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ブラジル日系社会から学んだこと

一昨日、自分にとって残念な寂しい知らせが入ってきた。お世話になったブラジルの親戚がお亡くなりになられた。順番とは言え、寂しく思う。親戚の顔を思い出しながら、感謝の念とともに書いてみる。

もう何年前になるだろうか、祖母が100歳で亡くなった。祖母は祖父と結婚することで日本に一人残ったが、家族は全員ブラジルに移住した。現在日本人のブラジルへの移住の歴史は一世紀を超えている。祖母が亡くなる前の94歳の時、94年間手紙と電話でのやりとりだけだった肉親が初めて訪ねてくれて、念願の感動の対面を果たした時、涙が止まらなかった。94年生きてて、たった1回だけ肉親に会える。そんな移民の歴史がある。

私が小学生の頃から、数年おきにブラジルから親戚が訪ねてくれた。入植し、熱帯雨林を切り開き、助け合いながら生きるために必死だった話を良く聞いた。JICA日系社会青年ボランティアで派遣して頂いた際も、多くの日系人から同様の話を聞いた。日本人移民(いわゆる一世)が、ブラジルの地に何を残すべきか?で大切にしたのは、「次世代の子供たちへの教育」だった。異国で助け合うコミュニティを築き、学校を建て、子供たちへの教育を推進した。日本から野菜の品種を持ち込み、ブラジルにおける農業の発展に貢献した。そういった日本人移民によるブラジルへの貢献から、「勤勉でまじめな日本人(日系人)」は、ブラジル社会の中で尊敬される存在になった。

多くの日系人の方が、ブラジル国の中で中流階級から上の存在であると言うのは差し支えないと思う。それは、日本人移民とその子孫が築き上げてきた歴史があるからだ。実際に、私がJICAで派遣された地域でも、日系人がブラジル人の方を雇用し、経営を行っていた人がほとんどだった。また、リオの親戚の家では、家政婦さんを雇っており、彼女はファベーラ(貧民街)から仕事に通っていたが、その仕事があることで、子供を学校に行かすことがでできていると知った。

「百聞は一見にしかず」多様な文化、風習、価値観、歴史、宗教、人種、社会構造などなど、新しい世界に足を踏み入れる際には、よくよく観察して、背景を学ばないと本質は見えてこない。

自分にとってのブラジルの親戚、日系社会の存在は「日本人としての私」だったり、「外から見た日本」を考えるきっかけを与えてくれた。もう20年もブラジルに足を運ぶことができていない。インターネットですぐにつながる状況になったとは言え、親戚付き合いは世代が進むと疎遠になってしまうものだ。いつか自分の息子を連れてブラジルに行き、自分のルーツを知り、子孫同士でコミュニケーションが受け継がれていくといいなと思う。

最後に、新型コロナウイルスの感染拡大で、ブラジルの悪い状況のニュースばかりがインターネットで流れてくる。親戚や友人が心配でならない。お身体ご自愛ください。


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