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父が亡くなった日

「桜も咲いてきましたね、今年はずいぶん遅かった」と遺体搬送車の運転手の方がつぶやいた。4月3日17時半の小雨にぬれて5分咲きの桜が車窓を流れていった。
 真夜中の携帯電話の音に飛び起きて「心肺停止の状態だって、到着するまでは待ってくれているって」とつまづきながら家を飛び出た私は、関東平野を往復した夕方になって頭が働かなくなっていた。
 
 4月3日12時半から始まった病理解剖は15時には終了したが、葬祭業者や遺体搬送車の到着待ちでICU控室で待つ時間が長かった。
 それでも16時には地下3階の霊安室に通された。病院廊下と大きな扉で仕切られ、絨毯敷きの廊下の先に切子細工のガラス扉で区切られた部屋があった。観葉植物や革張りのソファが並べられ、壁に飾られた花の墨画が温かい。霊安室といえば靴音が響くような冷たい部屋というイメージとは大きく違っていた。
 祭壇の向こうに父と再会する。「お疲れ様でした」と焼香し手を合わせる。
 ブラックスーツの葬祭業者の方から「入院されていた病棟が3つございましたので、それぞれの病棟スタッフと担当医の先生方にお集まりいただくのに少し時間をいただいております」と待ち時間の理由と聞かされる。
 やがて、ガラス扉の向こうからひとり、またひとりと看護師さんが現れ、丁寧に頭を下げてご挨拶される。祭壇に進み、焼香し鈴を鳴らして拝礼される。小声でご挨拶くださる方もいれば、面会の時にお世話になり見知った方もいた。
 祭壇の線香立てには、15本以上の煙が立ち上っている。この時にふと気がついた。これは病院が行ってくださる葬式なのだ。
 そして、循環器内科の主治医の先生と腎臓内科の先生が続いて祭壇に進まれた。丁寧な所作で線香の火をつける医師の肩の動きに私は思った。前日真夜中に父の急変で呼び出され、2時27分に死亡宣告を行い、朝から通常業務をし、昼から病理解剖に立ち会い、夕方ここにいる激務であること。
 葬祭業者の丁寧な物腰に先導されて父の足元に付き添い部屋を出て、驚いて思わず声を上げた。先ほど焼香して下さった皆さんが、通路に並び待っていて下さったのだ。病院スタッフの忙しさを思うと、これだけの人数にこの時間を割いてよしとする仁の想いに感激する。悲しいではなく「ありがたい」という思いに満たされる。
 遺体搬送車の待つ駐車場まで、白布に包まれた父を先頭に葬送列を組む。
搬送車にストレッチャーごと積み込み、頭脇のシートに私が乗り込む。
地下の病院出口では、たくさんの病院スタッフが残って見送ってくれる。
「では参ります」と車が動き出す。
車窓越しに深々と頭を下げた主治医の先生方の姿が目に入る。こんなにも深く首を下げるのは「せっかく治しにいらしのですから、最善を尽くしましょう」と折りに触れて励まして下さったのが、死亡退院になってしまったからなのか。
 しかし私は、ありがたいという思いで心が温かい。

 激務をこなす医師の姿をありがたがるのは、働き方改革に反する態度だとも思う。ただ、生死の境で心細い思いをする患者家族を支えるのは、持てるものが少ない中で、分かち与える時間であったり心遣いであったりするのだなと実感した。

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