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経営学の歴史研究とその「方法の思想」-総括的な吟味-(2)

   ♥「本稿(1)」の構成「案内」♥

 本日の「本稿(2)」の記述は当然「本稿(1)」( ↓ のリンク)を受けているので,

   ⇒ https://note.com/brainy_turntable/n/na1f0cd548bcc

 簡単に,この中身の「目次の紹介」だけはさきに済ませておく必要があると思い,以下の引用枠欄にそれを列記しておくことにした。

 できれば,なるべく「本稿(1)」を読んでから,この「本稿(2)」に進んでもらいたいと希望するが,面倒だという人は,この「本稿(1)」の「主要目次の案内」のみ観てもらうかたちで済ませ,すぐに,この「本稿(2)」を読むことにしても,むろんいっこうにかまわない。

 ※-1 前書きとしての「能書き」

 ※-2 経営理論として考えるべき課題-経営学の歴史研究とその「方法の思想」,そしてその総括的な吟味-

 ※-3 経営学史学会編『経営学の思想と方法』2012年5月の問題意識

  1) 経営学史にとっての「経営学の思想と方法」
  2) 経営学が構築してきた経営の世界-社会科学としての経営学とその危機-(上林憲雄)
  3) 現代経営学の思想的諸相-モダンとポストモダンの諸相から-(稲村 毅)
  4) 「科学と哲学の綜合学としての経営学」(菊澤研宗)

 以上の目次編成を受けてとなるものゆえ,この「本稿(2)」においては後段の途中でいきなり,※-4という連番記号が出ているので,あらかじめ承知してほしい。

「本稿(1)」の目次構成など

 「本稿(1)」は,以上のとおりに目次を組んで記述していた。そして,「本稿(2)」の記述は「本稿(1)」の全体が最後が※-3の 1) 2) 3) 4) までで終わっていたので,これを受けたかたちでこちらでは,その※-3の 5) から,目次の構成が始まっている。

 ということで,そのあとにつづく記述としては当然,※-4という連番記号が登場する。繰り返しになるけれども,なるべく,事前に「本稿(1)」も読んでもらえることを希望したい。

 以下,本論に入る。


 5)「行為哲学としての経営学の方法」(庭本佳和:その1)

 この論者は最初に断わっていた。経営学者に学説研究者は多い。だが「経営現象を説明できない」人から優れた学説研究は生まれない。「経営学における実践性とはなにか」。「来るべき経営学の実践性と方法を考えたい」(65頁,66頁)。

 経営学はどういう学問であるのか? つぎの3本柱が想定できる(67頁)。 

 ☆-1「過去から反省的に学ぶ歴史の学(歴史的理性)」→歴史的反省。   
 ☆-2「そこに〔☆-1〕に生成した視点から〈現前の経営〉を批判的に分析する経営批判の学(理論的理性)」→経営批判(理論的理性)。

 ☆-3「さらに〔☆-2の上に〕未来を構想する経営の哲学(哲学的実践理性)」→哲学(価値・道徳的)的想像,哲学的調整。 

 また,経営を軸に経営学から観る人間の歴史は,以下の3層からなっている(67-68頁)。 

 ★-1「歴史学」 人間の営みからなる文明や国家の興亡の大きな流れが,この研究の対象である。
  
 ★-2「経済史」 人間の生活(日常の営み)においては,対立や争い以上に調整と協働(経営活動)の産物(経済・産業活動)が大きな影響を与えている。 ここに焦点をあわせ,★-1の歴史層とともに,動的な経営環境の歴史を構成する産業・経済層が,この研究の対象である。
  
 ★-3「経営史」 経営体の経営(行為主体とその行為)が織りなす歴史(経営史)層がある。この層を掘削し,過去の経営実践の是非を反省的に問い,現在の経営に対する批判的視点に立った分析能力と経営(体)の未来を構想する力を養成する。★-1を踏まえ,★-2のなかで経営行為主体の行動を研究の対象にするのである。

