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みんなで靖国参拝,尊い生命だといわれる英霊に拝礼するが,その本当の意味を理解している者はいない

 ※-0 前論としての断わりなど

 a) この記述は,現在(今日)まで未公表状態の中身になっていた。最初は旧ブログ2013年4月24日に公開されていたが,その後いったん未公表になっていたものを,2016年4月23日の再公開していたが,再び未公表になっていた。本ブログがブログサイトを移動した関係で,そのような経過をたどってきた。

 昨日(2024年1月17日)まで,とくにケント・ギルバートというアメリカ人でモルモン教徒であった弁護士の人物論を,都合3度にわたり批判的に言及してみた。

 この人物は,日本に来てからすっかりこの国が気にいったらしく,それというのも,たいそうもてはやされもてる自分のことにすっかり舞い上がってしまったらしく,その後,だいぶ調子に乗ったかのようにして,遠慮なくいうと,だいぶトチ狂ったかのようにして,乱舞的な筆致を振るう著作まで公刊していた。

 b) ケント・ギルバートは,なかでも極右ネトウヨ的でしかなかった,それもきわめて乱雑・粗暴な「嫌韓・嫌中」論を,ひたすらわめきたてたかのような内容で充満させた著作を公刊していた。

背景は靖国神社「神門」の扉に
着けられている菊の紋章

この人はモルモン教徒であったはずだが
日本に来てからは国家神道イストに
鞍替えしたかのように振るまっていた

 その本,ケント・ギルバート『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』講談社+α新書,2017年は,いくらなんでもひどすぎていた。品位も教養も常識も欠いた「作品」ではないかという非難(批判)が,出版元の講談社内からも浮上するほどに他者・他国を侮蔑しまくる内容になっていた。

 それでもこの本は,50万部近くは捌けたというのだから,ケント・ギルバートが書いたその種の本に対する日本国内の需要は,けっしてバカにしてはいけないほどの水準にあったとみなしてよい。

 c) またケント・ギルバートは最近作として,『日本が消失する 国民の9割が気づいていない,一瞬で壊れる平和』幻冬舎,2023年4月を好評していたが,この本はつぎの宣伝文句を販促用に謳っていた。

  ならず者国家の戦争に巻き込まれるな!
  地政学的にみて 世界で最も侵略されやすい国は日本
  ミサイル,領海・領空侵犯,サイバー攻撃,スパイ,土地買い占め……
  JAPAN 侵攻のリアル。

 開始から1年以上経っても終わることのないロシアによるウクライナ侵攻。日本もウクライナのような形になる可能性が現実味を帯びてきています。日本はどうやって侵攻されるのか? 国民は何を考え,どう行動すべきなのか? 地政学的観点から,解説します。

ケント・ギルバート『日本が消失する 国民の9割が気づいていない,
一瞬で壊れる平和』幻冬舎,2023年4月

 だが,日本を地政学的に考えるのだというこの本は,さきに出版していた『本当は世界一の国日本に告ぐ大直言』SBクリエイティブ,2019年1月のなかでは「日本人にはわからない」という文句を連発していた。

 ケント・ギルバートの口調は,そもそも日本人には日本のことはもともと分かりえず,それは自分にしか分からない問題ゆえ,オレ様に聞け,この本を買え,と喧伝していた。

 まるでケント・ギルバートは21世紀における日本の進路を占い師とその指針を占めせるかのように語る(騙る)ところが,たいそう興味深い。このたぐいの本を書く人間も人間だが,さらにこの男の書いたものを買ってあげるほうの「日本人」も日本人。

 ケント・ギルバートに体面してきた日本人は,ケントからみたらまるで「鴨ネギ」であった。心底では日本・日本人たちを軽侮していながら,いかのも俺だけがこのジャ▼のことはよくしっている,とでもいいたげな口調yは科白が鼻につく。

 d) もっとも,ケント・ギルバートのいいぶんとはおかまいなしに,最近の日本は,産業経営全体の活性・活力がだいぶ低調になっており,国民経済の実力・地位も国際経済のなかではガタ落ちの状態にある。いまや「観光立国」に日本経済の生きる道を求めなければならないほど,かつての「ジャパン・ナンバーワン」という好評など,とうの昔からもはや地に落ちており,この国の現状は泥まみれも同然である。

 1月1日に発生した能登半島地震の被災地では,被災者たちがまったくに難民状態にひとしい窮状にいまだに置かれてもいるなかで,岸田文雄は国家最高指導者としてこの大災害発生の被害状況に対して,真正面から対応することができていなかった。

 しかも,当人にあってはその自覚すらなく,その間,自分だけはゼイタクな会食をしていたと報道される始末で,この男も実は国家を指導できる資格などもともとなかった「世襲3代目の政治屋」であった事実を,いまさらのように思いしらされる。

 昨今の日本という国を絶妙に捕捉して表現した用語が「衰退途上国」であるが,高度経済成長時代の思い出を有する高齢者たちにとってみれば,「オマエら高齢者は後期高齢者の年齢まで生きるなよ,できるだけ早く死ぬようにな!」とでも要求しているかのごとき,昨今日本における国家全体の凋落ぶりが顕著である。

 e) 2024年の第1日目,1月1日に発生した能登半島地震は,近い未来に発生が確実視されている南海トラフ超大地震に備えてこの国全体がどのように,その災害(被災)に備えているかその予行演習の機会を与えてくれたともいえなくないはずである。

 だが,岸田文雄政権のこの緊急事態に対する対応ぶりは,そもそもからして真剣味を欠くものになっていた。地震発生後,2週間も時間が経ってから現地を視察するなどといった下手な演技は,下の下であった。

 南海トラフ超大地震の大損害を危惧する防災問題の専門家は,その大地震が起きたらこの国は最貧国に落ちこむと,すでに警告している。ところが,岸田文雄自民党政権はあいもかわらず「いまだけ,カネだけ,自分だけ」の為政しかやる気がない。

 菅 義偉前首相のいいぐさを借りれば,大地震に罹災した被害者たちは「公助」や「共助」よりもまず「自助」でしっかり,自分たちの境遇をなんとかしろというしだいになる。基本においては同じ対応を,やはり岸田文雄も継承していたと,実質的にはみなすほかない。

 防衛省・自衛隊や在日米軍は,1月1日午後4時10分ごろに能登半島地震が発生した緊急事態に備えて,翌日2日にはいつでも出動できる準備をしていたにもかかわらず,日本のこの首相の災害時における指揮ぶりは,極楽トンボないし昼行灯風であった。

 f) またこの時期,いまごろにもなって政治資金規正法に自民党の国会議員たちから逮捕者が出てきた経過になってからだが,とくに「パー券裏金問題」が政治社会的な大問題になってしまった情勢のなかで,ようやく自民党内部からはこの国のタダれきった政治のあり方を正すのだといって,「党内派閥の解消」を口にしだしている。

 けれども,派閥なしには動きがとれない自民党にとって,日本の政治を抜本から改革するために基本から必要な喫緊時は「自民党じたいの解体」以外にはない。その腐りきった腹の中身を温存したままでも,なにかが改革できるなどと考えているこの政党の連中が,いわば寝言以前の,つまりうわごとみたいな迷案を吐いてみたところで,国民たちの耳にとっては冗談にさえ聞こえない,戯れ言でしかありえなかった。

 g) 日本政府観光局(JNTO)が発表した2023年の年間での訪日外国人旅行者数(推計値)は,2506万6100人となった。2019年(3188万2049人)比では21.4%減で,コロナ前の8割まで回復。2022年(383万2110人)と比べると,一気に2000万人以上,増加したことになる。

外国人観光客のふところをアテにしないと
生きていけない国になりつつある
ということか?

