F16供与批判として「ロシア人の命も大切」で炎上!、即時停戦論は「ロシア政権から勲章もの」?、危険かつ異様な言論風潮!

デンマーク人著名監督、「ロシア人の命も大切」発言で炎上:時事ドットコム (jiji.com)(8/25)
「コペンハーゲンAFP=時事】問題発言で知られるデンマーク人映画監督ラース・フォン・トリアー氏(67)が、デンマークが米国製戦闘機F16をウクライナに供与することを批判し『ロシア人の命も大切だ』と投稿し、物議を醸している。
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これを受け、トリアー氏は22日、インスタグラムに英語で『ロシア人の命も大切だ!』と投稿。『ゼレンスキー氏とプーチン氏、そしてとりわけ(大恋愛中であるかのような満面の笑みを浮かべ、現代で最も恐ろしい兵器の一つのコクピットでポーズを取った)フレデリクセン氏』に宛てたものだと説明した。
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同氏は24日の投稿で、『私は当たり前のことを書いただけだ。すべての命は大切だということを!』と自身の発言を正当化し『反戦主義が美徳だった頃のフレーズはもはや忘れ去られたようだ』と付け加えた。」(同記事より直接引用)
 この記事の末尾で紹介されているトリアー氏の過去の「ヒトラーは理解できる」という発言に関しては全く同意できません。私はその発言は容認できない立場です。
 しかし今回のトリアー氏の発言はどこがおかしいのでしょうか?炎上するような発言なのでしょうか。
 戦争で犠牲になるのは一般市民、とりわけ強制的に戦場に行かされ命を捨てさせられる戦争当事国市民、ということはこれまで共通認識とされてきたことです。戦争で最も犠牲を強いられてる戦争当事国の市民の命のことを考えるべき、そして侵略されたウクライナ市民だけでなく、プーチン政権により強制的に戦場に駆り出されているロシア市民の命も大切だ、これは当然ではないでしょうか?
   プーチン政権が昨年動員令を出したとき多くの人々は強く批判しました。私も強く批判する立場です。プーチン政権の動員令を批判した人たちはこの映画監督の発言を批判するのでしょうか?批判するとしたら大変矛盾していると思います。
 私がプーチン政権の動員令を批判するのは、「自国の一般市民を強制的に戦場に行かせ命を捨てさせることを強要する行為」だからで、その意味でゼレンスキー政権の「60歳未満男性の出国禁止措置、強制的な動員」に対しても同じ理由で批判する立場です。ロシア政権による動員令が批判されるのは「侵略した側だから」で、「侵略された側が自国市民を強制的に戦場に送り死を強要することには目をつぶる」であるとしたら、「すべての命は大切」という観点から私は全く同意できません。侵略責任はロシア政権に責任があり、ロシアの一般市民にまでそれを負わせるのはおかしい、ましてやよく言われるようにロシアが専制国家なら、ロシアの一般市民は拒否することなど絶対できないわけですから、「専制国家で絶対拒否できず強制的に戦場に行かされ死を強要されている」「ロシア人の命も大切」と主張することは当然のことではないでしょうか?
 この炎上騒動はいかにロシア・ウクライナ戦争をめぐり、ウクライナへの武器供与に疑問を呈する議論に対しては冷静さを欠いてしまうか、を示すものと思います。同時に戦争責任はロシア政権にあり、政権と市民・その国の文化・芸術スポーツとは異なるのに、ロシア市民やロシアの芸術文化スポーツなどロシアに関するもの全てにまで戦争責任を負わせてしまう、というこれまでの戦争ではみられなかった危険かつ異様な言論風潮を反映しているように思えてなりません。イラク戦争のとき、「(侵略した側の)アメリカ市民の命はどうでもいい」「侵略国アメリカの文化芸術スポーツも排除すべき」という主張はなされたでしょうか?万が一そうした主張がなされても、「政権と、市民・その国の文化芸術スポーツは異なる、それは暴論だ」とイラク戦争を強く非難する立場の人々ほぼすべてから、そうした声があがったでしょう。
 
 この間もうひとつ気になったこととして、即時停戦論を主張されている猪野弁護士のブログに即時停戦論批判として寄せられた下記のコメントがあります。
(以下そのコメントの引用です)
「もう一つの世界
ウクライナが敗れた。

プーチンロシアの特殊軍事作戦に対し、一時は抵抗に成功しかかって独立を保つかに見えた旧ウクライナが、結局敗北し、首都キエフが陥落して、反動ネオナチのゼレンスキ―一味がA級戦犯として絞首刑になる切っ掛けとなったのは、西側の武器支援の中断である。もともと国力の劣っていた旧ウクライナは多大な犠牲を払った抗戦空しく、ロシア軍に蹂躙されたのである。

