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羽入辰郎「マックス・ヴェーバーの犯罪」論は,でっち上げの粗想だと批判する議論

 ※-1 羽入辰郎がかかえていた研究者・学究としての「基本」に関した諸問題

 a) 本ブログは,先日〔2023年7月31日〕に記述した「日本における学問の衰退と下流化,マックス・ウェーバー研究,羽入辰郎と折原 浩など」( https://note.com/brainy_turntable/n/n6ac9bf21e0d5 )において,「マックス・ヴェーバー研究に関連する最近の一題」として評価する場合,羽入辰郎「マックス・ヴェーバーの犯罪」論が,「でっち上げの粗想」ではないかという問題意識をもって議論していた。

 羽入辰郎の問題とされた著作は,『マックス・ヴェーバーの犯罪-『倫理』論文における資料操作の詐術を「知的誠実性」の崩壊-』ミネルヴァ書房,2002年であった。
 
 補注)なお,Max Weber の日本語表記は「ウェーバー」と「ヴェーバー」とが混在しているが,この記述中では委細かまわずとしておく。

 先回(2023年7月31日)に公表した本ブログのその記述は,「日本における学問の衰退と下流化,マックス・ウェーバー研究,羽入辰郎と折原 浩,など」という題目のもとに議論をしていたが,

 その後,茨木竹二『「倫理」論文の解釈問題-M. ヴェーバーの方法適用問題も顧慮して-』(以文社,2008年)という著作が,羽入辰郎のヴェーバー論を徹底的に分析・批判する書物として登場していた。

 茨木竹二「同書の内容」は,ヴェーバー研究を主専攻にし,本格的に研究を深めた者でなければ,その完全な理解はなかなか困難な水準である。それでもともかく,この本(専門書)を読破してみたが,途中でこのような批判というか揶揄に近い「羽入に対する批難」が記述されていた。

 そっけなくヴェーバーはいうであろう,“おとといおいで” とでも(258頁)。  その意味で〔羽入辰郎の〕『〔マックス・ヴェーバーの〕犯罪〔-『倫理』論文における資料操作と詐術と「知的誠実性」の崩壊-』〔ミネルヴァ書房,2002年〕は,また単に “恣意的な駄文を寄せ集めた駄本” にすぎない,といっても,決して過言ではない……。

 にも拘わらず,…… “反響” を呼んだのは,その底本に当るかの諸論文に,同じく記述の如き学位〔東京大学文学博士〕や学会賞〔PHP研究所の山本七平賞〕が授けられたことが,そもそもの一つの要因になっていよう(333頁〔の註記 87での記述〕。〔 〕内補足は筆者)。

茨木竹二の羽入辰郎「批判」

 この引用文の意味は分かりにくいかもしれない。

 要は,1991年に文部省(現文部科学省)が開始した大学院重点化計画の実施により,非常に安っぽくかつ軽くなってしまった日本の大学院が授与する「学位(博士号)」の問題とも絡めた話題として,その意味を受けるべき発言であった。

 換言するに,羽入辰郎が博士号を授与されていたものの,この授与じたいに問題ありとする「根元からの批判」が提示されていたのである。

 b) すなわち,茨木竹二『「倫理」論文の解釈問題-M. ヴェーバーの方法適用問題も顧慮して-』(以文社,2008年)の詳細をきわめた「羽入批判」は逆に,こう論断していた。

 羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの犯罪-『倫理』論文における資料操作と詐術と「知的誠実性」の崩壊-』は,むしろ「羽入辰郎の犯罪」であり,羽入の「恥晒しにしかならない」と(茨城,前掲書,426頁,428頁)。

 茨木の同書はさらに,羽入『マックス・ヴェーバーの犯罪』について,こうも指摘していた。

 「“非学問的” な内容のものと受け取られかねない」し,「せいぜい冗漫程度に脳裡をかすめたに過ぎない」。「というよりは」,この羽入の「『犯罪』こそは,まさに “でっち上げ” や “いいがかり” が示すように,もともと “虚説” として,むろん学問的には “無” どころか,“負” にしか値していない」(427頁)。

