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天皇の国事行為は融通無碍の私的行動

 ※-1 天皇・天皇家にとっての日本国憲法

 本稿の初出は2013年4月19日であった。当時は安倍晋三の第2次政権が成立・発足してからまだ間もないころであった。この政権の主はその後だんだんと,当時の平成天皇「明仁」をイジメにかかる行動を露骨にみせだしていくが,この2013年4月はまだとくに,明仁に対して意図的にそのなにかを言動することはなかった。

 もっとも,昭和天皇「裕仁」を父とした明仁天皇は,この父が敗戦をはさんで,戦前・戦中の神格天皇の姿から,新憲法のもとでは「日本国・民統合の象徴」とされたわけで,その子となった明仁は自分が天皇になってからは,いかにして「自分が統合的に象徴する〈国民たちの立場〉」にうまく跨がりつつ,そのさい,天皇家・皇族の立場をより昂揚させるかについては「民間:平民」から迎えた「嫁さん:正田美智子」の助けも借りて,

 日本の政治社会になかで「天皇である自分とこの一家」と「天皇家・一族全体」の安定した地位・秩序を,よりよいものたらしめる努力を必死になって重ねてきた。その努力の一端は,たとえば宮内庁のホームページにこう表現されている。本ブログ筆者の批評も添えて引用する。

   ♠「皇后陛下お誕生日に際し(平成25〔2013〕年)                   宮内記者会の質問に対する文書ご回答」♠
 =『宮内庁』https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h25sk.html =

 問1  東日本大震災は発生から2年半が過ぎましたが,なお課題は山積です。一方で,皇族が出席されたIOC総会で2020年夏季五輪・パラリンピックの東京開催が決まるなど明るい出来事がありました。皇后さまにとってのこの1年,印象に残った出来事やご感想をお聞かせ下さい。

 皇后陛下  5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。

 明治憲法の公布(明治22〔1889〕年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。

 当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。

前皇后美智子・記者会見


 こうした美智子の話は,明治憲法=大日本帝国憲法から新憲法=日本国憲法へと,日本の憲法が「敗戦という出来事:大事件」を契機に変遷してきた歴史のなかに,その「五日市憲法」を,意図的〔か否かはさておいても〕直接にまぜこむという「信じられない」発言をしていた。

 明治憲法下,「基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など」が,どれくらいないがしろにされてきたか,いいかえれば抑圧・弾圧されてきたかという歴史の事情・経過とは無関係に,そのようにいきなり敗戦後にできていた,

 人にいわせるとアメリカに押しつけられた新憲法に守られ存在してもきた「天皇」の「配偶者」が,いかにも親しげに「五日市憲法」の基本精神を評価したがごとき発言を,皇后であった自分の立場から感想(印象,出来事)として語る姿は,確かに,異様に映ってなんら不思議はない。

 治安維持法をのちに抱えこんだごとき明治憲法は,大日本帝国の敗戦によって大部分否定される新憲法が制作される顛末を招いていたが,いまの天皇家や皇族たちの「明治維新後的な実在のあり方」とは,まるで正反対の立場から起案されていた「五日市憲法」のことを,歴史の空間を突き抜けてだが突如,敗戦後における新憲法と密着させたかったかのように語る説法だとしたら,あまりにも異質の歴史問題を介在させ過ぎていた。

 敗戦によってその存続がギリギリまで問われていた日本の「天皇・天皇制」という制度は,明治謹製という意味あいでこそ,もともとその存在意義があったがゆえ,敗戦処理という歴史的な洗礼を受けさせられたという事実も念頭に置いての話となるが,仮にでもその「五日市憲法」に親近感を示唆するかのようにして,それも「平成天皇の妻」の立場からする発言がなされた事実に関していえば,基本的に強い違和感を抱くのが当然であった。

 そもそも,五日市憲法の基本精神は明治憲法のそれとはまったく相いれない同士の関係にあったゆえ,これをいきなり「敗戦を機に」天皇家が付与された新憲法(日本国憲法)への「歴史上の示唆」かありうるかのように語った発想は,歴史の流れのなかで理解すべき問題としては,我田引水が過剰であった点では格別に要注意であった。

