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石原なんでも通信 No.18 溜まった原稿一挙放出です。

今回は高松城(玉藻城)について少し深堀します。


高松城(玉藻城)は “天守閣”がないお城ということで、今一つ価値がないようにみられていないでしょうか? 
 
天守閣なんてなくても、高松城には 国の重要文化財である「月見櫓」、 「艮(丑寅うしとら)櫓」があります。全国で現存する「三重櫓」は12基  のみ。江戸城の富士見櫓以外はすべて重要文化財でです。いかに価値があるかはこれでわかります。(富士見櫓は宮内庁管轄なので、文化財指定
はされないこと。)

ウィキペディアより


さて、香川のお城と言えば、すぐに浮かぶのが ”丸亀城” 、その現存天守のみならず、総高で日本一である「石垣」で有名です。 同じ県内で対抗  しても始まりませんが、天守閣はなくてもその櫓の高さだけなら、月見櫓は十分勝負可能です。
  丸亀城天守閣 =15m vs  高松城月見櫓 =14.5m
 
1. 月見櫓 と 艮(丑寅)櫓

1642年に松平初代頼重公が入封し、1671年から大改修が開始されます。
 月見櫓:1676年に建立。出入りする船を監視する役割を持つことより
「着見櫓」とも呼ばれます。
 艮櫓:月見櫓と同時期に建立。北東(丑寅)の守りのための櫓。(下の
地図の「東の丸」にありましたが、1967年に今の場所に移設されました。

江戸時代初期に出された「一国一城令」、「武家諸法度」で新たなお城の建築は厳しく規制されていました。そんな中で建てられて高松城の月見櫓、 艮櫓は、福山城(広島県)、明石城(兵庫県)などと同様に、西国大名に 対する戦略的に重要な抑えの城として特別に建築許可が下りた城でした。  
 

高松城の復元を進める市民の会HPより


月見櫓と水手御門、ウィキペディアより


艮(うしとら)櫓、ウィキペディアより


   
2.水手御門 と 御座船
 
水手御門は海に向かって開かれた門で、歴代の藩主はここから小舟に乗船
して瀬戸内海に出た後、沖合に停泊する 「御座船」(ござぶね)に
乗り換えて、参勤交代などの役割を果たしました。

下図は高松県立ミュージアムにある「高松藩飛龍丸明細切絵図」。飛龍丸は初代藩主頼重在世中に藩主の御座船として作られたもの、水夫90人が漕ぐ  大型船でした。
右絵にあるように藩主の御座の間がある屋形は、二層で6室もあった
とのこと。御座の間は、床に違い棚、障子や屏風にも豪華な絵が描かれて
いたとのこと。


御座船 県立ミュージアムHPより


 普通の国なら、お殿様のお立ちは街道に向かう大手門から。 ただ、ここ 高松松平藩は水手御門から、そして、豪華な「御座船」に乗り換えでした。高松ならでは光景です。
当時の光景を思い浮かべるだけでもワクワクしてきます。
 
下絵は高松県立ミュージアムにある「高松城下屏風」。頼重公の時代の高松城下を描いたものですが、この時点では、まだ「水手御門」は出来上がっていなようです。
ただ、沖合に「御座船」が待機しているがわかります。
 

高松市HP より


日本の「三大海城」として有名な「高松城」。海に面するお城ということ  だけでなく、城下町である高松がその政治、経済そして文化が深く「海」に依存してきたことがわかり、興味深いですね。

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