 つぎは『日本経済新聞』の本日,2024年1月18日朝刊に出ていた関連の記事から図表を2点引用しておきたい。

インバウンドが回復
日本の物価は相対的に安価なので大いに買ってくれる
中国は経済不調の煽りを喰っているが
そのほか韓国などからの訪日が堅調である

 ところで,靖国神社は昨今,外国人観光客にとってみれば観光地(スポット)になっている。このあたりの観光実情にも注意して比較をすると,外国人観光客は,前掲したごときにケント・ギルバートのかっこう(正装)で,この元国営神社に来ているのではない。

桜が満開であった2023年3月24日
このお立ち台はこの時期だけの特設か?
桜の花模様からそう判断してみる

 前段のように靖国神社と訪日外国人観光客との関係まで話題にしたところで,この記述の本論部分へ論旨を移動させることにしたい。論じている話題は,2013年4月24日から2016年4月23日にかけて論及されていたが,2024年1月18日の現在になっても,そのまま妥当しうる議論をしていた。

 

 ※-1 靖国神社のなんたるかもしらずに,168名でぞろぞろと九段に参拝に出向いた国会議員たちの話題

 最初にこの※-1の話題に関して最新の画像資料となる『時事通信』の記事を紹介しておきたい。この記事の写真には,2023年10月18日における靖国神社「本殿」への向かう国会議員の面々が写っている。

『時事通信』2023年1月18日報道記事

 ところで,靖国神社の祭壇のなかには,合祀されている「英霊」()にくわえて「A級戦犯」と「元皇族軍人」(2人が別個の「1座」として)が合祀されていることになっていた。

 この靖国神社
に参拝に来た国会議員たちが多分,抱いているはずと思われる「基本的な思考方法」は,敗戦を認めたくないそれだから,「東京裁判史観」を否定する立場の人びとであると解釈できる。

 もっとも,在日米軍基地に首根っこを押さえられている「この日本国である現状」を正視しないで,逆にアメリカ合衆国側から観たら,敗戦した「賊軍:大日本帝国陸海軍」(さらに突きつめていえば「天皇陛下」)のためにこそ存在してきた「九段下のこの靖国神社」に参拝にいったところで,そうした日本国における軍事史上の「過去の問題」が,現在的な論点としてまともに議論できるとは思えない。

 沖縄県の普天間基地の移転先として工事が強行されている名護において進行中である沿岸海域埋め立て工事は,なんと13年先に完了予定だという。だが,それであってもあくまで予定の話であって,これからさらに完了の時期が先延ばしになるみこみが大となるほかない「難工事」が進行中である。

 そのような米軍用の基地を移転先として建設するという,現代の「米日間の軍事的な服属の上下関係」が厳在するなかで,そのアメリカ〔および中国など〕を相手にして完敗した旧日帝時代の政治感覚となんら変るところもない宗教心理をたずさえて,

 いまでは完全に「敗戦神社⇒賊軍神社」と化した「靖国神社」に「みんなで参拝すれば怖くない」の要領のつもりであったのか,そしてまた,一種の年中行事であるかのように装ってか,前掲の記事に顔を出していた国会議員たちが九段下に出向くことになっていた。

 以上のごとき「靖国参拝」を敢行してきた国会議員たちの行動・演技は,その意図や目的がなんであれ,1945年8月(9月)敗戦した日本は,1952年4月28日発効した「サンフランシスコ平和条約」と抱き合わせにされたかたちで,アメリカが日本に押しつけてきた「日米安全保障条約」をも,不可避に調印させられていた経過を忘れてはいけない。

 21世紀の現在になっても「自国がいまもまだアメリカ合衆国の実質的には支配下にある」かのごとき実情には目をつむってなのか,靖国神社の本殿の前で祈念する日本の国会議員たちの姿は,その真剣さとは裏腹に本当のところでは「大昔から滑稽話になっていた」ことに恥じるべきである。

 しかも,それが年中行事的に実行されているとなれば,「第3者的な位置」からする観方によっては,彼らのそうした国家神道的な宗教行為は,実に愚かな,それも世俗的な民間の神道とは疎遠の「単なる宗教もどきの自慰的な行動」だと,観察されてよいものであった。

 ※-2 そもそも,昭和天皇も平成天皇も令和天皇も「靖国に参拝にいけなくなっている」のは,なぜか,考えたことがないのか?

 1)  靖国参拝に批判的な新聞「社説」

 靖国神社参拝が問題になるたびにいつも,「ふたことめ」には「尊い(貴い)生命を国のために捧げた人たちの霊」を大切にしなければならないといわれる。しかしながら,この「尊い生命」「国家のために死んだのだ」という表現そのもののもつ意味は,これがまともに注目されるかたちで考え抜かれたことはない,といっていいくらい勝手に自明視されていた。

 次段において,最初に引用する『朝日新聞』2013年4月24日「社説」は,「靖国問題 政治家は大局観を持て」という見出しをかかげていた。

 つまり,昨日〔ここでは2013年4月24日の出来事〕,国会議員が超党派を組んで仲良く 168名もが雁首をそろえて,靖国神社に参拝にいった。だが,この人たちは,靖国をいったいどういうところと認識しているのかといえば,まだ断片的な発言しかなく,あいもかわらずその全体像(認識のありよう)はなにも伝わってこない。こうした問題意識は,靖国神社参拝にかかわっては,そもそもの「前提条件」になるはずであった。

      ☆『朝日新聞』2013年4月24日「社説」☆

 日本はいったい,なにを考えているのか。この国の為政者全体の国際感覚が,そう疑われてもしかたがない。安倍政権の3閣僚につづいて,与野党の国会議員が昨日,大挙して靖国神社を参拝した。

 「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」によると,その数 168人。人数の把握を始めた1987年以降で最多という。政府や党の要職にある議員たちも多くくわわった。国会議員の参拝数は,昨年の同じ時期と比べると,一気に倍増した。

 隣国の神経を逆なでする行動が流行のように政治家に広がることを憂慮せざるをえない。参拝問題をめぐる日韓の摩擦の再燃について,米国務省の報道官も「対話で違いを乗り越えてほしい」と苦言を呈した。

 自民党の高市早苗政調会長は「外交問題になるほうが絶対おかしい」と語ったが,それはあまりにも独りよがりの発想だ。外交とは,国同士の相互関係で紡ぐものであり,一方が問題ないと片づけることはできない機微にふれる問題なのである。歴史問題をめぐる政治家らの思慮を欠く対応は,私たち日本自身の国益を損ねている。

 補註)この高市早苗という,自民党の,うっかり発言をしがちなこのオネエサン議員,マスコミに露出されたときのその発言を聞いただけでも,この人,国会議員としての最低限の常識というか一般教養じたい,もちあわせているのか(?)と心配にさせる人であった。いっている発言はまるで子供並みで,知性のカケラさえ探しだすことはむずかった。

右側の稲田朋美は防衛省大臣を務めたことがある
「ヒールの高さ」のある靴を履いて軍艦に乗艦してので
ヒンシュクを買っていたが・・・

 2014年「9月3日の〔安倍晋三〕内閣改造で総務相に就任した高市早苗氏ら自民党の国会議員3人が,ネオナチ団体の代表と写ったツーショット写真が物議をかもしている」。『47 NEWS』(『共同通信』の電子版報道)がそう報じていた。

〔社説本文に戻る ↓ 〕
 北朝鮮に対する日米韓のスクラムでは,日韓のパイプが目づまりしてきた。さらに歴史問題がこじれれば,軍事情報の交換をめぐる懸案の協定も結べず,チームワークは進まない。