 要は,敗戦後の天皇家はとくに明仁が天皇になってからの彼ら一族の存在は,新憲法のもとでの,つまり「五日市憲法」にも歴史的に通底しうる「天皇とこの一家」のあり方を強く意識してなのか,自分たちの行為を注意深く実践するようになっていた。

 以上に記述した論点については,前皇后。美智子がそのように発言していたという事実をとらえて,いまさらのように「現憲法は押しつけられたようみもみえるが,基本的人権は国民主権といった考え方のの源流は1880年代の自由民権貴の憲法草案に行き着く」註記)というように,可能なかぎり最大限に好意的な解釈を前皇后の発言に対する評価として返すのは,そもそもが見当違いであり,ひいきの引き倒しであった。

 註記)「現場へ〈天皇の旅1〉五日市憲法草案 行動の回答」『朝日新聞』2019年5月7日朝刊。

 明治期において「天皇制との対峙」を試みたはずの精神を,満々と湛えていたはずの「五日市憲法草案」を,異常なまで高く評価した美智子の発言は,この自由民権派の法的な理想を葬りさった「明治の時代そのもの」とは,ひとまず別居した状態でささやかれたに過ぎない。

 「天皇史」と「民衆史」との接点はありえたのか? もしも,ありえたとすれば,21世紀のいまになっても天皇・天皇制の問題がその根幹から問われる機運など,まったくうかがえないのが,昨今における日本の政治社会だとしたら,まさしく「日本の民主主義の状態」じたいにまだ,その「始原の課題」が残されていたことになる。

 昭和天皇は明治天皇の孫であり,平成天皇はそのひ孫であり,令和天皇のそのまた玄孫(やしゃご)である。この血統の流れだけで前段の指摘はいいき切れない要素も含んではいても,敗戦という歴史をあいだにはさんで,単に「ひとつにつづく流れ」として「明治から大正,昭和,平成,令和」という連続した時間を,そのまま観ることはできない。

 以上は,分かり切った歴史の説明かもしれないが,この程度のことがらについてさえ,わざわざ断わりを入れておかねばならないというのは,奇妙にも思えることがらであった。


 ※-2 天皇の国事行為は融通無碍の私的行動たりうる矛盾の構造

 1) 天皇・天皇制の矛盾,その典型的事例が沖縄県

  a)「議論の前提」としてこう断わって起きたい。現行憲法に規定され,存在しているはずの天皇においては,公私の区別などあってなきがごとし,と考えるのがまっとうな理解である。つまり,いまの天皇の国事行為といわれるものは,実質的には無制限になんでもやっているし,できるのである。

 1952〔昭和27〕年「4月28日」,敗戦した日本は主権をひとまず回復したが,オキナワはいまだに県土の相当部分を,アメリカ軍の支配下に置かれている状態に放置されている。現在もなおそうであるように「米軍基地に埋まる島」となっていた。

 この項目で焦点となる問題は,こう表現できる。

 政治制度的な存在であり,政治的な行為を,公私を問わず日常的にも果たしている天皇をとらえて,その「政治的利用が問題だとウンヌンする議論」じたいが,自家撞着(自己矛盾)であった。

 たとえばいまからだと10年以上の前になるが,2013年4月18日の新聞朝刊をみたさい,朝日新聞の場合となるが,3面に出ていたつぎの記事が目を引いた。

 それは,「『政治利用だ』『巻き込むな』天皇出席,波紋呼ぶ 主権回復式典」だという見出しが付けられた記事であり,同年4月28日に安倍晋三自民党〔プラス公明党〕政権が予定し,実施した「敗戦後日本の独立記念式典」に関する報道であった。

 その式典に天皇の出席を求める件で,沖縄県側が猛反発していた。「沖縄の歴史:敗戦後史」を多少でもしっている人であれば,そうした沖縄の「県民感情」がどのような背景・事情から噴出してくるかは,事前によく理解できることがらであった。

  b) その事実をしるうえで参考になる『琉球新報』が2014年9月1日にかかげた「社説」を紹介しておく。

 つぎの引用は『朝日新聞』からのものである。  

 〔2013年〕4月28日,サンフランシスコ講和条約発効61周年を記念して安倍政権が開く「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」。天皇皇后両陛下の出席について,波紋が広がっている。沖縄が反発する式典に「陛下を巻きこむべきではない」との声があがり,「政治利用だ」との批判もある。

