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日本政治の世襲化=政治の私物化(死物化),過去の遺物がゾンビ的に陽動するこの国

 ※-1 日本の自民党政治は「世襲による家業」化をほぼ完成させえたのか? 

 明後日,2023年4月23日に実施される衆議院補選には,岸 信介という「妖怪の孫:安倍晋三」の甥にあたる岸信千代が,山口県第2区に立候補している。

 この信千代が仮にでも当選などしたら,なんと「世襲4代目の政治屋」がめでたく誕生する。そうなるとしたら日本の政治という舞台において演じられる茶番劇が,またもや追加され再現することになる。

 その補選に登場した信千代の該当演説を実際に聴いてみたが,このぼくチン,なにをいいたいのかさっぱり分かりえない「発言」しか語れず,まったく具体的な中身がないセリフを叫ぶだけに終始していた。

 それでも,この坊やが自分はもうすっかり当選したかのような気分を漂わせていないわけではないゆえ,この異常さに気づかぬほうがどうかしている。 

 以下に紹介するツイートの画面は,昨年(2022年)12月中に発信されていたものである。

安倍晋三の祖父「安倍 晋」,佐藤栄作の弟「佐藤信二」
という政治家が記入されていない。どうしてか?
いまどきにしては若い引退をした
信千代の父「信夫」
「呆れて笑う」ことを諦めたら「負け」!

 「〈衆参補欠選挙2023〉岸信千世氏,衆院山口2区へ立候補を表明『家族の意志を受け継ぐ』」『朝日新聞』2023年2月7日 20時55分,https://www.asahi.com/articles/ASR276JQDR27TZNB007.html といった
見出しの記事まで出ていたが,「家族の意志」とはなんぞや?

 その種の動機があって国政に立候補することがいちがいにいけない,ノーだとはいわない。だが,この信千代君にかぎっては,そのように発言されるとなったら「オイ,ちょっと待てよ」「オマエの家・家族のための選挙であるまい」と返さねばなるまい。

 ともかく,信千代のオヤジは,体調が悪くなり,引退を余儀なくされたさい,こういったと報道されていた。

 「岸信 夫首相補佐官が引退へ,長男の信千世氏に『このあたりで譲りたい』… 後援会幹部に伝える」『読売新聞』2022年12月11日 18:16,https://www.yomiuri.co.jp/politics/20221211-OYT1T50128/ 

 つまり,「岸家の地盤を引き継ぐためにも,補選で勝利し,現職議員でいる必要があった」点を,「自分:父親」である岸 信夫は「自分の息子」に自身が当選してきた選挙区を,あたかも私有物であるかのように,それも自然・当然の感覚で口に出していた。後援会内の話題にしても,尋常ではない。

 本日のこの記述は,以下につづく文章の大部分は「2021-06-02」の再生である。しかし,日本の政治においてもっとも難題化していた「世襲政治という因習」を論じていたので,

 最近(2022年12月ごろ)からの「岸家のために〈日本の政治〉」があるみたいな,自民党議員岸 信夫の「息子:信千代への世襲を正当化したごとき発言」を聴かされたとなれば,その「2021-06-02」時点で書かれていた材料を,あらためて最近の話題としてもちだし,本日の記述なりに更新しつつ改筆しなければなるまい,ということになった。
 

 ※-2 日本政治の世襲化が政治の私物化(死物化)を生む温床となり, 世襲政治屋の国会議員たちがこの日本を堕落させ崩壊させてきた

 安倍晋三の第2次政権が2020年9月16日に終わったものの,これをさらに恥の上塗り的に仕上げたのが菅 義偉政権であった。安倍の為政していた時期からすでに明白に没落への道を歩みはじめていた「この国家を救う」ためには,菅という首相の存在は不要どころか有害無益であった。

 ところがこの菅 義偉政権のあとを引きつぎ,2021年10月4日に岸田文雄政権が発足するが,この政権もまた「世襲3代目の政治屋」であるこの文雄が担当してきただけに,いまもなおろくでもない為政しかなしえていない。