 羽入の『同書』はこのように,完璧に近いといえるほどに「断罪」されていた。

 なお,本日のこの記述は初出が2014年6月23日だったから9年前に書かれていた。この記述と関連のあった先日 2023年7月31日の記述に関連させては,次段のごとき羽入の発言があった点に,あらためて注目しておく余地を指摘していた。

 その発言は「およそ学問に従事する人間としては禁句だと判定されざるをえない「不注意な」すなわち「粗忽で不用心な」放言であった。羽入は,どういっていたか? ウィキペディアからの引用となるが,羽入はこう発言していた。

 『マックス・ヴェーバーの犯罪』の中心的論点は,ヴェーバーの引用する独訳聖書(「コリント人への第一の手紙」7章20節)における Beruf (宗教的召命と世俗的職業を同時に意味する)の訳語が,マルティン・ルター本人に由来するものではないというものであり,羽入はこれを(百年間誰も気づかなかった)「世界初の発見」(「エコノミスト」2002.12.10 P60,『学問とは何か』P228)としていた。

 しかし,実際には沢崎堅造『キリスト教経済思想史研究』(1965年未来社,初出論文は1937年刊行)によって同様の指摘がすでにおこなわれていたことが判明し,「筆者は “Beruf” 概念に関する議論に関して,筆者が世界で最初の発見者であるという主張をここで取り消す」と述べた。ただし,「先達者がいた,ということが分かったとしても学問的にはなんら問題はないのである」(『学問とは何か』P194,196)としている。

羽入辰郎の学問(?)上の放言

 この羽入の発言について本ブログ筆者はさらに,いきなりであったが「要は,先行研究への渉猟が甘かっただけのことであり,つまりは,これにてお終いになっていたということになる」と断言してみた。というか,学問だとか研究だとかの仕事にたずさわる人間の立場にあって,「その種の事情が必然的に露呈してしまう」様子が生まれることは,絶対に許されない。

 羽入の場合,その種の手抜きが自身の研究過程で発覚した(バレていた)もかかわらず,前段のように完全にオトボケ的な言辞を振りまわしていた。

 「先達者がいた,ということが分かったとしても学問的にはなんら問題はないのである」などと開きなおれる神経は,まったくもって理解できない。もちろん,その「どんなかたち」であれ,許される研究の態度でもない。

 単なる自身の勉強不足を棚上げしてそのようにいいわけ,強弁できる神経だけはいくらかは買えそうであるが,あとは「ジ・エンド」であった。

 「論文における資料操作の詐術」とかこれにまつわる「知的誠実性(の崩壊)」をウンヌンする当事者が,他者から自身に向けられた批判に応えるさい,そのようにデタラメというにはあまりにもひどく無神経な応答ができる態度には呆れた。

 その態度は学究の採るべき態度しては完全にオウンゴール(自滅の作法)になっていた。自説における肝要な核心の主張にもかかわっていたわけだが,その種の弁明を強説するようでは,学問の姿勢としては実質的に,ほぼご臨終を意味したからである。

 c) 本ブログ筆者も社会科学分野において経営学史の研究に長年取り組み,その本質論や方法論,さらにはその具体的な構想・内容をどのように構築し展開していくか,そのさい自分なりに独創性のある方途をどのように開拓していくかなど,非常に苦労する過程を歩んできた。

 社会科学であれ,ほかの自然科学,人文科学でも同じであるが,先行研究の成果・業績を尋ねまわる学的作業は,すべてのその個別分野において必須であり,欠かすことは絶対にできるはずもない。

 羽入辰郎の場合,マックス・ウェーバー研究のなかでベルーフ(ドイツ語の Beruf という単語)にかかわった議論に関して,自分が「世界初の発見」をなしえたと豪語していたものの,その後,戦前の1937年の時点で,キリスト教徒で牧会者・伝道者であった沢崎堅造が,羽入が自著作内で誇らしげに指摘するよりも「四半世紀の3周回分も早く」,「日本の学究」としてだがその「世界初の発見」を,当該の論点として論及していた。

