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日本の原発問題は今後どのような方向に進路を取るのか-とくに「放射性物質の汚染問題」をめぐる議論を介して考える

 ※-1 飯田哲也・佐藤栄佐久・河野太郎『「原子力ムラ」を超えて ポスト福島のエネルギー政策』NHK出版,2011年7月

 先日,飯田哲也・佐藤栄佐久・河野太郎『「原子力ムラ」を超えて ポスト福島のエネルギー政策』NHK出版,2011年7月26日を読む機会があった。本書は「3・11」直後まだ4ヵ月ほどしか立っていない時点で公刊されていたから,おそらく,東日本大震災と東電福島第1原発事故を受けて,その直後に出版企画がもちあがり,可及的速やかに制作・販売に至ったものと推察する。

 ここで本ブログ筆者は,本書じたいの中身について紹介する意図はない。ただ,ある人が公刊していた原発問題に関する諸著作を,かなりの冊数まとめて読む機会があったのだが,その後,それらの本(買ったものは全部を読んだのでけっこうな分量になったが)を通読した結果,特定の印象を抱くにいたり,その後1年も経たないうちに,それらの本はすべて処分していた。

 もちろん,その人の本は原発関連の内容を書いていた。本ブログ筆者の勉強にはなったけれども,こちらの感じ方としては,読んだあとなにかが消化不良のまま時間が過ぎていった。そしてまた,読後に残った違和感のようなものが澱になって残されたかのような気分にもなっていた。

 ところが,今回,この飯田・佐藤・河野『「原子力ムラ」を超えて ポスト福島のエネルギー政策』2011年7月を読了したところで,その澱を残させてくれた当該筆者の特性というものが,この飯田らの本に向けてもいささか気になるかたちで,噴射されていた事実に出会った。

 つまり,この飯田らの本に対するブックレビューとして記入されていた文章が,けっこう辛辣な記述をおこなっていたせいでかえって,前段で「その人」といった人物の「特性・特徴」がより明快に理解できた気分になれた。

 ところが,その気分を生んだ精神の底面に関する話題としてだが,別個それなりに説明してくれる記述もたまたまみつけたので,これは後段で紹介することなるが,原発問題(原子力の工学技術的な理解・認識」に関して吟味を要すると感じた問題性を,わずかでも基本点から論じてみたく思った。

 ここでさきに,飯田・佐藤・河野『「原子力ムラ」を超えて ポスト福島のエネルギー政策』の狙いを解説した販売文句を引用しておく。

 福島第1原発事故によって明るみに出た,もんじゅ事故以来続く日本の原子力政策の杜撰さ。その背後に見え隠れする政官学業からなる「原子力ムラ」の虚妄を暴く。エネルギーとしての原子力の無効性を,福島というトポス,政治の現場,研究の最前線から明らかにする。

 供給が不安定で当座しのぎでしかない天然ガスに頼ろうなどという虚妄を排し,自然エネルギーにまつわる数々のウソ・デマ・迷信・誤解を解きほぐし,今後あるべきエネルギー政策の本質を明らかにする期待の書。

飯田・佐藤・河野『「原子力ムラ」を超えて ポスト福島のエネルギー政策』
の宣伝文句


 ※-2 東電福島第1原発事故現場のその後-2023年10月24日の報告- 

 「福島第1原発 燃料デブリ試験取り出し計画が見直しを余儀なくされる可能性」『NHK NEWS おはよう日本』2024年3月19日 (火) 午後 6:13,https://www.nhk.jp/p/ohayou/ts/QLP4RZ8ZY3/blog/bl/pDodEAXj7Y/bp/pal0RKnpQa/ について,NHK解説委員の水野倫之が2023年10月24日,あらためてつぎのように説明していた。

 --処理水の放出に焦点が当たる福島第1原発だが,一方で今〔2023〕年度中におこなう廃炉の本丸,燃料デブリの試験取り出しの先行きが不透明になってきている。水野倫之解説委員の解説〔を以下に記述する〕。

