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『日本経済新聞』「社説」が東電福島原発の廃炉問題について論評する立場を議論する(後編)

 ※-1 原発の廃炉工程

 以前,『日本経済新聞』2019年7月31日朝刊の「社説」が,東電福島第2原発廃炉問題について,つぎのごとく論評していたが,果てしなくつづく廃炉工程の工事は,イバラの道を歩むほかない未知の世界である事実を,われわれに対して突きつけるように教えてきた。

『日本経済新聞』社説

 この社説は「40年におよぶ廃炉」と表現していたが,日本経済新聞の立場として,その同じ40年間には満たなかった東電福島第2原発の「実質の稼働年数(耐用年数)」については,「経済的合理性の問題」に関しては一言もない論説になっていた点が,とても不思議というか奇妙に感じられた。

 その東電福島第2原発の営業運転開始は,第1号機から第4号機までそれぞれ,1982年4月 ⇒ 1984年2月 ⇒ 1985年6月 ⇒ 1987年8月であった。この原発4基は2011年「3・11」の東日本大震災と,これに伴い発生した大津波には被害を受けなかったものの,福島県内の原子力発電所の全基廃炉を要望する地域の意向等を総合的に勘案し,2019年に廃炉措置が採られていた。

 2011年からかぞえると,各号機の建設以来の年数はそれぞれ,29年 ⇒ 27年 ⇒ 26年 ⇒ 24年になる。原発は当初,耐用年数は30年だと予定されていたが,事後,40年とされた。最近は60年にまで延長され,しかも保守・点検の期間はそれから除外するといった,理工学の視点から観たら非常識きわまりない「ヘリクツの耐用年数」を設定していた。

 ところで,建坪300坪・5階建て(だから建坪60坪)で,50年使用したビルの解体工事は「どのくらいの時間がかかるか」という問いに対してならば,「数十日から何ヶ月」と答えられる。高層大型ビルの解体でも数年程度で終える。ところが,原発の解体(廃炉)工事が40年で終わる保証はなかった。

 原発の廃炉工程(解体工事)においては,放射性物質の処分が困難な技術的課題を残している。この放射性物質の後始末は,ほかのあらゆる解体工事とは質的に完全にといってくらい,別次元の困難をもちこむ要因になっている。

 しかも,大事故を起こした原発の廃炉(とういうよりは当面するのはその事故現場の後始末)の場合は,前段に言及した通常における原発の廃炉問題とは,別次元の至難な対処方法が要求されている。

 この事実は,いまもなお東電福島第1原発事故をめぐり持続させられている困難であって,最近では核・汚染水を「処理した汚染水:処理水」と称して,2023年8月24日からその第1弾を太平洋に排出していた。


 ※-2「福島第2廃炉は綿密な工程で」『日本経済新聞』2019年7月31日朝刊「社説」と題したこの「社説」をめぐる議論

 なお,以下における「上の記事」そのものの引用のあいだには,あれこれとたくさん「本ブログ筆者の記述」が挿入されている。けっこうな分量・比率を占めてもいるので,その旨,承知のうえで読んでほしいところである。とりあえず,そのあたり区分そのものはあまり気にしないで,読み下してもらえれば好都合である。

断わりとお願い

 a) 東京電力ホールディングスは福島第2原子力発電所を廃炉にすると表明した。事故を起こした福島第1原発と合わせ,同時に10基を廃炉にするのは例がない。東電は安全確保を最優先に綿密な計画をつくり,政府も大量廃炉に備えた制度づくりを急ぐべきだ。

 補注)ここで断わられている「安全対策」とは,前段で若干関説したビル解体工事の場合における安全対策とは,まったく次元の異なる問題があった。いうまでもなく,放射性物質の後始末が,原発関連施設全体の処分と同時並行的におこなわれなければならないが,これが非常に困難な作業を要求しつづけるものとなる。

 補注)使用済み核燃料については,日本以外の国(アメリカなど)が「コストの問題」,そして「自国での再処理を止める」ように勧告するうえで,使用済み核燃料を再処理せず,そのまま冷却保管し,地中のコンクリート構造物で保管する「ワンススルー方式」(once throw method, 直接処分)を採っている。

 日本は,使用済み核燃料については廃棄する方法を採らないので,直接処分は実施されていないが,2013年度(平成25年度)から研究開発を進めている。この方式の場合のコストは1キロワット時あたり0.7円弱と見積もられ,再処理コストがかからない分,再処理を実施する場合よりも安くなると説明されている。

〔記事に戻る→〕 2011年の東日本大震災では4基ある福島第2原発は安全に停止した。しかし,廃炉を求める福島県などの意向は強く,東電は2018年6月,廃炉を検討すると県に約束していた。今回,廃炉のメドが立ったとし知事に伝えた。

 補注)この点は冒頭でも触れておいたが,東電福島第2原発は「3・11」発生直後,原発の「事故〔としては〕危機一髪で助かっていた福島第2」であった事実を忘れてはならない。

 どういうことであったのか?