経営学から観る人間の歴史「3層」

 この論者はとくに,以上の3層的な把握にしたがい,「歴史層の相貌を捉える歴史観(哲学や思想)をみずからの理論に組みこむことによって,それを学ぶ経営 (行為主体=組織)に」おいて,「経営体をとり巻く大きな歴史的流れを捉える眼を身に付けさせる」ことが「経営に不可欠な歴史的大局観である」と説明する(67頁)。

 この論者の「経営学史」の思想であり立場であるはずの,以上のような構想としての方法は,歴史学の基本的な思考を尊重する考え方にほかならなかった。

 いわく「歴史学は経営学の実践性を支える学的基礎なのだ」(69頁)。

 しかし,このような修辞:「歴史学は○○学の実践性〔あるいは理論性かもしれない〕を支える学的基礎である」という発想は,なにも経営学に固有ではないはずである。たとえば,経済学や法学(法律学)や社会学の立場にとっても,まったく同じである。

  なぜ,経営学だと歴史学の基盤に立脚してそのように,とくにだがあらたまって発言することになっていたのか?

 問題の核心においては,「経営行為主体」である「経営者の行動」をその基礎から分析し,批判し,意味づけることの,まさに《経営学史》としての学的に必然の理由が納得的に説明されていなかった,という従来の限界がめだっていたのである。

 この論者(庭本佳和)は,経営の現象を理論的に把持した概念範疇として 「現前の経営」という哲学的な用法を駆使している。そして「経営学は『経営批判の学』であり,その実践性も批判性に担保されている」と確言してもいた(69頁)。

 経営学研究が「現にある企業の姿」の一部を描くことに終わってしまい,「現前の経営批判」に到達できないでいる現状を指して,「それは依拠する方法論や科学観の問題もあろうが,批判的基準となる歴史学的基盤と,とりわけ哲学的基盤を欠いているからだ」とまで批判するとき,

 われわれはいま一度,過去から連綿とつづいている各国における「哲学史の軌跡」そのものに思いを寄せて,これまでの研究のありようを再考する必要があった。

 ここまで(「本稿(1)」の論及も含めて)とりあげてきた論者のなかには「唯物史観」に確固たる自信を傾けて,これをいまだに「経営学の思想と科学」に対する学問的な出発点に据えることに,絶大な信念を保持しつづけている。

 またある論者は,反証可能性の発想を踏まえているせいか,そうした史的唯物論の観点を歯牙にもかけないで,新しい経営学の理論展開に励んでいる。あるいはまた,いまこの段落でとりあげている論者のように,経営行為主体として経営者の行動を認識したい立場より,より幅広く〈経営学の構想〉をとりまとめようと努力してきた。

 6)「行為哲学としての経営学の方法」(庭本佳和:その2)

 この論者の見解だけは,この 6) も用意し,議論する。さて,吉武孝祐(よしたけ・たかすけ)という経営分析論の研究者がいた。吉武孝祐『企業分析の指標-伝統的信用分析からの脱皮-』同友館,1982〔昭和57〕年は,「経営分析論」に関した省察にもとづき,こう語っていた。

 「経営分析論は,それが日本経済および企業の課題解決のために役立つべき実践(実務に非ず)の学であるとするならば,斯学は,本来的に,狭義の『学』的体 系化を越えるものでなければならない」

 「なんのために分析指標の創造に立ち向かうのか,経営分析の指標の『意味』・『価値』が問われねばならぬ」とすれば,「そこに経営分析は,いまや目的・手段の体系から,『問い』と『決断』の体系への転換が要求される理由がある」(まえがき,ⅰ頁,ⅱ頁)。

 こうした会計学者の発言も,経営学史研究者が狙うところとなんらかわらなかった,と解釈されて自然な理解である。吉武孝祐は,1957〔昭和32〕年に公刊した『経営能率分析』(ミネルヴァ書房)のなかで「経営分析論の歴史的限界が厳然として存在する」と断わったうえで,こうも主張していた。