新生ウクライナには親露派傀儡政権が樹立され、次の隣国に対する特殊軍事作戦においては、ベラルーシ同様、協力国家としての栄誉ある地位が与えられる。

さらに、近く開催されるウクライナ国会でロシアへの併合が可決される見込みであり、そうなれば、ウクライナ人も次回特殊軍事作戦の尖兵として参加できることになる。正に、コサック騎兵の末裔に相応しい役割と言えよう。対ウクライナ特殊軍事作戦においては、少数民族が多数戦死したが、米軍における所謂経済的徴兵と同じで、ロシアにおいては少数民族の経済的地位は低いから、ウクライナからも多数のロシア軍人誕生が期待される。もちろん、ロシア軍人に相応しいロシア人教育が子供達には与えられることになる。

西側武器支援中止の世論喚起に多大な貢献をした東洋の国の弁護士には、その功により、プーチン名誉勲章が授与されることになった。赤い同志のように露骨なロシアの主張支持は、さすがにその国でも多くの人からは顰蹙を買うだけであったが、人命尊重・核戦争防止などを巧みに織り交ぜた主張は遂に世論を動かしたのである。武器支援を止めればウクライナが負けると承知の上で、世論をそのように導いた功績は多大なものである。


勲章授与に際してのお褒めの言葉。

『弁護士同志。
 アナタ、でき良いデスネ。』」(23年8/17付け、猪野先生ブログの昨年8/15付けの記事のコメント欄より直接引用)
 
  即時停戦論を批判する立場の方であっても、このコメントに対しては全く共感できず眉を顰めるだけ、とは思います。ただ「東洋の国の弁護士」のところを、「東洋の国の大学教授」とすれば、私にもあてはまる(ただし私は猪野先生とは異なり社会的影響力は絶無ではありますが)だけに不快感をもちました。「即時停戦論はロシア政権による侵略容認論だ」はよく言われる批判ですが、即時停戦論は、「膨大な人命の犠牲がすでに出てこれからも出続けてること(しかも少なからずがその意に反して強制されている)を阻止し、かつロシア軍を撤兵させるのには『現実には』どうしたらいいか」という観点から、「徹底抗戦・全領土武力奪還方針」で本当にロシア軍の撤兵を実現できるか、という現況をも踏まえて、ぎりぎりの解決策として考えたものです。
「クラーク氏『ロシアの予備役にはさらに200万人(元徴兵と契約軍人)がおり、クレムリンが年齢制限を31歳に引き上げる前でも、徴兵年齢(18~26歳)の男性が700万人ほど残っていた。一方…ウクライナ軍の現役兵は約20万人、予備役もほぼ同数で、さらに150万人の戦闘年齢にある男性を動員できる。 キーウ(キエフ)は人手不足だ。米国の情報筋によれば、ウ軍は7万人もの戦死者を出し、さらに10万人が負傷したという。ロシアの死傷者のほうが多いとはいえ、その比率はモスクワに有利である。志願兵では戦力を維持するのに十分な数にならない。最も戦う意志のあるウクライナ人は、何年も前にサイン・アップを済ませている』」(野口和彦先生のXから直接引用)
 戦争継続に不可欠な「兵力」面からも、ゼレンスキー政権の「徹底抗戦・全領土武力奪還」方針ではこのままでは「ロシア軍を追い出す」どころか、ウクライナの戦いは限界に達してしまいます。それでいいのでしょうか?
 「即時停戦論」は多面的な考察からのもので、それを先のコメントのように、「ロシア政権から勲章もの」のように揶揄するのはいかがなものでしょうか。先のコメントをされた方はおそらく論理的かつ理性的に議論する職業や、(そうしたレッテル張りがどのような人権侵害を生み出したかの過去の歴史から)人権尊重が不可欠な職業に就いていらっしゃる方ではないと思いますが(なぜならペンルームを使用していても、本業の信頼にかかわってしまうから)、そうであってもこうした揶揄は、即時停戦論者への侮辱であり、同時に賛同者になりうる層をもかえって遠ざけるだけ、とは思います。
 その意味で先のコメントはさすがに例外的なものでしょうが、「即時停戦論はロシア侵略容認論だ」との決めつけはあとをたちません。その決めつけの危険性の認識とともに、冷静かつ論理的な議論を望みます。ロシア・ウクライナ戦争に関しては、「ロシア政権の侵略は許されない、ロシア軍は撤兵すべき、そのためにゼレンスキー政権の方針支持」以外の議論は一切許されない、「ゼレンスキー政権の方針への疑問」に対しては「ロシアの味方」「親ロ派」というレッテル張りが感情的になされ、それへの反論は受け付けない、という強い傾向があります。この点も私はロシア・ウクライナ戦争に関する異様かつ危険な言論風潮として感じています。
 過去の歴史からこうした言論風潮の先にあるものは・・・・、それが杞憂であることを望みます。

白井邦彦
青山学院大学教授
 

 
 





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