僕がローカルな写真を撮るわけ
僕はなかなか日本各地へと旅に行けなかった。
最後に県外旅行に出たのは1月に東北に訪れた時だろう。
県外に行けなかった分、地元兵庫県を見つめ直す良い期間だったと思う。
地元を見つめ直す期間にしたことといえば、地元兵庫県の風景を写真に治めることだ。地元に戻るたびに思うのはローカルフォトを撮るのは純粋に楽しいということ。
風景写真をカメラで撮り始めてはや4年が過ぎるが、どうしてローカルな写真を撮るようになったのか微かに分かったような気がする。
『ソトコト』の2020年11月号に写真で見る日本という連載で鈴木理策さんという写真家の文章に自分が思っていることを言語化してくれているところが幾つかあった。
写真を撮ることは、(中略)出来上がった写真を見る時、そこに現れているのは、今と違う場所、異なる時間であり、かつて経験した風景のほんの一部分でしかない。もちろん音もなく、動かない。だが、圧倒的なこの「足りなさ」は自分の中で眠っていた記憶を鮮烈に呼び起こしたり、静止した風景の中に新たな発見を誘ったりする。これは写真の大きな魅力だと思う。
撮影で訪れたそれぞれの土地に降り積もる場の記憶を持ち帰ってきたからだろうか。もしかしたらそれぞれの場所に私の記憶も置いてきているのかもしれない。(ソトコト11月号、鈴木理策さんの文章より引用)
僕はこの文章を読んで、自分がローカルな写真を撮るのは
①いつなくなるかわからない、今ある風景を記録として残しておきたい。
②写真で自分の地元や昔住んでいた場所の風景を見て懐かしいなと感じてもらいたい。
③今まで知らなかった地元や地方を自分なりに楽しむことができる娯楽
だと分かった。
カメラを手にしてから大学生のときに無我夢中に撮った時の写真をもう一度見返してみて、写真を撮るうちに大学の風景が好きになり学生生活もそれなり楽しめた。カメラという趣味を与えてくれた大学のキャンパスには感謝しても仕切れない。何気ない風景を撮って自分にとって宝物のような地域が増えて嬉しい気持ちになった。これからも風景写真をたくさん撮るが原点にあたる大学時代の気持ちを忘れずに無邪気に「残す旅」をしていきたいと思う。
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