 補注)なお吉武孝祐の「名」は以前,「堯右」と表記されていた。以下の述では行論上の前後関係によって,当人の用法そのものに適宜にしたがいその表記を使うことにした。

 現段階における経営分析の課題は,会計上の数字や経営統計の数字の分列配置遊戯に憂身をやつすことではなくして,それらの数値を貫徹する個別資本の運動法則,経済法則の発展傾向を析出することでなければならぬ(中略)。かくすることによってのみ,かえって個別企業の実態がリアルに浮彫され,真の経営合理化のための指針を摑むことができる(4頁)。

吉武堯右『経営能率分析』ミネルヴァ書房,1957年

  「経営者の行動」というものは,こうした問題の領域が総体的に展開されていく舞台に立ち,その「本質から現象までにわたる主体的行為の場」を形成しつつ, その軌跡をも刻々と描いていく実体の存在を意味する。

 「経営者の主体的行為」が「個別資本の運動法則,経済法則の発展傾向」に拮抗しつつも,いうなれば,これらが相互に内外的・有機的に関連しつつも総合歴史的に進展していくなかで,企業経営の発展構造も存在論的に前進していく。

 これを理論的に把握,分析し,批判するのが,経営学という学問の課題であった。さらにいえば,この学問の課題が理論として歴史的に発展していく論理的な認識を継起的に解明するのが「学問として 《経営学史》」の任務である。

 吉武堯右いわく,「今日のわが国の経営学を反省するとき,そこにみいだせる最大の弱点は」「経営学の経済学からの絶縁,および経営学における歴史性,実証性の欠如である。とくに経営学のなかでもっとも実証性が要求される分野は経営分析である」(2頁)。

 吉武堯右の提唱したる経営分析(会計学)は単なる会計分析ではなく,広義における企業分析あったから,別の意味においては経営研究(経営学)のものであった。

 吉武堯右には九州大学の馬場克三学説の影響がみられる(『経営能率分析』ミネルヴァ書房,1957年,序2頁参照)。

 それはともかく,20世紀も終わりころになってようやく「経営学史会」という研究学会が結成されたという事情は,ある意味ではというまでもなく,ずいぶん時宜を逸していた話ではある。

 だが,ないよりはあったほうがマシであるから,これについて非難めいたことをいう余地は,ここではない。だが,この経営学史会が毎年度の大会で議論している論題を実際に追い,その内容を聞いてみるたびに,ある種の〈既視感〉が甦ってくるのはなぜか。

 

 ※-4 哲学と経営学

 1)「哲学としての経営学」の問題

 前項※-3の 6) で言及した論者庭本佳和は,経営学は「未来の経営(体)のあるべき姿(価値)を措定する哲学として成立する」と定義していた(経営学史学会編『経営学の思想と方法』72頁)。

 庭本佳和の議論は,戦後世代の小笠原英司,戦前・戦中世代の山本安次郎や山城 章などを,とりあえずとりあげ詮議していた。

 明治大学で「経営哲学の経営学的研究」を教育・研究課題に掲示している小笠原英司についていえば,とくにゴットル研究の貧困さは,学問に従事するものとしての許容限界内の収まらなかった。

 すなわち,経営哲学の研究者とはとても称しがたいほどの「哲学的見地の不確実性」も感得させた疑問点に関しては,ここではあえて触れないことにしておく。ここではそれよりも,この論者〔庭本佳和のほう〕が山本安次郎「観」について披瀝していた「若干の批判的論及」をおこなってみたい。
 
 補注)あえて触れないといっておきながら,なお一言だけ述べておきたい。

 小笠原英司の主著『経営哲学研究序説-経営学的経営哲学の構想-』文眞堂,2004年は, 公表直後ただちにゴットル経済学理解の不徹底を指摘されていた。そのため,ドイツ流生活経営学・構成体論的経済学に依拠した理論部分については,同書を公刊してから臨んだある研究発表の場において,そのいっさいがっさいに言及できない不如意(立ち往生的な状況)に,小笠原は追いこまれていた。