 岸田文雄は自分の長男翔太郎(当時31歳)を,当初は岸田文雄事務所の公設秘書だったこのせがれを,2022年10月4日,政務担当の内閣総理大臣秘書官に起用し,しかもその登用の理由を「危機管理の強化」としていた。

 自分の息子を「総理秘書官」といった重職に任命する点でみれば,とうていその任には堪えられない翔太郎を重用するのは,身内びいきという評価を招きかねない。そうであれば,この種の人事は通常,最初から避けるものである。

 ところが,文雄の場合は,これまで(2023年4月下旬段階)を観てもなんら存在感のない「息子殿の首相秘書官」を,そのまま置いている。

 要は,岸田文雄も自分の官邸人事采配が,ネポティズム(縁故・身内主義)の最たる見本を提供している立場を,まともに理解も認識もできていない。というか,その種の「理解や認識」をできる政治家としての「基本的な理念・信条」をもちあわせていない。

 通常のまともな感覚であれば,自分の息子を官邸の筆頭秘書官にはしない。ましてや,この息子を任命した時は,31歳の〈若造〉であった。首相のために官邸に勤務する秘書官は,岸田文雄政権発足時(2021年10月)は8名いたが,当時の年齢で一番若いもので50歳であった。

総理大臣秘書官出身官庁など

 ところで「内閣総理大臣秘書官」はこう説明されている。

 国家公務員の役職の一つである。内閣総理大臣につねに付きしたがい,機密に関する事務を取り扱い,また内閣総理大臣の臨時の命により内閣官房その他関係各部局の事務を助ける役職である。内閣法では「内閣総理大臣に附属する秘書官」と称されている。俗に総理大臣秘書官,首相秘書官。

 そこへ31歳の若造が首相の息子だという理由しかみつからないのだが,政務担当の内閣総理大臣秘書官に起用し,しかもその登用の理由を「危機管理の強化」としていたのだから,この理由を聴かされたほうがビックリしないほうがおかしい。

 ちなみに,岸信千代は1991年5月16日に生まれで,現在31歳。日本はいつから「世襲で政治家を育てる国」になっていたのか? これで「先進国」だとまだ思いこんでいるとしたら,世界から嘲笑の対象になるだけである。

 この日本特有の世襲政治を打破し,排除しないかぎり,この国土の上にまともな民主政を立てなおそうにも,不可能に決まっている。
 

 ※-3 安倍晋三の実弟:岸 信夫を詮索する-日本の政治が「私物化され」「家業化され」た結果,政治の死物化現象が顕著になってきた惨状

 日本の政界をみわたすに,まともな政治家になれず貧相な政治屋にしかなれていない世襲「2・3・4世議員」がなんと多いことか? そういう問題意識を抱いて,現状の日本政治を観察してみる必要がある。

 政治屋稼業が特定の人間・血族たちの私有物的な家業になりはてている日本の政界,その腐敗・糜爛のかぎりを呈するほかない尋常は,あまりにも当然かつ必然に致命的な病状を発症させてきた。

 さらにくわえては,軍隊組織は暴力装置ウンヌンの問題などもついでに議論することにしたい。

 岸田文雄政権は2023年度の国家予算から5年間をかけて,軍事費(防衛費)を倍増させ,NATO諸国並みのGDP比率水準にもっていくのだといって,これを実行しだした。つまりその暴力装置の強化・拡大をすでに開始しはじめている。

 さて,21世紀に入ってから自民党の首相になった人物は,皆,世襲の政治屋たち(地方自治体の含むが)であった。菅 義偉だけが異なっていた。以下は姓名と首相在日期間(および生年月日)である。

  森 喜朗  2000-2001年(1937年7月14日生まれ)
  小泉純一郎 2001-2006年(1942年1月8日生まれ)
  安倍晋三  2006-2007年,2012-2020年(1954年9月21日生まれ)   福田康夫  2007-2008年(1936年7月16日生まれ)
  菅 義偉  2020-2021年( 1948年12月6日生まれ)

  要点・1 以上の人物のうち「知性だとか教養だとか」いえるような〈人間的な印象〉を与えうるのは,せいぜい福田康夫だけであった,ただしこの人も首相を辞めるさい,つぎのように開きなおる発言をしていた。