 つまり羽入の立場は,自説の目玉となっていたはずの「独自の提唱」に関してなのだが,とうの昔に他者に先を越されていた。しかも,2002年発行の自著のなかで自慢げに語ったその「世界初の発見」は,実はその75年も前に(⇒1937年のこと)すでに沢崎堅造が成就させていた。つまり,その「学問的な発掘・着眼」は,羽入にいわせると自分が「世界初の発見」のそれだとまでウカツにも豪語していたけれども,これは間違いであった。

 d) にもかかわらず,沢崎の死後になるが1965年,沢崎の単著になる『キリスト教経済思想史研究』のなかには,羽入が2002年に刊行した著作の関係で自分が「世界初の発見」者だと宣言した論点は,1937年に沢崎が記述した論稿のなかにすでに収められていた(とくに同書の49頁を参照)。

 戦前期,1937年の論稿をもって沢崎が公表したその「学問的な発掘・着眼」を見逃していた羽入の立場は,その分野における研究者のありようとして判断するとき,先行研究としての文献調査を徹底していなかったから,沢崎堅造の当該論考を「発見できなかった」。それだけのことであった。こうして,疑問を抱く以前からあった問題指摘が「基礎的・根本的な批判」として突きつけられて,当然のなりゆきでもあった。

 ところが,沢崎のその論稿を収録した『キリスト教経済思想史研究』と題した単著は,敗戦後20年が経過した1965年に公刊されていた事情も踏まえていうと,1952年度生まれの羽入が研究となってマックス・ウェーバー研究を専門的に展開しはじめるのは,1989年ころからとみられる。それゆえ,1965年に公刊されていた沢崎の同書を,最低限,20世紀中は見落としていたとみておくとすれば,この本の題名に照らして考えるに,研究者の「文献渉猟」が先行研究の探索としてなされておくべき努力に関しては,明らかに「手抜かりがあった」とみなすほかない。

 この手抜かりにつながった自分の文献調査研究での欠損部分を紛らすためだったのか,羽入は「先達者がいた,ということが分かったとしても学問的にはなんら問題はないのである」と喝破した。この事実はあらためて完全に学問の基本手順を逸脱した学究の立場を彷彿させた。要は脱線した。
 

 ※-2 過去における羽入辰郎に関する記述

 いまから少し昔,2008年中になされた記述に戻って議論をつづける。

 1)「2008年8月9日」「日本の学会における論争形態-学問の無限性:論争の必要性-」 

 この1) では,橋本 努・矢野善郎編『日本マックス・ウェーバー論争-「プロ倫」読解の現在-』ナカニシヤ出版,)2008年8月 ☆

 本(「旧」になるが)ブログではすでに2008年中には4月12日・17日,7月24日8月2日などにおいて,羽入辰郎『学問とは何か-『マックス・ヴェーバーの犯罪』その後-』(ミネルヴァ書房,2008年6月30日),『マックス・ヴェーバーの犯罪-『倫理』論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊-』(ミネルヴァ書房,2002年9月)に関する記述をおこなっていた。

 本日(2023年8月9日)の主要な議論としては,前段に触れた各記述を再掲するかたちで勧めていきたい。

 a)「 社会科学の基本問題-マックス・ウェーバー研究-」

 羽入辰郎は『学問とは何か-『マックス・ヴェーバーの犯罪』その後-』2008年6月30日の末尾で,「『羽入-折原論争』は,もうこれでお終いである」(531頁)と〈告別宣言〉をいい放っていた。

 ところが,その後の同年8月5日に出版された,橋本 努・矢野善郎編『日本マックス・ウェーバー論争-「プロ倫」読解の現在-』(ナカニシヤ出版)という著作は,この論争がお終いどころか,まだ「始まりの予鈴」にしかなっていなかった状況を教えた。

