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異能β-6       大英帝国の逆襲 !?Alan Mannの野望と挫折

 アラン・マンと聞いて、あぁと頷く人はそうはいないであろう。知っている人はかなりのレース通か英国通であろう。

 Alan Mannは1936年生まれ、26歳の頃、英国のサルーンカーレースにFord車で参戦。27歳の1963年にFord Cortinaであるレースに優勝、アメリカのHolman-Moodyが注目し、1964年にFordワークスの一員となり、世界のレース界にAlan Mann Racing(AMR)の名を刻んだ。この年のモンテカルロラリーで彼らのFord FalconがMini CooperのPaddy Hopkirkに次ぐ2位に入ったのが評価され、Fordが本格的な支援を開始し、サテライト・チームとしての活動が始まった。
 AMRが一番輝いたのは1968年のBTCC Champion、全11戦で戦われるイギリスサルーンカー選手権、Frank Gardnerの総合優勝であろう。

 誌面に載るような活躍としては、1965年のMonza 1,000km No.48のBob Bondurant / Allen Grant は予選9位で決勝は総合8位・GTクラス1位。資料ではShelby Americanのエントリーとなっていて、Alan Mannは1/43モデルに名を刻む程度であった。当然この文章を書こうとして資料を探して行き着いてモデル(TSM製)購入、Cobra好きとしては思わぬ幸運。

左,1965年Monza 1000km GT Class 1位、右,1965年Le Mans 24h参戦のDaytona Coupe

 翌、66年は03.26のSebring 12hにFord GT40で参戦、No.24のGraham Hill / Jackie Stewart、No.25のJohn Whitmore / Frank GardnerがAMRのエントリー、No.24は予選4位・決勝では3時間までは4位に着けていたが、4時間で8位に落ち結局142周でDNF、No.25は予選8位・決勝では8時間まで5位にいたが、146周でDNFであった。

1/43 Spark製(SP)  Graham Hill / Jackie Stewartの両F-1 Driver  (参考モデル)
上と同じSP製 John Whitmore / Frank Gardner、これがAlan Mannカラー(参考モデル)

 66年06.17-18のLe Mans 24hでGT 40 Mk-2は8台がエントリー、AMRエントリーのNo.7 G.Hill / Brian Muir 予選6位、決勝8時間でDNF、No.8 J. Whitmore / F. Gardner 予選3位で決勝6時間DNF

1/43 (SP)  66年のLe Mans参戦の2台、Alan Mannのエントリーだが色はFord本社の指示らしい
No.7はG.Hill / Brian Muir、外付けのバックミラーはこの車だけで他のMK-2には無い

 その後、1967年に再びツーリングカーに活動の場を移していたAMRは、翌68年Escortで英国ツーリングカー選手権優勝が最も誇りになっているか。

1/43英国ATLAS製、この様な話題がなければ、全く興味が湧かないが
(参考モデル)

☆  この話のもう一方、準主役の話をしよう。

 世界のレース界に割(自分的には)と大きな影響を及ぼした、レースカーの設計者Len Baileyについて。
 Len Bailey(レナード・ベイリー Leonard Bailey)の名前が誌面に載った最初は、Ferrari買収に失敗しFord GTの開発に携わった1963年だと記憶している。設計の拠点は英国フォード・アドバンスト・ビークルズ(FAV)(英国Fordの子会社)部門で新しいスポーツカー設計の一員となった時。

1/43、Bizarre製Ford GT Prototype
SparkとBizarreは同じMINIMAX傘下、SPは大衆用、Bizarreは少量生産のモデル

その次に話題となったのは1967年Can AmにLen Baileyが設計しHolman-Moodyが製作したHonker IIが出走、4レースにエントリーした。

1/43 奥はMarsh Models製(MM)、手前はSP製 色が大分異なる、書籍のカラー頁をみると SPの方が似ている、しかしMMが間違えるかな〜と考えると4レースの内に奥の色もあったのか

第2戦、09.17 Bridgehampton 予選23位、決勝8位
第3戦、09.23 Mosport 予選29位(ビリ)、決勝DNS
第5戦、10.29 Riverside 予選5位、決勝:32周 DNF
第6戦、11.12 Las Vegas 予選:不明、決勝DNS
 Mario Andrettiをして、「生涯で最悪な車」だと言わしめたが、第5戦では1周目の5位がカラー写真で誌上に残っている。スタイルは後に出てくるFord P68とどこと無く似ている。

 1967年、Len Bailey はJ.W.AutomotiveのJohn Wyerがマニュファクチュアラーズ・チャンピオンシップにエントリーした 2 台の GT40 を再設計、Gulf OilのスポンサーでMirage M1として参戦。(GT40のルーフ部分をもっと滑らかにして、空気抵抗を減らした)

1/43 SP  左 Mirage M1、右 Ford GT 40の格好が異なる(規約の改正で)、Mirage の方が滑らかで、エアインテーク類も少なく・或いは隠れる様に設計されている

 戦績はチャンピオンシップでは05.01のSpa-Francorchamps 1,000kmで初優勝、チャンピオンシップ以外ではスェーデンで開催された2戦、10.15のParis 1,000km、67.11.04のKyalami 9時間、68.11.09のKyalami 9時間の5勝、2位が2回、9位が1回で残る6回はリタイアとFordやFerrari、Chaparralが参戦していたレースの結果としては十分な成績といえる。