 東京電力の社員が,モニターを前に困惑したようすの絵を描いてみた。というのもデブリの試験取り出し計画が見直しを余儀なくされるかもしれないから。

 事故では核燃料が溶けて構造物と混じった燃料デブリとなって大量にたまっている。放射線が強く人が近づけないため,東電は長さ20mに及ぶロボットアームを6年がかりで開発。社員が操作訓練もして今年度中に2号機で,数 g の試験取り出しに着手する計画だった。

 ところが先週,「ロボットアームを通すフタを遠隔で開けたところ…」,直径50センチの配管が堆積物で埋め尽くされ,このままではロボットアームを通せない状況だった。

 事前の内視鏡調査で電気ケーブルがあったことから,ケーブルの被覆が事故で溶けて堆積したとみられている。東電は当初,高圧の水で除去できると楽観的だったが,いまあわてて別の取り出し方法の検討を始めた。

原子炉を擬人化して描いているが
原発がそれほどカワイイものとは思えない

 遠隔でボルトを外してフタを開けようとしたところ,事故の高熱で固着して簡単に外せず,ドリルでくりぬくなどして4か月もかかったから。東電はボルトがこうなら,堆積物も固着してとりきれず,ロボットアームが入らない可能性もあると考えはじめた。

 ただ事故で高温になったことはわかりきっていたことで,もっと早く固着の可能性に気づけなかったのか,東電の対応には疑問が残るところ〔であった〕。

 東電は今年度中の着手に間に合わせようと,釣り竿のような取り出し装置の検討を始めた。ただこれだと,ロボットアームのように内部の詳細な撮影や放射線の測定ができない。

 この先のデブリ取り出し拡大には内部状況の把握が不可欠なので,工程ありきではなく,堆積物の除去方法をしっかり検討するなど,ロボットアームをいかす道を探り,問題を乗り越えていかなければならない。(引用終わり)

 東電福島第1原発事故で溶融した原子炉は,圧力容器から格納容器へと一気に,すなわち,メルトスルーを起こしてからすぐにメルトダウンにまで到達していた。

東電福島第1原発事故における
放射性物質の排出量推定を
77京とみるのは少なすぎるという意見は否定できない


 ※-3 メルトスルー(meltthrough)とメルトダウン(meltdown)

 メルトダウンは炉心溶融とも呼ばれる原子炉の重大事故のひとつである。冷却系統の故障により炉心の温度が異常に上昇し,核燃料が融解することを意味する。燃料の大部分が溶融し,圧力容器の底に溜まった状態である。そして,高温によりさらに圧力容器の底が溶かされて燃料が容器の底を突きぬけることをメルトスルー(溶融貫通)と呼ぶ。

 メルトダウンを起こした例として,1966年のエンリコ・フェルミ炉事故(高速増殖炉・米国)や,1979年のスリーマイル島原子力発電所事故(米国),さらにメルトスルーに進んだ例としては1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故(旧ソ連),そして2011年の福島第1原子力発電所事故などがある。

 さらにメルトダウンが進み,核燃料が溶け落ちると,高熱により圧力容器や格納容器の壁を溶かして貫通して放射性物質が外に溢れ出すメルトスルー,俗にいうチャイナシンドロームの状態となる。

 また,溶融した核燃料によって格納容器の水が急激に沸騰し,水蒸気爆発を起こして放射性物質が大気中に飛散する。さらには,溶融した核燃料が容器の底部に集まるなどし,再臨界により暴走して核爆発に至る。いずれの事態であっても,環境中に重大な核汚染を招くことになる。