 日中韓をめぐっては,自由貿易協定論議が遠のくだけではない。日本を置いて,韓国は中国への傾斜を強めている。来月に外遊を始める朴 槿恵(パク・クネ)大統領はまず米国を訪れ,そのつぎは日本ではなく中国を考えている。歴代政権で異例のことだ。

 北東アジアの多国間外交において,日本の孤立を招きかねない事態を,安倍首相はじめ政治家はどう考えているのか。首相が立て直したと自負している米国との関係も誤解してはならない。

 オバマ政権は従軍慰安婦問題をめぐる「河野談話」の見直しや,尖閣諸島問題をめぐる不用意な言動を控えるよう安倍政権に警告してきた。国内の一部の感情を優先して近隣外交を揺らすような日本の姿は,米国にとっても信頼に足る同盟国とはいえない。

 だからこそ安倍首相は2月の訪米時に,アジアとの関係を重んじる決意を誓ったのではなかったか。「地域の栄えゆく国々と歩みをともにしてゆくため,より一層の責任を負う」と。なによりも肝要なのは,中国,韓国との信頼関係づくりに歩を進めることだ。国を思うなら真の大局観を失ってはならない。(「社説」引用終わり)

 2)「安倍外交,強気シフト 首相,中韓反発に不信感 靖国参拝・尖閣問題」『朝日新聞』2013年4月24日朝刊

 安倍政権と中韓両国との関係が,にわかに揺れはじめた。〔2013年〕4月23日には過去最多規模の 168人の国会議員が靖国神社に集団参拝。一方で沖縄県の尖閣諸島周辺ではこの日,中国の海洋監視船8隻が相次いで領海に侵入し,韓国の反発も収まらない。安倍晋三首相が封印してきた強硬姿勢の「安倍色」が頭をもたげ,日本外交は難しい局面を迎えている。

 イ)「側近『配慮,何にもならない』」
 「相手に『上陸できるかもしれない』と思われる姿勢は結果的に上陸を招く。断固たる対処をしていく」。4月23日の参院予算委員会。安倍首相は中国船の領海侵入への批判を強めた。今〔4〕月10日に合意した日本と台湾の漁業協定では,これまで「漁業秩序の維持」(菅 義偉官房長官)と説明してきた狙いについて「尖閣諸島をめぐり(台湾が)中国と連携しない立場を表明したことも踏まえた」と指摘。

 戦後50年の1995年に村山富市首相(当時)が植民地支配や侵略への反省とおわびを表明した「村山談話」についても「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国の関係でどちらからみるかで違う」と述べるなど,「安倍色」のテーマでつぎつぎ々と踏みこんだ。

 補註)安倍晋三の「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国の関係でどちらからみるかで違う」という意見は勇ましいが,定説がないわけでなく,とりわけ外交上の言辞としてはあまり賢くない。旧日本帝国主義時代における強引な理屈とまったく変わりなく聞こえる発言である。

アベに全世界を壊す実力はそれこそ「およびでなかった」けれども
日本じだいを壊すためには最大限の関与・貢献をした

すでに結果は出ているとおりであり
この国を完全にダメにした

 安倍晋三はまた,侵略かどうかは「俺たちのほうで」定義し,決めればいいのであって,他国にとやかくいわれる筋合はない,といいたいのである。侵略という言葉の定義が定まらねば,なにも進展しないかのような口ぶりであるが,岸 信介の孫に当たる政治家にしてはまだまだ「黄色い嘴(くちばし)」の思いつき的な発言が目立つというほかない。

〔記事本文に戻る ↓ 〕
 参院選までは封印するはずだったのに,強硬な姿勢に傾いた背景には中国や韓国に対する不信感がある。首相は外交への影響を避けるため,供え物の「真榊(まさかき)」を奉納することにとどめて「みずからは参拝しない意思表示」(首相周辺)をしたつもりだった。

 ところが,韓国は首相の真榊奉納や麻生太郎副総理の参拝を問題視。日韓外相会談を先送りするなど反発を強めた。配慮しても相手のペースに引きこまれるとの疑念を首相は募らせたとみられる。首相側近は首相の思いをこう代弁した。「配慮してもなににもならない。どうやってもあれこれいってくる」。

 補註)これは政治家の発言とも思えない表現である。「配慮しても・どうやっても,あれこれいってくる」のが,外交・通商においては日常茶飯事の出来事ではないのか?

 政治・外交の「このイロハに属することがら」からして,すべて認められないと強弁する「このお坊っちゃま政治家」の国際的耐性には,だいぶ問題がありそうである〔というか〕,2024年の段階になったところでは,すでにこの世に存在しない晋三とはいえ,忌憚なくいうが「▼カ丸出し」の強硬発言」であった。

 こんな出来損ないの「世襲3代目の政治屋」が日本国の外交にたずさわていたのだから,その後,アメリカのトランプやロシアのプーチンにはいいように「小馬▼」にされつづけてきた。政治家になってはいけない世襲のぼくチンが首相になったのだから,この国が傾くのは必然のなりゆきになっていた。

〔記事に戻る→〕 強硬姿勢は政権全体に広がる。外相会談延期のきっかけをつくった麻生氏は〔2013年〕4月23日の記者会見で「海外の反応は向こうの反応であって,それによって外交に影響が出ることはあまりない」と強気。超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」もこの日,本人出席の確認を始めた1987年以降で最多となる168人が参拝し,そのうち 132人が自民党だった。

 政権内にも「国会議員は内外にどういう影響を与えるかをとらえながら行動することが求められる」(公明党の山口那津男代表)と自制を求める声はある。ただ,ブレーキ役にはなりえていないのが実情だ。

 補註)公明党は本来,与党内に存在する意義も価値もなかった(与党内に留まっている状況にはそれだけの事情=利便があるのだが)。小判鮫のように自民党のへその下にへばりついて,創価学会(この組織はたしか宗教法人?)のいいつけを守る役に徹することが最重要の党務であるこの政党に,なにかを期待することは初めから「ないものねだり」。

 ロ)「関係修復の糸口みえず」
 安倍首相は昨年末の就任後に東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国や米国,モンゴルを歴訪。尖閣諸島をめぐり対立する中国を意識して足場を固めてきた。ただ,肝心の東アジア外交で足踏み状態がつづく。

 〔2013年〕4月23日の参院予算委員会で,首相は中国に対して「対話のドアは常にオープン。会うか会わないかを外交交渉のツールにすべきでない。焦っているわけではありません」と主張。対話に応じないのは中国だ--との思いをにじませた。

 補註)「会うか会わないかを外交交渉のツールにすべきでない」という外交認識からして,そもそも「アウト」である。実際にはどの国もこのツール(交渉術の初歩手法)は常用している。スタートラインに関する問題からして,早々と実質では,強がっているつもりが,本当は降参したかのような安倍晋三の発言であった。

〔記事に戻る→〕 日中対話の再開を探っていた場は,毎年恒例の日中韓首脳会談だった。今〔2013〕年の議長国は韓国で,会場はソウル。日中首脳が接触できるはずが,中国は尖閣問題を背景に韓国が打診した5月下旬の開催に難色を示し,先送りになった。日韓関係でも誤算が生じる。

 韓国は日中韓会合がむずかしいとみて,今週末に東京で日韓外相会談を開くことを打診。朴 槿恵(パク・クネ)大統領の就任後は初めてで,日本側は「竹島問題でこじれた関係修復のきっかけに」と期待したが,靖国神社への閣僚参拝を理由に流された。首相周辺は「一度こういう理由で会談を流したら,今後も同じことが起こる。いつまでも会談ができなくなる」と不満を漏らした。

