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河野太郎という「世襲4代目の政治屋」の言動に観取できた未熟さは「永遠に不滅」か,原発関連の問題次元から派生した「政治家として品評」はいかに?

 ※-0 本日『毎日新聞』朝刊1面冒頭記事はどれほど原発事業が甘やかされているかを傍証する報道していた

 この※-0の標題が指示する今日,2024年8月8日の『毎日新聞』朝刊1面のトップ記事が,これ( ↓ )であった。

 もとは,「国策民営」「総括原価方式」「地域独占」の企業体制を保証されていた大手電力会社は,原発を所有し,電力の発電・給電・配電(販売)していたが,現在,どのような経営状況に置かれているか。

 この『毎日新聞』の記事は,大手電力会社そのものに関した報道ではないけれども,大いに関連する諸事情を有していた日本原子力発電という会社の現状をめぐり,このように報道していた。

現在「日本原電」の原発稼働は休止状態にあるが
2011年以降「再稼働の道筋が見えない」とはナンゾヤ?

ふつうであればこのような企業は
当該業界からその間もなくすぐ消えていくはずだが

原発事業部門の存続問題になるとなにか特別の事情でもあるのか?

その間13年も未稼働状態のままで経営を維持できている原発産業経営とは
いったいなんなのかという基本的な疑問が湧いてきて当然

 本日(2024年8月8日)の記述は,一昨日と昨日(2024年8月6日と7日)のあとを受けたかたちで,それもとくに原発問題に関連させて,「河野太郎の政治家」としての基本的な立場をとりあげ,議論することになる。

 本ブログが,本日(8日)のこの記述のために, “冒頭での飾り画像” に挿入・利用してみた「一コマの画像」は,『Samejima Times』が「偽りの改革者-河野太郎,改革派のはずが守旧派に! 脱原発を・・・」という題名で8月7日の夕刻に公開した動画から切りとったものである。

 この『Samejima Times』2024年8月7日の動画は,河野太郎の変節ぶりを真っ向から批判する内容として公開されていた。比較的短めの動画(8分29秒)であり,これをさきに視聴してもらうと好都合である。


 河野太郎は「原発廃絶論」を基本から時緩和(?)した態度で,9月に予定されている自民党総裁選に挑む覚悟である。だが,もしも河野が首相になったとしたら,日本の原子力エネルギー政策はいかように変質しうるかという問題は,それでも従前でありつづける可能性がほぼ決定的だといった,事前の予想が容易になりたつと観察している。

 河野太郎は変人・奇人とかの評価があるのみならず,いささかならず驕慢・専横でもあった「世襲政治屋3世(本当は4世だが)の好ましからぬ気質」を,過去からなんどもチラチラと披露してきたが,このたびの自民党総裁選に挑む国会議員としての河野太郎が,仮に日本国総理大臣になったとしたら,

 たとえば,2050年の時点で日本の原発をこの国土から完全になくせるのかといったごとき問題は,以前における河野の「原発観」に即していえば,そのような期待をかけることは,順当な観方だと思われた。

 しかし,河野はすでに,原子力村の関係者(これには実に多くの政府・財界・言論界などの利害者集団が蝟集・関与している)の立場・利害を,以前とは真逆に「大いに尊重する立場」に豹変(蝉変!)したとなれば,脱原発への期待をすることじたい,ほぼできない相談になるほかない。

 以上の記述は,本日2024年8月8日における「冒頭の書き出し」としてだが,直近の話題をとりあげてみた。(字数は約1700字近く)

 最近の河野太郎は,自民党が8月5日に決定していた次回の「党内・総裁選(9月20日実施)が気になって仕方ない。なにせ,どうしても総裁になりたいのだから,しかも御年61歳(1963年1月10日生まれ)という時期を考慮するに,もう四の五のいう段階にはないと,当人は考えたものと推察され,従来の「反原発の立場」を「親原発路線」にできるかぎり幅寄せしたごときに,このさい「自説の転向」を決意しものと推察される。

 以下に指示した本稿の要点は,本稿が最初に公表された2021年9月16日(この年に実施された自民党総裁選は9月29日であった)のときに提示したものであったが,この要点の2つそれじたいに変更をくわえる必要はなさそうである。

  要点・1 河野太郎の主導で日本の原発政策は方向転換できるのか

  要点・2 変人・奇人と称される言動に注目しておく必要がある世襲3代目政治屋(実は4代目だが)