 ここでさきに,原発事故の様子を描いた画像を参照しておきたい。1970年3月28日に発生したスリーマイル島原発2号機のメルトダウン事故を図解にした説明を観たい。

これはスリーマイル島原発2号機のメルトダウン事故
における
原子炉内部の「圧力容器」解説図
東電福島第1原発事故の様子を描いた説明図であるが

このなかで「左下の絵図」の部分「3炉心溶融が進むと」が
圧力容器からデブリがメルトスルーする様子を描いている

格納容器においてはまだメルトスルーは起きていない絵図になっているが
当時(2011年4月18日段階)ではこの程度までしか推理できていなかった

  補注)東日本大震災で地震が発生したのは午後2時46分であった。その後津波が襲来するのはだいたい,その50分後になった。その時刻は午後3時36分ごろであったわけだが,1号機の場合,炉心溶融が始まるのは,そのほぼ2時間半ほどあと,午後6時ころであった。

 原発の大事故はそのように,民家の全焼事故みたく,つまりいったん事故が発生したとなると,その火のまわりは急速に進むことなる。それこそ急速に一気に溶融が始まるがごとき事態に突入する。

 原子炉内に装着されている多くの核燃料(棒)は,われわれが感覚的にしっている金属の融点よりもはるかに高熱にさらされるゆえ,事故のさいには急速に溶融するという危機に必らずみまわれる。

〔記事に戻る→〕 福島第1原子力発電所事故においては,地震と津波によって冷却系統の電源が失われ,冷却装置の配管が損傷するなどしてメルトダウンが起きた。核燃料は圧力容器を突き抜け,格納容器にも穴があくメルトスルーにまで至った。

 その結果,周辺の土壌や海域に大量の放射性物質をまき散らし,暫定評価は最悪のレベル7という深刻な事故となった。ところで原子力専門家からは,東京電力や原子力・安全保安院がこれらを切り離して呼び分けることで,被害状況を意図的に小さくみせようとしていたとの批判が投じられている。

 註記)以上,『コトバンク』「知恵蔵」「メルトスルー」の解説,https://kotobank.jp/word/メルトスルー-189102#goog_rewarded (金谷俊秀ライター / 2011年)参照。


 ※-4 飯田哲也・佐藤栄佐久・河野太郎『「原子力ムラ」を超えて ポスト福島のエネルギー政策』NHK出版,2011年7月に対する桜井 淳の酷評

 この※-4では,原発問題の識者の1人で,関連する著作を何冊も公刊していた桜井 淳が,飯田哲也・佐藤栄佐久・河野太郎『「原子力ムラ」を超えて ポスト福島のエネルギー政策』NHK出版,2011年7月に与えた書評(アマゾンのブックレビュー)が興味深かったので,この話題に移ってとりあげ議論したい。

 a) 本ブログ筆者は飯田らのこの本,『「原子力ムラ」を超えて ポスト福島のエネルギー政策』2011年7月は,実際に読んでみたところ,各執筆者の論述を急に寄せ合わせて編集された本であったために,編集の形式面における工夫としての統一性だとか一貫性が,どうしても不十分だと感じた。

 つまり「3・11」という原発大事故の発生直後に発行を企画され,どうしても大急ぎで制作・販売されたらしい事情のせいがあってか,本全体の視点からする体系および内容に関して,いささか,ぎくしゃく感を回避できていなかった。

 しかし,その中身全体としては,当時の2011年7月段階における公刊となれば,しかも専門書ではなく一般教養書として,世間の関心を惹起させる目的で制作された本であっただけに,ひとまずはそれなりに評価を与えてよい出版であった。

 さて,以下に関連して登場させる桜井 淳という人物は,原発問題に対して彼なりに深い関与をもって仕事をしてきた専門家の1人であった。ところが,飯田哲也・佐藤栄佐久・河野太郎『「原子力ムラ」を超えて ポスト福島のエネルギー政策』NHK出版,2011年7月に対して,アマゾンのブックレビューで一見風変わりな批評(非難)を繰り出していた。

 b) つぎにともかく,その全文を引用するが,適宜に本ブログ筆者の寸評も挟みこむことなる。

 なお,本日(2024年8月16日)までの現在で,飯田らの同書に対するそのブックレビュー(カスタマーレビュー)は,10点寄稿されていた。全体としてのその点数は「★5つが満点」のもと「4点」になっていた。