 補注)外交交渉とはセールスと基本的には同じ要領でおこなうほかない点を,この安倍晋三君はまさかしらなかったとは思いたくないが,やはりこの「世襲3代目の政治屋」は政治家としては形成不全のまま首相になっていたらしく,やること・なすことすべてが「失敗・誤作」の反復であった。

〔記事に戻る→〕 中韓両国と閣僚級での対話ができないため,挑発を重ねる北朝鮮への対応の協議は深まらない。〔2013〕4月14日の日米外相会談で韓国との連携が大事だと確認したばかりなのに,深刻な状況だ。中韓との関係修復の糸口として「北朝鮮問題を日中韓の求心力に」(外務省幹部)という思惑も外れた。

 首相は今月末にロシアを訪問し,北朝鮮問題や対中関係について,プーチン大統領とも連携を探る。だが,別の外務省幹部は「ロシアは日中に対してバランスをとり,北朝鮮問題では中国にならう」とみており,そう簡単ではない。政権は当面,日韓関係の修復を優先する。

 ただ,首相は〔2013年4月〕22日の参院予算委員会で,朴大統領との会談について「日中韓首脳会談に中国が出席するかどうか。もし順調におこなわれれば,そこをとらえて実現したい」と答弁。見通しが立たない日中韓の会合に頼る姿勢に,手詰まり感がにじむ。

 ハ)「中国,強く批判」
 「日本の向かう先はアジア隣国を強く警戒させる。みずからを孤立に追いこむのをやめよ」。中国外務省の華 春瑩副報道局長は〔2013年〕4月23日の会見で,靖国参拝を強い口調で批判した。中国政府は安倍氏が前回の首相在任時,中国を訪れ関係改善につなげた実績を評価し期待もかけていた。

 しかし,2月の米紙インタビューで,共産党政権の正統性が揺らいでいるといった中国に批判的な発言が紹介されたり,閣僚の靖国参拝を黙認したりしたことで「中国を逆なでする発言や,本質的に右翼的な政治信念がむき出しになりつつある」(政府系シンクタンク幹部)と不信感を強めている。

 尖閣諸島で4月23日,中国国家海洋局が日本領海に入れたのは,最大級の「海監50」を含む過去最多の海洋監視船8隻。同局は,日本の政治団体が尖閣諸島に近づいたことへの対抗措置と強調し,「右翼分子の企てをくじいた」とした。「頑張れ日本! 全国行動委員会」(田母神俊雄会長)などが尖閣周辺を船で航行したことを指すとみられる。外務省も日本側に「強烈な抗議」を伝えた。

 野田前政権の尖閣国有化以来,中国政府は日本の実効支配に挑む構えを強めている。主権問題をめぐる日本への反発に歴史問題がくわわれば,中国政府により強硬な対応を求める国民の声も強まりそうだ。一方,韓国外交省の趙 泰永(チョ・テヨン)報道官もこの日の会見で靖国参拝を批判。「絶対譲れない原則がある。歴史問題では確固とした立場がある」などと述べた。

 

 ※-3「新藤総務相が靖国神社参拝 現政権閣僚で初」『朝日新聞』2013年4月21日,http://digital.asahi.com/articles/TKY201304200480.html?ref=comkiji_redirect&ref=reca

 新藤義孝総務相が〔2013年〕4月20日,東京都内の靖国神社を参拝した。新藤氏は朝日新聞の取材に対し,「私人として参拝した」と語った。第2次安倍内閣で閣僚の靖国参拝が明らかになるのは初めて。靖国神社では4がう21日から春季例大祭が始まり,安倍晋三首相は神前にささげる供え物「真榊(まさかき)」を奉納する意向だ。
 
 『朝日新聞』2013年4月22日の記事「『侵略戦争を肯定,絶対許せない』共産・志位和夫委員長」は,日本共産党の志位委員長がつぎのように語ったと報道していた。

 「安倍内閣の閣僚による靖国参拝がおこなわれ,安倍晋三首相が真榊を奉納するということが起こった。靖国神社は,過去の日本軍国主義による侵略戦争が,自衛の正義の戦い,アジア解放の戦争だったと丸ごと美化することを存在理由とし,宣伝をおこなっている特殊な神社だ。肯定する立場に身を置くものであり,絶対に許されない。アジア諸国志位和夫ポスター画像との関係でも決定的に悪くする方向に働くものだ。こういう行為をやめるよう強く求めたい」(国会での記者会見で)

『朝日新聞』2013年4月22日

 日本共産党は現在,天皇・天皇制の存在を認めているが,この政党の立場,とくに歴史から回顧してみれば,天皇制度はとうてい「許されうるような」政治機構のあり方ではない。

2024年からだと11年前のポスター
志位和夫の顔はいまみる印象とはだいぶ異なる感じもある

 上に紹介するポスターには「憲法を生かし政治を変える」と謳われているが,憲法第1条から第8条までを「生かす」のが,日本共産党本来の政治的理念・目的でありうるわけがない。

 1945年8月までの日本帝国主義が,天皇の名のもとに,日本共産党にくわえてきた弾圧と粛清の長い歴史を忘れたわけでもあるまい。さらには,21世紀の時代であっても,靖国批判が天皇批判になる事実も,まさか共産党委員長がしらないことはあるまい。

   ★ 中国TV「日本政界の右翼化示す」議員靖国参拝を報道 ★
        =『朝日新聞』2013年4月23日報道 =

 中国国営中央テレビは〔2013年〕4月23日午前,日本の国会議員による靖国神社集団参拝をNHKの映像付きで伝え,「日本政界の右翼化傾向を示す動きだ」と強い警戒感を示した。 

 同テレビの東京特派員は「参拝者のなかには,これまで右翼的とはみなされていなかった議員も含まれている」と伝えた。同テレビは「参拝には,7月の参議院選をにらんで有権者の支持をえようとする狙いがある。中日関係がさらに悪化するのは必至だ」と分析。

 日本の政府内やメディアからも反対の声が出ていると伝えた。韓国メディアも参拝を相次いで伝え,「日本の閣僚や議員の右傾化で,韓日関係の緊張が高まりそうだ」などと論評した。

『朝日新聞』2013年4月23日

 補注)※-1で前掲してあった画像は,同年10月の靖国神社秋季例大祭に集団で参拝に出向いた国会議員たちを撮影したものであった。「赤信号,みんなで渡れば怖くない」の要領だったのか?
 

