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成れの果て

私はひねくれ、こじらせたきょうだい児だ。
そして、今現在進行形のきょうだい児の
成れの果てだ。
多くのきょうだい児は、私と同じになるのだ。
だからと言って悲観することはない。
自分のせいではない。
こじらせたのも、ひねくれたのも、全部全部全部ぜーんぶ、親ときょうだいのせい。
これだけは絶対だ。
きょうだい存在と、親の間違った接し方のせい。

私は努力した。がんばった。
手首と太ももと腕をカミソリでズタズタにしながらがんばった。
気を引こうなんて考えてない。こんなことで気なんか引かない。
自分で自分を傷つけたのは、生きていると実感するためだ。自分は人間だと確認するためだ。
血は赤く、痛みがあることを実感し、自分を保つ。
そうしなければならないくらい、私はがんばったのだ。

だからもうがんばるのはやめた。
めいいっぱいひねくれて、とことんまでこじれることにした。
弟は大嫌いだ。それでいい。好きになる要素がない人間を好きになる必要はない。不幸の根源なんだから好きになれるはずがない。
親のことは恨んでいる。当たり前だ。闇に染めたのは親なのだから恨まれて当然だ。

私はきょうだい児の成の果て。
多くのきょうだい児が私になる。


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