 そのなかで唯一「★1つ」を付けていたのが,桜井 淳のつぎのような書評であった。以下しばらく参照しつつ,議論もくわえていくことにする。

 
      桜井 淳-「5つ星のうち 1.0 錯覚人生の敗北」
       = 2020年10月30日に日本でレビュー済み =

 私は,2002年2月12日,「福島県エネルギー政策検討会」第13回検討会で,「原子力政策について」と題して講演しました。その内容とハプニングについては著作集に記しました。

 講演後の質疑応答のさい,佐藤栄佐久知事〔当時〕がゲスト講演者の私に失礼な言動があったため,きびしくたしなめました。会場にいた約100名のひとたちが固まってしまいました。

 以下はその時の発言要旨です。主催者にとって不都合な真実であるため,講演議事録から削除されています。

 「この検討会では素人が科学論やエネルギー政策を勉強している。初歩的な勉強のレベルだ。原発から離れた福島市の県庁で業務しているひとたちには原発の本当の怖さの意味が理解できないだろう。本当の意味を理解するには福島第1原発の隣に県庁を建設し,そこで毎日業務することだ。

 補注)福島県庁が当初は素人レベルから学習を始めていたが,事後,徐々に専門家に近い知識や情報をえるようになっていた。

 それこそ,専門家も大勢揃えていながら,原発の「日本事情」に関する勉強不足,そして対社会に対する怠慢な態度で,しかも世間全般を小馬鹿にしてきた原子力村側からの嘲笑的な対応を乗りこえ,

 当時,福島県知事であった佐藤栄佐久が,実弟に関した検察庁の99.99%はデッチ上げだった事件に強引に関連づけられて,県政の舞台から引きずり降ろされる事件まで発生させるほど,福島県側では独自に原発の勉強を必死になって重ね,国家側や電力会社側に対して同等に議論し,批判もできる態勢をととのえてきた。

 ところが,この県側の原発問題に対する理解度が専門的な水準・内容になってくると,原子力村側の立場とすれば相手として非常にやっかいになってきたため,そのようなフレームアップ事件を作りあげていた。佐藤知事自身はすでに有名人になったゆえ,日本社会のなかでもよくあるように,殺されるような目には遭わなかったものの,政治家としての人生を完全に中断された。

 さて,つづく桜井 淳の話し方は自慢話に近い気分をにじませていた。

〔記事に戻る→〕 私は原研材料試験炉の炉心核計算業務を8年間にわたり原子炉建屋隣接の管理棟居室で担当していた。原研安全性試験研究センターの居室から東海第2原発が眼下にみえていた。

 原子炉のすぐ近くで毎日業務して初めて,人間や技術の信頼性,さらに,組織のメカニズムが理解できるようになる。安全性や危険性も理解できるようになる。みなさんはなにも理解できていない。

 いまの知事の発言に接し,福島県は,首都圏ではなく,東北地方だと痛感した。彼らが本当のことを理解できたのは2011年3月11日でした。もっと早く気づくべきでした。彼らは意識が低く,レベルが低い。

 補注)このものいいは,完全に他者をバカにしきった発言としか聞こえない。佐藤栄佐久が福島県知事として,東電の福島第1原発の6基と第2原発の4基も抱える立場から,どのように言動してきたかを,より現実的に理解したうえでの発言には聞こえない。

〔記事に戻る→〕 その何年後だったか,福島県議会で「プルサーマルについて」と題する講演をしました。講演の途中で,会場の自民党右派議員から,「東大の先生は安全でなんの問題もないといっていた」と,私の講演内容を揶揄するようなヤジがありました。

 以下はその時の発言要旨(福島県議会は講演記録を保存しているはず)です。この件についても〔自分の〕著作集に記しました。

 その東大の先生は,JCO臨界事故が起こる前に,日本の安全規制の欠陥や改善すべきことがあると指摘していましたか?

