停戦論批判として「当事者が決めること」の主張への疑問

 ロシア政権のウクライナへの軍事攻撃はその背景がどうあれ、国際法違反の侵略行為、ロシア軍による占領・占領地での蛮行は全く許容されません。それゆえロシア軍は占領地から撤兵すべき、と強く訴えます。
 それを大前提としたうえで、「では現実的にどうやってロシア軍を撤兵させるべきか」という問題があります。私はそのためには「まず即時停戦で人命の犠牲・戦火の拡大を防ぐ、そのうえで和平交渉により領土回復、つまりロシア軍の撤兵を目指すべき」という立場です。
 戦闘を続ければ貴重な命、そして一度失ったら二度と戻らない命が多数失われ続けます。それを考えれば「まず停戦、そして人命の犠牲・戦火の拡大を防ぐ」ではないでしょうか?領土の回復・ロシア軍の撤兵(ロシア政権による領土併合は全く不当で許容できないは当然)に関しては「ロシア軍の撤兵を最優先した、あえていえばそれに的を絞った和平交渉」で実現すべきと思います。この際参考になるひとつの事例はベトナム戦争における米軍のベトナムからの撤兵です。米軍の撤兵が実現したのは「和平協定」の結果です。この際ベトナム側はアメリカのそれまで数々の行ってきた戦争犯罪、賠償責任を問うことはしませんでした(その後米越国交回復でもそれはなされなかった)。和平協定締結にあたってベトナム側がもしあの時点で「戦争犯罪・賠償責任」まで求めていたらどうなっていたか、和平協定は結ばれず米軍の撤兵はその時点では実現しなかったでしょう。当然米軍の攻撃も続き多数の人命が失われたわけです。さらに時は中ソ対立先鋭化米中接近の時代でした。こうした状況を考えた際、ベトナム側が「米軍の撤兵」に的を絞り、戦争犯罪・賠償責任を問わないという苦渋の選択をしたことは、「米軍の撤兵、それによる人命の犠牲の回避」を優先から(積極的ではないが)容認せざるをえないことと思います。米軍のそれこそひどい戦争犯罪を追及し賠償を求めることは、当然に「正義」です。ただその「正義」にこだわり続けたら「米軍を撤兵させ人命の犠牲を抑える」というきわめて重要な最優先すべき「正義」が実現できませんでした。私たちがベトナム戦争から学ぶべき点は、こうしたベトナム側の対応ではないのか、と考えています。

「即時停戦論」に対する批判は多々ありますが、ひとつの典型的なものは「当事者が決めるべきこと、第三者はそれに介入するな」という主張です。
例えばその典型として猪野弁護士の1日4時間の戦闘休止の意味 北部で病院が機能停止 イスラエルがやっていることはガザを消滅させること 岸田政権の責任は重い - 弁護士 猪野 亨のブログ (fc2.com)のブログ論考に対する以下の秋風亭氏のコメントがあります。
「そんな自分の価値観を人に押しつけるから「戦うのが選択として望ましいということですか?」というように、人の話の文脈を捉えることができないのである。即時停戦論者はなぜ「当事者が決めること」を理解しないのか全く不思議だ。」(上記論考コメント欄より直接引用、全文はコメント欄参照)
秋風亭氏はロシア・ウクライナ戦争でも「即時停戦論」を常に批判しています。人命が日々多数失われているとき「当事者が決めること」でいいのでしょうか?
  この点は根源的な問題と思いますが、あえてこの点を度外視しても「ロシア・ウクライナ戦争でロシア政権の侵略にどう対応するかを決めるのは当事者であるゼレンスキー政権、だからその決定を支持尊重すべき」なのでしょうか?この論理からすると以下の問題はどのように考えるのでしょうか?
ウクライナと「不公平な競争」 トラック運転手が国境封鎖―ポーランド:時事ドットコム (jiji.com)(11/25)
「トラックで道をふさぐ抗議活動は、11月6日に始まった。3カ所以上の検問所で、トラックが1時間に数台しか通れない状態だという。市場調査によれば、国境を通過するウクライナの農産品は、このところ1日当たり約3700トンで、前月のピーク時から半減。寒い中で長時間の待機を強いられる運転手への負担は大きく、順番待ちの間に死亡する例も報じられている。
 ロシアがウクライナに侵攻して以来、黒海を経由していた輸送の一部が陸路に切り替わった。欧州連合(EU)はウクライナの運送業者の出入りを柔軟にし、切り替えを後押しした。
 しかしポーランドの業者は、人件費の安いウクライナ企業に仕事を奪われたと主張し、従来の規制復活を要求。17日にはハンガリーやスロバキアなど東欧4カ国の業界団体と共同声明を発表し、抗議活動は「(われわれの)不満の表れだ」とEUに是正を迫った。」(同記事より直接引用)
  この講義行動に参加している人たち、共同声明を発表した業界団体は、「ロシア政権の侵略容認」では決してないと思います。しかしウクライナ支援といっても、その結果として「自分たちの雇用生活が直接脅かされ、生活が危機に陥る」となれば、このような対応とならざるをえないと思います。
 ロシアとウクライナの国力軍事力の差から、「ゼレンスキー政権の徹底抗戦・全領土武力奪還・それまで戦争継続」はウクライナ独力では決して成り立ちません。それは「米欧日から軍事支援、その他各種支援」を「得て」と成り立つものです。しかしその結果として「支援する側の雇用生活が脅かされる」となったらどうなのか?軍事支援についても、ウクライナ向けの武器その費用が、どこかから湧き出てくるわけでは決しておりません。軍事支援をつづければ結局軍事支援国の軍拡となり、その負担をどうするか、の問題がでてきます。
「当事者が決めることなのでその決定は支持する、しかし当事者であるウクライナが独力で行うべきである」では、事実上の「ロシア政権の侵略容認論」です。
 ロシア・ウクライナの国力軍事力の差、国際的位置関係からゼレンスキー政権の「徹底抗戦・全領土武力奪還・それまで戦争継続」は、「米欧日にそれに必要な軍事支援・その他各種支援を求め、米欧日市民はそれを受け入れそれによる犠牲も受忍する」ということとセットになったものです。
 上記で紹介したコメントはそうした現実的な連関関係・構造を視野にいれないものではないか、という大きな疑問を持ちます。
 なお先のポーランド国境での問題、業界団体の共同声明も、上で紹介したのコメント主は「当事者が決めたこと」としてそのまま容認するのでしょうか?それが何をもたらしてしまうか、それを考えたら、あたかも「当事者」を完全に独立したものとみて、その背後にある現実的な連関関係・構造を見ないで「当事者が決めること、即時停戦論者はそれを理解していない」の議論がいかに現実を無視したものであるか、明確と考えます。
 何よりも人命の尊重とこれ以上の戦火の拡大を防ぐ、それととともに、「ウクライナ独力では戦えず支援が必要、しかし支援による犠牲の深刻化」という面も視野に入れ、私は即時停戦を強く主張します。

白井邦彦
青山学院大学教授
 



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