 ※-4「閣僚参拝,中韓は硬化『首相見送り』奏功せず靖国神社例大祭」『朝日新聞』2013年4月23日朝刊

 靖国神社の春季例大祭〔2013年4月の〕にあわせた安倍内閣の閣僚参拝が波紋を広げている。とりわけ政権ナンバー2の麻生太郎副総理兼財務相の参拝を理由に,韓国外相が今週末の訪日予定をとりやめ,中国外務省が抗議を発表。安倍晋三首相による参拝の見送りで「配慮」を示すという思惑は空振りし,関係改善はさらに遠のいた。
 
 1) 日本,麻生氏に予想超す反発

 「安倍政権はいくともいかないともいわない。個人の参拝は信教の自由。政府が立ち入る問題ではない」。参院選までは外交問題化する参拝を避け,閣僚の参拝は自粛させずに国内の保守層に配慮。菅 義偉官房長官は4月22日の記者会見で靖国参拝に対する安倍政権の方針をあらためて強調した。

 政権幹部は「首相,外相,官房長官は強い反発を受ける」とし,この3者の参拝を外交問題化すると位置づけた。靖国神社では4月21日に春季例大祭が始まったが,第1次内閣で参拝できなかったことを「痛恨の極み」とする安倍晋三首相は参拝を見送り,供え物鉢植え榊画像「真榊」(サカキの鉢植え)の奉納にとどめた。一方で新藤義孝総務相や古屋圭司拉致問題相,麻生氏の3閣僚は参拝した。

 首相は麻生氏や古屋氏から事前に参拝の意向を伝えられていたが黙認。ただ,2月の大統領就任式で朴 槿恵大統領に「(歴史問題は)未来志向の両国関係の発展を阻害している」とクギを刺された麻生氏に対する反発は予想以上だった。日韓外相会談が流れると,外務省内からは「韓国はこれまで中国ほど反発しなかったのに」とため息が漏れた。

 日中友好議員連盟の会長を務める高村正彦自民党副総裁は〔2013年〕5月1~3日に予定していた訪中の中止を4月22日に発表。会談を求めていた李 源潮(リー・ユワンチャオ)国家副主席側から「地方におり,会談はむずかしい」との回答が午前中にあったという。

 5月3日にはインドのニューデリーで日中韓財務相中央銀行総裁会議が開かれる。この場で日韓財務相会談を開く調整をしているが,当事者の麻生氏だけに財務省幹部は「どうなるか分からない」と指摘する。

 首相周辺は「終戦記念日も秋の例大祭も閣僚参拝はつづくだろう。いつまでも会談できなくなる」と漏らすが,挑発を繰り返す北朝鮮への対応には韓国や中国との連携は欠かせない。菅氏は会見で「影響を外交に及ぼすべきではない」と牽制。

 政権内には「もし明日,北朝鮮からミサイルが飛んできたら連携する」と楽観的なみかたも広がる。一方,野党第1党である民主党の海江田万里代表は4月22日の会見で「大局的な立場で判断していただきたい」と述べるにとどめた。昨〔2012年〕8月15日には政権与党だった民主党の2閣僚が参拝したこともあり歯切れが悪い。この日の参院予算委員会では,今回の閣僚参拝に関する質疑は一切なかった。

 2)「中国『高村特使』受け入れず」

 中国外務省の華春瑩副報道局長は〔2013年〕4月22日の定例会見で「靖国神社(への参拝)は,日本の執政者が軍国主義による侵略の歴史を正しく認識し,対応できるか否かの問題だ」と反発。日本側に「厳正な申し入れ」をしたことを明らかにした。

 この日,中国側が安倍政権とのパイプ役を期待してきた高村正彦自民党副総裁の訪中中止も決まった。四川省で起きた地震の対応に,中国が国を挙げてとり組んでいるさなかの参拝でもあり,国民レベルでも日中関係が一層冷えこみそうだ。

 中国政府は,安倍政権の閣僚による参拝は織りこみ済みだったようだ。中国側は安倍政権発足後,高村氏が首相「特使」として訪中することを望んだ時期もあった。だが,日中関係筋によると,中国は今回,高村氏の「特使役」を拒み,習 近平(シー・チンピン)国家主席や李国家副主席らとの会談に応じていなかった。その中国も,麻生氏の参拝までは予想していなかった。

 中国は「副総理まで参拝するとは。これ以上,中日関係をこじらせるつもりか」(対日政策関係者)と憤慨しており,一層態度を硬化させるのは確実だ。中国外務省幹部は,参院選後の安倍政権が中国にさらに強い姿勢に出てくるとの懸念を深めつつ,「現実的な課題は,いかにいまの緊張状態をコントロールするかだ。関係改善をめざすような環境にはない」と話す。

 3)「韓国 外相の訪日中止し非難」

 「日本政府が歴史の正しい認識を土台に,責任ある行動をとることを強く求める」。韓国外交省の趙 泰永(チョ・テヨン)報道官は4月22日,厳しい表情でこう語った。

 複数の韓国政府関係者によると,今週末に予定した尹 炳世(ユン・ビョンセ)外相の訪日の中止を決めたのは〔2013年〕4月21日。この日の麻生氏の参拝を受けての決断で,日本政府にもそう伝えた。韓国政府高官は「(歴史認識問題をめぐる対処の)原則をきちんとみせつけなければならない」と述べた。

 韓国側は,首相,官房長官,外相ら重要閣僚が参拝すれば,なんらかの対応をせざるをえない考えを日本側に事前に伝えていたという。別の韓国政府関係者は「副総理も当然,その対象だ。一般の閣僚とはわけが違う」と語る。日韓関係は当面冷えこみ,外相会談や首脳会談も見通しが立たない。

 一方で尹氏は4月24日に訪中し,朴大統領も5月上旬に訪米する。今回の日韓外相会談も元々,北朝鮮問題などを協議したい韓国側が提案したものだった。韓国政府関係者は「韓日で話し合うべきことが山積しているのも事実。だからこそ,日本側がもう少し誠意のある姿をみせるべきだ」と述べた。
 
 補註)安倍晋三は「侵略」の定義(自分でこれをおこなっているわけではないが)にこだわり,中国・韓国側は「正しい歴史認識」にこだわっている。どちらもどちらという印象は回避できない。しかし,これまでの日中・日韓の外交関係のなかで,2国間が政治的に重ねてきた「工夫なり約束ごとのような合意」を,一方的に踏みにじっていたのが日本側であった。

 とくに,安倍晋三首相と麻生太郎副総理の〈迷コンビぶり〉が問題になっていた。この2人の発言を聞いていると,政治家としてよりも以前に「人間としての幅の欠如,懐の深さ:奥行きの完璧なまでの〈なさ〉」がめだち,政治家として必要な最低限の交渉術すら備えていない人物のように感じてならない。要するに,この2人とも「お子さま政治家」の面目躍如なのである。

 4)「靖国と韓国 外相の訪日中止は残念だ」『産経新聞』2013年4月23日「社説」

 安倍首相が奉納した真榊は,祭場を装飾する供え物だ。以前は,首相の靖国神社参拝と真榊奉納が普通におこなわれていた。首相自身,第1次安倍内閣の平成19〔2007〕年4月に奉納し,麻生氏も首相だった平成20〔2008〕年10月と21〔2009〕年4月に奉納した。靖国神社にまつられる戦死者の霊に哀悼の意をささげる行為だ。

 靖国神社には,古屋圭司国家公安委員長と加藤勝信官房副長官も春の例大祭に合わせて参拝した。新藤義孝総務相は例大祭前日の〔2013年〕4月20日に参拝した。古屋氏は参拝後,「国のために命をささげた英霊に哀悼の誠をささげるのは国会議員として当然だ」と述べた。民主党前政権では,閣僚に靖国参拝の自粛が求められた。安倍首相は各閣僚の自由意思に委ねた。当然の対応である。

 戦死者の霊が靖国神社にまつられ,その霊に国民が祈りをささげるのは日本の文化であり,伝統だ。外国は日本人の心に介入すべきではない。内政干渉しないことは両国関係の基本である。

 補註)〔が,しばらく以下( ↓ )につづく〕

 靖国参拝賛成派がよく口にする反論のためにもちだす理由づけが,靖国参拝が「日本の文化とか日本人の心である」という,国粋主義的・単一民族観的・排外主義的な視点そのものが斜視したみかたであった。同じ日本人でも靖国に反対する人はいる。

 ましてや「日本人の心」という文句を出せば,日本人・日本民族のすべてを括れるかのような発想じたいがすでに,普遍性をめざしても議論すべき相互間の対話じたいを不可能にさせる発想であった。