 その事実は,小笠原自身が経営学史研究の基本手順を軽んじたがために生起させた,いいかえれば,先行研究の渉猟・調査の絶対的な不足のために結果せざるえなかった不可避の事情であった。

 参考にまで聞いておくと小笠原英司は,大学教育に関して,こういう意見の持ち主であった。

 「博士学位をめざす院生については,専門外のことにも関心を持つ幅の広い研究者になってほしいと希望します。彼らは将来『先生』と呼ばれる立場に立つわけですから,学生が『この先生にめぐり会って,人生の重要な事柄を学ぶことができた」と思えるような,師として尊敬される資質を磨いてほしいと思います」  

 註記)http://rwdb2.mind.meiji.ac.jp/Profiles/7/0000616/profile.html このリンク先・住所は現在,削除。人物を紹介する記事であった。

小笠原英司の発言

 2) 山本安次郎理論はいかほど高尚な学説たりえたのか

 やはり,前項※-3の 6) で言及した論者は,山本安次郎の経営学について,こう分析していた。

 山本安次郎の場合,経営学に固有でかつ必然な課題的性格は〈実践理論科学性〉であるとされていた。そして,この科学性のありようについては,単なる実践科学的な「規範的経営学は科学ではなく,経営哲学だと〔措定〕して」いた。

 そのうえで,それを「みずから主張する実践理論的経営学からは排除し,『それはむしろ経営理論や方策論を超える経営政策と主張すべき』と強調してい」てもいた。

 しかし,経営学史学会に所属している研究者であれば,つまり,山本学説に対する学史的研究をまともにおこなっているのであれば,即座に判りうる〈ある史実〉があったにもかかわら ず,これに気づかずにただ黙過・排除していた。

 どういうことか?

 山本安次郎はかつて〔戦前の話である〕,実践科学的な規範経営学の立場をきびしく批判し,排斥することに熱心であった。ここで,念のために留意しておきたい事実があった。

 山本安次郎は同時にまた,その後における自説の展開に不可避であった「歴史的な失敗」「理論の破綻」を悟性的に反省することに無縁でありつづけてきた。

 山本安次郎の学究としての経歴に関しては,そのあたりに明確に記録されてきた経過(史実)が軽視できなかった。この事情をくわしくいえば,つぎのように記録された物語になっていた。

 補注)以上の話題に該当する論文はつぎのものである。山本安次郎「規範的経営学説の批判(1)(2)」,立命館大学『法と経済』第6巻第1号,1936年1月・2月。

 a) 「戦時中の記録」 一度めの話はこうなっていた。

 戦前の段階,つまり1936〔昭和11〕年の時点における山本安次郎は,前掲した論稿などを用意し,「実践科学」の「規範学説」性を痛烈に批判していた。

 ところが,昭和15〔1940〕年になると山本安次郎は,西田哲学の影響を大いに受け,独自の境地が開眼できたと壮語した。この時点を契機に,それまで保持していた「自説=経営学の立場」の学的思想は一躍反転させられ,「実践理論科学の立場:行為的主体存在論」に解脱できたと宣言するに至っていた。

 日本経営学会『利潤統制』同文館,昭和16〔1941〕年1月に掲載された山本安次郎「公社問題と経営学」は,つぎのように自信を抱いて断言する論旨を披露していた。

 国家は基体即主体として正に根源的主体に外ならない。国家は他の主体をも客体たらしめる如き根源的主体である。それ故,「行為の立場」は国家的に「行為の立場」,国家的「主体の立場」でなければならない。個人的主体が一応独立だとしても同時に国家主体性の自覚に立つのでなければ真に具体的な主体はいへない。公社経営論はかゝる意味にて「行為の立場」に立つのである(252頁)。

日本経営学会『利潤統制』同文館,昭和16年

 山本安次郎が以上のように,戦時経営学的な思考回路にもとづき立論・提唱した核心,つまり,当時の経営学にとって『公社問題は正に東亜の危機の自覚の根源を有する』ものとして「現前していた」ゆえ,『吾々はこれを媒介に経営学の立場の転換を試みねばならない。これがこゝに於ける吾々の課題である』(日本経営学会,前掲書,236頁。『 』内が山本からの引用)という主張は,