 補註)天皇は憲法上の存在であり,つまり政治制度に則って「制度的にある」人物である。それゆえ「天皇の政治利用だ,いやそうではない」という議論じたい,そもそも出発点からして〈ボタンをかけ間違えている〉理解である。

 首相がその式典に天皇夫婦に出席してもらうといった瞬間から,すでに政治の話題に移行していた。にもかかわらず,この首相の発言が口から出たそのあとになってから,「政治利用である」とか「そうではない,否である」とかいった議論が,いまさらのように交錯する。

 それは,まともな発想に依拠した議論ではなく,無意識下に控えているなんらかの,それも,表現に出して明確には定義できない「天皇理解に関するなんらかの予定的調和」を前提にした話である。

〔記事に戻る→〕 安倍政権は3月12日,式典開催を閣議決定し,「天皇皇后両陛下の御臨席の下に,各界代表の参加を得て実施する」と発表した。だが沖縄では,4月28日は講和条約により日本から切り離され米国の施政下に置かれた「屈辱の日」と呼ばれる。仲井真弘多知事は式典の欠席を決めた。

 補註)その4月28日が沖縄(琉球)にとって「屈辱の日」とみなされていることについては,大東亜(太平洋)戦争の敗北に至る過程で,沖縄がどのような目に遭わされてきたのか想起すれば,ただちに理解できる事情がある。

  c) 当時(1945年のこと),当時の大日本帝国の大元帥であった裕仁天皇は,こう戦争の指揮をしていた。『琉球新報』から引用しておく。

『琉球新報』2014年9月10日「社説」

 要は,平成天皇の父親は,大日本帝国の大元帥として戦争指導をする立場において,沖縄戦〔1945年4月~6月〕を,日本本土決戦のために「捨て石」にする作戦に同意していた。

 おまけに敗戦後の沖縄は,アメリカの自治領(植民地にひとしい扱いをされる;筆者註記)のような状態を強いられてきた。その1952〔昭和27〕年4月28日ではなく,だいぶ遅れて,ようやく「本土に復帰」(1972〔昭和47〕年5月15日)できたところで,米軍の基地だらけに残された沖縄である実態にかわりはなかった。まるでアメリカ帝国の小さな1州であるかのような状態を,いまもなお強いられ続けている。

 「4月28日」とは,サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日,つまり昭和天皇誕生日〔のお祝いのつもりを込めて,アメリカは日本を独立させたのか?〕の前日であった。

 ところが,沖縄県にとってのこの日付けの意味は,そこからさらに長い年月,「米軍基地で埋まるオキナワ」でありつづけることを,21世紀の今日まで強いられつづける出発点になっていたことにある。

 したがって,この「4月28日」に「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を挙行するという安倍晋三(当時首相)の考えは,オキナワ側から観れば,米軍基地で埋まっている沖縄県の現状を是とする政治家の立場・思想としてしか説明できない。これはとうてい許容できない「本土側の発想」であった。

〔記事に戻る→〕 式典開催を保守派の多くが支持するなかで,一部からは反対の声も上がる。東京の自民党本部前では〔2013年〕4月12日,日の丸をかかげたグループが「国民世論分断に天皇陛下を政治利用するな」と声を張り上げた。天皇の政治利用は,民主党政権でも問題になった。

 補註)「天皇陛下を政治利用」させない一番の方策は,憲法から天皇条項をとり払い,京都に戻ってもらうほかあるまい。京都に帰って御所で暮らし,ここで天皇家の家長として,日本国民の平和と安定と幸福を祈る毎日を日課にする生活をできれば,天皇・天皇制本来にもっとも似つかわしい「伝統的な生きかた」が実現できるはずである。