 福田康夫は「総理の会見は人ごとのように感じるという国民が多かった」という記者の質問に対し,こういった。「私は自分自身は客観的にみることができるんです。あなたとは違うんです」

 これは,福田康夫が2018年9月1日夜,辞任を表明した記者会見の最後に述べた言葉であったが,ここまで自分の立場をできるかぎり客体的(?)に説明しようと努力した点は,ほかの同じ世襲政治屋とは若干だが,確実に異なる印象を与えていた。

 ネットではこの発言について「みっともない」と批判する声や,「記者の質問がおかしい」と福田首相を擁護する声などさまざまな意見が挙がっていた,インパクトが大きい発言だったことは確かで,「流行語大賞候補だ」という意見も多く出ていた。

  要点・2 しかし,森 喜朗と安倍晋三は最悪のレッテルを貼られて当然の “ダメ宰相” であった,この2人は「サメの脳ミソ」の持主だとか「初老の小学生・ペテン総理」だとかヤユ的に蔑称されても,これを聞かされた人たちが特別に違和感を抱くこともない,まさに〈彼らという存在〉になりはてていた

  要点・3 要点・2の事実は森 喜朗の場合,まだ国内限定版であったからまだよかったものの,安倍晋三になると内政・外交ともに,なかでも後者については日本の税金(国民たちの血税)を海外にばらまきにいっただけで,外交といえるだけの成果はとくになく,とりわけロシアのプーチンにはさんざんコケにされてきても,晋三はこの事実に不感症であったから,救いがたいというほかない政治屋のボンボン(甘ちゃん)であった。

 一部には「外交のアベ」と褒めていた無知蒙昧なる人びともいたけれども,実際のところのアベ君は「外交で大失策を重ねてきた」に過ぎない。

  要点・4 菅 義偉になるとこれまたひどい首相であった。2020年10月段階で世間を騒がせた問題に関連して,この前首相はつぎのように支離滅裂な発言をしていた。

 司会者が「説明を求める国民の声もあるように思う」と発言すると,菅氏は「説明できることとできないことがある。学術会議が推薦したのを政府が追認しろといわれているわけですから」と語気を強めた。

 この態度はまるでプーチンのミニミニ版,単なるミニ版ではなかったので,留意されたし。

  要点・5 以上の前提を述べてから,今日話題として途中で引っぱり出す人物:世襲3代目の政治屋が,安倍晋三の実弟で防衛省大臣を務めた経歴をもつ岸 信夫である。この世襲議員は兄貴(晋三)同様に,政治屋としての問題をかかえていた。
 

 ※-4 高橋純子の「〈多事奏論〉)国難と政治の虚無 現場の奮闘,盾にする過ち」『朝日新聞』2021年6月2日朝刊11面「オピニオン」

 この『朝日新聞』オピニオンの論説を読みながら,以下につづく議論を記述していきたい。

 a)「事前の議論」 朝日新聞社編集委員である高橋純子は,いつもしっかりと辛口の論評を書いている。今日のこの論説は「世襲議員」を槍玉に挙げる議論を繰り出した。最近はどの新聞社もへっぴり腰の幹部記者が多いなかで,高橋は,安倍晋三や菅 義偉に向かい,格別気にすることもないかのように批評をくわえていた。

 このごろの新聞紙は体制批判の見地が完全に薄らぎ,脆弱化した。国民・市民・庶民たちが,なるべく公正・客観の立場・視点から,世の中の出来事全般を考えられるようにするための材料を,言論機関として発信するといった「社会の木鐸」としての任務が,非常に低調になっている。

 「第4の権力」だと位置づけられている言論機関のうち,そのもっとも有力であるはずの大手新聞社のうち,体制派ベッタリズムの読売新聞社や産経新聞社は論外として,朝日新聞社や毎日新聞社が,このところまでみせてきた基本姿勢は,まさしくへっぴり腰そのものであった。