 ※-1 河野太郎の本性

 2019年7月19日の出来事である。韓国の南 官杓(남 관표:ナム・グァンピョ)駐日韓国大使と面会したさい,その冒頭で河野外相が南駐日大使に向かい,カメラの前で激しい抗議をするといった,きわめて異例の事態が起こしたとき,よく発揮されていた。

 本ブログ筆者も,その時のニュース映像を観た記憶があるが,河野のその軽率な言動には,たいそうビックリさせられた。

この場面の逐次的な記録(一部分)はつぎに引用する

 南駐日韓国大使の通訳: この方法を基礎として,より良い解決策を……〔と話を切り出したところでのっけから〕   

 河野外相: ちょっと待ってください! 韓国側の提案はまったく受け入れられるものでない。きわめて無礼でございます。

 これはかなり意識して日本側が怒っているということをきちんと伝えたいと。とくに目にみえるかたちで韓国政府,それから韓国の国民に対しても「日本側は本当に怒ってるんだぞ」ということをみせたいと。同時に日本国民に対しても,政府はきちんと韓国に対して説明・対応をとっていますよというのをアピールしようってことも考えたんでしょうね。
   
 だが「韓国側は “全面対決” の姿勢」。韓国大統領府は会見で「国際法に違反しているという日本側の主張は間違っている」と表明し,全面対決の姿勢をみせている。  

 註記)「『極めて無礼だ』 河野外相が韓国大使に激怒! 通訳さえぎり異例の猛抗議のワケ」『FNNプライムオンライン』2019年7月19日 金曜 午後 7:05,https://www.fnn.jp/articles/-/1214

『FNNプライムオンライン』2019年7月19日

 本ブログ筆者の率直な感想としては,河野太郎がその時にみせた,かなり強引で不躾な発言の姿勢は,はたして「外交上,外相がいきなり発言する方法・形式」として適切であったかという点に関しては,はっきりいって落第点であったと受けとった。

 だがそれでもひとまず,庶民向けを意識してなのか,しかも「一部のネトウヨ的嫌韓派」がミーハー的喜ぶような演技を,河野太郎があえて「意識的におこなった」とみることも可能であった。

 だから,問題の性質がどうであれ,相手国がアジアだと中国,欧米だとイギリス,フランス,そしてアメリカなどだとしたら,その交渉の中身がどのようなモノであれ,いきなり開口一番に河野太郎のそのような〈粗暴かつ無礼な発言〉はしない(できない?)のではなかったか,という疑問も抱いた。

 なお,河野太郎は2017年8月3日,第3次安倍第3次改造内閣において外務大臣に就いていた。

 ところが本日(ここでは2021年9月16日),この記述をおこなうためにネット上に関連する情報を探ってみたところ,つぎのような “事後における追報” がみつかった。そのなかから,とくに関連する箇所を引用しておく。

      ◆ 河野氏,駐日韓国大使と「仲直りの食事会」◆
  =『YAHOO!JAPAN ニュース』2021/2019/10/9 (水) 16:05,https://news.yahoo.co.jp/byline/takahashikosuke/20191009-00146011(高橋浩祐:ジャーナリスト稿)=  

 河野太郎防衛相が外相だった〔2019年〕7月下旬,韓国の南 官杓(ナム・グァンピョ)駐日大使に呼びかけ,「仲直りの食事会」を秘密裏に開催していたことが分かった。韓国政府筋が筆者の取材に対し,明らかにした。  
 河野外相(当時)はそれに先立つ7月19日,韓国大法院(最高裁)による元徴用工判決をめぐり,韓国政府が日韓請求権協定にもとづく仲裁委員会の設置に応じなかったことについて,南大使を外務省に呼び,強く抗議していた。  

 河野氏が会談の冒頭,カメラの前で南大使の発言を遮って「極めて無礼だ」と述べたシーンを覚えている読者も多いはずだ。河野氏側が呼びかけ,7月下旬に開催した南大使との食事会は,その関係修復が主な目的だったとみられる。  

 この河野氏の発言をめぐっては,韓国のメディアが「外交的欠礼を犯した」などと反発。作家で元外務省主任分析官の佐藤 優氏も8月17日号の『週刊東洋経済』で,「外交の世界において首脳や外相の発言がもつ意味は大きい。『売り言葉に買い言葉』のような状況が,事態を袋小路に追いこむことになった」と批判していた。

