初のライブハウス

90年代終わり、中学生の時。
ライブに行ってみたいけどどうすればいいのかわからない。あの頃ネットはない。携帯電話もない。
Jリーグのチケットを取った体験から、新聞にチケットぴあの注目情報がちょっと載っている事はわかっていたので時々チェックしていた。
確か中2の頃、ミッシェルガンエレファントの横浜アリーナのチケット情報が載っていた。これは行きたい!!と思い販売当日家電から電話しまくったけど繋がらず売り切れ。
そこでライブ熱は収まらず、度々見ているとnicotineの新宿ロフトのライブ情報が小さく載っていた。ハイスタンダードやミッシェル、punkなどの音楽に没頭していたのでこれは!と思いチケットを取った。新宿ロフトは有名なライブハウスだし場所はわからないけど新宿の行き方はわかるしなんとかなるだろうと思った。
99年5月。中3の自分と友人は親の承諾も得てライブハウスに行ける事になった。(母は中学生が新宿に行くなんてと言っていたが父が許してくれた)
まずライブの時間がどれくらいに行けばいいかすら分からず、めちゃ早くに出発。歌舞伎町にあるという情報は得ていたので、歌舞伎町の交番で場所を聞いて無事に場所はわかった。歌舞伎町の風俗街をこえー、うけるーと思いながら歩いた。
多分バンドの入り時間くらい早く着きすぎてしまったがロフトのBARの隅っこにいさせてもらい、友達と小さくなって座って時間を潰していた。あり得ないくらい早く着きすぎたことは後々知る。
徐々に人も増えてきて客の年上の兄ちゃん達がおしゃれでカッコよく見えた。Tシャツや髪型、靴をチェックした。自分もnicotineのTシャツを買ってそれを着た。その時点で最高潮。
オープン時間になりライブハウスに入る。これがライブハウスか!マジでヤベェと思った気持ちは今も覚えてる。
ライブが始まる。怖くて怖くて後ろの方にいたけどテンションが上がって叫んだりしてた…
1番手はマキシマムザホルモン。あのマキシマムザホルモンの初期の頃。Tシャツ初めて作りましたってMCで言ってたくらい。
キャップを被ったダイスケはんのシャウトする様子は今も覚えている。このバンド最高じゃんCD出たら買おうとその時心に決めた。
ライブハウスのバカデカい音と特有の硬いギターの音は未だに原体験として刻むこまれている。
ダイブしてる客もいて、これが映像で見たライブハウスか!と感動した。
その後もbighouse  noendwhy guttermouseと続きオムニバスで予習した曲も演奏していて、高揚した。
nicotineの前、転換時間が長くて帰宅が遅くなり始め。歌舞伎町の夜に怯え始めた中3の僕達はかなりソワソワしていた。早く着きすぎてフライヤーも貰っていなかったが、他の客が捨てて足元に落ちてたフライヤーからハイスタのメイキングザロードのフライヤーを見つけ、カバンにいれた。未だにそのフライヤーは持っている。
nicotineが始まり、知っている名曲達に興奮し、他のお客さんもダイブ連発で最高だった。
nicotineのメジャーデビューの告知もなんかすげー!と覚えている。この日のライブnicotineのpvにも使われていてこの前youtubeにアップされていて懐かしー気持ちになりました。
ライブ終了後、22時近くなってた歌舞伎町を恐れた僕らは本気ダッシュで駅まで走って帰宅した。マジで怖かった。
これが15の思い出。

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