 とりわけ「国のために命を捧げた英霊」という決まり文句も陳腐に過ぎる。日清戦争の勝利から大東亜戦争の敗北まで,国のために命を落とした人びとを〈英霊〉といっているのは,「国家の論理」の立場・イデオロギーのほうからする理屈であった。

 本当・本心では「〈英霊〉にならないで生きて」いてくれたほうが絶対によかった,と思ってきた帝国臣民のほうが絶対的に多数派であった。天皇陛下万歳といって死んでいった兵士は,まさしくそのように,死ぬまぎわに「ウソをいえる余裕があった」に過ぎない。

 ごくふつうには天皇陛下万歳とは唱えずに,ただ「お母さん」とか「女房・子供の名」を叫んで死んだのである。あるいは戦場で餓死した多くの日本帝国の兵士は,天皇陛下万歳など叫ぶ力もなく,その場でただ野たれ死にさせられたのである。

 それこそ「犬死に」し,命を「無駄に捨てされられて」死んでいった日本軍の将兵が,全戦死者の過半を占めていた。南方の戦場に兵士を送る船が,アメリカの潜水艦による魚雷攻撃を受けてしまい,兵士たちが海の藻屑にされていた。その数,何万人何千人何百何十何人いたか?

 この人たちが死んだら〔手続きは踏んでいるものの〕とたんに「英霊になって靖国に祀られる」というのである。だが,誰がそのようなことを望んだのか!? 英霊の一言で片づけられるような戦争の問題ではなかったところの,1人1人の大事な命の問題が大本にはあったはずである。

 戦争で殺された帝国臣民たちのめいめいに対して,その「殺し文句:英霊」を使い,靖国神社の祭壇では「2度もその尊い命を殺している」ような悪さをしつづけいる。そもそも,帝国臣民の命のあつかい方は,実際においてはわずかも尊さがなかったではないか。

 事実で考えようではないか。兵士1人の命の三八式銃菊紋章値段は1銭五厘だといわれていたのではなかったか? 三十八式小銃1丁よりも「尊い命」ではなかったのが陸軍歩兵の評価であった。

 しかも,この武器に刻印されていた〈菊の紋章〉に傷を付けたりしたら,死ぬほどに殴打された。軍馬1匹よりも人間1人のほうが下にみられた。これが兵士の命の真価値とされたのではなかったか?

 ただ,戦争〔戦地・戦場〕においてそのようでも死んでいった兵士たちは,ともかくみな〈英霊〉ということにしておき,天皇みずから親祭する靖国神社に祀られているわけである。このばあい,そうはいっても,約250万人分もがゴッチャにされ,九段の祭壇にいっしょに押しこまれいている。

 だから『合祀』というのである。しかしそれでも,靖国においては「元皇族2名の霊は別格に1柱」としてとりあつかわれ,その他大勢の庶民(平民)=246万6千人分たちも同じに「1柱のあつかい」ということになっていて,なおかつこの状態も合祀だと表現している。

 一方に「皇族の2名を霊」をまとめて1柱とし,他方に「平民(帝国臣民だった)246万6千人分の霊」もすべてまとめて1柱としている。そしてこの2柱が合祀されているという。これはまた,ずいぶんな「人間への差別ならぬ〈霊にまでもちこまれた差別〉そのもの」だというほかない。

 日本全国どこにでもある神社で,祭神が万単位で祀られている神社などない。たいていは1神だけの神社が多いが,複数の神を祀っているところもけっこうある。たとえば,北海道神宮の祭神は,以下の3名(神?)である。

  大国魂神 (おおくにたまのかみ)
  大那牟遅神(おおなむちのかみ)……これは,大国主命〈おおくにぬしのみこと〉の別名)
  少彦名神 (すくなひこなのかみ) 明治天皇 (めいじてんのう)

〔「社説」本文に戻る ↓ 〕
 安倍首相は今月の予算委員会で靖国参拝について「私が指導者として尊崇の念を表することは国際的にも当たりまえのことだ」と述べた。

 終戦の日の〔2014年〕8月15日や秋の例大祭の首相参拝を期待したい。安倍首相が奉納した真榊は,祭場を装飾する供え物だ。以前は,首相の靖国神社参拝と真榊奉納が普通におこなわれていた 註記)。

 首相自身,第1次安倍内閣の平成19〔2007〕年4月に奉納し,麻生氏も首相だった平成20〔2008〕年10月と21年〔2009〕4月に奉納した。靖国神社にまつられる戦死者の霊に哀悼の意をささげる行為だ。

 補注)この「以前は首相の靖国神社参拝と真榊奉納が普通におこなわれていた」という指摘は,正確ではない。鳩山一郎首相と石橋湛山首相は,在任中参拝していない。この「普通におこなわれていた」という表現上の工夫は『産経新聞』流のいいまわしであり,〈ゴマカシの要素〉を密輸入させておくため用法であった。

 補注)「靖国神社に参拝した歴代首相」についてその一覧表。

◆ 安倍晋三は意外と根性がない ◆

安倍晋三は歴代首相のなかで最長の首相任期期間を
誇ったにもかかわらず
たった1回しか靖国神社に参拝に出向いていない

ただしだいぶ前段に出ていた『産経新聞』の記述
すなわち首相は外交への影響を避けるため
供え物の「真榊(まさかき)」を奉納することにとどめて

「みずからは参拝しない意思表示」(首相周辺)をした
つもりだったというふうに参拝に替えた行為には
完全なる〈まやかし〉が含まれていた

その点は靖国神社の当事者が告白していた事情であり
真榊の奉納は『参拝としての行為の意味』をそのまま意味するものゆえ

ここで引用してみた『産経新聞』の記事が
「安倍首相が奉納した真榊は,祭場を装飾する供え物だ
と説明した段落は虚偽に相当する

 靖国神社には,古屋圭司国家公安委員長と加藤勝信官房副長官も春の例大祭に合わせて参拝した。新藤義孝総務相は例大祭前日の〔2013年〕4月20日に参拝した。古屋氏は参拝後,「国のために命をささげた英霊に哀悼の誠をささげるのは国会議員として当然だ」と述べた。民主党前政権では,閣僚に靖国参拝の自粛が求められた。安倍首相は各閣僚の自由意思に委ねた。当然の対応である。

 補注)戦前・戦中,外務省の外交官が通常の職務遂行中に命を落としても,靖国神社へ合祀すべき対象とはならない。ここでは,戦争の問題に靖国が直結させられている「戦争⇔勝利⇔督戦」性に留意しておく必要がある。

 靖国に合祀されたA級戦犯(板垣征四郎 ・東條英機・松井石根・土肥原賢二・木村兵太郎・廣田弘穀・武藤 章・梅津美治郎・小磯国昭・東郷茂徳・永野修身・松岡洋右・平沼騏一郎・白鳥敏夫)

という14名のなかには,合祀されるべき対象になりえないはずの人物たちが混じっていた。昭和天皇はとくに,松岡洋右と白鳥敏夫という,日独伊三国同盟(1940年9月27日)を締結させたこの2人を嫌っていた。

処刑されたA級戦犯について

 靖国神社に合祀されてきた対象は,大別すると以下のように分類できる。なかでも d) は,敗戦後にとって付けたかのように追加されていた範疇である。これは,靖国の本旨から外れた合祀の強行を意味していた。

 この合祀の履歴からも,靖国神社の「勝利用・官軍用国営神社」である基本性格が観取できるはずである。しかもこの d) は,「敗軍:賊軍の将官や政府要人」を合祀していたために,靖国神社が本来有する国家神道的な有意味性を破壊する結果を生んでいた。

  a) ペリー来航(1853年)以降,いわゆる「尊王」運動によって命を落とした人びと。
  b) 明治維新・鳥羽伏見の戦い以降に戦地で死んだ軍属の人びと。
  c) 軍のために作戦等に協力して死亡した民間人。
  d) 戦後処理によって刑死した人びと。

