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畑村洋太郎『失敗学』の視座から原発事故を分析する問題(1)

 ※-1 本稿は,原発の失敗を中心に国家の失敗,企業の失敗,宗教の失敗など,もろもろをあつかう「『失敗学』に関する連続講座(1)」として,関連するいろいろな課題を議論する

 #失敗学  #畑村洋太郎  #原発事故  #安全神話  

 最初に,2022年7月8日,選挙の応援演説で奈良市に出向いていた安倍晋三に向けて手製の散弾銃を発射し,死亡させる事件を起こしていた犯人は,統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の家庭に生まれ,「宗教2世」としての被害者」の立場に追いこまれていた山上徹也であった。

 安倍晋三一族はさておき,自民党政権は統一教会との腐れ縁をいまだにを断ち切れないどころか,現状をなるべく変えないで,この「邪教集団」との利害関係をこれからも維持していこうとたくらんでいる。

 安倍晋三を射殺した犯人山上徹也はあるとき,自分の人生に苦境と辛酸をもたらしつづけた原因が,この元首相が統一教会との親しい間柄にあった事実と深い関係があった経緯に気づいた時点で,急遽,同会に復讐するための具体的な標的として定めたのが安倍晋三であった。

この動画は1日だけ公表されていた。

 本日議論する話題として挙げた『失敗学』の関係でいえば,奈良県警の警備陣は,安倍晋三が銃撃などされないように四方八方を監視しつつ警備すべきところが,これに大失敗した。

 警視庁のSP(警護官)が1名派遣され,安倍晋三の警護に当たっていたが,山上徹也が銃を2発,3秒ほど間隔を空けて撃ったさい,1発目の発射音を聴いた瞬間,安倍晋三の身体を引き倒して事後につづく可能性のある不測の事態に備えるための行動をおこなうべきであったが,その対応がなされなかったという批判も提示されていた。

 元首相の身辺警備ということで,若干,気の緩みが警備陣側に生じていたいのかもしれない。いずれにせよ,この要人警備の失敗例は「失敗学」の立場にとってすれば,その教材として使える残念な事例を提供した。

 しかし,原発の問題に関していえば,とりわけ深刻・重大な事故を起こすことは,もとより「絶対にあってはならない場合」であるから,要人警備の事例とはそれこそだいぶ次元の異なる必要条件が独自に,議論にさいして俎上に上げられることになる。

 本日のこの記述は,安倍晋三が暗殺された事件を再考するために起稿されたものではなかった。そうではなく,「原発の失敗」に関した問題を中心に「国家の失敗,企業の失敗,宗教の失敗など」を,あれこれと総括的にあつかい,思考し,その対策を講じるための「失敗学」の構想というものが,以前から畑村洋太郎によって提起されていた点に注目してみた。

 さて,問題の焦点には,はたして,この学問構想はどこまで「学問たりうる中身」を「原発事故の問題」から引き出しうるか,という『難題』が待ちかまえている。

 『失敗学』なる学問的構想を,この記述が再考してみるけれども,さきにいきなり断わっておくが,結論は否定的である(negative conclusion!)。

 ※-2 失敗学のなにが問題:失敗であったか

 2011年3月11日に発生した東日本大震災は,マグニチュード9もの超大地震となって発生した。これにともなう大津波が東北地方を中心に襲った。その結果,大地震の激震を受けてすでに破損されていたと推理される東京電力福島第1原子力発電所は,稼働中でなかった4号基をのぞく3基すべてが溶融(メルトダウン)を起こすという大事故となっていた。

 爾来,東電福島第1原発事故の現場はいまだに,本格的な「事故原発の後始末」作業の核心,通常の原発であれば廃炉工程に相当する進捗は,これといった成果を挙げていない。つまり,デブリ(溶融した核燃料とこれが圧力容器関連の施設を溶かして混ぜこんだ物体)の除去作業は,実質,なにも着手されていない。