 なんの問題もなく,日本の原子力は,安全だといっていたのではありませんか? 

 スリーマイルやチェルノブイリや東海村という地名には,とくに悪い意味が込められていたわけではありませんでしたが,ある日突然,宿命を背負わされるのです。

 みなさんが放射能の海に溺れながら,こんなはずではなかったと後悔しても,すでに,遅いのです。彼らは,いま,福島の現状をどのように受け止めているのでしょうか?(桜井からの引用・終わり)

 c) なお,JCO臨界事故とは1999年9月30日,茨城県那珂郡東海村にある株式会社ジェー・シー・オーの核燃料加工施設で発生した原子力事故の件で,日本国内で初めて,事故被曝による死亡者を出した。

 本ブログ筆者は8年ほど前,桜井 淳が公刊してきた単行本を相当数調達し,読んでみた。その後,1年くらい時間が経つまでには,古本として買ってくれる業者に全部処分した。

 いま手元にあるのは,その購入した本の書名の記録だけである。一言でいっておくと,保存(所蔵)しておくだけの価値がある本だという判断に至らず,おまけに,狭いわが家のあちこちに配置されている書棚はすべてぎゅうぎゅう詰めである事情もあって,わが家からは去ってもらうことになっていた。

 ともかく,桜井のそれらの本のうち1冊でも絶対に残しておいたらいいかなと,判断してみたい本はなかった。読んだら「即,処分」にしてよかったたぐいの書物であった。

 この判断が適切であった点は,前段に引用して紹介してみた桜井 淳の論調(表現の方法やそこに示唆された発想)に照らしてやはり妥当だったのか,という思いである。

 要は,桜井 淳の原発問題への現場的な取り組みを長年経ての発言とはいえ,つぎのような引用部分は,傲岸不遜・夜郎自大・尊大無比であった感想を抱かせる。

 たとえば,こういいはなっていた。

「原子炉のすぐ近くで毎日業務して初めて,人間や技術の信頼性,さらに,組織のメカニズムが理解できるようになる。安全性や危険性も理解できるようになる。みなさんはなにも理解できていない」

 この論法だと本ブログ筆者だけでなく,原発問題に関心をもってなにかと発言をしている人間どもの大多数は,「原子炉のすぐ近くで毎日業務して」いないから,「人間や技術の信頼性,さらに,組織のメカニズムが理解できるようにな」りえないし,くわえて,原発の「安全性や危険性も理解できるようになる」とは思えない。ともかく「みなさんはなにも理解できていない(ぞ)」という帰結になる。

 これでは対話は最初から成立させる余地を奪われたも同然であった。いってみれば,お話にならない断定話法が盛んに駆使されていた。


 ※-5 桜井 淳の発言様式・中身に対して感じた「違和感・異様さ」を批判した記事

 ネット上には面白いもので,つぎのような記述というかサイトがあった。『桜井 淳 発言研究まとめ @Wiki』というのがそれである。該当する記述の最終更新が2021年11月25日 10:32 だということなので,比較的に最近の記述になる。このサイトのこの記事を以下に引照する。少し長い文章だが,全文を参照する。

 ただし,この『桜井 淳 発言研究まとめ @Wiki』におけるやりとりは,なにがなんだか取っつきにくい記述にもなっていて,当事者たちでなければ分かりにくい会話になってもいた。

 けれでも,ともかく,桜井 淳の立場・発想・意見などが真っ向から批判されているという1点のみは,しっかり踏まえて読んでみることにした。

 要は,桜井 淳に向けてこのような反論・批判がなされていた事実は,いまから8年前に本ブログ筆者が,この桜井の著作をたくさん取り寄せて読んだときに感じとれた「感想・印象」に通じる「なにか」を,あらためて確実に提供していた。

 ということで,少しダラダラと長めになるが,以下のごときに引用(記述)することにした。理解しにくい段落もあるが,忍耐と寛容を乞いたい。

 はじめに-桜井 淳氏の「基本的」問題

 桜井 淳氏の意見を,アマチャな我々でも「そのまま」受け入れるわけにはいかない。その理由をここに記す。

 a)「基本的な問題点」 まず,桜井氏の文に流れている論調〔には〕,感情的で冷静さを欠いた不適切な表現が満ち満ちていることに反感を覚えざるをえない。つぎのような表現を読んで,一般良識ある人はいかなる気持ちをもつか?

