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三土明笑『間違いだらけの靖国論議』あけび書房,2023年7月における靖国神社内施設「鎮霊社」への言及について

 ※-1 本ブログ「2023年11月23日の記述」はつぎの標題をかかげ議論していた。

 「靖国神社境内『鎮霊社の意味』をよく理解しなかった新聞記者の勇み足,安倍晋三を靖国神社の鎮霊社にいかせるために『要らぬヒントを与えた朝日新聞の記者:駒野 剛の迷解説』」

 この記述のリンク先・住所はつぎ( ↓ )のものであった。この記述も例によって長文であるが,できれば参照を期待しておきたい。以下につづく記述は,ひとまずこの「2023年11月23日」の記述を前提に議論しているので,その旨を諒解してほしい。

 

 ※-2 三土明笑『間違いだらけの靖国論議』あけび書房,2023年7月

 ところで本ブログ筆者は最近になって,昨年(2023年)に公刊された三土明笑『間違いだらけの靖国論議』あけび書房,2023年7月を読んだ。その途中,本書の30頁から39頁にかけて,前段のごとき「本ブログの2023年11月23日の記述」の主旨と全面的に一致し,共通する問題意識および批判的視点が論述されていた。

 その該当頁を以下に画像資料にして紹介しておく。面倒でもこちらに目を通して,三土明笑が「駒野 剛に対してどのような観方・評価をしていた」かについて注意して読んでみたいところである。なお,次項※-3のほうにその画像資料を紹介をするが,しばらくこちらの本文がつづく。

 つまり,朝日新聞記者駒野 剛による,それも端的に形容すれば「かなり周到ではあった」けれども,かつまた「相当に軽率だったと解釈」されるほかない主張だと批判されて当然と思われた,「靖国神社」境内に存在する「鎮霊社」をめぐる議論がとりあげられ,しかもかなり突っこんだ論難が提示されていたのである。

 本ブログ筆者が最初,「2014年3月5日」に公表した当該の記述は,その初出以降,2度にわたり更新されていた。つまり,筆者が利用してきたブログサイトの移動にともない事後,「2019年12月6日」および「2023年11月23日」の日付でそれぞれあらためて,更新・改訂作業をくわえていた。

 そのように2度にわたる改訂・補正の作業を経たうえで,最終的に公開していたのが,冒頭に挙げた本ブログ内での2023年11月23日の記述であった。この昨年秋の時点では,三土明笑の『間違いだらけの靖国論議』は7月に公刊されていたが,この事実に本ブログ筆者はまだ気づかず,最近になって同書の存在をしり入手して読んだ。

 前段のごとき,本記述を公表してきた「日程のその途中」においては,宮澤佳廣『靖国神社が消える日』小学館,2017年,98-99頁が,本ブログ筆者の「2014年3月5日」の記述を目に留めた立場から「本ブログの筆者が駒野記者を批難している」旨に言及していた。

宮澤佳廣『靖国神社が消える日』98-99頁

 というような経緯が記録されていた関係があって,「2019年12月6日」および「2023年11月23日」の日付で公表した当該の記述は,けっして後知恵的に議論する中身ではなかった事実を,このさいいちおう断わっておき,さらに次項の記述にすすみたい。
 

 ※-3 三土明笑『間違いだらけの靖国論議』あけび書房,2023年7月の当該記述-画像資料として紹介-


表紙カバー
32-33頁
34-35頁
36-37頁
38-39頁

 以上,10頁分の記述を読んだ人は,朝日新聞社の駒野 剛記者に対して,いったいどのような印象を抱くか? 本ブログ筆者のそれは,すでに「2023年11月23日」の日付において微細にわたり説明してあった。

 なかんずく,三土明笑『間違いだらけの靖国論議』あけび書房,2023年7月は,靖国問題をより公平・中立的視点からより客体的・客観的に,そしてより総合的・有機的に議論をしていた。単に靖国神社を支持するとかしないとかいった時空次元からは脱却した討議を重ねていた。

 問題の歴史,そこにまつわる歴史の論理,そして時にこの論理がいつの間にか,その歴史からは飛躍しすぎてしまい,あげくに「問題の現実状況」から遊離した議論に走ったり,あるいは靖国神社当事者の観点・利害ばかりを剥き出しにした主張を声高に叫ぶ論者が多いなかで,この三土明笑の著書は,基本的な問題点に対して手まわしもよく,まんべんなく関心を差し向けながら論旨を構築し,説得力ある解説の提供に成功している。

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