 ともかく,非常に専門的であり難解なのだが,問題の焦点をしってもらうためには,羽入『学問とは何か-『マックス・ヴェーバーの犯罪』その後-』,橋本・矢野編『日本マックス・ウェーバー論争-「プロ倫」読解の現在-』を実際に一読してもらうほかない。

 しかし,いままで日本の諸学会では,それも社会科学の分野,さらに限定していえば筆者の専攻領域である経営学の学界においても,あまり発生していなかったような「本格的に激突する」「マックス・ウェーバーに関する学問論争」が,目前で生き生きと展開される事態に接することができた。

 筆者の話になるが,自分の所属する学界のなかで論争なるものを体験したことがあり,現在も実際にある論争をおこなっている最中である(これは2008年の話であった)。社会科学のどの部門であれ学問研究に従事している者は,今回の,マックス・ウェーバーに関する「羽入-折原論争」を契機にしてとりあげられ,活発な議論がゆきかっている諸問題・諸論点に無縁でいられるわけがない,と考える。

 b) マックス・ウェーバーをめぐる教訓

 最初に,橋本・矢野編『日本マックス・ウェーバー論争-「プロ倫」読解の現在-』に注目したい論及があったので,これに触れておきたい。

 そのひとつは,「日本社会は1970年代後半(77年前後)に大きな価値観の変化を経験した。その変化が,折原の周辺においては,1980年代になって学生・院生の日常的振る舞いとして顕在化してきた」(146頁)という,同書第5章「マックス・ウェーバーの犯罪事件」という箇所での論及であった。

 同書第5章の執筆者は,唐木田健一という東大理学部出身の論者である。筆者のように非一流大学で教鞭をとってきた人間が接してきたものとは,だいぶ次元の異なる世界での話題をとりあげていた点が,興味を惹いた。

 しかし,筆者の実際の体験でも,1970年代半ば以降になるとたとえば,ゼミナールで教えている学生たちの「人間的な基本資質の変貌」 が明らかに伝わってきた。つまり「若者たちの多くにおいては,異なった価値観の間では価値に関わる立ち入った交流を避けるべきことが《本能的》な前提になっているようにみえる」(146頁)のであった。

 簡単にいえば,「先生と学生」という表現に感得できるような「師弟関係」という「古きよき時代の関係性」が,なかなか成立しにくくなってきたな,という印象を抱いた。

 ここにとりあげた「羽入-折原論争」でいえば,とりわけ,折原 浩が強調する「学問の世界における現実の問題点」,いいかえれば,大学院教育における教授方法に関した相互の交流が不全になりつつあった環境,さらにいいかえれば,大学院における院生教育の指導関係がまっとうに成立しにくくなった状況が明確に指摘されていた。

 社会科学研究で筆者の所属する経営学の分野では,経営学者になろうとする大学院生たちが「基礎的な研究=学説・理論の理解を深める鍛練」に不足している。というかいまでは,そうした研究・教育背景だけもつ先生たちが准教授から教授になっていた。

 このごろの経営学の著作や論文は,その題名いかんにかかわらず,実際に読んでみても「血湧き肉躍る」ようなもの,「元気が出てくるもの」が,ほとんどなくなった。「マンガで経営学を学ぶ」といった表題を付した本のほうが,よほど刺激的に「経営学の勉強にとりくむためのきっかけ」をつかめるかもしれない。

 もうひとつは,橋本・矢野編『日本マックス・ウェーバー論争-「プロ倫」読解の現在-』第6章「学問をめぐる「格差の政治」(橋本直人)における,つぎの指摘であった。

 橋本は,羽入の著作『マックス・ヴェーバーの犯罪』2002年の「語り口がもつ「専門性の否定」という含意は,結果的には階層間格差を固定化・強化するイデオロギーとして作用しかねない,という意味においてきわめて「『政治的』なのである」(橋本・矢野編,前掲書,164頁)と指摘する。

 すなわち,21世紀の日本経済社会において顕著となった「格差社会」の現象と羽入のこの著作とのあいだには,特定の対応関係があることを主張するのである。

 実は,このあとに挙げた問題は,さきに挙げた問題に通底していることに注意したい。橋本がいうのは「日本における格差の拡大・固定化を背景として『専門性嫌悪』の心情が広がっているのではないか」という危惧なのである。

