アメリカの意向次第、これがウクライナ軍事支援国がパレスチナに軍事支援を行ってこなかった理由!

 米欧日ウ政府からハマスによるイスラエル攻撃については厳しい非難があがっています。しかしそれらの政府がそれまでのイスラエルの蛮行に対してどのような対応を行ってきたのか、それを考えるとこうした経緯を無視した米欧日ウ政府の非難の言葉にも強い違和感と疑問を感じます。「イスラエルへの支持」で米欧日ウ政府があっさり一致してしまい、これまでのイスラエルへの蛮行やこれまでの経緯になんら言及のないのは、結局イスラエルのこれまでの蛮行を免責していることになっている、と考えます。もちろん今回のハマスのイスラエル攻撃は一般市民を無差別に攻撃するものであり、私は許されない、と思います。さらに私は「武力には武力で」という対応策には基本的に反対の立場ですから、その意味でも全く支持できません。ただここまでに至る経緯、パレスチナ市民を武力闘争に追いやってしまっている理由、それについて私たちは考えるべき、です。

米空母打撃群を東地中海に派遣へ イスラエルへの攻撃で緊張抑止(共同通信) - Yahoo!ニュース(10/9)
 アメリカは空母打撃軍を東地中海に早速派遣しています。アメリカは一貫してイスラエルを軍事的に支えてきましたし、これからもそうでしょう。

 ウクライナ問題とパレスチナ問題に関して私が疑問に感じる点として、なぜウクライナに軍事支援を行っている国々はイスラエルの侵略・占領・その他数々の非人道的な蛮行に長きにわたり苦しめられているパレスチナには軍事支援がなされなかったのか?ということです。「ウクライナへの軍事支援容認」という方々から、「国際法違反を繰り返すイスラエルの強力な軍事力に対抗するためにパレスチナにも軍事支援を」という声は全くきかれません(私の知る限りですが、両者を同時に主張されている論者があれば教えてください)。
 「国際法違反の侵略をされた国に対しては、それに抵抗するために軍事支援は容認されるべき、だからウクライナにもパレスチナにも軍事支援すべきだ」、私はこうした主張は支持できませんが、それはそれで論理的には一貫していると思います。ウクライナ軍事支援国はパレスチナには軍事支援はせず、「侵略を受けているウクライナにもパレスチナにも軍事支援」とならないのはなぜでしょうか?

 ひとつのその答えとして、ウクライナの戦い方とパレスチナの戦い方は違う、パレスチナの方は今回のハマスのようにイスラエル領内に入り一般市民を無差別に殺害するような方法をとるが、ウクライナはロシア領内攻撃を基本控えるなど、自制した戦い方をしているから、というものがあります。しかし「ウクライナ側の自制」という点については、現時点ではすでにあてはまらなくなっていると思います。ウクライナ軍も劣化ウラン弾・クラスター弾(この使用は国際人道法違反という指摘もある、しかし米ウは合法としている)を戦場で使用し、さらにクラスター弾搭載長距離ミサイルの供与の要求も行っています。とてもウクライナ側も「自制」しているとは思えません。それとも「自制かどうか」の基準は「相手国の領内攻撃、現在直接無差別に一般市民を殺害するか否か『だけ』で、非人道的兵器(本来兵器に人道的非人道的もないが)の使用やそれによる将来予想される一般市民の『命の犠牲』は含まれない」のでしょうか?それはあまりに形式的な基準と思います。たとえ侵略された側といえども一般市民を無差別に殺害する攻撃は許されない、同様に劣化ウラン弾・クラスター弾の使用も許されない、「自制」という面からみれば、どちらも「自制している」とはとてもいえない、はずです。軍事支援容認の基準として「自制」を主張するなら、ウクライナ軍が劣化ウラン弾・クラスター弾を明白に使用し始めた段階でなぜ「劣化ウラン弾・クラスター弾の使用がなされるならウクライナへの軍事支援反対」とならないのでしょうか?「ウクライナ側は自制した戦いをしているが、パレスチナ側はそうではない、だからウクライナへの軍事支援は容認され、パレスチナには軍事支援はしないのだ」という議論はすでに明白に成り立たなくなっている、はずです。なおアメリカによるクラスター弾供与については軍事支援国からも疑問の声があがりましたが、現実に供与され使用されている状況については、軍事支援国は「黙認」です。

 ウクライナへの軍事支援国がパレスチナになぜ軍事支援をしないのか、それは明らかに「アメリカの意向」からです。アメリカがイスラエルを軍事的に支え続けていることは明白です。ですからパレスチナに軍事支援をするということは、アメリカの意向に逆らいアメリカと対立することになる、だからいかにイスラエルが侵略占領非人道的な行為国際法違反をパレスチナに行っても、パレスチナには軍事支援はしない、がその理由です。その点明確に論ずるべきで、この構造をあいまいにすべきではないはずです。

 ウクライナ軍事支援国の軍事支援は「アメリカの意向次第」、いかにウクライナ問題で国際法国際秩序維持の原則を述べようと、他の問題で「アメリカの意向」に反することになるような軍事支援はウクライナ軍事支援国は行わない、は現実です。その意味でも私は「米欧日のウクライナへの軍事支援は容認する」とは単純にはいえません。それは二重基準をそのまま許容することになってしまうからです。
 では侵略がなされた場合の軍事支援についてどう考えるか?私の考え方は下記の次第です。
   1、まず即時停戦・和平交渉での解決をめざす。
 2、「武力には武力で」には基本的に反対だが、軍事支援については、侵略された側が軍事力で劣りこのままでは侵略が成功されてしまう場合は、停戦が実現するまでの間の犠牲を最小限にし、停戦実現の手段として、きわめて限定的例外的にのみ容認されるのみ。
 3、1、2の点はどの軍事衝突、侵略された国に対しても例外なく適用されるべき
 私はこのように考えています。
 「ウクライナへの軍事支援をやむをえない、容認」とする方々がなぜパレスチナへの軍事支援を主張しないのか、「戦い方の自制」という点の違いは現在では理由になりません。やはり私には「アメリカ意向」を基準にして論じている、としか思えません。
 ちなみに、世界ではパレスチナを国家として認めている国が圧倒的ですが、米欧日とりわけいわゆる西側諸国はパレスチナを国家として認めていません。世界全体(この場合の世界とは、「米欧日」ではなく文字通りの「世界」)からみればきわめて少数派であること、も強調しておきたく思います。

白井邦彦
青山学院大学教授

 
 
 

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