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〝不利〟な状況を〝有利〟に変え、最後まで生き残ったPHSサービス:DDIポケット

1.概要

1994年に第二電電(DDI)が中心となって企画会社が設立。その後、事業会社に移行。

DDIポケットを事業化するにあたって中心的存在のDDI

1995年に「ポケット電話」の名称でPHS事業を開始した。

1-1.日本のPHS事業者

①NTTパーソナル(→ドコモに事業譲渡(ドコモPHS))

②DDIポケット(→WILLCOM→Y!mobile)


③ASTEL(2006年12月でグループ全社のサービス終了)

2024年9月現在、全てのPHSサービスが終了しています。
工場や病院での内線モードでの構内PHSは設備が残っており、継続利用している可能性はありますが、あくまでローカルな、家の電話の子機と同じ状態になっています。

1-2.競合2社より不利なエリア展開

・各社の基地局出力(サービス開始初期)
NTTパーソナル:20ミリワット(mW)
アステル          :20ミリワット(mW)
DDIポケット    :500ミリワット(mW)

これは、競合2社の主要株主のインフラ利用が影響している。

NTTグループ    :電柱・公衆電話・グループ会社の建物など
ASTELグループ:電柱・グループ会社及び出資会社の建物など

特に電柱に関しては全国に広く使われていたインフラ設備の為、基地局の設置場所確保が容易だった。
基地局の出力が小さくても、アンテナ設備を設置する独立柱の設置が不要だったため初期コストの面で有利だった。

1-3.基地局参考画像

①NTTパーソナルグループ

NTTパーソナルの20mW基地局
NTTパーソナルの20mW基地局
公衆電話設置型基地局

②ASTELグループ

ASTELの20mW基地局
ASTELの20mW基地局
JR駅構内のASTELの20mW基地局

③DDIポケットグループ

DDIポケットの500mW基地局
DDIポケットの500mW基地局
DDIポケットの500mW基地局

競合2社とは、基地局の大きさの違いが目で見てわかるほどDDIポケットの独立柱型基地局は大きい。

1-4.高出力な基地局展開をした理由

DDIポケットが他社より出力の高い基地局展開を行ったのは、競合会社のような電柱などの既存インフラを持たない分、少ない基地局数で全国のエリア展開を行う必要があったため。
できる限り設備投資コストとなるコンクリート柱の設置や土地の賃貸借契約などコストを削減する必要があった為とされる。

・高出力な基地局を設置した弊害
サービス開始初期は都内など基地局の設置が過密な地域において高出力が為に電波干渉が発生。通話不能となるトラブルが発生した。
このトラブル解消のために一時的にサービスを中止して、基地局の改修を実施した。

1-5.PHSのシェア、トップグループへ

そうした初期のつまずきはあったものの、エリア展開する上で500mW高出力基地局をベースにした事で1つの基地局がカバーできるエリアの範囲が広かった。

競合2社は20mWでエリア展開した事により、DDIポケットよりもたくさんの基地局を設置する必要があり、エリアの空白地帯ができてしまったり、自動車や鉄道などで高速移動する場合の通信環境に悪影響を与え、通信や通話に影響が出やすかった。

そうした中、高出力な基地局でエリア展開を行った結果、競合2社に比べ利用可能エリアの拡大が早かった。
また、自動車や鉄道などでの高速移動も競合2社より電波状況がよかった。

既存のインフラを持たないDDIポケットが、設備投資費用に対し、競合2社の様な恩恵が受けられないという逆境を逆手に取り、高出力基地局でエリア展開をした事で、PHSではトップのシェアを持つ事業者となった。

1-6.携帯電話とPHSの違いと関係性

①PHSの開発コンセプト

・開発当初からデジタル無線方式を採用。
・開発名称は「第二世代デジタルコードレス電話」であった。
・企業/家では固定回線のコードレス電話の子機として利用。
・屋外では携帯電話の様に公衆電話網に繋いで利用する。
・PHSは日本で開発された通信規格であった。
・PHSの基地局1局あたり、数十m〜数百mをカバー可能。
・基地局の高さはせいぜい数m〜十数m程度の高さであった。

電信柱の7割程度の高さの所に取り付けられている
独立型電柱の先に取り付けられている基地局

②携帯電話の開発コンセプト

・携帯電話は自動車電話/列車内電話を想定して開発された。
・自動車/列車など高速移動時にも問題なく利用が可能。
・高速移動に対応する為、基地局は大型でカバー範囲が広い。
・携帯電話の基地局1局あたり数百m〜数Kmをカバー可能。

携帯電話の基地局は鉄塔の頂点部分にアンテナがついている
携帯電話は30m程度の高さでPHSより広い範囲をカバーする

1-7.PHS黎明期の携帯電話との関係

当時のPHS全体の問題として、同時期に普及し始めた携帯電話との相互通話ができなかった。
1996年10月の暫定接続以後も携帯電話・PHS間の通話料が高額であった。

携帯電話サービスが料金の値下げをした結果、料金面でのPHSの優位性が縮小した。

さらに、携帯電話と比較した場合のPHS事業者のエリアは、郊外や山間部などで利用できないなど、通話エリアの劣勢が指摘された。

2.H"の登場とリブランディング

1999年9月、携帯電話への対抗策としてDDIポケットは端末側の※ハンドオーバー(※移動時の基地局の切り替え)処理を高速化した。
そうした高速移動中の通話安定性を向上した新シリーズ、「H"(エッジ)」の展開を開始した。
従来のポケット電話も併売していた。