 憲法に規定されて存在している〔明治憲法では第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とまで規定したがために,近代日本帝国の運営において,いつも便利にその性格をもち出し,国家運営のために利用してきた〕からには,この現状を根柢から変質させたいのであれば,憲法の規定とは無関係である存在に,天皇・天皇一族を解放してあげることが,天皇問題の解決のための要諦となりうるはずである。

〔記事に戻る→〕 2009年12月に中国の習 近平国家副主席(当時)が来日し天皇陛下と会見したさいは,慣例に反する直前の打診だったため宮内庁は一度断わった。だが鳩山由紀夫首相(同)の意向で会見が実現。自民党は「天皇の政治利用」と批判した。
 
 補註)いまでは中国の国家主席である習 近平が,国家副主席のとき日本の天皇に会いたがったのは,国家主席になるための〈箔づけ〉に利用したからであって,この面でも天皇は政治利用,それも国際的に重宝する「皇室(王族)」の役割を演技させられたことになる。

  d) いいかえれば,外国要人による日本天皇の政治利用であった。憲法の規定に指示されているような「天皇の国事行為」さえどうか分からぬような,国際的な「天皇の政治利用」だけは,あいまいながらも,なにやらしっかりと実行されていたわけである。

〔記事に戻る→〕 これに対して今回,宮内庁の風岡典之長官は「政府からどういう式典か細かく聞き,両陛下にお願いしようと判断した」と説明し,手続は踏まれており「問題ない」との立場である。だが,ある宮内庁OBは「沖縄から反発が出るような式典に,陛下を巻きこむべきではない」と語る。

 補註)「〔2013年〕4月28日」式典出席の「是非」に関する宮内庁現職とOB見解は,現状の(当時における)理解としていえば,それぞれが興味深い立場を示している。というのは,天皇の政治にかかわる諸行為は,憲法の規定である「国事行為」との関連を本質的に問われないまま,まさしく「天皇による政治的な関与」そのものとして実行されてきている。

 だから,この天皇の政治的な行為は,いつも抜き差しならぬ「天皇の政治利用のされかた」を現象させることにもなる。宮内庁ホームページをのぞいてみれば,天皇一家の毎日の行動が微にいり細にいたり報告されている。さすが「1日に何回トイレに通った」というような尾籠な話題は出ていないけれども,なにゆえそのように,あれこれ・いちいちこまかく記載しておかねばならないのか,本来,疑問に感じてもおかしくない。

〔記事に戻る→〕 沖縄の人たちはどうみているか。米新型輸送機オスプレイの配備撤回を訴え,米軍普天間飛行場のゲート前に立つ沖縄県北谷町の喜友名稔さん(74歳)に,式典は「改憲を視野に入れる政権の政治的なイベント」に映る。天皇・皇后の出席は「象徴からの逸脱で政治利用にほかならない」と話した。

 補註)天皇の「4月28日」式典出席は「政治利用そのものにほかならない」「象徴からの逸脱」だと,沖縄県の人びとに指摘された安倍晋三の立場は「改憲」に「天皇利用」を絡ませている,と「疑われても」しかたあるまい。もしもそのような方向に向かって天皇がこの式典に利用されることになれば,オキナワにとっての天皇のイメージは「さらに悪化する」ほかない。

 2)〔安倍晋三〕首相〔は〕,配慮〔を〕強調〔した〕」

〔記事に戻る→〕 安倍政権は「主権回復の日」の式典開催をめぐって広がった波紋に戸惑いを隠せない。自民党は,昨〔2012〕年末の衆院選の政策集に政府主催の式典を開くことを明記していた。政権復帰後,安倍晋三首相が主導し,開催を決めた。天皇,皇后両陛下が出席できるよう日程調整も事務的におこなった。

 ところが沖縄が反発し,首相周辺は「両陛下が出席すると発表してしまったから,もう変えようがない」と頭を抱えた。反発を和らげるため,政権内には沖縄が本土復帰した5月15日にも政府主催の式典を開く案も浮上したが,準備が間に合わなかった。