 福島第2発電所はメルトダウンを起こした福島第1発電所から直線距離で12kmしか離れていない。震源までの距離は,どちらも約170kmである。幸い,福島第2発電所の4基の原子炉は無事に冷温停止することができた。

 福島第1のような深刻な事故に至らなかったせいか,福島第2の状況が新聞・TVなどによって報道されることがほとんどなかった。

 b) 震災から11ヶ月を経た2012年2月になって,やっと福島第2発電所でなにが起きていたのかが報道関係に公開された。その公開の場において,福島第2所長は「福島第1原発と同様の事態まで,紙一重だった」とコメントしていた。

 福島第2発電所で,実際になにが起きていたのかを調べることは簡単ではない。まず,福島第2発電所に関する報道が極端に少ない。つぎに,東京電力が震災直後から1時間ごとに福島第2発電所の状況をインターネットに公開しているが,残念ながら,その内容は原子力安全・保安院向けのきわめて事務的なものである。この内容では,具体的な設備でなにが起きていたのかをしることができない。

 註記)以上ここでは,「危機一髪で助かった福島第2」『原子力,エネルギー,放射線についての解説』という文章の,その初出の日時は不詳だが,2012年4月ごろ〔の執筆文章と判断する,更新は〕2017年5月21日 15:25:32,http://oceangreen.jp/kaisetsu-shuu/Fukushima2.html
 
 補注)『日本経済新聞』は自社(自紙)の立場からこれまで,もしかすると,福島第2原発事故のその後について取材した情報・知識は蓄積しておらず,今回の社説を書くにあたり利用できなかったということか?

〔記事に戻る→〕 しかし,安全で着実な廃炉には課題が山積している。まず心配なのは必要な人員や技術,資機材を確保できるかだ。福島第1原発は大量の汚染水がたまり,溶け落ちた核燃料の取り出しが控えている。その作業には数千人の作業員が必要で,さらに第2原発の廃炉がくわわる。

 c) 関西電力や四国電力なども含めると,国内で廃炉になる原発は20基を超える。人員や資機材の取りあいになる恐れもある。原子炉の解体など重要な作業がいちどに集中しないように工夫が要る。東電は社内だけでなく他の電力会社やメーカーとも調整し,綿密な工程表を示すべきだ。

 補注)かつて,原発が電力生産のために日本に導入されはじめたときから「3・11」までの話を,ここでごく簡約に説明しておく。

 日本では,1950年代より原子力発電は夢のエネルギーとして,国を挙げて原子力発電所の増産に力を入れてきた。CO2 を排出しないクリーンなエネルギーで環境にも良く,低コスト。建設される地域には,原子力産業により多くの雇用が生まれ,経済も潤うという図式であった。

 しかし,国策〔民営〕として強力に押し進められていく一方で,原発を誘致した地域では,住民同士が原発推進派と反対派に分裂し,多くの第1次産業に携わる人たちにとっての生命線である自然が破壊されていった。

 原子力発電所を建設するために地元に下りる多額の交付金で立派な建物は増えても,内部分裂してしまった住民の関係を修復することはできず,地域は活性化されるどころか,高齢化過疎化はよりいっそう深刻化していった。

 原発にまつわる多額の資金は,独占企業である電力会社や限定された企業や組織,一部の人間に流れていった。そうして稼働される原発は,日々,放射性廃棄物と被曝労働者を増やしつづ,大気や海水には放射能が放出され,地元での健康被害は増えつづけているという状況になっていた。

 そして2011年3月11日の午後2時46分だった,東日本大震災での大地震が発生し,これに原因した大津波の襲来により,福島原発では事故が起きてしまった。

 註記)以上,http://www.tomoamici.net/wp-content/uploads/2011/12/監督 纐纈あや メッセージ.pdf. この住所は現在,削除。

