理ではないですか。即時停戦論にどんな可能性や展望があるのですか。」(宮武弁護士の記事より直接引用)
 それは宮武弁護士のこの質問への回答ともなります。次回はこの質問から回答していきたいと思います。

白井邦彦
青山学院大学教授


 
 

 



 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?