 東電福島第1原発事故から11年と11カ月が経過した現在にあるが,その間の2022年7月13日,「国策民営・独占企業」を国家から保障された営業(電力の生産と配給,発電⇒配電⇒給電)活動をおこなってきた東京電力(現在は東京電気ホールディングス)の,震災当時の最高経営陣(原発事業部門関連)の責任一端がようやく司法によって裁かれた。

 いわゆる,非常に有名になったことば「想定外」という用語でもって,事故発生当時の東電最高経営陣は,それも法律面で「免責されうる大事故(大地震と大津波)」であったのが「3・1」の原発事故ゆえ,自分たちが刑事・民事ともに責任を問われることはないと開きなおっていた。

 しかし,このたびなんとか,彼らの経営責任が個人次元における追及として裁判所にみとめられた。2022年7月13日,つぎのように報道されていた。いずれもウェブ版からの引用である。
      
 ◆「東電旧経営陣4人に13兆円の賠償命令 原発事故めぐる株主代表訴訟」『朝日新聞』2022年7月13日 15時07分,https://www.asahi.com/articles/ASQ7F3Q0DQ76UTIL03D.html

 東京電力福島第1原発事故をめぐり,東電の株主48人が旧経営陣5人に対し,「津波対策を怠り,会社に巨額の損害を与えた」として22兆円を東電に賠償するよう求めた株主代表訴訟の判決が〔7月〕13日,東京地裁であった。朝倉佳秀裁判長は勝俣恒久元会長,清水正孝元社長,武黒一郎元副社長,武藤 栄元副社長の4人に13兆3210億円の賠償を命じた。

『朝日新聞』2022年7月13日

 なお私的関係となるが,清水正孝は勝俣恒久の女婿である。東電ほどの大企業であっても内部ではこのような縁故主義的人事の反映とおぼしき実相が観取できると観察しておく。つづく記事はこの2人のことを「2トップ」と呼称している。

 取締役としての注意義務を果たしていれば原発事故は防げたという判断で,原発事業者の経営責任の重さを示した画期的な判決となる。

 被告は,経営の2トップだった勝俣元会長,清水元社長,原発を担う「原子力・立地本部」の責任者だった武黒元副社長,武藤 元副社長,小森明生元常務の5人。

同上

 【参考画像】

『日本経済新聞』2022年7月13日 

 ※-3 賠償や廃炉の費用,22兆円を請求

 原告は事故前から脱原発を求めてきた東電の個人株主らで,2012年3月に提訴した。被害者への賠償,廃炉,除染など,原発事故で東電に生じる費用を総額22兆円と算出し,東電に支払うよう求めていた。株主側は,22兆円の請求額は国内の株主代表訴訟で過去最高額とみていた。

 株主らは,2002年に国が公表した地震予測「長期評価」や,これを元に東電子会社が2008年に計算した最大15.7メートルの津波予測には信頼性や合理性があったと指摘。

 旧経営陣は,巨大津波の到来を予見できたのに,原発事故を防ぐ防潮堤の建設や原子炉建屋の浸水対策を怠り,取締役が負うべき「善良な管理者」としての注意義務に違反したと主張した。

 とくに武藤元副社長については,15.7メートルの計算結果の報告を受けたのに,妥当性の検討を土木学会に委ねることで対策を先送りしたと強調した。武黒元副社長に対しても,この方針を了承してなんの措置も講じなかったと訴えた。

 「5人の被告,いずれも反論 -13兆円?」

 一方,武黒,武藤,小森の3氏は「長期評価には津波対策に採り入れるべき信頼性はなかった」と反論した。長期評価の取り扱いについて社外の専門家である土木学会に検討を依頼したのは「合理的」で,むしろ注意義務は尽くしていたとも主張した。

 勝俣氏と清水氏は,会社全体をみる立場で原発の専門的な知識はなく,「対策が必要になれば担当部署から報告・提案があると認識していた」と反論した。会長については,業務上の執行権限もなかったともしていた。〔以上,記事の引用〕