 新聞紙業界における内勢としてそのような動向は,政権がかかえているもっとも緊急な課題を,真っ向からまともに批判しないところに反映されている。

 たとえば,大手紙がコロナ禍の最中にもかかわらず五輪を強行した菅 義偉前政権をまともに批判できなかった(しなかった)のは,「2020東京オリンピックの開催」(1年遅れになっていたが)に向けて,朝日新聞社・毎日新聞社・日本経済新聞社・読売新聞社など大手紙の全社がそのオフィシャルパートナーになっていたからであった。

 b) 先日(2021年5月下旬の話題であった),信濃毎日新聞社や西日本新聞社につづいて朝日新聞社が東京五輪の開催予定を批判し,中止を求める社説を書いていた。しかし,菅 義偉前政権のやり方をみてきたところでは,誰がなにがいおうともオリンピックは開催するのだ,という強硬な態度のみが突出させていた。

 オリンピックの開催に当たっては選手に対してPCR検査を密に実施するといっていたのだから,呆れた。どだい,PCR検査をコロナ禍発生当初から意図的に回避し抑制してきていながら,そしてその基本姿勢をその後もなお継続させていた。にもかかわらず,一時にだけ開催される五輪のためにそうするのだという神経が,そもそも理解できない対応であった。

 菅 義偉前政権は,国民たちの「健康と生命」の「安全・安心」などそっちのけで,五輪,ごりん,ゴリンと騒ぎ立てていた。コロナ禍のせいで国民生活があちらこちらで困窮に追いたてられている実情など床吹く風とばかり,五輪だ,オリンピックだと,菅 義偉は「バカのひとつ覚え」の要領でうそぶいていたゆえ,始末が悪かった。

 c) ところで,2021年5月26日朝日新聞の「社説」は,東京オリンピック・パラリンピックの中止を求める論説を公表していた。その題名は「夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める」であった。

 この社説は,2020東京オリンピックの開催については,序盤,開催に向けて国民の不信感が募っていることに触れたうえで,《冷静に,客観的に周囲の状況をみきわめ,今夏の開催の中止を決断するよう菅首相に求める》と提言していた。

 『朝日新聞』もいままでは五輪の開催に反対する意見は表には出さなかった。だが,ここまで来たところで,2020年2月ころから本格的にその伝染拡大が大問題になっていたコロナ禍のなりゆきが,いかように推移するにしてきたにせよすでに1年半もの長期間が経ち,とりわけその収束しそうな時期すら予測しきれていない状況のなかで,とうとうその開催に反対する社説を書いた。
 

 ※-5 高橋純子の「〈多事奏論〉国難と政治の虚無 現場の奮闘,盾にする過ち」『朝日新聞』2021年6月2日朝刊「社説」の引用(前項※-4)にも関係する議論など

 2021年の当時に用意された新型コロナワクチン大規模接種の予約システムには「欠陥」があった。そう調査報道した朝日新聞出版と毎日新聞に防衛省が抗議したことに呼応し,あの人が動いた。

 「朝日,毎日はきわめて悪質な妨害愉快犯と言える」(安倍晋三氏のツイート)

安倍晋三・ツイート

 あまりに奇天烈(きてれつ)な難癖に驚き,マスクの下で音読してみる。メガネが曇る。大きな穴をみつけたら,「ここに穴があります(気をつけて)」と世間にしらせるのはメディアとして当たりまえのことだ。

 それを愉快犯呼ばわりする前首相〔いまでは元首相〕のやり口になんだかすっかり慣らされてしまった感があるが,本来とても異様なことである。

 「敵」を名指すことで問題の本質から目をそらさせ,失政をごまかし,仲間内の結束を高めて政権の底支えにつなげる。その便利な敵役に使われてきたのが一部のメディアだ。権力に目の敵にされるのは,不愉快だけれどある意味名誉なこと。寵愛(ちょうあい)されるよりよほど胸を張れる。
 
 補注)その「その便利な敵役に使われてきたのが一部のメディア」とは,いうまでもなく『読売新聞』や『産経新聞』である。この2紙のあだ名を『ゴミ売り新聞』とか『3K新聞』とか名づけた人がいた。

 前川喜平(文部省次官)を謀略に嵌めこむために協力する記事を,わざわざでっち上げ的に制作・報道したのが,そのゴミ売り新聞社「幹部」であった事実は,大手の新聞社として破廉恥な言論活動のひとつであった。

