一方その頃(もう一つのストーリー)6

二回目に入所した施設で、
私は10年暮らす事になります。

私の部屋は、
小学低学年の子どもたちばかりの8人部屋でした。
広さは8畳程度。

夜になると、
ひしめきあうかのように布団を敷いて眠っていたのですが、
見回りの先生が廊下を通り過ぎると、
私以外の7人の子どもたちが、
毎夜私の背中の上で、
キャッキャ声を上げて、飛んだり跳ねたりしていました。
私はその時のイジメの対象でした。

イジメはリーダー格の指示により、都度ターゲットが変わります。
それはとても日常的な事であり、
逆らうような子どもはおらず、
止める職員もおらず、
そう在るのが『まとも』であるかのような世界でした。

ですが私は、
殴られる事の耐性はかなりついていたので、
特に驚くことも、悲しむこともありませんでした。
自分の居る世界というものは、そういうものなのだとある意味納得していたのかもしれません。

リーダー格の子どもたちは、
周りの子どもたちをこき使い、気に入ったものは奪い、退屈すると弱い者同士を争わせ、笑いものにしてストレスを発散していました。

そして時々『罰』と言って、
『誰もターゲットとは口をきいてはいけない』という指令を出します。
ターゲットにされた子どもは、長ければ1か月近く、
空気のごとく誰からも相手にされないという状況が続きます。
あまりピンとこないかもしれませんが、これは地獄でした。
『孤独を与える』という『罰』なんです。

愛情に飢えた人間にとって、これほど堪える罰はありません。
その事を知ってか知らずか、リーダー格の当時小学生の子どもたちは、
気まぐれに指令を出して、子どもの世界を支配していました。

この頃、一人の施設職員が退職しました。
随分後になってからわかった事ですが、この職員は誰かに責められたのか、自分自身がそう感じたのか明らかではありませんが、
特定の子どもたちに対して、誤った愛情をかけてしまった事に責任を感じて退職されたそうです。

リーダー格の子どもたちは、乳幼児期に両親を交通事故でなくしたり、
どこかに置き去りにされた子どもたちでした。
赤ちゃんの頃から、担任になった職員は同情も手伝って、それはそれは大切に守り育てた事でしょう。
我が子の様に感じた事もあったでしょう。
特別に感じてしまったとしても、違和感がありません。
ですがその結果、
その子たちは他の弱い立場の子ども達を虐げるようになってしまったということです。

この後、
担任は継続して2年以上受け持ってはいけないという取り決めが成されています。

リーダー格のその子たちも、やはりかわいそうな子どもたちだという事を、
大人になってから、しみじみと感じています。
そしてなんて皮肉な事だろうと、時々とてつもなく悲しくなります。
愛情とは、何なのでしょうか。

つづく

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