 都内で開催されたとみられる「仲直りの食事会」(韓国政府筋)だが,具体的な日時場所は「7月下旬」という情報以外,いまのところ,明らかになっていない。日韓の対立が深まり,両国のナショナリズムが高まるなか,食事会の呼びかけやそれへの参加の情報は,一部の強硬な国内勢力から相手国への譲歩や弱腰姿勢とも受け止められかねない。  

 日韓両政府ともに国内世論への体裁を気にしているためか,限られた政府当局者しか情報の共有も許されていないようだ。筆者がみるかぎり,日本メディアもいまだ,この食事会については報じていない。  

  ◉ 韓国の国慶日レセプションに参加 ◉  

 徴用工問題などで韓国にきびしい姿勢を示し,対韓強硬派とみられてきた河野氏だが,防衛相に就任してからは防衛・安全保障分野で日韓の連携を強調している。  

 河野防衛相は9月11日の就任記者会見で「北朝鮮の脅威に向き合うためには,やはり日米韓がしっかり連携をしていくということが大事だ」と指摘し,「日米韓がしっかり連携していくためには,日米,日韓それぞれきちんと連携が取れていることが大事だ」と述べた。  

 在日韓国大使館が〔2019年〕10月3日に主催した「国慶日レセプション」では,茂木敏充外相が出席しないなか,日本の閣僚では河野防衛相だけが来場した。会場にいた参加者によると,河野防衛相は南大使とあいさつを交わし,記念写真も一緒に撮った。両者の関係改善がうかがわれる。  

 韓国の中央日報は翌4日付の記事で,「日本政府代表として出席が期待された茂木敏充外相が出席しないなど悪化した両国関係がそのまま表われた。この日の行事に日本閣僚級で顔を出したのは河野太郎防衛相だけだった」と報じている。(後略)

 この記事のなかに出ていた「在日韓国大使館が〔2019年の〕10月3日に主催した国慶日レセプション」は,都心の某高級ホテルの催事場で開催され,世界各国の外交官や軍人,日本の各党政治家(公明党・共産党なども),各界で韓国関連でいろいろな領域で活動・活躍する人士が招待される。

 本ブログ筆者も以前,仕事場の関係で招待状が来ていたので興味がてら出席したことがあるが,韓国大使館が毎年開催するそのレセプションの場ではとくに張本 勲と黒田福美に,自分から声をかけて話しを交わしたのを覚えている。

 また,公明党の山口那津男もこのレセプションに来ていたが,警護の男性2人がものものしくぴったりそばに密着しながら周囲を睥睨する雰囲気については,なんだかとても場違いでかつ嫌らしい印象を受けた。

 まあ,「自民党の下駄」にへばりついた「▼ソたちの代表の護衛者」のその警戒ぶりだったにしても,もっとスマート(⇒賢く洗練された態勢)で,できないものかと,ちょっぴり感じたりもした。

 以上の話のうちとくに「佐藤 優」の発言が,「外交の世界において首脳や外相の発言がもつ意味は大きい。『売り言葉に買い言葉』のような状況が,事態を袋小路に追いこむことになった」という批判を提示しており,参考になる。

 佐藤 優は,当然の外交上の作法を述べているに過ぎないが,河野太郎が以上のような話題を提唱した点は,この「世襲3代目の政治屋」の未熟(もちろん人間的なそれ)を教えるものであった。

 元『朝日新聞』記者で現在はユーチューブ動画サイト『一月万冊』の主要要員である佐藤 彰は,記者時代に河野太郎の「常識感覚」に関して,非常に困った経験があることを,なんどか話題にしていた。

 太郎は父から祖父,曾祖父までが国会議員を務めていたから,厳密には「世襲3代目の政治屋」どころか「世襲4代目」の世襲議員であった。「売り家と唐様で書く3代目」ということわざは有名であるが,4代目となるとくわえて少し事情が異なっているのかもしれない。

 河野太郎の父は河野洋平(元衆議院議長),祖父が河野一郎(元副総理)で,曽祖父に河野治平(元神奈川県議会議長)と田川平三郎(元衆議院議員)がいた。また,大叔父の河野謙三が元参議院議長まで務めていたから,いわば本物の国会議員一族であったといえる。

 現状,正確には4代目の世襲政治家として,いま総理大臣の椅子を狙っている河野太郎は,直情径行というか唯我独尊というか独善先行型の政治屋にしか映らないでいた。

 またその事実は,大臣職を果たすようになってからというもの,「国民たちへの意思伝達能力」じたいの発揮の仕方において,発育不全らしきなんらかの実体(症状)を感じせるに十分であった。