前川喜平に策略をしかけた『読売新聞』記事

〔記事:高橋に戻る→〕 とはいえ「身内」が犯した真正の罪への説明責任を,いまだ果たしておられぬ前首相(ここでは安倍晋三のこと)である。

 「桜を見る会」前夜祭をめぐる公設第1秘書(当時)の政治資金規正法違反についてホテルの明細書を示す。公職選挙法違反の河井案里氏陣営に自民党が破格の1億5千万円を出した経緯と使途について,当時の党総裁として説明する。

 それら最低限の責任を放棄したまま放言している前首相は,この国の民主主義にとって「きわめて ○ ○ な ○ ○ といえる」――さて,○ になにを入れるべきか。ご意見募集します。

 補注)本ブログ筆者ならば,この ○ のなかに,こういう漢字をいれておきたい。「きわめて頓馬な遁辞といえる」と。

 国会で「桜を見る会」関係だけでも,118回の「ウソの答弁」としたと正式に認定されている安倍晋三君であった。どの口をしてそのようなトンチンカンを唱えられたのか,まことにもって不思議のキワミであった。

 いまから10年も前の話題。2013年3月29日の参院予算委員会において,こういう出来事があった。安倍晋三が第2次政権の首相になってまだ3カ月した経っていないころであった。当時の民主党・小西洋之参議員が質問した点に対して,戦後日本の憲法学者ではもっとも高名な人物である芦部信喜(1923~1999年)を,安倍はしらないと答えた。

 いうまでもないが,安倍晋三(1954年生まれ)は,成蹊大学法学部政治学科卒である。経済学でいったらケインズやマルクスの名を,社会学者でいったらコントやウェーバーの名を,経営学でいったらテイラーやドラッカーをしらないと答えたぞと,そうたとえておけばいい。

 そのくらいに彼は,大卒(法学部政治学科)の資格(実力?)を疑わせる程度にしか,勉強をしていなかったと推察してよい。安倍晋三の卒業証書は「名誉学士」だったと茶化す人もいた。

岸 信夫,この顔つきは健康状態が不良になってからのものにみえる

 なお,高橋純子のつぎの段落につづいて登場する岸 信夫(上の画像)は,安倍晋三の実弟である。信夫は安倍家から岸家に養子に出されていた。この2人の実父が外務大臣・内閣官房長官を歴任した安倍晋太郎,実母は安倍洋子であり,この洋子の父が岸 信介,さらに大叔父に佐藤栄作がいた。後者2名は内閣総理大臣を務めていた。栄作の弟佐藤信二も政治家になっていた。

〔高橋純子に戻る→〕 なにより今回,批判の口火を切ったのが岸 信夫防衛相だったことにはもっと関心が払われていい。「この国難--コロナ禍襲来のこと--ともいうべき状況で懸命に対応にあたる部隊の士気を下げ,現場の混乱を招くことにも繋(つな)がります」。

 国難や士気といった言葉を,実力部隊を率いる防衛相がもとより安易に振りまわすべきではないと私は思うし,ましてや個別メディアの批判に用いたとなれば警戒心を抱かずにはいられない。自衛隊の「懸命な対応」を,政治が盾に取ってはいけない。ましてや矛(ほこ)にするなどあってはならない。

 これが防衛省・自衛隊ではなく,たとえば厚生労働省の失態だったら,こんないいぶんが通ると踏んだだろうか。普通に謝罪し粛々と対策が練られたのではないか。厚労省の役人であれ自衛隊員であれ,現下の奮闘に序列などないはずなのに,なんだろうこれ?