  【番外】 罵倒編
  【番外】 傲岸不遜編

 まあ,なんとよくもこれだけの中傷,椰楡に満ちた表現を集めたことか。少なくとも「危機管理」を問題にしようとする時に,それとは関係のない「絶対につきあいたくも,かかわりももちたくない」このような人物の人生観を読まされることは,「言葉の暴力」以外のなにか?

 コメンテーターとして使おうとするマスコミは,もう一度この人物に流れるゆがんだ著者の人生観を検討すべきであり,これでは「便所の落書き以下」と呼ばれてもしかたがない。

 以下,「自画自賛の文章」のみを判断材料にすることになる。

 「自分の持論に対するおそるべき自信」 (⇒私に対し,一市民が私を中傷したり,攻撃したりするのは,筋違いであり,そのような無礼な行為に対しては,右翼反動派と位置付け,きびしく対決いたします。)

 「差別主義的発言」 地位での分け隔て(⇒北側大臣への態度と,罵倒編・傲岸不遜編との比較をすれば明らかであろう。)

 「能力・学歴での分け隔て」 (⇒飛岡君! 君が学位をえたならば,軽々しく技術を論じることができなくなります。いまからでも遅くはありません。論文博士では不可能ですから,東大大学院工学研究科に入学し,博士課程を修めて学位審査を受けてください。そして,客観的な技術評価がどのようなものであるか,考えなおしてください。学位すら取れないくせに専門家面などするものではありません。)

 〔くだんの〕村上自身,学位を持っていない中級ディレッタントであるため,おそらく,柳田のような視点に共鳴するのでしょう。 

 補注)このあたりからいくらか文意・文脈を汲みとりにくい説明になっているが,我慢して読んでもらうことをお願いしたい。前後してどの段落も,桜井が批判されている内容であるので,念のため。

 〔記事に戻る→〕 〔桜井 淳はすでに言及のあった〕佐藤〔栄佐久〕前福島県知事の質疑に激怒し,「福島県が東北地方に位置するため,そこに住む人たちの意識が低い」,と発言した。

 私〔桜井〕は,カリフォルニア大やスタンフォード大や東大の中で生きてきましたので,偏差値45程度の世界がどのようなものなのか予想すらできません。

 補注)ちなみに,本記述中に登場した人物のうち,福島県知事であった佐藤栄佐久は東京大法学部卒,飯田哲也は京都大学工学部で原子力核工学科卒。

 〔桜井いわくしたところの〕「『二流・三流』『住む世界が違う』という発言」〔の具体例は以下のとおり〕

  ▼ 下請に対する論評
  ▼ 偏差値発言
  ▼ 安全を論ずる対象への基本的知識の欠如

 「安全装置の基礎知識 並びに 新幹線は自動運転できる」〔という桜井の意見について〕
 
 〔桜井はまた〕原子力発電所のタービン〔のこと〕を「ボルト止め」と盲信。(正しくはピン止め)

 ジャガイモの放射線処理〔のことを〕(〔桜井〕氏は殺菌と述べているが,正しくは発芽防止。本当に原子力関係者なのか?)