 --この反論はひどい。自動車会社の最高幹部が「自動車の専門的な知識はな」いから,自社の生産し販売した欠陥車の対策で落ち度があっても,自分たちにはいっさい責任がないという理屈は通るわけがない。

 基本的にそれに通じる理屈をもちだした東電の幹部たちは,東電福島第1原発事故に関しては,以前より「担当部署から(想定される津波の高さ15.6メートルの可能性についての)報告・提案があ」ったにもかかわらず,これを無視・否定・放置した。

 〔記事に戻る→〕 株主代表訴訟では,取締役らの違法行為や経営判断の誤りで会社が被った損害について,会社が責任を追及しない場合,株主が会社に代わって賠償を求める。東電は被告側の立場で補助参加していた。

 「刑事裁判では一審無罪」

 東電旧経営陣の個人の責任を問う裁判としては,勝俣,武黒,武藤の3氏が,検察審査会の議決にもとづき,業務上過失致死傷罪で強制起訴された刑事事件もある。東京地裁は2019年に無罪判決をいい渡し,東京高裁の控訴審判決が2023年1月に予定されている。

 また,事故で被害を受けた住民らが国を訴えた集団訴訟では,最高裁が6月に責任を認めない判決を出していた。(引用終わり)

 2023年1月18日に下されていたその東京高裁の控訴審判決は,「東電旧経営陣,二審も無罪 3人強制起訴で判決,津波は『予見不可』」としていた。

 司法の舞台において「並みの裁判官」に原発事故の審理をさせようにも,おのずと限界があった。よほど開明的で啓蒙精神が豊か,自分の専門外について勉学意欲も豊富で,かつまた最高裁事務総局の目線を気にしない裁判官(いわゆる左ヒラメもしくは右カレイ目線と無縁な彼・彼女ら)でないかぎり,上段のごとき程度の判決しか導き出せない。

 以上の記事の内容に関しては,あらためてつぎの解説を添えておき,理解を助ける材料としたい。こちらは『日本経済新聞』2022年7月13日ウェブ版からの引用である。

              ◆ 株主代表訴訟 ◆
 会社側が役員の法的責任を追及しない場合,株主が代わって訴えを起こす制度。会社法の規定に沿って,株主が損害の回復を求め,会社に賠償をするよう請求することができる。

 過去の賠償額では旧大和銀行(現りそな銀行)ニューヨーク支店の巨額損失で7億7500万ドル(当時のレートで約830億円)の支払いを命じた大阪地裁判決(大阪高裁で2億5千万円で和解)が最高。

『日本経済新聞』2022年7月13日

  

 ※-4 さて,本日記述の話題は原発事故という技術が大失敗を起こした事件,東電福島第1原発事故を契機に,それまで『失敗学』という理論構想を提示し,それなりに世の中に売りこんできた畑村洋太郎「失敗学」の問題性を,原発事故という失敗の事例を充てて掘り下げてみることである

 分かりやすく表現すると「失敗学の失敗」,これがこの記述が論じなければならない主目的となる。すでに,相当の分量になる関連の記述を準備してあったものを,数回に分けてあらためて公表することになる。

  【途中だが,参考文献として挙げる畑村洋太郎著作


 繰りかえすが,この記述の主題となるのは 『畑村洋太郎「失敗学」の失敗』であった。

 畑村洋太郎「失敗学」の失敗に関する吟味が,なぜ必要か議論する。畑村流の独創的な提唱であった「失敗学」の構想が,終局的にはどうしても失敗にならざるをえない最大の理由は,もとから原発推進論を否定しない内的論理を包蔵していたからである。

 もしも原発が大事故を起こした時には,ほかのあらゆる設備・機械・装置が各種の事故をいろいろ発生させるそられの結果に対して,そう簡単には比較考量することじたいを許さないほど,深刻かつ重大な顛末となる。