2022.09.04購入 SPのMirage M1、Honker IIにこのルーフ部分を組み合わせるとFord P 68となる
上の3台はBizarre製、下の2台はSpark製、Bizarreが製作していた当時、Mirageはまだ際物、その後人気が出てきてSparkが製造したようで下左には500台生産の文字が見える
下左はParis 1,000km1位、下右は1969年のKyalami 9時間、色が異なるがJWが売却した1台で順位は不明(68年はJacky Icks / David Hobbs)(69年のドライバーはMike Hailwood / Peter Gethin)

 68年、マニュファクチュアラーズ・チャンピオンシップがFIAの規約変更でグループ6のエンジンが3ℓ上限、それ以上の排気量の車は年間50台生産とされた。英国Fordはスポーツカー計画のマネージメントをAlan Mannに任される事となり、世界一美しいプロトタイプP68(F3L)とともに、スポーツカー選手権に復帰した。

1/43 Ixo製 Ford P68、Nurburgringに参戦の2台、手前のNo.8のChris Irwinは

 しかし、コスワースDFVを搭載したLen Bailey設計のマシーンはクルマ自体の熟成問題(操縦性の影響により後部のエアスポイラーがどんどん大きくなったり、ホイルベースを1.5インチ延ばしたり)に加え、ドライバーにラインナップされていたJim Clarkの死、Alan Mannとの関係が深いG.HillがLotus 49とDFV開発に専従、そしてNurburgringでのChris Irwinの悲劇的な事故(Nurburgring名物のジャンピングスポットで風に煽られ後ろ向きに引っ繰り返り、頭蓋骨骨折という重傷を負った)など不運に見舞われた。さらに気象の変化にも翻弄され(雨に弱い)、チームの悪循環が加速し、レースでは良い所まで行っても故障発生等で、この年優勝からは見放された。
 翌年ウインドシールドの高さや車重等が大幅に緩和されたレギュレーションのメリットを活かし、当時最大の技術的問題であった空力性能の改善を狙い、実験的なP69を設計した。クローズドのボディーはオープンとなり、ラジエーターは後部に移され、その姿はCan AmのChaparral 2Hと似て、空力がボディーのウイングだけでは機能せず、Chaparral同様車体上部に高いウイングを立てなければならず、世界一美しい車が世界一醜い車となってしまった。結局、69年の第1戦のBOAC500マイルはP68とP69が1台ずつエントリー。P69は予選を走ったもののトラブルで決勝に進めずDNSで終了した。そのレースでは後部に高いウイングを付けたP68が出走、予選7位でスタートしたが、油圧低下でレースを終えた。

P69、世界一美しい車が世界一醜い車に変わったBOAC500マイル予選モデル(作者不明)
(参考モデル)
1/43 Ixo製  69年BOAC500マイル参戦のP68、P69とどっこいどっこいか!

 後日John Wyerは、我々に任せてGulfがスポンサーになれば成功させる自信があったと言われ、車自体の素性は悪くなかった様だ。

 69年、 Alan Mannが彼の事業終了の直前にLen BaileyにAlan Mann Open Sportsの設計を依頼、Holman-Moodyで製作され、Can Am第10戦のRiversideでF.Gardnerが、最終戦(11戦)のTexasでJack Brabhamが駆りBrabhamが最終戦で3位入賞している。

1/43 MM フロントのテープは実車も貼ってあった、
これがないと風圧でフロントボディが浮き上がってしまうらしい

 Face Bookに「モデルは2019年12月25日クリスマスプレゼントで届いたようなもの。オークションで競り落としたが、現地での中身確認で一部破損、キャンセルするかこのまま送るかと問われ、送ってもらう。出来上がった青い車はHolman-MoodyエントリーでCan Amに参加、69年の最終戦にジャック・ブラバムが駆って3位入賞の実績がある。何しろ、非常に珍しい車で出来が綺麗、自分で直せなかったら、知り合いのフィニッシャーに頼む予定で来たのを見たら、なんとか直せそう。何しろAMRのP68(F3L)のサスペンション等を用いてCan Am車に仕立て、Jack BrabhamのCan Amレース車(69年の最終戦で3位入賞)」と記載。ミニカー仲間の48人から「いいな」を頂いた。(後日資料を紐解くと、J.Brabhamはこのレース以外は69年のMichigan にFord G7で参戦している。このFord G7は69年のCan Amで4レースに参戦全てDNFという体たらく、拙文の「レアモデル列伝−4」にその写真あり)

eBayのオークションで落札、輸入の途中でウイングとリアスポイラーが取れていたが、
珍しいモデルはキャンセルせず自分で直した
高ウイングのモデルはキチンと包装しないと輸送途中で壊れる可能性あり

そんなAlan Mannも2012.03.21 75歳で生涯を閉じた。

参考文献
1 檜垣和夫著 SportCar Profile Series-2  フォードGT 二玄社 2006
2. Aldo Zona The Monza 1000km 1965-2008 G iorgio Nada Editore Vimodrone Milan 2016
3. Ken Breslauer Sebring The Official History of America’s Great Sports Car Race David Bull Publishing Cambridge
4. Quentin Spurring Le Mans 1960-69 Haynes Publishing UK 2010
5. Ed Heuvink Alan Mann Racing F3L/P68 McKlein Publishing Germany 2017
6. Pete Lyons CAN-AM Motorbooks International 1995
7. Michael Cotton Blue & Orange The History Gulf in Motersport Coterie Press Publishing UK 2004


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