 補註)しょせん,安倍晋三はオキナワの気持をなにも分かっていない。というよりも,沖縄県に対する第2次大戦史,とくに敗戦後史の認識が甘々であるというか,本当のところはまっとうな理解をもちあわせていなかった。

 「主権回復の日」といったけれども,そもそもオキナワには無縁のことばであった。21世紀のオキナワにとっていまもなお妥当するのは,4月28日はあくまで「屈辱の日」であることである。

 それゆえ,この日を天皇夫婦まで呼んで記念式典を挙行するというのは,オキナワにとっては〈二重の屈辱〉を意味する。ひとつは「昭和天皇時代の屈辱」(既存の屈辱)であり,もうひとつは「4月28日」の記念式典に出てくれば「現象せざるをえない」「平成天皇時代の屈辱」(新規に追加される屈辱)である。

〔記事に戻る→〕 首相は沖縄や奄美,小笠原に配慮する姿勢を強調する。4月14日には硫黄島を視察した帰りに小笠原諸島の父島を訪問した。地元住民との意見交換会で「父島には日本に復帰以来,まだ首相がいっていない。これはまずいと思った」と語った。

 補註)安倍晋三が首相として個人的に,どのような国家思想・政治的な価値観をもとうと勝手,自由である。だが,その頭脳のなかに控えているらしい「一国宰相としての時代感覚」は狭量である。そのへんにいくらでもいる,それもカタカナで書けておけばよい『小心ものの「ウヨク」』たちの愛国心とかわらない気分をもって,この日本国の運営をしているらしい。

 自分自身の国家観だけに執着しては,一国の政治をうまく担うことはできない。己れとは正反対の信条・理念をできうるかぎり配慮に容れられる度量がなければ,前回首相時の在任期間を超えてその座を守ることはむずかしくなるのではないか。

 3) 天皇と沖縄,複雑な歴史

〔記事に戻る→〕 天皇と沖縄。向き合う思いは複雑だ。戦後の1947年〔9月下旬〕,昭和天皇が米軍の沖縄占領継続の希望を,連合国軍総司令部(GHQ)に伝えたとされる「天皇メッセージ」が,米国立公文書館で1979年にみつかり,沖縄に衝撃が広がった。文書を発見した進藤栄一筑波大学名誉教授は「沖縄が切り捨てられたと感じる県民はいまもおり,式典に天皇陛下が出席するべきではない」と話す。

 補注)その「天皇メッセージ」は沖縄県公文書館によると,つぎのように紹介されている。

天皇メッセージ
◆天皇メッセージの核心部分◆
すでにいまはこの「50年以上」になっている
沖縄はアメリカ軍の「基地の島」として重宝されている

 昭和天皇は戦後,沖縄訪問を望みながら果たせなかった。1987年の沖縄国体のさいは,沖縄の苦難に思いを寄せる「おことば」を皇太子だったいまの天皇陛下が代読した。いまの天皇〔明仁〕陛下は,沖縄復帰直後の1975年に初めて訪問。「ひめゆりの塔」に献花したさい,火炎瓶を投げつけられる事件があった。

 だが,その後も訪問を重ね,昨〔2012〕年11月には9回目の訪沖を果たした。2003年12月の記者会見では「沖縄復帰は平和条約が発効して20年後です。日本人全体で沖縄への理解を深めなければなりません」と語っている。

 補註)「日本人全体で沖縄への理解を深めなければなりません」と語っている平成天皇の発言は,どのような憲法の規定にもとづき「許された発言」なのか?

 いまさらこのような疑問を提示したところで,従来いくらでもこの種の〈政治的な発言〉をしてきた天皇の存在である。とはいえ,日本の政治にとって天皇によるこの種の発言が,いったいどのような意味を有するものとなっているのか,あらためて本格的に議論しておかねばなるまい。

 しかし,「日本人全体で沖縄への理解」という一句は実は,天皇家にとっても「歴史的に重大な課題」でありつづけていた。その理由は既述のとおりであって,天皇家が沖縄を踏みつけにしてきた歴史を顧みるとき,平成天皇のような歴史認識をもって,天皇みずからが率先して重大な反省をしなければならない。