 河野太郎は外務大臣になってから言動したさい,外交の正式の場ではどのような外交上の作法に則り,相手側と会話するのかについて,当時はまだ初歩的なそれさえしっかり心得ていなかったゆえ,この作法とは無縁の不躾な反応を記録していたと推察しておく。

 

 ※-2 2021年9月段階での自民党総裁選関連の話題,つまり原発増設なしで「原発再稼働」を認めるということにした河野太郎の「変節」加減は,いかほどに評定されるべきものか

 河野太郎は,2021年9月の自民党総裁選に立候補したところ,当時の世論調査では一番人気と目されていた。この世襲政治屋3(4)代目が実際に,日本国首相にでもなったとしたら,日本のエネルギー政策の一環として原子力の利用に大きな影響をもたらすことは必定と思われた。

     ★ 行き詰まる核燃サイクル 再処理工場の稼働見通せず                 先送り重ね国民に負担 ★        
        =『日本経済新聞』2021年9月14日朝刊5面 =  

 使用済み核燃料を再処理して活用する核燃料サイクル事業がゆきづまっている。日本原燃の再処理工場(青森県六ケ所村)は総事業費約14兆円を費やす原子力政策の要だが20年以上も動かないままだ。現在も安全対策工事が遅れ,稼働できるか分からない。政府がめざす脱炭素やエネルギー政策の議論で避けて通れない。

 原子力規制委員会の更田豊志委員長は〔2021年〕9月15日の記者会見で,青森県の再処理工場について「竣工前には設備の詳細設計の認可や使用前確認などを受ける必要がある。(現状の審査状況では)とうてい全体の時間的な見通しをもてる段階ではない」と述べた。目標とする2022年度前半の完成のメドは立たないとの考えを示した。  

 (中略)

 電力各社は使用済み核燃料を各原発の敷地内に貯めこむ。関西電力は原発が立地する福井県に,2023年までに搬出先の県外候補地の確定を約束した。青森県むつ市の中間貯蔵施設の活用を探るが,同市の宮下宗一郎市長は核燃サイクルの行方が不透明なことを指摘し「むつ市は核のゴミ捨て場ではない」と慎重だ。  

 再処理工場が完成しても別の問題が生じる。核兵器に転用可能なプルトニウムが再処理の過程で増える。再処理工場がフル稼働すれば,年最大7トンが新たに抽出される。プルトニウム燃料を使う国の高速増殖原型炉「もんじゅ」は廃炉となった。プルトニウムを使うあてもないまま増やせば,核保有国以外で日本だけが実施する再処理事業に国際社会から疑念の目が向けられかねない。  

 自民党総裁選に立候補を表明した河野太郎規制改革相は,核燃料サイクル政策に関し「再処理をやめる決断は1日でも早い方がいい」と明言した。岸田文雄前政調会長は13日の記者会見で「維持しなければならない。サイクルを止めると動いている原発すら動かすのがむずかしくなる」と述べた。
 
 看板を下ろすのも簡単ではない。政府や電力会社にとって最悪のシナリオは,青森県が県内に運びこまれた使用済み核燃料の県外撤去を主張することだ。電力会社と県はサイクルを放棄した場合にもち出すと取り決めている。電力会社が引き取れば再稼働にも大きな影響が出る。

 サイクル事業は袋小路にある。対応を先送りにしてきたツケは国民負担になって跳ね返る。矛盾に国は真剣に向き合う必要がある。(引用終わり)

 以上の記事,この内容は核燃料サイクルが破綻している現状,それもいままでの33年も,そうでありつづけてきた日本原燃の再処理工場(青森県六ケ所村)の,にっちもさっちもいかなかった顛末を報道している。

 そのせいで,いわゆる「トイレのないマンション」となっている日本の原発事業の現状は,非常なる悲観的な見通しかできないまま,いままで「来た」わけである。

 そして,これからもその窮状を打開できる積極的な要因・手がかりはみつかっていない。一時的だとはいえ,原発から排出された「使用済み核燃料」は,いまだに青森県六ケ所村の「日本原燃の再処理工場」に預けられている。

 だが,日本中の電力社会から預かっているそれら「使用済み核燃料」は,これを再処理して活用する核燃料サイクル事業が成立していないために,換言すると,これまで総事業費約14兆円を費してきた「原子力政策の要」が,いわば〈カナメ〉の事業として展開しえないまま,今日まで「来た」のである。