 補注)民主党政権時代に,こういう話題が世間に流れていても,かなり不正確な受けとめ方しかなされなかった。だが,自民党議員のなかで軍事問題にくわしい石破 茂にかぎっては,そうではなく,つぎのように語っていた。

 私,ここに来る前に仙谷由人さんのお別れの会に顔を出してきました。仙谷さんが(民主党政権の)官房長官の時に「自衛隊という暴力装置」なんてことをいって,けっこう騒ぎになりました。
 私は自民党政調会長だったんで「暴力装置とはなんだ」みたいなことをいったんだけれども,その時に「あ,この仙谷〔由人〕さんという人はちゃんとマックス・ウェーバー(の本を)読んでるんだ」と思って,内心すごく尊敬をしたことを覚えております。
 「職業としての政治」のなかに「国家とはなにか。それは警察と軍隊という暴力装置を合法的に独占する。それが国家なのだ」というくだりがあります。(2018年11月30日,早稲田大学での講演で)。

 註記)「〈自民党・石破 茂元幹事長(発言録)〉仙谷氏の暴力装置発言を『内心すごく尊敬した』石破氏」asahi.com 2018年11月30日 22時30分,https://digital.asahi.com/articles/ASLCZ6K4SLCZUTFK01T.html

 軍事オタクでもある国会議員の石破 茂にいわせるまでもなく,軍隊が暴力組織である事実は “事実そのもの” である。本ブログ筆者も記憶しているが,2010年11月に2回ほど記述していたのが(旧ブログの記述なので現在は未公表状態だが),「国家の軍事組織を暴力装置といってなにが悪いのか」という話題(主題)であった。

 要は,民主党政権の官房長官を当時務めていた仙石由人が「自衛隊は〈暴力装置〉である」と発言したとき,この学問的にも現実的にもなにひとつ誤謬のない正直な認識が,つまり,軍隊そのものでしかありえない〈日本の自衛隊〉に向けて,それも日本政府官房長官の口からいわれた発言が,ちまたの一般庶民までがわけも分からないのに,目くじらを立てて非難する対象になってしまい,異様なまで世論が沸き立っていた。

 だが,仙谷の個人的な見解であろうがなかろうが,また政府要人の立場での正式見解であろうがなかろうが,軍隊である自衛隊は「暴力装置」である本質をもっている。このことは,否定しようにもできない「当たりまえの,厳然たる事実」である

 日本国民は自衛隊が災害出動をする姿,すなわち,毎年何回かはどこかで必らずみられる,そうしたとくに陸上自衛隊の勇姿〔雄姿?〕をみるたび,国家制度としての軍隊組織=自衛隊がいかに頼もしい存在であるかを,実際に身近で感じてきた。

 だが,災害出動時の自衛隊の姿は〈仮の姿〉である。暴力装置の善用である「一面である」と説明しておけばいい。災害救助に当たって自衛隊は,その暴力的装置を軍隊組織として備えている本来の「物的な軍備や人的な編制」の実力性を,国民たちを助けて救う役割にために転換し,発揮させる。

 以上の指摘・説明で判りにくいという人は,自衛隊3軍の保有する兵器・武器,さらには軍人たちが,実際に戦争のために動員されて発揮する基本機能が,そもそもなんであるかを思えば,軍隊=「暴力装置」である1点以外に,その答えはないことに気づかねばならない。

 カール・フォン・クラウゼヴィッツ『戦争論』が唱えた「戦争と軍事戦略略の思想」は,「戦争は他の手段をもってする政治の延長」という考え方であった。さらに,この戦略思想を現実で実施するために政治家の役割が重要だと主張した。くわえていえば,それゆえにこそ,文民統制(シビリアンコントロール)の問題が,政治に本来かかわる最重要の論点になるわけである。

 要は,今回における岸 信夫は防衛省大臣として,自分の実兄の安倍晋三が前段のようなツイートを発信する行為を許しただけでなく,自身もつぎのように批判される発言をやはりツイートで公表していたのだから,軽率のそしりを回避できない。

     ◆ 山口二郎教授 岸 信夫防衛相の投稿に
          「欠陥を指摘してもらって,逆切れ」◆
 =『YAHOO!JAPAN ニュース』2021/5/18(火) 17:35 配信,https://news.yahoo.co.jp/articles/b3a70d988b4f3d5774b0e18ea9c70135a5107d87(元記事『デイリー』)=
 山口二郎法政大学教授が〔2021年5月〕18日,ツイッターに新規投稿。岸 信夫防衛大臣が「自衛隊大規模接種センター予約の報道について」と投稿したことを引用し,「逆切れするとは」と驚きをまじえた。