従来型ポケット電話
従来型ポケット電話


また、「ハイブリッド携帯」をPHSのキャッチフレーズとして展開し始めるタイミングでもあった。

Panasonic製造のH"端末
SANYOが製造したH"端末

「ハイブリッド携帯」というキャッチフレーズを展開していく事で、事業開始当初からのエリアの狭さや携帯電話と通話ができなかった事など、PHSという名前についてしまった、負のイメージからの脱却を目指した。

2000年11月に、当時としては高品質なカラー液晶や音源等、および※1ダイバシティアンテナを搭載した新カテゴリーの「feel H"(フィールエッジ)」を発売した。

※1 ダイバーシティアンテナとは、電話機内に搭載した複数のアンテナで電波を受信し、電波品質向上を行う無線通信方式である。

この頃にポケット電話はほぼ終売し、全てH"シリーズとなる。「H"」という名称は、英語のedgeで時代の先端という意味のほかロゴ全体でDDIポケットの基地局のアンテナを形取り、H(エイチ)に濁点をつけて「エッヂ」と読ませたものである。

H型アンテナ

ハイスピード、ハイクオリティーの頭文字のHが2つでH"と読ませるなど複数の意味をもつとしていた。

この時は、「PHS」という名称を積極的に用いておらず、単にブランド名の「H"」「ハイブリッド携帯」の語句のみ使用していた。

東芝製のfeel H"
三洋電機から発売されたfeel H"

PHSは、新聞や報道などで「簡易型携帯電話」とも表記、または呼称されていたこともある。
そのため、携帯電話の廉価版というイメージが、PHS(Personal Handy-phone System)全体を安かろう悪かろうというブランドイメージ低下を招いた。

そうした負のイメージを払拭しようとの対策が、ハイブリッド携帯というキャッチフレーズの積極的な展開に繋がり、PHS全体のイメージをリブランディングしようとした。

3.携帯電話とのサービス競争

当時の携帯電話と比較して、固定電話並みの通話音質で優れていたものの、一般消費者へのアピールポイントとしてはそこまで強くなかった。

その他、携帯電話に比べたエリアの狭さ、高速移動通信の弱さなどの諸事情も併せ、結果的にPHS契約者数の減少傾向に確実な歯止めを掛けられずにいた。

2002年前半、競合2社は音声端末(今で言うフィーチャーフォン)の新機種開発・発売をほぼ打ち切っていた。

しかし、DDIポケットでは引き続き新型機を発売しており、サービス強化も続けた。

2002年9月に従来の「H"」機種で『Eメール使い放題』を開始。

Pメールのほか、高機能版のPメールDXもあった。

2003年4月
ドコモPHSの「ブラウザホン」
アステルの「ドットi」
に続き、


PHSの音声端末で初めてパケット通信に対応した、

DDIポケットの「AirH" PHONE」

が登場した。

AirH" PHONE

AirH" PHONEは、iモード等と同様のcHTMLを表示できるブラウザを搭載した。

2004年5月
京セラから発売されたAH-K3001V。

AirH" PHONE  AH-3001V

日本初の携帯電話・PHSで初フルブラウザのOperaを搭載。
このヒットにより、300万弱で横ばいだった契約者数の底打ちに成功している。

4.PHS唯一のパケット通信サービス

2001年6月1日、日本のPHS事業者では唯一であるパケット通信サービス「AirH"(エアーエッジ、後のAIR-EDGE)」を開始。
定額制で最高32kbpsのパケット通信が可能なことから、モバイル利用ユーザを中心に大ヒット。
そのおかげでようやく契約者数の減少に歯止めを掛けることができた。

翌年に最高128kbpsもサービスインした。前述した最高64kbpsの回線交換方式のデータ通信も併せ、パソコンやPDAとの接続でのモバイルデータ通信定額制(後にパケット定額制へと繋がる)が可能であることを強みに携帯電話との差別化に成功した。

AirH" PHONEの開始に併せて最初は台湾、次いでタイ、ベトナムとPHSの国際ローミングサービスも提供を開始した。

5.カーライル・グループによる買収

2004年6月21日にアメリカ合衆国のカーライル・グループによる買収が発表され、10月1日に同社が筆頭株主となった。
買収額は2200億円。

・経営移行手続完了となる2005年1月1日時点での資本構成
カーライルが60%筆頭株主
京セラ株式会社が30%
KDDI株式会社が10%

(旧DDIポケットの株式の所有割合は2004年3月末現在)

2005年2月2日
ウィルコムへ社名を変更し、エアーエッジの表記も「AirH"」から「AIR-EDGE」へ変更された。

※カーライル買収後、エアーエッジのロゴが変更される

社名変更に伴うブランドイメージの刷新という意味合いと、

「AirH"という表記では日本人以外はエアーエッジと読むことができない」

という問題点に基づいたものであり、ウィルコムの筆頭株主であるカーライル・グループの意向が強く働いたとされていた。

カーライル・グループによるDDIポケットの買収により、通信の自由化後の移動体通信事業に、様々な個性的な端末や資本が入り乱れ、更に様々なサービスや、カメラ付きケータイや着信メロディの高音質化など色々と誕生した黎明期を生き抜いてきたDDIポケット。

カーライルに買収された後は、KDDIグループから飛び出す事により、auとの競合などを考えながら事業運営を行う必要がなくなった。

DDIポケットからWILLCOMへ

そして、WILLCOMとして初めての24時間通話かけ放題や、パケット定額制などを導入し、日本で長期間サービスを続けた唯一のPHS事業として生き残り、更にはUQコミュニケーションズと同時に免許交付され、次世代通信事業にも参入を目指すまでになりました。
その後の紆余曲折の話しは機会があれば買いていこうと思います。


以上、今回はDDIポケットがWILLCOMに社名変更するまでの事をまとめてみました。

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