  筆者の専門領域ではどうみても,刺激的な研究が産出されにくい学問的状況が,2023年の現段階になっても持続されている。専門性がけっして希釈化しているわけではないのだけれども,それにしても,専門性の発揮がその専門性の領域を超えてそれなりの意義を発揮できているような,

 つまり相互に乗り入れができ,架橋が可能であるような研究成果がほとんどみられない。マックス・ウェーバーの研究を本格的に,まともにしている経営学者は,寡聞なせいか筆者はしらない。

 資本主義経済体制の中核部分を形成する大企業支配体制を中心に研究をしなければならない経営学という学問にとっても,いまなにが必要なのを考えるうえで,大いに参考にしなければならない論争がこのたびの「羽入-折原論争」であった。
 

 ※-3「2008年7月24日」「日本の学会における論争形態-学問と人間性の交差点-」

 羽入辰郎『学問とは何か-『マックス・ヴェーバーの犯罪』その後-』(ミネルヴァ書房,2008年6月30日。¥6000-)は,日本の研究者には珍しくも,強烈な論争を著述する書物であった。

 本(旧)ブログではすでに,前記にも触れた2008年4月12日,4月17日の記述を充てて,折原 浩から羽入辰郎に投じられた批判がある事実を記述していた。

 今日ここにとりあげる,羽入辰郎『学問とは何か-「マックス・ヴェーバーの犯罪」その後-』は,しばらくのあいだ我慢して期が熟するのを待っていた羽入が,いままで折原が重ねて放ってきた諸批判に対して全面的に反駁をくわえ,総括的に批判を返した著作である。本書は,もっぱら論争だけを記述する中身でありがながら,A5版で5百頁以上もの分量がある。

 紀伊國屋書店の本書に関する広告は,こう謳っている。

 ネットで繰り広げられてきた『羽入-折原論争』に対して,6年間の沈黙を破り,今初めて鉄槌を下す。

 学問とは,それに従事する人間,及び,それに従事しない人間にとって一体何を意味するのか。

 この大学紛争のきっかけとなった根本的問いに対して,それに答えるべきであった折原 浩氏の学問の惨状を明らかにし,返す刀で,学問とは人間にとって何を意味するのか,という問いへの答えを試みる。

 紛争に遅れてきた世代に属する著者による,大学紛争において根本的に問われたラディカルな問いへの解答。

  序   本書出版の理由
  第1章 英訳聖書に関する議論のトリック
  第2章 “Beruf”-概念でのトリック
  第3章 フランクリンの『自伝』に関するヴェーバーのトリック
  第4章 「資本主義の精神」の理念型構成のトリック
  第5章 四冊目の羽入批判本
  終 章 学問の意味

羽入辰郎『学問とは何か-「マックス・ヴェーバーの犯罪」その後-』紹介

 本書の具体的な論及そのものの詳細については,この浩瀚な同書を読んでもらうとして,冒頭の記述からつぎのような修辞が連発される。

 羽入が折原を批判しつつ,悪口雑言を浴びせ,痛罵叱責する様相は,第3者が聞くに,どのように受けとられるかということまで,羽入はいっさい配慮しておらず,気にもしていない。出版元であるミネルヴァ書房の社長も,こうした書物の発行を了承済みだったということである(現に公刊されているとおり……)。

