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異能β-1:John MecomとZerex Special
「innvotar」は「革新者」を意味するが、自分的には異能者であるが真当でない、一寸外れている、或いは飛び抜けているという意味で、αに続く者でβとした。
Mecom Racing Team(MRT)は、John Mecom (ミーカム#と読む)Jr.率いるチームで、1960年から1967年にかけて、全米とバハマのスポーツカーレースを主に出場し数々のシーンで活躍した。
John Mecom Jrは父が石油・不動産ベンチャー・ガス産業に携わっていた会社の御曹司、資金を湯水の如く使って種々のプロ集団を雇ったり、スポンサーになって楽しんだ様だ。
レース関係ではMRTやZerex Specialで1962年頃から1966年頃まで名を馳せたが以後の記録は無い。
提示したモデルでは1962.10.14 Riversideで行われた LA Times GP 200mileでRoger Penskeが駆って優勝したNo.6の赤いZerex Special(Marsh Models)(MM)(これが最初のZerex か)、MMのキットをフィニッシャーが組み立てたもの、これは当時のCooper F-1を改造したもので、ルールブックの隙をついたともいえる。単座で軽くこの時はZerex Specialのステッカーは貼ってあるが、エントリーは未だMECOMでは無くUpdraught Enterprises Inc.となっている。
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クレームにより単座であるNo.6を複座に変更し、レースに参加した車がNo.12のZerex Special(MM)である。この車は1963.08.06. Brands HatchのGuards Trophyに参加し優勝した車、この車の左右ドアに貼られたステッカーは以後使用されるMRT(見出しのマーク)が貼られている。
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複座車はその後B.McLarenに譲られ、1964.04.11からはMcLarenが駆り、エントリーもMcLaren Motor Racing Ltdとなり4レースで優勝している。なおこの車は65年以降Dave Morganに譲られたがLola T70がレースに参加する様になり2位が最高であった。
1963年、MRTはLola GTとScarabを購入、特にLola MK-4 GT No.00 (Spark)(SP)はAugie Pabst(MECOMの初期のエース)がNassauで優勝、その他のレースでもCorvetteやCobraを凌駕しFord GTの原型とも言われる。なお64年のLola GT(No.20)(mini Racing Factory)はW.Hansgen/A.Pabstが駆ってSebring 12hを走ったがDNFであった。
63年MECOMはA J Foytと契約し新興のScarab(SP)を購入10.13.のRiversideのLA Times GPから出走させ1965年まで20レースに参戦し4回の優勝(A J Foytが3回/8回、W.Hansgenが1回/6回、その他A.Pabst3回、J.Cannon2回、不明1回)。No.77は63年のNassau Trophy Raceで優勝。No.35は64年のDaytonaのAmerican Challenge cupの優勝車(SP)。MECOMカラーはNo.77の様なダークブルーがメインだが、64年はライトグリーンになっている。
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1963年からMECOMはChevrolet Corvette(TSM)も購入しNassauやSebringで走らせている。この時期Corvetteは多数走っていて、かのJim HallもR.Penske(この頃はMECOMから離れ、Chaparralのマネージャー兼ドライバーとして活躍していた)等と走っていた。
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1964年、J.Mecom JrはA J Foytのために設計段階からの車を新造した、それがMECOM Hussein(MM)である。Cooper Monacoを大幅に改造、レース愛好家であったヨルダンのフセイン国王にちなんでHussein1と名付けられた。J.Mecomの父親がヨルダンの石油採掘権を確保し、国王がテキサスの本社を訪問、新装の車を見る機会を得て国王の名誉のために車をHusseinと呼ぶことにした。
Cooperのシャーシは、426-cuのChrysler Corp. Hemi V-8エンジンを乗せるための改造され、 525 mphのエンジンはColottiギアボックスを介して後輪に伝達される 。重量は1,820ポンドで、マグネシウムホイールが装備されている。
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モデルは1964年のNassau Govenor’s Trophyで2位となった車。(eBayのオークションでキットを落札、Model Garage Romuに制作依頼、注文してから15ヶ月経て入手できた。古いキットでボディーの収縮や歪みがあり、それを修正して完成だから制作費も最初の予定より大分高価になった)
1964.08.03のGuards Trophy Brands Hatchが最初のレース、結果はDNA(did not attend)。以後1964.12.06まで計5レースに参戦し、最高位は前述のNassau Govenor’s Trophydでの2位が1回、64.12.06.のNassau Trophy 19位で後の2回はDNAとDNF(do not finish)であった。
翌、1965.03.27に行われたSebring 12hでJ.Cannon/J.SaundersがLola T70(写真)で参戦、結果は55周でDNFだったが、手応えを感じたようだ。
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一方、同じ日にHansgen/Donohue師弟が駆ったNo.29のFerrari 250LM(SP)は予選7位・決勝11位であった。
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同レースにはP. Rodriguez /G.HillのFerrari 330PがNARTよりエントリー(Mecomはスポンサー)、4位スタートしたが133周でピットインし37位と記されている。
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同年10.17.のLaguna SecaでW.Hansgenが優勝してからは大金を叩いたHusseinは忘れ去られた様だ。(No.11は65.09.05にRoad America 500 mileでHansgen / Donohue師弟で出場しDNFだったが2レース後に初優勝)
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モデルは日本のプロフィニッシャーにお願いして作って頂いたもの、非常に綺麗な出来上がりである。
1966年、MECOM Racingの所属ドライバーにR. PenskeとA J Foytの名前はない。あるのはG. Follmer、Parnelli Jones、Al Unser、J. Stewart、M. Andrettiと有名ドライバーとの1戦ごとの契約の様だ。
66年の所有モデルは1966.10.30日にRiversideで行われたCan Am第5戦のL A Times GPのみである。No.98のLola T70 Fordを駆ったP. Jonesは予選38位、決勝DNFであった。
なお、そのレースで同じチームのJ.Stewartは予選4位であったが、これはエンジンがChevroletであったためかも知れない、結果はギアトラブルでDNFであった。
P. Jonesは第6戦を前戦でJ.Stewartが駆ったChevrolet車で出場し、予選8位で決勝9位であった。66年MECOMのTeam(エントリーはJ.Mecom名でありMRTとはなっていない)は結局ポイントの獲得はできなかった。
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翌67年のレースではMRT名はおろかMecom名も無く、チームの資金枯渇かオーナーの情熱欠如でレース活動は中止したものを思われる。
1970年に父は破産、以降に会社を再建したとの記載もあるが、不明な点が多くその後がどうなったからは分からない。
参考文献
Terry O'Neil the Bahamas Speed Weeks Veloce Publishing USA 2006
All Results of Zerex Special Racing Sports Cars (2002-2022)
(2023.06.04一部改変)
(2023.09.18 #訂正 )
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