 ※-3 というしだいで「ごみを『つくる』政策は破綻したが… 矛盾抱える核のごみ最終処分場」『東京新聞』2020年11月11日,https://genpatsu.tokyo-np.co.jp/page/detail/1724

 a) この『東京新聞』の記事は,つぎのように関連する出来事を報道していた。添えられた図解をさきに参照しておく。

こうした後始末にかかる経費は
莫大な金額となって蓄積していき
後世にまで請求されつづける

 原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場選定をめぐり,北海道寿都町(すっつちょう)と神恵内村(かもえないむら)が,受け入れに向けた第1段階の文献調査に入ることになった。核のごみのガラス固化体を地中深く埋める処分方法(地層処分)は,地殻変動の激しい日本に適しているのか,前提となる核燃料サイクルに実現性はあるのか。道のりは険しい。(引用終わり)

 前段では「にっちもさっちもいかなかった」核燃料サイクルの問題に言及していたが,「トイレのないマンション」状態を余儀なくされてきた日本の原発事業(のバックヤード事業のこと)は,たとえていうならば,いよいよトイレに溜めこんだ汚物を溢れ出させるような事態を覚悟しなければならなくなっている。

 前段の『東京新聞』の記事で紹介したが,北海道寿都町と神恵内村に,原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場を選定するための手順はいまだに,つぎのような進捗状況にある。『朝日新聞』の記事を借りて紹介しておく。

これは有料記事なので後略されている段落あり

 要はその前に,原発の利用を止めればいいだけのことである。しかし,いますぐに原発を止めたとしても,いままで貯金してきたその「マイナスの有形財産:使用済み核燃料」は,ちょとやそっとでは一気に片付けられるような代物ではない。

 b) だから,河野太郎は閣僚に抜擢される以前,それも2011年「3・11」に発生した東日本大震災によって引きおこされた,大地震と大津波のために発生した東電福島第1原発事故の直後に,政治家として自分が研究してきた成果を,『原発と日本はこうなる-南に向かうべきか,そこに住み続けるべきか-』講談社,2011年11月として公刊した。

 補注)ちなみに以前(だいぶ以前になるが),紀伊國屋書店のホームページに出ていたはず(?)のこの河野太郎の本(すでに以前から品切れ状態なのだが)が,本日(ここでは2021年9月の話だが)あらためて検索してみたが,その広告・案内じたいが「買えるような注文できるような体裁」では,出ていなかった。

 通常は品切れ本であっても,リスト(商品の案内)としてはそのまま掲載されているものだが,なんらかのソンタクでもあっての対応かなどと勘ぐってみたくもなった。

 以上の話は2021年9月段階での報告であったが,現段階の2024年8月では,この本『原発と日本はこうなる-南に向かうべきか,そこに住み続けるべきか-』講談社,2011年11月は,電子版での発行のみになっていた。

 だが,ただし「ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。」と断わられてもいた。これも,紀伊國屋書店のホームページの当該画面に記入されていた情報である。

 アマゾンの古本販売のほうを検索してみたら現在,河野の本は電子版で販売されている。通常の「紙版」の場合は,古本で探せば購入できる。アマゾン通販に古本で販売されている。


 ところで,河野太郎はほかにも,飯田哲也と佐藤栄佐久との共著『「原子力ムラ」を超えて ポスト福島のエネルギー政策』NHK出版,2011年7月も,さきに公刊していた。

 補注)この本の共著者の1人,佐藤栄佐久は元福島県知事であった。現職の時代,東電の原発事業のあり方に対しては徐々に非常にきびしい態度に変化したために,デッチ上げにひとしい国策捜査的な「国家(=原子力ムラ)側の陰謀」の犠牲者になっていた。

 c) 以上の説明を総合して考えると,河野太郎が自身にとって本来の「原発観」である廃絶論を一時留保して,自民党総裁選に勝利するためとなれば(ここでは,以前:2021年9月での自民党総裁選に立候補した段階での話),「安全な原発」ならば「再稼働する原発」として譲歩し,そこまで認める立場に「変更=転向」した。

 そのような総裁選対策としての彼の「立場の変更」については,一定の「路線の変質」として,より慎重に批判的な吟味が必要と思われる。

 すなわち,河野太郎が原発問題に関して強調していた難問は,核燃料サイクルが成立しえない問題として,存在しつづけてきたところにあった。そのために前段で言及したごとき「高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場」が,いつまで経ってもその受け入れ場所がみつからず,むろん選定もできないという窮状がつづいていた。