  ★「馬鹿な人間」(1頁)。「自分を」「英雄視し,自己陶酔している」(3頁)。

  ☆「軽蔑する」(6頁)。「研究者として絶対にしてはならないこと」(8頁)。

  ★「相当なナルシスト」(8頁)。「瞬間湯沸器の御仁」(11頁)。

  ☆「読み直して,頭を冷やしてちゃんと “勉強” して出直して来い」(12頁)。

  ★「思想弾圧に他ならぬ。折原のやり口は汚い」(16頁)。

  ☆「老醜化した末の,無残な誇大妄想」(17頁)。

  ★「転向者折原の面目躍如」(19頁)。

  ☆「子供じみた振る舞いに呆れた」(19頁)。 

 以上は,序章「本書出版の理由」(1-90頁のうち)のさらに20頁までに限定した範囲だけから引用した,その〈一部分〉の紹介である。

 なお,羽入辰郎は現在,青森県立保健大学健康科学部人間総合学科教授。折原 浩は東京大学名誉教授。

 ※-4「2008年4月17日」「学問と論争,折原 浩の問題提起-学術研究における論争の重要性-」

 ここで論じるのは,「大衆化した大学院:学位の問題」となる。

 1)  折原 浩『大衆化する大学院-1個別事例にみる研究指導と学位認定-』(2006年)

 本(旧)ブログの「2008年4月4日」(現在は未公開の記述)は,増田茂樹『経営財務本質論-もう1つの経営職能構造論-』(文眞堂,2007年3月)という著作が,その哲学論的基礎において,議論されるべき問題がある点を指摘した。

 一般的な話として,学究同士間に論争が始まるばあい,研究紀要などに論稿が公表されるまでにはそれ相応の時間をまたねばならない。ものにもよるが,その間隔は最早でも半年はみておく余地があるし,相手がその気になってくれてすぐに応答を繰りだしてくれるばあいでも,相互の交流(やりとり)には,1年ほどの期間は予定しておかねばならない。

 さて,地元の県立図書館(分館)より,折原 浩『大衆化する大学院-1個別事例にみる研究指導と学位認定-』(未来社,2006年)を借りて読んでみた。

 実は,自分の職場であった大学の図書館には当時,折原の著作が1冊しか所蔵されていなかった。そこで,筆者の居住の近くにあり,いつも利用しているこの県立図書館から同書をかり出し,読むことになった。また,さらに,同図書館に所蔵されている折原の別著2冊を借りだすために,インターネットで予約連絡も入れておいた。

「県立図書館様,いつもどうもありがとうございます。重宝しています」。

 さて,折原 浩が,青森県立保健大学教授羽入辰郎〔1953年生まれ〕『マックス・ヴェーバーの犯罪―『倫理』論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊-』(ミネルヴァ書房,2002年)に対して,

 その学的な内容のみならず,この本のもとになった論文に学位を授けた東京大学大学院人文社会系研究科の「学位審査」における「大衆化」現象,いいかえれば,昨今における博士号の「質的劣化」という現象も問題にするために公刊されたのが,この折原『大衆化する大学院-1個別事例にみる研究指導と学位認定-』であった。

 本ブログの筆者が,自分のこれまでの体験も含めて共通して感じてきたのは,折原がこう喝破した点である。

 筆者〔折原〕のスタンスが,批判的 / 論争的にすぎて,温厚なヴェーバー研究者諸氏からは忌避されるのか。

 ところが,筆者はむしろ,「アカデミズムの伝統」を培うには,ザッハリッヒな批判的対決と論争から始めるよりほかない,ただ大切なのはフェアープレー,と心えている。

 かえって日頃,日本人研究者は,批判的対決と論争を避け,「権威と温情の『ぬるま湯』ないし無風状態」に安住しすぎる,と感得している。

 日本の学問,少なくともヴェーバー研究 / 歴史・社会科学は(ザッハリッヒな批判と論争にもとづいて過誤が是正され,あるいは部分的真理がいっそう包括的な体系に「止揚」される,アルフレー ト・ヴェーバーやカール・マンハイムのいう)「文明過程(Zivilisationsprozess)」としての連続的発展の軌道に,いつまでたっても乗れないではないか。

 欧米の最先端を輸入 / 敷衍する「出店」群の栄枯盛衰のかたわらで,「カリスマ師匠」(小天皇)を崇拝する「文化運動 Kulturbewegungen」の散発と先細りを繰り返す以外にないではないか(折原『大衆化する大学院-1個別事例にみる研究指導と学位認定-』〔むすび〕119頁・120-121頁。前段〔 〕内補足は筆者)。