 しかし敗戦後になると,その源泉を一時秘匿することになっていた時期を経てきたのち,ところがまた,戦後史も時が進むと再び頭をもたげたかのように,その「公社経営論」⇒「国家主体になる行為の立場」が再登場させられていた。

 そうなっていたとすれば,それでは,山本安次郎が敗戦後において提唱しなおすことになった「実践理論科学」の立場に関しては,つぎのような疑問を対置させねばならなくなった。

 山本安次郎は,かつて〈問題の規範性〉が完全に廃棄・払拭されねばならないときっぱり主張していた。ところが,その後においてこの主張を一転(豹変)させ,以前であればきっぱりと否定してきた規範性そのものを,さらに包摂しつつ超克できたのだと宣言する《学理的な境地》を,たいそうな自信をこめて語っていた。

 ここまで至ると,山本安次郎の学説に向けては,「根本的な問い」が「その基本的な難点」をめぐり提示されるほかなくなった。

 ところが,そうして山本安次郎学説に投じられていた疑念に対して,当人からまともに反論される機会が生まれることは,ないままに終わっていた。

 b) 「敗戦後の記録」 二度めの話でなる。

 「満洲国」産業経営体の発展を期待するためにこそ,山本安次郎が創案した「公社企業」という経営政策的規範概念は,実は,経済外的強制作用によって瓦解されられるはめになった。

 すなわち,敗戦をきっかけに,満洲事業経営体のありかたとして政策理論的に構想し,「国家の立場」から「世界史的意義」をこめて提案したはずの「公社企業」なる経営概念は突如,雲散霧消させられる顚末を迎えた。

 山本安次郎はところが,社会主義体制のなかにこそ,自身の構想した事業経営体が肥沃に育つ経済基盤がみいだせると,みずからあと智恵的に付言する場面もあった。ただしこれは,敗戦後において登場した,単なる断片的な発言に過ぎなかった。

  だが現時点にあっては,社会主義企業経営論は,過去における学説史的な理論展開の一コマという位置づけしか与えられていない。

 ところがそれでも,山本「経営学説」の《構想的な形骸》に魅惑された後進の経営学者たちは,満洲国「公社企業」論がっb引きずってきた「歴史的に深刻な検討を要する問題」などは放置したかたちでしか,山本理論に接することができていなかった。

 そうした学界における内的事情は,経営学史的研究の基本的な姿勢において踏まえられるべき〈歴史的な問題関心〉に疎い経営学者たち側の〈理論上の不備〉を逆証していた。そもそも「歴史学に,そして,経営学史に学ぶ」ことの意味は,どこにあったのか?

 この b)「敗戦後の記録」 の体験は,実際のところ,a)「戦前の記録」の基盤を踏まえ,受けてこそ起きてきた〈学史的な事実〉でもあった。それゆえ,この歴史的な順序=時系列の関係をみのがしたまま,山本理論の学説史的な価値を無条件かつ単純に認めるがごとき評価方法は,学問研究従事者の採るべき基本姿勢ではなかった。神でもないかぎり「完璧・ 無謬の理論」など構成できるはずがない。

 ※-3の 6) に登場させて論者は,「科学としての経営学」は「歴史学」から「経済史」が生まれたように「経営史」も要求する。なぜなら「経営体の経営=行為主体とその行為」が織りなす歴史層が,そこに蓄積されるからだと説明していた(68頁参照)。

 また,それにつづけて「経営批判学としての経営学」を発想したこの論者は,「哲学としての経営学」を,こうも解説していた。

 一方の端(極)には「哲学が浸透し」 た「哲学的色彩が濃い経営理論」があり,他方の端(極)には「経営理論の厚みを増す」関係がある。そして「その間〔において〕はグラデーション的に変化する全一体の経営学が構想」される(73頁)。