  ▼ また,メールや blog コメント欄にての指摘に対して,いいわけ・コメントそのものの抹消,異論を述べた Blog へのアカウント剥奪を画策した疑惑,および名誉毀損による告発など偏屈な態度にこりかたまっている。このような者に安全を論じる資格があるのか。

 b)「基本的な問題点

 そもそも,桜井氏の人格について論じなければならないところが,一番の問題なのだ。

 刺激的,扇動的な表現を削ってもう一度,読み直してみよう。少なくとも,氏の専門である原子力問題以外については,問題点を「指摘」こそすれ,その具体的な対応策をほとんどなにも論じてはいないことがわかる。つまり危機管理や安全「御意見番」にはなりえても「論者」にはなっていないのである。

 【例1】 2006年3月8日 (水) 無人運転はどこまで可能か。結局,無人運転が「どこまで」可能なのか,なんら述べていない。

 【例2】 2006年2月22日 (水) 中学生にもわかる「車両軽量化」の話-アルミニウムとステンレススチールを利用する目的と切り落としてしまったもの-のなかで,

 アルミニウムやステンレススチールを採用しても,設計の仕方によっては,軽量化を図りつつ,なおかつ,乗客への安全性を高めることは,十分に可能なのです。とはいうが,その方法はなんら述べていない。

 念のため追記するが,氏は,アルミ電車の車体は弱い,と盲信している節がある。

 また,危機管理や安全対策はかくあるべきだ,という論点を一方的に設定して,その基準に満たないから駄目だ,といっていることである。〔ところが〕その設定が事故発生=日本滅亡ともなりかねない原子力発電所を基準にしているため,「的はずれ」になることもある。

 c) また,危機管理や安全論は多くの専門家や研究者,技術者の知恵の結晶からなっているのにもかかわらず,テレビでは,たとえまちがってもよいから,意識的に断定的に話すことなどという発言は,危機管理や安全にかかわる人びとへの侮辱以外のなのものでもない。

 さらににいえば,テレビ界そのものを完全に舐めきっている。テレビとはそんなものだとバカにしくさっている。桜井をほいほいと出演させるテレビはみずからを貶めていることに気が付かないのか。ウソをつくのが当然だといわれているにもかかわらず。

 また,テレビ局側が「たとえ間違っていてもよいから,意識的に断定的に話すこと」を望み,それに乗じて発言しているのなら,桜井氏は単なるTVの走狗で,おひな様であり,またみずからのいうように,たとえバカでも,視聴率を稼げるヤツが価値があり,仕事が増えることになっている。〔ということ〕を,実践なされているとも判断できる。

 事実,テレビ局のスタッフに「あなたを呼んだのは,視聴率を上げるためです。他局でいってないことをいってください。あなたが過激なことをいえば,いうほど視聴率が上がりますから・・・」といわれた,と氏は述べている。

 「それは,社会との接点を得るため,市民の安全を守るためと割り切り,がまんの毎日でした」とはいうが,どうやら数字を取るために手っとり早く使える「事故屋」として走狗となっていることを,しってかしらずかはともかく,それと同じ口で〔・・・〕。

 d)「JR西日本と鉄道マニアとテレビ局には,無知・無能をさらけ出したため,不名誉な『三バカ大将賞』を差し上げましょう」と述べている以上,桜井氏の発言も〔またくわえて〕「無知無能の三バカ」のひとつとして,あつかうしかない。

 ジャンル違いになるが『食卓の安全学(松永和紀)』において,著者は「○ ○ は,病気に効く」等と述べる博士を「ナンチャッテ学者」とし〔ていたが〕,ほとんどの研究者は慎重に言葉を選んで話し,「○ ○は,病気に効く」等の断定はしません。

 しかし,これでは,マスメディアはコメントとして使えません。その結果,一部のナンチャッテ学者に取材が集中し,同じ人がさまざまなメディアに登場してしまうのです,などと断じている。

 著者〔桜井 淳〕は,脚光を浴びたい,経済的に豊かになりたいという考え方や,社会貢献のあり方を誤ったことが,ナンチャッテ学者がはびこる理由としている。 

 くわえてデマゴーグ(参考:佐賀銀行破綻デマ)やミスリードによる危険を自覚していない,危機管理論者,ということになろう。

 e)【参考・正確〔さは〕2の次 売名第一? より。】

 私は,ことがことだけに,真実を曲げず,危ない話に対して,言葉を選びながら,慎重に表現したつもりである。

 〔なかでも〕(参考)としたインタビューが,逆に「原子力発電所の多重の防護システムを無視」したあげく,「視聴者の皆様,周辺住民の皆様に誤解や不安を与える結果」になってしまい,あげくTV局にお詫び放送をさせる事態にまでなった。

