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レアモデル列伝−15     青い楔 McKee Mk-10

 マッキーと言っても牧原君のmackyのことではない。

 McKee Mk-10、60年代の半ば、米国で盛んになった何でもありのCan Amで、一寸先に行っているかという身体つきの車がMk-10。

そもそもBob McKee率いるマッキー・エンジニアリングは作り慣れたマルチチューブラースペースフレームのミッドシップレースカーMk-5やMk-6で初期のCan Amを戦っていた。エンジンはその初期からトラコチューン(後にCro-Sal)のオールズモビル、トランスミッションはヒューランドという汎用重視の車作りをしていた。Mk-7はカリフォルニアのCheetah使いのRalph Salyerレーシングが重用していた。

Ralph Salyer Racing

 Mk-10は1967年8月のUSRRC最終戦のMid Ohioでデビュー、外装こそウエッジシェイブで衝撃的であったが、Mk-7の2号車のボディ周りを改造しクロームモリブデン鋼のチューブラーフレームに手を加える程度で、サスパンションやスタビライザー等は互換性が確保されていたため、米国の書物ではMk-7名で書かれているものが多い。

一寸見はアルミモノコックだが内部は鋼管スペースフレーム(参考資料より)

 68年の初戦のElkhart Lakeで行われたRoad AmericaでCan Am参戦、初戦7位はワークスマクラーレンM8A・スノコM6A・Chaparral 2G他上位常連が占めていてその7位は満足な結果といえる。第2戦は欠場、第3戦でも7位は上記メンバーの中では見事であった。第4戦はRalph Salyerの地元のLaguna Secaであったが、エンジントラブルでDNS。第5戦はRiverside、決勝では燃料系のトラブルでDNF。68年の最終戦はLas Vegas、ここでもエンジンブローでDNSと出足こそ良かったが後半は種々のトラブルで完走できないシーズンであった。

翌69年、開幕戦のMosportはツインターボを装着しエントリーしたが、予選中にエンジンブローでDNSと短い間に一瞬の輝きを見せたレースカーであった。

1/43モデルはMarsh Models製、箱書きにはCharlie Hayes Elkhart Lake 1968と記載されている。
この車がデビューしたとき、結構話題になったので大手のモデルメーカーで発売されるのではと思ったが全くなく、Sparkのカタログにも載らなかった。弱小メーカーではMarsh ModelsとMA Modelsが100台ほど発売したようだ。これはeBayのオークションで落札(と言っても入札したのは自分1人で手頃な価格で入手できた)新古車で入手するしかなかった。
 初っ端で良い成績が、参戦が増えるに従ってDNA・DNS・ DNFが増えていったのは、フレームのへたりの可能性もある(モノコックでもChaparral 2Cの例もあり、軽量化と剛性の鬩ぎ合いの結果か)し、資金の影響も無視できない。いずれにしても、このモデルが入手できたのは奇跡と言っても良いと思われる。

Cro-SalはRalph Salyer Racingのチューンであることを示している
楔形状がよく分かる


右後ろからの眺め
この皿型ホイールも特徴

参考文献:Pete Lyons  Can-Am :1995   
     Pete Lyons Can-Am Photo History :1999
     George Levy  Can-Am 50th Anniversary :2016
     アメ車Magazine 2020 :259(9): 94-97


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