 本ブログの筆者をとりかこんできた研究環境の実態(その体験)に鑑みていえば,折原の議論している学域の諸現象はまだまだ「仰ぎみなければならない位置」にあった。とはいえ,前段で折原が指摘した学問の世界における「沈滞・不振・頽廃を表現する事象」は,実は枚挙にきりがないくらい存在していた。

 2) 学問における論争の重要性

 要は,折原『大衆化する大学院』という著書は,「批判の対象」「批判の射程」として,学位認定という中枢機能と(そこに顕れた)専門的研究の質と水準まで話がおよんでいる。なかでも,彼が強調する知識人の課題は,つぎの問題点である。

 日本社会一般の「無責任の体系」を批判する「知識人」の言説は,読者の1人ひとりが,それぞれの所属組織ないしは現場で直面する具体的な無責任措置のひとこまひとこまに,公然と向きなおって闘うことを想定/期待し,そうした個別の戦いをみちびいて日本社会全体の変革につなげようとする「呼びかけ」と解されねばならない(142頁)。

 自分の所属組織ないし現場の個別問題から出発して,その構造的背景を問いつつ,批判の射程を極力拡大し,広く関心と議論を喚起していくような「実存的な歴史・社会科学」のスタンスと方法は,どれほど会得され,鍛えられ,実を結んでいるだろうか(144頁)。

 ところが,知識人がまさに,当の具体的無責任と闘うべき正念場に立たされたとき,身を翻して批判を手控え,事実関係の究明も怠り,(さらに困ったことに)そうしたスタンスの矛盾を衝く問題提起には,一種の「苛立った」拒否反応しか返せないというのは,いったいどうしたことか(143頁)。
 
 --以上の議論は,「マックス・ウェーバーをめぐる論争」に関連させていえば,折原自身が「批判と論争」を歩んできた経歴に裏づけられたものである。

 学問のありかたに関して折原の指摘する危惧は,本ブログ:筆者の生息・所属する〔してきた〕経営学関係の諸学界においても,けっして無縁ではなかった。とくに,最近における諸学会の活動状況については,より顕著に妥当する話題であった。

 こうした障壁を克服するためには,学会・学界人たちがなすべき仕事・任務・役目をいま一度,醒めた精神でみなおすほかないだろう。「活動のための活動」あるいは「学会開催のための学会開催」になっていないか,という要らぬ心配もしてみたくなるのである。
 

 ※-5 羽入辰郎の見地を批判していた論評の紹介

 ところで,ここに紹介する羽入批判論は,折原 浩側の研究者による意見表明である。ここでの問題は,本ブログの筆者がこの羽入によるマックス・ヴェーバー論に関連した著作に,どのように接してきたかである。

 少なくとも,「さまざまな学者がろくに検証もせず鵜呑みにし,また鵜呑みにしただけに留まらずしばしば称賛したこと」には,なっていなかったという具合に,つまり最低限の安堵だけは確保でき,ほっとしている。

 あるホームページに,2006年から2008年に書かれていた『羽入辰郎「マックス・ヴェーバーの犯罪」徹底批判』の文章を以下に紹介しておく。少し長いが,本日の記述に該当する内容であり,核心にかかわる指摘があるので,全文を引用する。

 a) 羽入辰郎の『マックス・ヴェーバーの犯罪』は,マックス・ヴェーバーという有名なドイツの社会学者の,これまた非常に有名な論文である『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をとり上げた書籍である。筆者は現在,青森保健大学の教授であり,1995年に東京大学倫理学博士号を授与されていた。

 このように紹介すると,なにやら高踏的な,非常に学術的な論文である,という印象をもたれるかもしれない。いや実際に,本書は元々著者の修士号論文,博士号論文をベースにしたもので,出版社も京都の学術系のところであり,少なくとも外見は学問的な装いに満ちている。

 b) ただ,『マックス・ヴェーバーの犯罪』といういかにも際物的なタイトル,あるいは,トイレで本を読む癖があるという著者の奥方の話から始まる序文など,よく気をつければ,実は「非学術的な」装いにもまた満ちているのである。