 補注)以上のごとき「日本原発史の概要」は,いまでは原発推進派の人びと,とくに原子力工学を勉強してきた人士であれば,否応なしに認定する「事実史に関する諸現象」である。またいえば,当初から原発の利用に反対してきた科学者たちも,一定の集団と存在していた。

 武谷三男,高木仁三郎,広瀬 隆,小出裕章(を含む京大〔前〕原子力実験所の熊取六人衆),槌田 敦などを代表とする反・原発の立場に関連する知識人・研究者たちは,原子力村側からは蛇蝎視され,「3・11」以前は,それこそ徹底的に排除され抑圧されてもきた。

 それでも黙らせることができなかった彼らのうち,高木仁三郎(1938年7月~2000年10月)にまつわる1978年の出来事として挙げられる有名なものが,電力会社側から「当時の金で3億円」を受けるよう提示され,自身の発言を封印するように要請された高木に関する1件であった。しかし,彼はそれを峻拒した。

 高木仁三郎の反・原発の論理は,科学的に説明されていたに過ぎない。ところが,それは「電力会社の立場・利害」から判定する場合は,絶対に許容できない原発「否定の理屈」を意味した。高木は,いったいどのように反・原発に関する説明をおこなっていたのか?

 高木仁三郎はまず,1995年の時点で福島第1原発は老朽化により耐震性が劣化している「老朽化原発」であり,「廃炉」に向けた議論が必要な時期に来ていると指摘した。

 くわえて,福島浜通りの「集中立地」についても,大きな地震が直撃した場合など,どう対処したらよいのか想像を絶すると,その危険に警鐘を鳴らしていた。もし大地震が起きれば原発の給水系は壊れ,制御棒はメルトダウンする。原子炉がいくつもある福島,福井では複合的に壊滅する。

 1997年,長崎被爆者手帳友の会,平和賞を受賞。同年,スウェーデンでライト・ライブリフッド賞を受賞。プルトニウムの危険性を世界にしらしめたという理由で受賞した。

 註記)「電力会社からの口止め料,百億円を断った科学者がいた! 反原発,故高木仁三郎! 2000年没 / 福島原発事故予見」『みんなが知るべき情報 gooブログ』2014-12-14 19:01:57,https://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/be1e378d186a4206ade7464899ebbe2 

高木仁三郎

 以上のごとき,高木仁三郎が原発を批判した論理に忠実にしたがっていえば,「3・11」の発生時,間一髪で大事故を逃れえた東電福島第2原発--1982年から1987年にかけて4基が営業運転を開始していた--だとしても,とうの昔に廃炉の時期を迎えていた計算になる。

 なお,東電福島第1原発は1971年から1979年にかけて,6基がそれぞれ営業運転を開始していたから,その1号機は2011年は商用運転を開始してから40年になる年であった。しかし,高木仁三郎は1995年にはこの東電福島第1原発が危険だと警告していた。

 高木仁三郎以外にも広瀬 隆や小出裕章が,「3・11」のような原発の大事故の突発を非常に恐れて,原発事故の発生を警告をしていたが,原子力村側はそれこそ「屁のかっぱ」同然に黙殺を重ねていた。

 ところが,「3・11」に発生した東日本大震災は,東日本一帯の海岸線に大津波を襲来させてもいた。この大津波のために東電福島第1原発は,非常用電源装置までも完全に冠水する緊急状態になった。

 しかもそれ以前の段階において,地震のせいで,外部から引きこんでいた送電線は鉄塔が崩壊しており,原子炉に冷却水を送る装置を動かすための送電ができなくなっていた。そのために結局,原子炉3基が,爆発を起こしたり溶融したりする「深刻・重大な事態」を惹起させるに至った。

 高木仁三郎が2000年に死去したのちとに発生する大事件となったが,つまり,彼が他界してそのほぼ10年後の2011年3月11日,21世紀の世界史に記録に残されるべき原発の大事故が,20世紀中に発生したスリーマイル島原発(1979年3月28日)とチェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)につづいて起きていた。

 「3・11」が発生した直後の時期,つまり,高木仁三郎の警告が本当に起きてしまった時期になってもまだ,つぎのように与太を飛ばしていた原発擁護論者=東大のエセ科学者がいた事実は,日本の原子力村のまことにみっともなく,はしたない実情を端的に表現していた。