 もっとも「平成天皇の沖縄理解」,すなわち,あまりにも当然すぎる「天皇家の負い目」=「天皇家が背負っている歴史の課題」を,そっくりそのまま反転させるかのようにして「国民たちも共有せよ」といわんばかりの天皇発言は,問題があった。

 4) 識者の意見

  a)「出席許されない」  「小林 武沖縄大学客員教授(憲法学)の話」。天皇の式典への参加は,憲法で定めた12の国事行為に含まれず,許されないと私は考える。

 今回は沖縄が「屈辱の日」と言及するような日であり,国民の間に亀裂が生じている。憲法上「国民統合の象徴」と定められた天皇に,世論が割れている行為をおこなわせるべきではない。天皇の政治利用にほかならない。

  b)「憲法上断れない」  「渡辺 允前侍従長の話」(『前侍従長の発言』であることに注意したい) 政府が閣議決定をして両陛下のお出ましを願い出たら,受けて出席するのがあるべき姿である。憲法上,出席を断わることはできない。「出ません」というと逆に,天皇が政治的な行動をしたことになる。沖縄の人々に十分に配慮しなければならないが,両陛下がこの式典においでになることじたいに問題はない。

 註記)以上だいぶ長かった。1) から 4) まで『朝日新聞』2013年4月18日朝刊「3面」を引用しつつ議論してきた。

 さて,現行の日本国憲法で規定されている『天皇の国事行為』は,以下のように定められている。

 第7条 天 皇

  一 憲法改正,法律,政令及び条約を公布すること。
  二 国会を召集すること。
  三 衆議院を解散すること。
  四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
  五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。

  六 大赦,特赦,減刑,刑の執行の免除及び復権を認証すること。
  七 栄典を授与すること。
  八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
  九 外国の大使及び公使を接受すること。
  十 儀式を行ふこと。

日本国憲法第7条

 ここで,要点(ポイント)は,天皇は「内閣の助言と承認により,国民のために,左の国事に関する行為を行ふ」とされているのに,現実は「宮内庁中心の発案と決定により,皇室と政府のために」「国事に関する行為をおこなう」のが「天皇〔これに一族もくわわる←ただし憲法上に規定はない〕の国事行為」だとされていることにある。

 あくまで「内閣の助言と承認」のもとにおこなうべきはずの「天皇の国事行為」が,これまでの膨大な既定事実の蓄積をもって規定路線化させられており,天皇が「十 儀式を行ふこと」に関連させれば,なんでもかんでも国事行為としてできる実情・実態が生まれていた

 この「十 儀式を行ふこと」をテコに使い,憲法第7条全体が実質において骨抜き状態,あるいは有名無実化させられている。

 要は,天皇〔およびこの一族〕は「天皇(個人!)の国事行為」といわれる一項などとはいっさい無関係に,ありとあらゆる場面に出てきて実際に行動している。

 とすれば,明治憲法の時代となにもかわらない八面六臂の大活躍をしてもよいのが,天皇一家の「公私の区分などない」行動のしかたということになる。

 

 ※-3「『よい成果期待』山中教授に言葉 春の園遊会」-2013年4月18日の開催行事-

 つぎに紹介する新聞記事は,はたして,憲法第7条のどの条項に相当するのか?

 天皇,皇后両陛下が主催する春の園遊会が〔2013年〕4月18日,東京・元赤坂の赤坂御苑で開かれ,約2千人が出席した。

 天皇陛下から「多くの人が今後のよい成果を非常に期待していると思います」と声をかけられたノーベル賞の山中伸弥京都大学教授は,「難病の新しい治療法が一日も早くできるようがんばります」と応じた。宇宙飛行士の星出彰彦さんは「4カ月のミッション(任務)を終えて戻りました」と述べ,陛下が「いろいろ成果があってよかったですね」とねぎらった。

 達増拓也岩手県知事は,東日本大震災被災地の状況を「仮設住宅のつぎの住宅もだんだんでき,復興が加速しています」と説明した。天皇陛下は「石綿の問題もあるから気をつけてがれきを処理されないと。行方不明者の捜索もつづいていますね」と語った。オランダ訪問が決まった皇太子さまは出席したが,雅子さまは欠席した。