 書籍の内容は,ヴェーバーの上記の論文の主要な論点はほぼすべて無視し,筆者の都合のいいところ,論じたいところだけを断章主義的に抜き出して,筆者の勝手な論理を付けくわえたものである。

 その論点とは,「ヴェーバーが論文を書くにあたって,より1次資料に近い資料を十分に参照したかどうか」「ヴェーバーがどのような資料をみて,どのような資料をみなかったか」といった,はっきりいってどうでもよいことばかりである。

 c) 万一,筆者の主張するところがすべて真実だとしても,そのことでヴェーバーの打ち出した仮説や理論の価値はまったく揺るぎはしない。 しかしながら,この著者が狙っているのは,ヴェーバーの「知的な巨人」というイメージをひたすら引きずりおろして,「世間では偉いといわれているヴェー バーなんてこんなもんなんだよ」という中傷誹謗による自己満足と,それに気がついたのは私だけですよ,といった自己宣伝である。

 しかも,下記に紹介する当HP主宰者がまとめた4つの論考(ただしその論考は,ここでの引用としては紹介できない)を参照いただければ十分おわかりいただけるように,その都合のいいところだけをとった論点をひとつひとつみていっても,それぞれの論の進め方,論証は見事なまでに出鱈目である。

 d) また,研究調査の基礎,という意味でも,やたらと「文献学」という言葉が出てくるにもかかわらず,ほとんど学部生なみにレベルが低く,複数の資料を比較して特定の資料に含まれているかもしれない間違いに引きずられないようにするとか,余計な先入観を排除して事実をあつかう,といった当然成されるべきことがなされていないのである。

 これが天下の東大の博士号論文にもとづいているとは,いまでも信じられない。文部科学省による大学院のレベルの意図的引き下げは,ついにこのようなかたちで外部に恥をさらすまでに至ったということらしい。

 e) もうひとつ,本書をめぐって特徴的だったのは,このような出鱈目な内容を,さまざまな学者がろくに検証もせず鵜呑みにし,また鵜呑みにしただけに留まらずしば しば称賛したことが挙げられる。 そのような動きのひとつの典型として,PHP研究所が「山本七平賞」を本書に与えたというのがある。

マックス・ウェーバーと養老孟司

 その審査員代表はあの養老孟司であり,養老は選考の言葉として「この論文が正しいかどうか検証している時間はない。だが非常に論文らしい論文で,また女房のエピソードなど読んでも大変面白い」と絶賛した。この無責任さと非学問性こそ,本書の評価におけるひとつの特徴的な現象であった。

 註記)さきに挙げてあったが,ここで出所を再記しておく。『羽入辰郎「マックス・ヴェーバーの犯罪」徹底批判』,http://www.shochian.com/hanyu_hihan00.htm

 つまり,養老猛司でも判らないことは判らないということでしかなかった。だが,一度,山本七平という権威筋の人物によって「権威づけられた」賞を,誰かが受賞したとなると,とたんに,その作品の真贋を究めるために必要な「他者の鑑識眼を曇らせる」結果を生むということである。

 結局,『バカの壁』という本の題名の意味あいは,この本の著者・自身にも当てはまる表現であったことになる。皮肉というほどのものでもないが,それ以前の問題がそもそも的な事情・背景が,もとからいろいろと隠されていたわけである。

 なお,以上に参照した論者がまとめた「羽入式疑似文献学の解剖」は,結局,こう断定していた。

 羽入論考の〔『犯罪』〕第1章はすべての論点で崩壊しており,まったく論文の体を為さないといえる。筆者が検証したのは,もっぱら第1章に限定されているが,いわば「抜き取り検査」としてみた場合,他の章の論考についても「ロットアウト」と判断しても間違いではないと筆者は確信する。

 註記)『羽入式疑似文献学の解剖』http://www.shochian.com/hanyu-hihan-fc107.htm

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