     ▲「プルトニウムは飲んでも平気」 大橋弘忠                         東大教授の “黒い兼業簿” ▲
  =『My News Japan』17:41 10/18 2011,
           http://www.mynewsjapan.com/reports/1509 =

 「プルトニウムは飲んでも平気」「水蒸気爆発は起こるわけない」と発言していた東京大学教授・大橋弘忠氏の “原発マネー” を東大に情報公開請求したところ,過去5年間に,産官学の “原発ムラ” から,計54もの兼業依頼を引き受けていることが判明した。

 兼業先での業務実態を議事録などからあらためてチェックすると,内閣府の原子力委員会では,原発推進のための「やらせ」を示唆する発言をしたり,原発の安全性を重視するドイツのことは「勝手にやっていろ」と述べ,さらに原発事故のあとでさえまったく反省の色をみせていないのだった。

 補注)「プルトニウムは飲んでも平気」と発言した東大教授の大橋弘忠(画像では左側)と小出裕章(当時,京都大学原子炉実験所助教,右側)との論戦がおこなわれたのは,2005年12月25日「プルサーマル公開討論会(佐賀県)」のときであった。

大橋弘忠

 この論戦のなかで大橋弘忠がみせた態度は,小出裕章(この動画では最後のほうで壇上にいることが確認できる)をひどく小バカにしていた。

 ところが「2011年3月11日」以降,この大橋は結局のところ,しばらく雲隠れ状態になっていたが……。 東電福島第1原発事故はこの種の似非学者を黙らせる効果を随伴的にだがもたらしていた。

〔記事に戻る ↓ 〕
 d) 費用面でも懸念が残る。東電は,福島第2の廃炉費を約2800億円と見積もるが,人件費などで上振れする可能性がある。収益源と見込む柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働も地元の慎重論が強い。再稼働ありきでなく,さまざまなケースで財務面の見通しを示すべきだ。(なお以下からはさらに,しばらく,社説の引用から離れる記述となる)

 補注)東電福島第2原発の廃炉工程は6基を工事する。そして,時間的には「40年超」かかると,先日も『日本経済新聞』は報道していた。

 だが,この「40年超」をひとまず50年と仮定しても,1年あたりの廃炉経費は「2800億円 ÷ 50年」= 56億円(1ヵ月あたり4億6667万円)となるが,はたしてこれで済むのか?

 そうした計算じたいが妥当でありうるのかと問えば,まずもって,まったく請け負えない相談である。廃炉費は今後において,それ以上にぐんぐん増大していくとみなすのが,より妥当なみこみ(発想:問題意識?)である。

 東電福島第1原発の事故現場の後始末から,「本格的な廃炉工程」にはいってその作業工程が終わるまで(これが何年かかるかまだ判っていないが),2019年3月の時点においてその総経費は81兆円にもなると,民間シンクタンク「日本経済研究センター」(東京都千代田区)がまとめていた。

 すなわち,同センターは,東京電力福島第1原発事故の対応費用は「総額81兆~35兆円になる」との試算していて,経済産業省が2016年に公表した試算の約22兆円を大きく上まわっていた。

 その81兆円の内訳は,廃炉・汚染水処理で51兆円(経産省試算は8兆円),賠償で10兆円(同8兆円),除染で20兆円(同6兆円)と説明されていた。

 同センターは2年前,総額70兆~50兆円に膨らむとの試算を出したが,その後の汚染水処理や除染などの状況を踏まえ,再試算した。

 試算を示したリポートはこの費用の増加を踏まえ,「中長期のエネルギー計画のなかで原発の存否について早急に議論,対応を決めるときではないか」と指摘した。

 註記)「福島第1事故の対応に最大81兆円 シンクタンクが試算」asahi.com 2019年3月9日23時52分,https://digital.asahi.com/articles/ASM3943DYM39ULFA002.html

 補注)民間シンクタンク「日本経済研究センター」が以上のように分析・試算した結果,「原発の存否について早急に議論,対応を決めるとき」だと指摘・結論した意味は大きい。

 つまり,けっしておおげさではなく,「原発止めますか,それとも人類滅ぼしますか」という種類の問いが,経済計算を基礎に踏まえてだが当然のこととして,「原発の採算的不利性・反時代性」に対して投じられていた。

 e) われわれはここで,アルベール・カミュの随筆『シーシュポスの神話』(日本語訳では『シシュポスの神話』とも表記,Le Mythe de Sisyphe)を思い出すほかない。この引用では「岩」が「原子力=悪魔の火」に相当する。 