 3) 経営学史と経営思想史-先行し,無視される研究-

  経済学史においては「経済思想史」が一定の構想を示し,理論を実体的にも展開させてきた。だが,どういうわけがあるのか分からないけれども,経営学史において「経営思想史」を構想しようとする問題意識は,いまだに明確ではない。かといって,その方途をめざして一定の見解を披露した経営学者がいなかったのではない。

  前世紀の諸業績になるが,最近のほうからさかのぼるかたちで紹介すると田中照純『経営学の方法と歴史』ミネルヴァ書房,1998年,森 哲彦『経営学史序説』森山書店,1993年,海道ノブチカ『西ドイツ経営学の展開』森山書店,1988年,裴 富吉『経営思想史序説』マルジュ社,1985年などが,経営学界の一隅でしかなかったが,

 「哲学と経営学」や「経営の理論と現実」という論題ないしは問題の枠組で表現されるごとき「経営学的な研究課題」は,経営学史の方法・視点として,どのように定立されるべきか議論を重ねつつ,一定の視座を提供してきた。

 ここであらためて言及しておきたいのは,「歴史的反省の上に創造された経営哲学」(経営学史学会編『経営学の思想と方法』文眞堂,2012年,77頁)を求めたいのであれば,「人間学(生活学)としての経営学」(同書,72頁)の方途を企画した学者たちが,

 ある時期において間違いなく一度,理論と現実の邂逅において〈奈落の底〉に突き落とされていたこと,たとえば「行為的主体存在論の経営学」を提唱した経営学者山本安次郎もその代表的な実例であったことは,日本経営学史の学習における〈反省のための材料〉として回顧されて当然である。

 社会科学であり経験科学であり歴史科学である「来るべき経営学」は「行為哲学としての経営学」として構築され,「経営哲学と経営理論が表裏一体に繋がった経営理論にして経営哲学」(前掲書,77頁)と いうものにしあげたいと提唱されていた。

 だが,こうした理論構成をもって描かれた「行為的主体存在論」だとしたら,確かに過去において酷似した発想があった。いいかえると 「社会科学における学問の思想と立場」においてならば,しかも歴史科学的にも判断することにしたら,特定の失策を犯す結果を生んでしまったのが,「行為的主体存在論」と称された「その理論構想」であった。

 一言足していうと,その発想源泉は西田幾多郎の哲学論に求められていた事実も逃してはならなかった。戦争の時代には西田幾多郎も,国家権力側から哲学者としてたいそうな苦労・圧迫を受けてきたが,自分が書き残した文物についてはともかくも,それ相応に創造者側における事後責任が残る。

 ここでは要するに,はたして「経営行為主体存在論」と称された山本安次郎流に創説された経営学説は,その「再生的な理論形成」がいかほど可能たりうるのかについては,これからもあらためて慎重に吟味を重ねていく必要がある。

 「少年老いやすく,学成りがたし」といわれるば,学問・研究に最終的な到達点はありえない。それと同じに特定の学問主張が,時空を超越して妥当・成立しうる理論を提供できるなどとは,想像すらできないはずであったが,山本安次郎学説は「その不可能性に大胆に挑戦して超克できた」かのような口吻で,「社会科学として経営学」論を,それも第2次大戦中の旧満洲国立「建国大学」の教官であった時期に提唱した。

 だが,その満洲国企業論としての「公社企業論」は,旧大日本帝国の敗北とともに,多分99%はその意義を喪失させられた。その事実は,山本安次郎の『公社企業と現代経営学』新京:建国大学研究院各班研究報告第8号,1941年9月を一読すればただちに諒解がいく事情になっていた。

 「本稿(2)」の冒頭段落では,「生活世界」という用語が気安く口にされていたが,これは実は,社会科学者の発想にとって一番手強い研究対象である。その意味あいでも「生活世界」という概念のもとに,いったいなにをいいたかったのか,その原点にも戻った議論が必要である。

 なかんずく「歴史学」の観点・視座を経営学史研究の場おいていかに生かすのかについては,その根源より経営学研究のあり方としても再問されている。

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