核燃料サイクル(高速増殖炉サイクル)は成立しえていないから
あとは高レベル放射性廃棄物の処理場を
確保するしか手がなくなっている

 この最終処分場の確保いかんの問題は,その核燃料サイクルの成立という問題と同時並行的に,さらに異常と思えるほどに「原発政策の難関」を形成していた。

 前段で触れたようにわずかの進展はみられたものの,いまだにその候補地の確保と処理事業の開始は成就されていない。原発を利用しはじめてから半世紀以上が経つのに,この始末である。尋常ではない。

 d) 河野太郎の話題に戻そう。太郎は〔2021年9月段階,さらに2024年9月段階のそれぞれにおいて〕自民党総裁選に勝利したいがためであるが,顕著に,段階的に「変節」してきた。

 だが,もしもその総裁に選ばれ,つづいて日本国首相になった場合,彼本来の「原発廃絶路線」(前掲した著書にも書かれているような「それ」)を,再度前面にもちだす可能性はないのか? ここでの判断としては多分「ない」ものと受けとめるほかない。

 いってみれば「ウソも方便」として総裁選用にだけ一時,自身の原発観をいくらか変更してみたのではなく,そのように解釈するほかない「彼の心境の変化」が,権勢欲ゆえに醸成されてきたと受けとるのが妥当である。政治家は一般的に,そういう変節をやすやすと果たすのが通常の行動類型であるから,河野太郎の場合だかといって大きく変わらないはずがない。

 本ブログ筆者は「世襲3代目の政治屋」という表現を多用してきたが,河野太郎みたく,本当は「世襲4代目の政治屋」の立場だとなれば,しかも,どうしても首相になりたいのであれば,変節も転向もこれお手のものだと観察しておくのが,ごく自然な観方である。

 だが,河野の「原発反対を唱えた〔かつての?〕立場」と「原発の新増設をしないかたち」での「現状において保有する原発の再稼働」を許すという〔これは,かつての:2021年までの〕立場は,仮に「安全な原発」ならばそう対処するという立場となっていたにせよ,かなり中途半端であった。

 e) そもそもの話,その「安全な原発」という文句からして,これがそもそもの曲者であった。「安全な飛行機」とか「安全な新幹線」だとかいった文句は,わざわざ特別に断わるまでもない「交通手段の安全運行管理」のための基本前提,当たりまえの価値観であった。

 ところが,「安全な原発」を格別に強調してきたはずの「原発体制側の〈安全・観〉」にあっては,実は初めからあらゆる意味で,もとから「完全に安全でなければならない原発」であると,異様なまで強調されていなければならなかった。

 それゆえ,この種の「異様なまでに安全だと強調する立場の昂揚」が,いつも前面に据え置かれ,それなりにいちおう繰り返し確信されてきた。

 つまり,ひときわ強調されつづけるべき必要性があったその事実,原発は「安全だと断言した問題」に関してこそ,原発問題において実は,「最大限の注意を向けられるべき基本前提」にまつわって,正真正銘の重大な論点が潜伏させられていた。

 要するに,以上の話をあえて反転させていうとしたら,それだけ「原発は大きな危険をしかも満載している」ということであり,ただそれだけのことであった。

 原発については半世紀以上も前から「安全・安価・安心」だといった「偽物の標語」が,社会に向けてさんざんぱら喧伝されてきた。

 けれども,「3・11」の東電福島第1原発事故によってその〈大きなウソ〉は,あらためてバレた。安価という点もこれからはさらに,そのウソ性がますます鮮明になっていくし,とくに安全があれこれと不備だらけであった事実からしても,安心だといい切れる保障などほどんどなくなった。

 f) いまでは,原発の未来には「不安で高価な技術だ」という表現に集約されるごとき〈技術・経済的な特性〉しか展望できない。もはやその核心に関してゴマカシは効かない。

 ともかく河野太郎は,2021年9月,自民党総裁選の時点では,つぎのように報道される「原発観」を保持していた。

   ▼ 河野氏,原発建て替え否定 新増設含め「計画動かない」▼
      =『日本経済新聞』2021年9月16日朝刊4面 =

 河野太郎規制改革相は〔2021年9月〕15日のBSフジ番組で,国内原子力発電所のリプレース(建て替え)を認めない考えを示した。「これから新しい増設,リプレース,新設の計画が動いていくことはない」と語った。