 神を欺いたことで,シーシュポスは神々の怒りを買ってしまい,大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を受けた。彼は神々のいいつけどおりに岩を運ぶのだが,山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまう。

 同じ動作を何度繰り返しても,結局は同じ結果にしかならないのだった。カミュはここで,人は皆いずれは死んですべては水泡に帰すことを承知しているにもかかわらず,それでも生きつづける人間の姿を,そして人類全体の運命を描き出した。

シシュポスの神話

 「神々の怒り」とは,日本の神道的な思考方式(八百万的な神々の観念)に即していいかえれば,原子力を電気生産に応用した「人間の愚かさ」に向けられるそれだったと解釈したらいい。

 原子力の危険性をめぐっては,たとえば具体的にいうと,チェルノブイリ原発事故のことを「あのような事故は日本ではけっして起こさない(起こるわけがない)」と,科学的な根拠もないまま豪語しえた日本の原子力工学者たちが,かつてはいた。

 だが,世紀が替わってからこの日本で発生した「3・11」は,彼らの虚言と過信に満ちた原子力信仰心は,すでに完全に粉砕されていたはずである。

 東電福島第1原発にしても第2原発にしても,建造(建築工事)の開始にさいしては,地鎮祭を執りおこなっていたはずである。だが,いまの日本では神もさらには仏までも原発を嫌っている。

 なかでも,神道の伝統的な信仰心に照らして判断するとしたら,原発をその信仰の内部にとりこむことは,当初より不可能事であったとしか説明できない。

 たとえば,神社本庁は日本の神道について,こう解説している。

 神道は,日本人の暮らしのなかから生まれた信仰といえます。遠い昔,私たちの祖先は,稲作をはじめとした農耕や漁撈などを通じて,自然とのかかわりのなかで生活を営んできました。

 自然の力は,人間に恵みを与える一方,猛威もふるいます。人びとは,そんな自然現象に神々の働きを感知しました。また,自然のなかで連綿と続く生命の尊さを実感し,あらゆるものを生みなす生命力も神々の働きとしてとらえたのです。

 そして,清浄な山や岩,木や滝などの自然物を神宿るものとしてまつりました。やがて,まつりの場所には建物が建てられ,神社が誕生したのです。

 註記)「神道への誘い」『神社本庁』2018年7月19日,https://www.jinjahoncho.or.jp/shinto/shinto_izanai

神道信仰に原発は似合わない

 そこへ「3・11」によって放射性物質が大量に降りそそいだら,いったい,この人工の造作によって発生した事故による現象は,この神道の立場からはどのように理解されたら,よかったのか?

 この種の疑問に対して,まともにかつ本格的に答ええた神道の関係者はいたか?

〔ここでようやく日経の社説に戻る→〕 政府の関与も欠かせない。福島第2の使用済み核燃料は当面,敷地内に保管する計画だが,県外に運び出すメドは立っていない。廃炉で生じるコンクリートなどの廃棄物の処分方法を含め,政府がルールを明確にする必要がある。

 東電は原発事故の賠償責任があり,公的支援を受けている。これから40年におよぶ廃炉の安全性を確保するだけでなく,財務面を含めて計画の妥当性をチェックするのも国の役割だ。(日経・社説引用終わり

 補注)東電福島第1原発事故現場は,2011年3月に大事故が発生してからすでに12年と6ヵ月以上が経過したが,溶融事故を起こした3基の原発(原子炉)内のデブリは99.99%以上,いまだに取り出し不可能の状態を強いられている。

 それでいて,前段に引照した『日本経済新聞』「社説」2019年7月31日がいうように「これから40年におよぶ〔のが,東電福島第1原発事故の〕廃炉」だと表現するのは,完全に肝心なところを外した指摘である。

 むしろ,間違えているともいっていいくらい,その廃炉に必要な期間の解釈については,おおきなズレが残っている。そもそも,今日現在でも,東電福島第1原発事故現場でおこなわれている「廃炉に関連した諸工事」は,廃炉工程そのものに入る前の段階における過程のものであった。

 f) さて,この本ブログ,今日の記述は『日本経済新聞』2019年7月31日の「〈社説〉福島第2廃炉は綿密な工程で」を引用しつつも,その行間には,本ブログ筆者なりにあれこれの寸評を,たくさんはさみこむ記述の形式としていた。