  註記)「靖国神社に合祀される人々ってどういう人?」『小説家になろう』http://ncode.syosetu.com/n3626bx/2/ 参照。

靖国神社に合祀される人びと

〔「社説」本文に戻る ↓ 〕
 戦死者の霊が靖国神社にまつられ,その霊に国民が祈りをささげるのは日本の文化であり,伝統だ。外国は日本人の心に介入すべきではない。内政干渉しないことは両国関係の基本である。安倍首相は今月の予算委員会で靖国参拝について「私が指導者として尊崇の念を表することは国際的にも当たりまえのことだ」と述べた。終戦の日の8月15日や秋の例大祭の首相参拝を期待したい。
 
 補註)さすがに,安倍晋三応援団みたいな『産経新聞』社説の論調であった。しかし,靖国参拝について「私が指導者として尊崇の念を表することは国際的にも当たりまえのことだ」という安倍の見解は,見当違いである。国際普遍的な論点と日本特殊事情との識別が,まったくできていなかった妄説である。

 日本なりに特殊性・個別性・例外性を固有にもっている国家神道式の靖国神社による「〈英霊〉追悼」のありかたについて,諸外国のありかたとの比較・検討もろくにしないままで,そのように「当たりまえ」というのは短見もいいところであった。安倍晋三のように,こうした「当たりまえ」感を披瀝したところで,かえって稚拙・未熟な歴史認識(決定的な勉強不足)を暴露したことにしかならなかった。

 いま問われねばならないのは,日本国総理大臣の安倍晋三と副総理大臣の麻生太郎という2人物の資質であり,やはり「世襲政治家の軽さ」ばかりが目立ちはじめている。この春の政治模様,さきが思いやられる。

 

 ※-5「〈天声人語〉靖国参拝と日中韓」『朝日新聞』2013年4月24日朝刊

 閣僚の靖国神社参拝が問題になるたびに,いにしえの「名判決」が思い浮かぶ。実際にあった判決ではない。シェークスピアの劇「ベニスの商人」で下される,「胸の肉を切りとってもよいが,血は一滴も流してはならぬ」である。

 ▼ 参拝のつど,「公人か私人か」が問われる。今回,安倍内閣は「私的な参拝」との認識を示した。「個人の心の問題」というのはその通りだろう。だが重責の大臣から,私人という「胸の肉」だけを,そうすっぱりと切りとれるものだろうか。

 ▼ とりわけ靖国参拝は,心の問題ながら,相手のある問題である。自国のことに何の遠慮がいるものか。そう思っても,他国への想像を欠いた考えは,国境へゆき着いたとたんに力を失う独善にほかなるまい。

 ▼ 不幸な歴史を背景に,この問題じたい,切れば血が出る。中国と韓国は態度を硬くした。中韓のもろもろのナショナリズムにも辟易するが,不仲と不信が高じるのは芳しくない。北朝鮮の独裁者を喜ばせることにもなる。

 ▼ ずいぶんまえに,〈戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ・・・〉の詩でしられる戦没兵竹内浩三のお姉さんに話を聞いた。話が「侵略」に及んだときの,静かな言葉がいまも胸に残る。

 ▼ 「やはり自分の意思ではなくても,フィリピンまでいって戦っているのですから。自分も死んでますけれど・・・」。他国の人に思いをいたしつつ亡弟に寄せる深い哀惜に,目頭を熱くした。毎度お騒がせの閣僚や議員の参拝が,どこか薄っぺらにみえてくる。

 --ところで,太平洋戦争中のフィリピン戦線では,いったいどのような戦争の現実が起きたか。

 安倍晋三や麻生太郎は,久田栄正・水島朝穂『戦争とたたかう-憲法学者のルソン島戦場体験-』日本評論社,1991年(岩波書店から文庫版で再販されている)や,守屋 正『フィリピンの人間群像』勁草書房,1978年の1頁でも読んでみたらよい。フィリピンでも「人肉食の事実があった」という話が出てくる。

 ガダルカナル島を戦場にした日本軍の戦闘状態もそうであったが,戦場で無為に餓死していった兵士が,そのあと日本国内の靖国神社において「英霊になった」ところで,その・どの・「誰が喜ぶ」とでも,本当に思いこんでいるのか? 

 とんでもない勘違いである。

 しょせんは,生きている者たちが,あの戦争などのとき「犬死にさせられ,無駄な死を強いられた兵士たち」の不幸な結末に関する,いいかえれば,その国家側が追うべき固有の責任をごまかそうとしているだけである。彼ら:英霊はすでに「死人に口なし」である。

 靖国神社は,その後において「生ける者たち」側が「その死者たち」を「国家の利益のために利用する」ための,国営の神道神社であった。明治時代にこの神社が登場した事情は,その経緯を正直に物語っている。

 靖国神社は,戦争が〈産んだ死者〉を英霊化させるための「宗教的な聖化手順」を用意した宗教施設である。この神社はさらに,いまいる「生者を戦地に送りこむ」ためにこそ,その死者を英霊に祭りあげて「活かそうとする」のである。その意味でいえば,この神社は戦争用に創設された「悪知恵装置」である。

 

 ※-6「春秋」『日本経済新聞』2013年4月24日朝刊

 物言いはズケズケ,ちょい悪ファッションで若者にも人気--といえば副総理で財務相の麻生太郎さんである。黒いソフト帽を目深にかぶった図など日本の政治家らしからぬカッコよさを漂わせ,海外でもなかなかの存在感だという。首相を務めた人の余裕でもあろう。

 ▼ かように注目される大物なのだから,ここは自重する手もあったはずだ。しかし遠慮は美徳ならざるのが麻生流か,春季例大祭にあわせて靖国神社を参拝し,中国や韓国の反発を招いている。一般閣僚の参拝には批判を控えてきた中韓も,こういう目立つ人を相手に黙っていては自国民にも示しがつかないのかもしれない。

 ▼ これだけ諍(いさか)いのもとになる「靖国」だが,昨日は国会議員168人が集団参拝した。それぞれに思いはあろうし,麻生さんのふるまいと同一視することはないけれど,やはりなんかと靖国は悩ましい。日本を破滅の淵に追いやったA級戦犯合祀の事実はとりわけ重く,昭和天皇もそれゆえに参拝を避けられるようになった。

 補注)すなわち,昭和天皇はアジア各国からの批判を気にして靖国参拝を止めにしたのではない。あくまで,1978年10月17日に実行されたA級戦犯の合祀という事実,それまでにおける国内事情の推移,さらには東京裁判の結果をも加味したうえで下したのが,その判断であった。

 また,このコラム「春秋」が「日本を破滅の淵に追いやった……事実」に言及するのであれば,昭和天皇自身が旧大日本帝国のなかではもっとも深く関与した人物であった「事実」を見逃すことはできない。「その人がなぜ?」という論点はここでは触れないでおく。

〔記事に戻る→〕 ▼ 心静かに,戦没者の霊に向き合いたい国民はたくさんいるだろう。なのに政治に翻弄されてそのための場がみえないとはなんという不幸か。そういえば麻生さんはかつて,靖国を特殊法人に改組する案を公表したことがある。参拝で波風を立てるより,あらためて靖国のありかたを問うてみたほうが天下の副総理にふさわしい。