 河野氏は10日の記者会見で「安全が確認された原発を当面は再稼働していく」と説明した一方で「原発の新増設は現時点で現実的ではない」と述べた。15日は既存施設のリプレースも認めない意向を示した。

 補注)この河野太郎の原発に関して明示した基本的な意向は,原発の廃絶を2050年までにはほぼ完全に認める考え方になる。

 これに関連して,自民党の原子力発電所のリプレースを推進する議員連盟は15日,国会内で会合を開いた。新しいエネルギー基本計画の原案を撤回し,原発のリプレースを明記するよう求める決議をまとめた。

 経済産業省は7月に公表したエネルギー基本計画の原案でリプレースを記さなかった。今秋の閣議決定を予定する。決議はエネルギーの安定供給と2050年までに温暖化ガス排出量を実質ゼロにする目標を両立させるため,原子力は「欠かすことができない基幹電源だ」と指摘した。

 補注)くわしく説明はしないが,この “原子力は「欠かすことができない基幹電源だ」” という主張は,完璧といっていいくらい謬説であった。原発はCO2 の排出なしに直接「温暖化の主要原因」になってもいるゆえ,そう断定してよい。

2021年9月時点の話

 2021年10月に首相となった岸田文雄は,2022年8月下旬,「原発の再稼働のみならず新増設までおこなうと決定していた」。トンデモな,このやはり「世襲3代目の政治屋」は,原子力非常事態宣言がいまだに発令中である事実などなんのその,エネルギー問題全体の立場にとってみれば「無用・不要でしかありえない原発」を,これからは新増設まですると,それも国民側の当時における世論の大勢に逆らって,自分1人で勝手に決めていた。 

 さて,話を2021年9月29日に移すが,この自民党総裁選の日付けに備えてであったが,経済産業省側からはすでに,河野太郎に対する攻撃--あらゆる手段を使いこの太郎を貶めるための,つまり「落選工作」をあれこれ画策する動きが始まっていた。

 なかでも,『文春砲』の砲身が向けられる標的は各種各様にあったが,今回は河野太郎が明確にその目標に定められていた。しかもきわめて明解に,その意図の出所が示唆されていた。ほかならぬ経済産業省がそれであった。

 つぎの※-4の記述は,経産省関係者からの垂れこみ情報をもとに記事が制作されていた『週刊文春』の報道であった。この背景に控える原子力村の構造と機能については,河野太郎なりに自著のなかで示していた図解をつぎにかかげておく。

河野太郎の原子力村解説図

 ※-4「河野太郎大臣パワハラ音声 官僚に怒鳴り声『日本語わかる奴,出せよ』」『週刊文春』編集部,2021/09/01,https://bunshun.jp/articles/-/48318(元記事『週刊文春』2021年9月9日号)

 この記事から引用する。

 --河野大臣の “ダメ出し” は13回に及んだ。(前出の)経産省関係者が嘆息する。

 〔再生エネに関して〕「『36~38%』という数字が『上限』でないことは素案に明記してありますし,『以上』という文言を入れれば,産業界に『最低でも38%は達成するだろう』と誤ったメッセージを与え,企業の設備投資などにも大きな影響を及ぼしてしまいます」。

 そして,官僚に対する〔河野の〕激しい言葉はこの後も続き,怒鳴る場面もあった。官僚の言葉を遮るように,「はい,つぎ」「はい,ダメ」と連発される “ダメ出し” は計13回にも及んだ。

 補注)この出だしの内容は,前段で言及された駐日韓国大使に対する「外務大臣のときの河野太郎の態度と瓜二つ」である。

 パワハラ問題に詳しい佐々木亮弁護士が語る。

 「『日本語わかる奴,出せよ』などの発言はパワハラに当たる恐れがあります。厚労省が作成したパワハラの指針では,『精神的な攻撃』という欄で,『人格を否定するような言動を行うこと』と明記されていますが,これに該当するでしょう。こうした高圧的な振る舞いが常態化した場合,官僚からパワハラで訴えられる可能性も出てきます」。