山口二郎の岸 信夫批判

 岸防衛相は「自衛隊大規模接種センター予約の報道について,今回,朝日新聞出版AERAドットおよび毎日新聞の記者が不正な手段により予約を実施した行為は,本来のワクチン接種を希望する65歳以上の方の接種機会を奪い,貴重なワクチンそのものが無駄になりかねないきわめて悪質な行為です」と投稿。取材目的で架空情報を使って予約した行為を批判した。

 山口教授は「〔ワクチン関連の業務に関して生じた〕欠陥を指摘してもらって,逆切れするとは,無能,無恥のきわみ。政府の失敗を暴くことはメディアの任務」と投稿した。

 岸防衛相は別の投稿で「今回ご指摘の点は真摯に受けとめ」「対応可能な範囲で改修を検討してまいります」と応えていた。   

 岸 信夫は残念ながら,兄貴の安倍晋三に近い知的資質の程度にしか恵まれていなかったのか。やはり,凡々たる世襲政治屋の1人でしかなかったのか,と解釈されてもしかたあるまい。

 だが,より大事な問題は,自衛隊3軍を司る「国家暴力装置」の担当大臣:最高責任者である岸 信夫が,そのように軽率きわまりない,それも条件反射的でありつつも,だいぶ見当違いのツイート発信をしたことにあった。くわえて,その兄貴である晋三まで調子に乗ってなのか,同じように偏屈なツイートを発信していた。

 なかんずく,自衛隊3軍も軍隊組織であるかぎり「暴力装置」である。その軍隊組織,陸海空の3軍が装備している兵器・武器はそのすべてが,第1目的として「敵の粉砕・撃滅にある」ことは,いうまでもない。災害出動に当たってかり出されるときの自衛隊は,その戦闘実行力を「敵の粉砕・撃滅」の目的外使用に当たる任務を遂行することになる。

 その担当省大臣が,自衛隊がコロナ禍対策に協力するために設営した「自衛隊大規模接種センタ-」がかかえていた問題に関して批判が指摘・提示された点に向かい,突如として過剰な反応をいたずら(条件反射的?)に放っていた。この言動は,自身が大臣として管轄する自衛隊3軍の政治的かつ軍事的な特質を,まったくわきまえない,ただの衝動的なそれであったと批判されてよい。

〔高橋純子に戻る→〕 為政者がなにを利用し,私たちはなにに利用されようとしているのか,目の前の危機対応に追われて視野が狭まり,より大きな危機を呼びこんではいないか。よくよく注意が必要なことは歴史が教えてくれている。

 コロナ禍がまだ完全には終息していないなかで,現状なりに通観できる日本の政治状況は,安倍政権の7年と8ヶ月がやはり,国民生活の全般にとって「大きな痛手」になっていた,という事実そのものである。

 政治も行政も批判に正面から向き合わず,うそや詭弁(きべん)の糸で紡いだ無謬(むびゅう)の繭の内にこもり,甘え,甘やかされてきた。この1年余の間,目の当たりにした後手と無軌道はその結果とみるべきだろう。

 補注)高橋純子がこのように「第2次安倍政権を捕捉し,批判する考え方と話法」は全面的に賛同しうる。しごくまっとうな議論をしているに過ぎない。しかし,安倍晋三や岸 信夫のように「政治的な幻界」のほうに位置しているかぎりは,この種の批判(論説・論評)が理解できない。

 菅 義偉の前政権になって,そして岸田文雄に現政権になってからも,現在のごとき自民党と公明党が合体した,それも野卑で粗雑でしかない政権の体質が,いまだになにも変わらずに継続している。その間,この国においては,政治はむろんのこと経済をみたらもはや落ちこぼれ組,社会は不安だらけで,,文化はネトウヨ的にひたすら低劣であるばかりになりはてた。

 ところで,G7の構成国は「日本・アメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・イタリア・カナダの7か国からなり,これら国々の財務大臣および中央銀行総裁が出席する。