 いずれにせよ,その日経社説のいいぶんは,かなり空虚であった(中身がスカスカで空転していたということになる)。ともかく,ひとつは総論的という意味でそうであり,さらに各論的には,現実に進行させられはじめている「日本の原発20基もの廃炉」に向けて,実のある意見を提示しえていなかった。

 実に,むなしい議論となっていた。緊張感を欠いた状態で「原発をとりあげた社説」であった。ただ「書くために書いた」だけの文章であった。

 その社説は最後の段落で,「廃炉」は「廃棄物の処分方法を含め,政府がルールを明確にする必要がある」と述べていた。しかし「3・11」発生から8年と5ヵ月〔更新した今日の記述からだと12年と6ヵ月(以上)も経った「いまごろ」にもなって,

 しかも財界・大企業側の見地・利害をなるべく尊重してきたはずの,いいかえれば,原子力村の有力な一員である日本経済新聞社が,ここに至って,わざわざ強調して唱える必要があったごとき「その種の意見」だったとは思えない。

『日本経済新聞』は原発推進派としては最先端に位置する
新聞社のひとつであるからこの図解のなかで
マスコミの1社として社名が記載されていないのは
説明不足

 「東電は原発事故の賠償責任があり,公的支援を受けている」のだから,「これから40年におよぶ廃炉の安全性を確保するだけでなく,財務面を含めて計画の妥当性をチェックするのも国の役割だ」といっている。しかも,これは,しごく判りきった,当たりまえのことを “初めて語る” みたいな口調になってもいて, “なにをいまさら” という印象しか抱かせなかった。

 東電福島第1原発事故現場の後始末に関連しては,その「廃炉工程」までの諸経費の積算は「最大で81兆円」にもなるとシンクタンクが概算していたが,この膨大な金額であってもまだ,十分に収まるという保証はない。

 現在,当面している原発20基ほどの全基廃炉といえども,1基ごとがそれぞれ30年や40年でその工事が完了できる展望など,初めからとうてい立っていない。

 g) 要は,本日とりあげてみた日経社説,2019年7月31日のそれは,相当にダレた書き方:論旨であった。なにか新味のある分析,あるいは傾聴に値するような建設的な意見などが “1点でもいい” 披露されていたかといえば,皆無であった。

 原発の後始末・廃炉の問題について,ただダラダラと,それも詮ない小田原評定にも似た社説を書き下ろしていた。

 日本経済新聞社は原発に賛成なのか反対なのか? むろん日経は賛成する新聞社であったが,その点は世間には周知の事実であっても,ときどき韜晦したもののいい方,いいかえるとオトボケと聞こえる修辞も多用していた。

 それとも,廃炉事業の発掘やその需要の喚起が,この事業展開に関連しうる企業の立場にとってみれば,まさしく「絶好のビジネスチャンス」(営利的な好機)の到来である事実を,経済新聞として報道することにのみ関心を向けていればいいだけのことであったか。

原子力(原発)は要らない
電力事情・需給関係は減少傾向
あとは節電で原発は無用にさせうる

 2030年における「電源構成比率」で原発の占める割合を「22~20%」とした経産省資源エネルギー庁の立場に,日本経済新聞社は賛成なのか? あれこれと報道をする割りには,原発問題にかかわて,もうひとつ明快に書かない記事が多くある。あるいは時間が立つとその立場を巧みに変えていくことにすれば,それでよいということか?


 ※-3 2023年9月下旬・10月初旬の関連する報道-画像資料で紹介-

 a) 『日本経済新聞』2023年9月27日朝刊から

記事・上部
記事・下部

 b)『毎日新聞』2023年9月28日朝刊から

ドイツは2023年4月15日で全原発を廃絶へ

 c) 『毎日新聞』2023年9月30日朝刊「社説」

日本の原発は核燃料サイクル不成立で
核のゴミ処理場もみつからない

 d)『毎日新聞』2023年9月30日朝刊から-原発産業の不振のために東芝はほぼ経営破綻した-

東芝の落日は原発が素因

 e) 『日本経済新聞』2023年10月1日朝刊に掲載された原爆関連の記事はオッペンハイマーをとりあげていた。

R・オッペンハイマーについて

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