 経産省に書面で尋ねると,こう回答した。

 「各省協議をおこなっている最中であり,どの省庁とどのような協議をおこなっているかなど,各省協議についてコメントすることは控えさせていただきます」

 河野氏にも書面で事実関係を尋ねたが,期日までに回答はなかった。

 〔2021年〕9月1日(水)16時配信の『週刊文春 電子版』および,9月2日(木)発売の『週刊文春』では,件のオンライン会議の席上,河野氏が官僚の説明に耳を傾けず,約28分間にわたって大声を張り上げる様子を詳報している。さらに,『週刊文春 電子版』では,音声も公開している。(引用終わり)

 以上,河野太郎に向けられた週刊誌による批判的な記事での「表現」は,広義でみれば「原子力村」の一員だとみなしてよい,文藝春秋社が発行するその誌面に書かれていたものであった。しょせん,お里がしれる記事であった。

 あの人もこの人もタヌキかキツネかになって,人間さまを化かそうとするための記事を書いているという話題……。

 タヌキもキツネも「即席麺の分類」にかかわる話だったら,なんの罪もない。だが,いい大人たちが原発問題になるとムキになって,机の下で蹴りを入れあっている場面が遠望できたのだから,いいかげん嫌になる……。

 しかし,それでいて「使用済み核燃料を再処理して活用する核燃料サイクル事業」の今後に関してだが,わずかであってもいい,なんらかの見通しがつくという事情は,いつになってもなかなか生まれていなかった。

 さらには,東電福島第1原発事故の後始末が,あと半世紀で〔とか1世紀あれば〕終えられる,と請けあう原子力工学の専門家はいない。どうしてだと問うまでもないのが,この事故現場の廃炉工程の困難さ(至難)であった

 要は,日本の原発事業は “にっちもさっちもいかない” どころか,いまなおひどい便秘状態にある。つまり「トイレのないマンション」である現状をつづけてきただけでなくて,それ以前に,これからもこの事業全体は「糞詰まり状態」を余儀なくされていかざるをえなかったのである。

 とはいっても,「便秘状態の話題」にたとえた「原発の核燃料サイクル事業の不成立状態」という事実は,あくまでたとえ話であって,本来,比較の対象になりうるもの同士ではなかった。

 前者は,人間の健康に関する現実的な体調不良の問題であるが,後者は,ほぼ絶望的な展望しか抱けない問題となっている「核燃料サイクル事業の現実」である。

 《悪魔の火》をエネルギー源に利用した原発事業が,いま,人間側に返しつつある因果応報の「膨大な負価」は,これから何十年どころか何百年かけて「人類・人間史」に対して重い負担をかけつづける。絶対に逃げられないその種の事態が生まれている。

 以上の文脈に照らしていえば,河野太郎の「原発廃絶論」(反原発論)は正解である。しかし,だから河野が原発の新増設を一言でも口に出していったとなれば,この人の存在価値はゼロ(以下)になる。ゆえにまた,当分のあいだ彼は「原子力村からの陰湿な非難・中傷・攻撃」を回避できない。

 自民党総裁選の期日は今日から13日後,〔ここでは2021年の話:日程のことであったが〕9月29日である。それにしても,河野太郎をはじめ,世襲議員ばかりがめだっていた。それもとくに自民党国会議員団の場合,代わり映えがしなかった。もういい加減このさい,自民党以外の政権に移したほうが,日本という国の未来のためにもよい。

 補注)この段落での以上の話は,2021年時点における中身であった。このときの河野太郎は「自説の反原発観」に即したかっこうで,自民党総裁選に臨んだ。しかし,そのために原子力村「総体」からの総攻撃を受け,彼自身は沈没(撃沈)させられた。

 ところが,このたび2024年になった時点において,自民党総裁選に挑むことになった河野太郎は,「自説の反原発」の立場を撤回したにひとしい転向ぶりをみせた。それほど首相になりたい気分だと解釈できる。

 だが,河野太郎の「反原発観」からの転進・逃亡ぶりは,彼の政治家としての真価が,やはり「売り家と唐様で書く3代目」のそのまた息子:4代目であった点にみいだせる事実を,あらためて露呈させたことになる。

 ついでいっておくと,40歳台(前後)の人材から首相を出せないような「日本の政治」に対して,特別の活性化を求めても,いまでは「できない相談」になっている。

 いまの自民党から次期の首相になりたいと声をあげそうな連中は,すでに御用済みで,用があるのは「大きく口を開けて待っているゴミ箱だけ」という風景が,現在における日本の政界模様。


 ※-5『毎日新聞』2024年8月8日朝刊2面記事と「社説」

原発体制の暗いみとおし
『毎日新聞』は反原発

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