 註記)『朝日新聞』2013年4月18日朝刊「社会37面」。

 もちろん,法律学の専門家の議論によれば,この疑問に対しては一定の答えは用意されている。しかし,そのどの答えにしても隔靴掻痒であって,すっきりした理解を与えていない。この園遊会はあくまで皇室の行事であって,天皇家が主催するものであるから,本来憲法上の規定とはなにも関連をもたない性質であるはずである。

 ところが,このように皇室の恒例行事として積み重ねて実施されるうちに,いつの間にか「憲法に従っておこなっている行事」であるかのような錯覚を覚えさせる。とはいっても,一般庶民にとっては縁遠いこの園遊会であるから,憲法上の問題ウンヌンをいわれても,通常はなんのことやらピンとこない。


 ※-4「両陛下,私的な旅へ 宮内庁側近らが初めて企画」-2013年4月15日報道記事-

 天皇,皇后両陛下は〔2013年〕4月15日,新幹線臨時専用列車で長野県に向かった。今回は「あんずの里スケッチパーク」(千曲市)でのアンズの花観賞を目的とした私的な旅行。多忙な公務がつづく両陛下にゆっくり静養してもらおうと,宮内庁の側近らが初めて企画した。

 天皇陛下は昨年2月に心臓手術を受け,皇后さまは首の痛みを抱えるなど「満身創痍」(宮内庁幹部)で公務をこなしている。そこで,両陛下に全国各地にある季節ごとの風景や自然を楽しんでもらおうと,側近らが旅行を提案。通常の地方訪問と比べ,今回は訪問先を減らし,同行者や警備も縮小している。

 昭和天皇も天皇陛下と同じ79才だった1980年に箱根に旅行。その後,定期的に各地に私的にでかけるようになった。両陛下は各地の名所などに関心を持っているといい,宮内庁は来年以降もつづけたいとしている。

 このように,天皇夫婦の私的な旅も「公に報道されるべき出来事(ニュース)」として宮内庁から発表され,新聞社もこれに自然なかたちで取材に応じ,報道しておかねばならない様子がうかがえる。この報道のあり方は,昔〔敗戦後のいつしかから〕もいまも同じである。

 憲法の規定第7条とはなにも関係のない「天皇と天皇家全員の私的行為」までを全部,「天皇の国事行為」の「十 儀式を行ふこと」のなかに,無理やりにでも押しこめたいかの要領で使い,それらを国民にしらしめることを,宮内庁は日本社会に要求しており,実際にもそのように差配してきた。

 なんだかんだいいながらも「天皇を〈玉〉として扱う宮内庁」という組織は,ときに天皇たちよりもエラクなったような雰囲気を振りまく。同庁関係者の立場のものいいからは,そうした態度が「当然の行動様式」であってもよいかのような精神構造さえ伝わってくる。

 前述の園遊会に関する記事のなかには,「オランダ訪問が決まった皇太子さま〔ここでは徳仁〕は出席したが,雅子さまは欠席した」と事実報道がなされていた。けれども,新聞報道に最低限必要な『5W1H』が,皇室関係の記事になると欠落してもかまわないのである。

 マスコミ側の基本姿勢としてそれでも平気でいられるのは,不思議なありかたである。皇太子のオランダ訪問は「天皇〔家・一族〕の国事行為」ではない。「ない」としたらなんであるのか? 「私的行為」であるなら報道しなくてもよいはずである。報道したらそのまま〈公的なもの〉になる。 

 ともかく,皇族としてヨーロッパのおランド王室との付き合いを皇太子がすることになる。これは,皇室の一員である皇太子の公務なのか私事なのか? 私事にしても彼らは「国民:われわれの払っている税金」で生きて暮らしている貴族集団である。

 要は「貴族が,人権平等を謳っている」はずの「民主主義の平和憲法」のなかに組みこまれている。だか,こうした日本政治の現実は,ふだんにおいては誰もまともに意識しなくなっている。誰も(百%とはいわないが)が不思議にかんじていないらしい。

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