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地理Bな人々(32) 中島ノート⑭ アムステルダム・飾り窓・ドラッグ

夜,中華街で食事をして運河沿いを散歩する。
世界各地の大都市には規模の違いはあってもたいていチャイナタウン※1がある。 
現地の中国系住民だけでなく,中国人観光客も多い。
海外に出かけても彼らは中華料理を好む。
 
レッド・ライト・ディストリクト(飾り窓地区※2)に行ってみよう,と小宮山がいう。
薄暗い路地を抜けると,運河の両側に縦横3mほどの大きなガラス窓の部屋がびっしりと並び、室内からは赤や紫色の怪しい光線が漏れているのがすぐ目に入る。
多くの観光客がその前を歩いていく。
まるでウィンドショッピングのようだが,ガラス窓を覗くと,そこにいるのはマネキンではなく下着だけを身に纏った女性だ。
片手を窓ガラスにあて唇を少し前に突き出しながら俺たちをチラリと見る。彼女の視線が後ろを歩いていた2人組の青年と合うと,青年の1人が立ち止まり彼女とガラス越しに何か話し始める。
彼女が内側からドアを開け何か話していたかと思うと,青年が部屋に入っていく。
 
オランダは今年(2000年)売春を完全に合法化した。
オランダでは積極的安楽死も合法化されている。
さらにはマリファナなどのソフトドラッグ※3も。

ハードドラッグは禁止されているが,マリファナ(大麻)は合法なので街なかの「Coffee Shop」の看板の店で吸うことができる。
コーヒーを飲みたいだけなら「カフェ」に入る。
間違えやすいので注意が必要だ。
 
「マリファナの効果は個人差があるらしい。」
カフェに入り小宮山が言った。
「どういうこと?」
「友達が吸った話によると,そいつはかなりヤバかったって言っていた。」
「どんな風に?」
「吸ってしばらくしたら頭のてっぺんに丸いリングがペタっと乗っかるような感覚があったんだと。そのリングが身体にぺったりはりついたまま,ゆっくり全身を下まで降りてくるように感じて,ちょっとずつ頭がフラフラして動悸も激しくなって,怖くなってなぜか店の外に出てしまったんだって。ちょうど警官が通りかかったので助けを求めたら,君が吸ったのは何かね,と聞いてくるんだ。」
「うん。」
「ごく普通のマリファナだと言ったら,それなら何も心配しなくていい,自然界にあるものを摂取したのだから,ちょっと身体が驚いているだけでじきに治る。もし君が合成麻薬※4を摂取したというのなら話は別だがね,って。」
「本当かそれ?」
「何だか,そんなつまらんことで俺に話しかけるな,という感じだったな。」
「なあ,それ友達じゃなくてお前の話なんじゃないか?」と俺は尋ねた。
「‥・。」
「やったのか?」
「いや,吸ってないよ。」
小宮山はそう言ってニヤリと笑う。
「ソフトドラッグだから大丈夫,問題ないって吸い続けているうちに,だんだん物足りなくなってハードドラッグに手を出すというパターンもあるんだけどね。」
「ああ,ゲートドラッグ※5ってやつね。」
 
運河沿いのコーヒーショップの前を通り過ぎる時,枯葉が焦げたような独特の匂いがした。
あ,今のがマリファナだよ,と小宮山が言う。 
今も鼻の奥に残っている匂いだ。
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※1 チャイナタウン(中華街)
中華圏以外の地域における華僑・華人の街のこと中国人が多く流入した東南アジアに多いが,近年はヨーロッパでも新たなチャイナタウンが増えている。パリにはヨーロッパ最大の中華街があり,その他ロンドン・ベルリン・ローマ・リスボンなどでもみられる。日本でも,江戸時代にオランダ・清との貿易が行われた長崎には唐人屋敷と呼ばれるチャイナタウンがあった(今も横浜・神戸と合わせて日本3大中華街と呼ばれている)。中華街に住む中国人を出身地別に見ると,南部の福建省・広東省が多い。
 
※2 飾り窓地区  
軒に赤い灯を下げている店が多いことから英語では「Red Light District(赤灯地区)」と呼ばれる。国や地域によりシステムに違いは見られるが,オランダだけでなく,ドイツやベルギー,スペインなどにも同様の地区が存在する。
 
※3 売春・安楽死・ソフトドラッグ
いずれも日本では違法とされているが,ヨーロッパでは合法化されている国が多く,オランダ以外にもノルウェー,デンマーク,フランス,スイス,ドイツ,ギリシャ,ハンガリー,ポーランドなどでは売春が合法となっておりライセンス制度を取り入れている国もある。積極的安楽死を認めている国は,オランダの他,ベルギー,ルクセンブルク,スペイン,カナダ,オ-ストラリア,ニュージーランドなどがある。近年「死の権利」を主張する推進派の活動により,「自殺ほう助」を認める国も増えている。2019年にNHKスペシャルで放映された『彼女は安楽死を選んだ』では,難病に苦しむ日本人女性がスイスで自殺ほう助によって亡くなった事が大きな話題となった。マリファナ(大麻)などのソフトドラッグを合法化しているのは,オランダの他にカナダなどがあり,アメリカ合衆国でも州によって合法化されている所が増えてきている。
 
※4 合成麻薬 
アヘンや大麻など天然の植物から作られた麻薬ではなく,化学薬品から生成された麻薬のこと。強い幻覚作用を引き起こすLSDや幸福感が増す効果のあるMDAやMDMAが知られているが,いずれも強い依存性を持ち,内臓にも大きなダメージを与えることが分かっている。
 
※5 ゲートドラッグ(ゲートウェイドラッグ) 
強い副作用や依存性を持つ薬物の使用を入口(ゲートウェイ)となる薬物のこと。ソフトドラッグであっても一度使用すると,ドラッグそのものに対する抵抗感が無くなったり,より強い快感を求める傾向が見られるという。酒やたばこも広い意味でゲートウェイドラッグである,と主張する人もいる。
 
 

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