 --この日本経済新聞の靖国観も興味深い。靖国を否定する論旨はむろん全然ない。かといって,麻生太郎の参拝に関する「いろいろなまずい事情」の介在については指摘し,控え目に批判している。結局,昭和天皇がA級戦犯が合祀されて以来,靖国に参拝にいけなくなった理由は複雑である。

 本当は九段にいきたい天皇裕仁氏ではあったけれども,自分の身代わり〔ある種の人身御供〕になってくれた東條英機などが合祀されたあとの靖国神社にいって,自分が拝礼(親裁・祭祀)したら,

 日本の極右・保守・国粋・反動の立場の人間がヒドクこだわる「大東亜戦争肯定論」を「否定すること」に「なること」を,彼は十二分に承知していた。

 なにせ「自分自身の首」の問題につながっていた「歴史の大事件」に関する話題であった。

 日本の極右・保守・国粋・反動の立場は,昭和天皇がアメリカ側と取引し,東京裁判観を受け容れることにした結果,自分の一身と皇族一族の安全と延命を保障された歴史を踏まえていたからこそ,A級戦犯が合祀された靖国にはいけなくなった「その経緯」を,まったく理解できていない(つまりは,しりたくない)

 昭和天皇は,A級戦犯が合祀された以後の九段に自分がいけば,これがただちに自己矛盾を招来することは百も承知であった。靖国側はいったん合祀したA級戦犯を除去させることはありえないとつっぱねている。昭和天皇,そして平成天皇,令和天皇などは,いまのままの靖国神社であれば未来永劫に九段にはいかない(というか,いきたくともいけない)。

 今回,靖国に集団で参拝にいった超党派の国会議員たちは「天皇陛下の御心に逆らって九段にいっている」事実を,しかと認識しなければならないのに,この自覚も認識もまったくもちあわせていない。いったいなんのために靖国参拝にいったのか?

 東京裁判を否定したい日本の極右・保守・国粋・反動の思想(?)の持主たちは,昭和天皇(平成天皇)が九段にいかない〔実はいきたくてもいけない事情⇒その〕理由,その事実:心理に無知である。

 昭和天皇は東京裁判史観を肯定しているし,そうせざるをえない歴史的な立場に置かれている。にもかかわらず,靖国参拝にいく国会議員たちは,その「天皇側の大東戦争史観」を否定する立場を示している。これでは,靖国神社の理解に関して「天皇と国会議員との溝」には埋めようがない。

 

 ※-7「閣僚の靖国参拝 外交問題化は避けるべきだ」『読売新聞』2013年4月24日「社説」

 日本政府には予想外の反応だった,ということではないか。韓国の尹 炳世外相が,〔2013年〕4月26,27日に予定されていた日本訪問を中止した。麻生副総理ら閣僚3人の靖国神社参拝に対し,「侵略戦争の美化」と反発したためだ。尹外相の来日は,5月下旬の日中韓首脳会談が中国の消極的姿勢で見送られる見通しとなるなかで,議長国として会談開催の環境整備を図ろうとしたものだった。

 緊張の高まる北朝鮮の核・ミサイル問題での日韓連携にくわえ,李 明博前大統領の竹島訪問などで悪化した日韓関係を朴 槿恵大統領のもとで改善する機会でもあった。それだけに,尹外相の来日中止は残念である。韓国の外交姿勢には疑問が残る。従来,小泉首相の靖国参拝に反発して盧 武鉉大統領が訪日をみあわせたことはあっても,閣僚の靖国参拝をここまで外交問題にしたことはなかった。

当時の麻生太郎副総理の勇姿

 日本政府が,歴史認識をめぐる問題について「それぞれの国にはそれぞれの立場があり,影響を外交に及ぼすべきではない」と主張するのは,そのとおりだ。戦没者をどう追悼するかは他国に指図される問題ではない。立場の相違を外交全体に極力影響させない努力が双方に求められる。

 補注)だが,その戦没者と称される「人びと」(旧大日本帝国の将兵たち)が「どう追悼するかは他国に指図される問題ではない」とはいえないのが,東アジア諸国の大東亜戦争で侵略された記録・記憶をもつ人びとである。この『読売新聞』社説は,議論が噛みあっていない主張をしていながら,自社の立論がまっとうだったと思いこんでいた。

〔記事に戻る→〕 戦没者をいかに追悼するかといったたぐいの問題は,ある意味では「過去の戦争」をどう記録・記憶しているかに関する重大問題である。だから,靖国神社にA級戦犯のみならず,一般の兵士たちを合祀するこの神社の宗教性が,他国から問題にされている。この問題化はしごく当然であって,この事態・状況を無条件に拒否しておきたい気持は理解できなくもないものの,それで国際間外交が円満に進行させられるのではない。

 一方,菅官房長官は「靖国参拝は心の問題だ」と語り,麻生氏ら閣僚の参拝をことさら問題視しない考えを示している。しかし,麻生氏らの靖国参拝が日韓関係に悪影響を与えたことは否定できない。政治も外交も重要なのは結果であり,「心の問題」では済まされない。

 麻生氏は副総理の要職にある以上,より慎重であるべきではなかったか。首相は,かつて第1次安倍内閣時代に靖国参拝できなかったことを「痛恨の極み」と述べたが,歴史問題が外交に悪影響を与えないよう細心の注意を払って政権運営してもらいたい。

 尖閣諸島の問題で日中関係が険悪になるなか,まず日韓関係を改善することは,安倍外交にとって最優先の課題であるはずだ。靖国神社参拝をめぐる問題の根底には極東国際軍事裁判(東京裁判)で処刑された東条英機元首相ら「A級戦犯」が合祀されていることがある。

 韓国や中国だけでなく,日本国内にも戦争を招いた指導者への厳しい批判がある。誰もが,わだかまりなく戦没者を追悼できる国立施設の建立に向け,政府は議論を再開することも考えるべきだろう。
 
 補註)『読売新聞』のこの社説は,「靖国参拝」は国内問題だといいはっていた。もっとも,政治も外交も重要なのは結果だとも,冷静になって指摘している。

 安倍晋三が述べたところでは,「定義によっては多様な意味を生む」らしい「旧日帝の『侵略』の戦争」によって,それもとくに大東亜戦争の時代になると非常の多くの英霊が「戦場で死んでいても・九段に死霊となって〈生れて〉いた」という経過が生じていた。

 だが,靖国に合祀されているこの《英霊》たちは,はたして現政権のような対アジア国際外交を喜んでいるのか? 死んでもまだ「オレたちを政治に利用するのか」。「利用するのであれば,もっとうまく利用しろ」といっているはずである。 

 それゆえ,安倍晋三のように「戦没者をどう追悼するかは他国に指図される問題ではない。立場の相違を外交全体に極力影響させない努力が双方に求められる」 というのは,独りよがりの思いこみ,独善の屁理屈であった。国内問題ではなく,いつも国際問題でありつづけてきたのが靖国参拝の問題である。

 国内の内戦で死んだ人たちの慰霊の問題には収まらない「国際関係」につながる議論を,いつも惹起させるそれであった。個人・家庭が自分たちの祖先の墓参りするのとは,まったくわけが異なる。

 それにしても,元来「戦争用の督戦神社」だから「戦勝・祈願神社」として出発したのが「靖国神社」であった。ところが,「敗戦」後も「敗北・慰霊神社」として存在することじたいが,もとより大矛盾になっていたはずである。

 だが,そうしたもっとも基本的な問題点を指摘する新聞社〔が記事にとりあげる議論〕は,1社からも聞くことができていなかった。このあたりの問題は2024年になった現段階において,基本的になんら変化はない。この事実はどうみても不思議な経緯であり,日本の政治的に奇怪な光景である。

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