 福知山線事故以来,置き石等線路に障害物を置く事件が多く報道されるようになった。それは,氏が繰り返し「置き石では脱線しないと発言したため」である。追記すれば,その行為自体懲役2年以上(!)という犯罪である。

 こう書いたら当然氏は激怒するであろうが。

 f)【追記】 やはり激怒した。〔しかし〕私があえて責任を負わなければならないほど大きな過失,はなにひとつないだろう。自然科学のイロハもしらない精神異常者があら探しに明け暮れている。

 この Wiki の姿勢。桜井氏は,テレビや新聞は素人相手の世界であり,たまには,真剣で生きるか死ぬかの勝負をしてみたいと思っている。

 腕に自身のあるヤツは,氏名,住所,経歴をオープンにして,かかってこい。いつでも相手になってやる。手加減はしないから,覚悟してかかってこい。

〔など〕と発言しておりますが,この Wiki 編集者はおそらくはほとんど素人であると推察される。死ぬか生きるかの勝負はゴメンこうむる。

 もっといえば,玄人相手でも曽根・永瀬両教授に対する態度のように,論に対して論を返せず人格攻撃に終始するのでは,勝負したところで,経歴をあげつらうことが想像できてて話にならない。

 g) 確かにこの wiki は,元はといえば匿名掲示板から登場したものではある。案の定激怒したらしく〔・・・〕,

 インターネットには2チャンネルと呼ばれるものがある。しかしその正しい定義をしっている者は少ない。インターネットに掲載されたホームページやブログまで2チャンネルだと錯覚しているバカがいる。ひどいバカになると商業用電子週刊誌の連載欄まで2チャンネルだと錯覚している。

 2チャンネルとは,匿名の反社会的内容を掲載した犯罪的掲示板のことであり,テレビの空きチャンネルの最初の番号を記したにすぎない。掲示板利用者もウイルス攻撃を趣味にしているバカと同じ種類の人間であり,非生産的で無意味な時間を費やしている。

と,発言(こちらにて再録)している。

 その前に2チャンネル(ママ)とはなんであるか。ウィキペディアなりガイドなり読んでから,といっても読まないか。

 確かに,匿名故羽目を外す発言をする輩がいることは大いに問題だ。が,同時に,匿名故学歴や年齢性別かかわらず自由に発言できる側面がある。博士号を持っていようが,その道の権威だろうが,ハロー効果起こさせずに論じ雑談し,検証できることは大きな利点である。

 (この文は,桜井 淳氏が人間を地位・学歴・論文の数で分け隔てする事への,皮肉でもある。)

 h) それでもなお問題があるようなら,最近の犯罪捜査で明らかなように,都市,駅,それにテーパート,スパーマーケット等,要所に設置された監視カメラにより,個々の人間の振る舞いなど,すべてお見通しなのだ。

とのことであるし,なんでも

 〔ところで〕サーバー情報公開法がありますので,警察に届け出れば,すぐに特定されますから,それなりの対応をしてもよいのです。

 ということですので,問題発言された方,サーバー情報公開法で訴えられぬよう,気をつけましょう。誰も訴えられないと思うけど。 

 --以上の『桜井 淳 発言研究まとめ @Wiki』のやりとり,なにがなんだか,どうなっているのかなどについては,当事者たちでなければ分かりにくい会話が入りみだれるかっこうにもなっていた。だが,ともかく桜井 淳の立場・発想・意見などのヘタレ具合が,真っ向から批判されている点だけは,理解できる。

---------【参考文献の紹介:アマゾン通販】---------


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