 安倍晋三の元政権がつづくうちに,この国は「政治・行政の品位・品格」をみるみるうちに壊滅させてきた。それだけでなく,嘘・偽りだけが大きな顔をして幅を効かせる政治の世界だけが,皮肉ではなくて,本当にみごとなまでできあがってしまった。

 そうした日本国の内情はまさしく「安倍晋三という典型的な世襲政治屋」,しかも「一般教養すら森羅万象的に欠いていたこの人」によって熟成の域まで到達させられた。とはいってもその結果は,実質《日本沈没》を意味した。

 このごろは,前段にその名の出たG7から日本は退去すべきだという意見まで提示されるほど,この国は政治・経済全般の実力において力量の急激な落下を体験してきた。

〔高橋純子に戻る→〕 第2次安倍政権の時期,ナンバー2として権勢をふるっていた人〔菅 義偉〕は首相となったいま(ここでは2021年6月当時の話),頼りないを通り越して痛々しい。このたび再延長された3度目の緊急事態宣言にさいする4月23日の記者会見〔において〕,

   (1) 変異株への認識が甘かったのでは?
   (2) 自身の政治責任をどう考えるか?

と問われた首相の答えはつぎのとおり。長いが引くのでかみしめてほしい。この虚無を。ひとりひとりが引き受けている痛みとの落差を。

 「そうした変異株の対策をおこなうことが大事だというふうに思っています。ただ,その対策を講じることというのは,基本的な従来の対策をしっかりやること,そういうことのなかで対策を,そちらの勢いの方が強かったということだというふうに思います。それで,今回,人流を,このゴールデンウィークを中心として,短期間の間ですけれども止めさせていただく,そういう対策を講じたということです」

菅 義偉が首相であった2021年6月の答弁

 以上で,高橋純子の引用を絡めた記述を終える。

 高橋純子が以上の結論部の表現を介して,なにを意味させたかったかといえば,この総理大臣は結局,実のある答えをなにも提示できていなかったという点であった。

 だからか,雑誌『選択』2021年6月号は,コロナ分科会長「尾身 茂」の存在に関連して,「ワクチン開発競争はさらに激化 注射不要『経鼻・経口』型に期待」と題した記事を掲載していた。

 新型コロナウイルス感染症にかかわる尾身 茂の立場には,問題がありすぎた。つまり,日本におけるコロナ禍が,政治・経済・社会のみならず,伝統・文化までも混迷させてきた事実に関した「尾身の指導ぶり」が,まったくいい加減であったのである。

 上 昌弘が尾身 茂に対して差し向けた批判が,そのもっとも代表的な場合であった。尾身の立脚点は,国民たちの健康な生活を第1に護り,維持しようとする志向性とは無縁であった。

 しかも,コロナ禍の最中には,尾身 茂のコロナ対策の見地が「的外れで,間違えていた事実」について,まともな医学者からはきびしい批判が投じられていたものの,尾身自身はまるで「蛙の面に水」の態度であった。

 もっとも,2021年の半ば当時,コロナ禍に対応していた政府・厚生労働省を主場とする,それもたいそう煮えきれなかった対応ぶりに向けられるべき批判は,尾身 茂という医療界側の指導者1人だけに当てはまるのではなく,むしろ安倍晋三や菅 義偉側の政府じたいの立場にまで向けてこそ,それこそまともに,より深く妥当するはずであった。

 政府の組織にかぎらず,あらゆる組織体に通じる風景は,いざ緊急事態になるとこれに対応・対処すべき責任に当たる者たち,その幹部たちの行動ぶりをもって創られることになる。

 いま〔2023年4月〕の段階となってみて,この日本の総合的な国力はみるも無残なまで低落している。岸田文雄政権に期待することもできない現状にあるからには,今後におけるこの国の未来は,もはや正直いってなにも期待できない。

 2022年7月8日,安倍晋三を手製散弾銃で狙撃し死亡させた山上徹也がいた。2023年4月15日,岸田文雄に手製爆弾を投擲した木村隆二が登場した。いまの日本は,昭和戦前初期に似た時代状況を,政治次元で現象させるほかなくなったと観察する政治学者もいる。

 なぜか?

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