 スリーマイル島原発事故(1979年3月)⇒ チェルノブイリ原発事故(1986年4月)⇒ 東電福島第1原発事故(2011年3月)のどの大事故をとっても,いまだにその後始末が完全にできていないどころか,とりわけ後者の2つの事故はそれこそ未来永劫的にその事故「事跡」は残りつづけていく。

  原発は(も)事故を起こす可能性を絶対に否定できない。原発とこれ以外の設備・機械・装置とのあいだにおいては,その「相互の比較考量」を不可能にするくらいもの「激甚の損害」(時間的かつ空間的なそれが)が誘発され,拡大し,残存しつづける現実がある。

 田中三彦のいまから33年前に公刊されていた『原発はなぜ危険か-元設計技師の証言』岩波書店,1990年を読んだ人が,つぎの感想を送っていた。アマゾン「ブックレビュー」への投稿から引用する。

 利益や納期を犠牲にしても安全をより優先するべき原発が,実はそうでないことをしりました。とくに,初期の原発は,巨大地震がない地域に建設することを前提に設計されたアメリカ合衆国やフランスの原子炉を輸入したというのですから,最優先で廃炉にするべきです。

 本書を含め,原発関連の本を読んで,使用済核燃料がまき散らす放射能,事故がなくても周辺を放射能で汚染する再処理施設,地震がなくても事故続きであるにもかかわらず安全と宣伝している高速増殖炉やプルサーマル,さらには地球温暖化防止には原発は必要不可欠と宣伝されているが,いかに嘘であったか,いまこそ多くの方が気づくべきと痛感しました。

アマゾン・ブックレビュー

 地震国である日本で東電福島第1原発が東日本大震災とこれが惹起させた大波のを襲来を受け,世紀の歴史に記録されるべき大事故を起こした事実は,原発など導入してはいけなかった国土にわざわざもちこんだ暗愚と迷盲を,いまさらにように自覚させる。

 しかし,それでも,原発の耐用年数(稼働期間の実質年月)を60年(以上)にまで延長させると,現政権の岸田文雄が決めていた。まるで狂気の決定であった。しかも自分の判断ではなく,自分の筆頭秘書官である嶋田 隆元経済産業省事務次官のいいなりに,そのように決めたとなれば,「この男危険なり……」というよりは,いわゆる「世襲3代目の政治屋」のボンボン為政にはあきれるほかない。

 なお,本記述は問題が問題だけに数回にわたり記述されるが,とりあえずその要点はつぎの2項目に表現できる。

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  要点1:原発安全神話は批判せず,原発推進に役だつ信頼性工学『論』を打ちだした東大名誉教授の技術思想

  要点2:失敗を約束されたごとき失敗学者の原発安全工学「観」

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 ※-5「〈魔法の火〉である原子力」を人間があつかえば「失敗する」必然性が当然あった -現に失敗してきた日本原発史の実情-

 1) 東京電力福島第1原子力発電所事故「調査・検証委員会」
 『朝日新聞』(asahi.com)2011年5月27日16時50分」の記事は,政府が「東京電力福島第1原発事故の調査・検証委員会のメンバーを正式決定し」,この委員に「柳田邦男氏ら10人」が選んだことを報道していた。「すでに委員長に決まっている畑村洋太郎・東大名誉教授のほかの委員の氏名は,以下のとおりである。    

  尾池 和夫(前京大総長)
  柿沼志津子(放射線医学総合研究所放射線防護研究センターチームリーダー)
  高須 幸雄(前国連日本政府代表部特命全権大使)」

  高野 利雄(元名古屋高検検事長)
  田中 康郎(元札幌高裁長官)
  林  陽子(弁護士)

  古川 道郎(福島県川俣町長)
  柳田 邦男(作家)
  吉岡  斉(九大副学長)

 この委員たちの顔ぶれじたいについては,「原発問題を調査・検証するための布陣」として,とくべつ支障はないものと思われる。

 しかし,畑村洋太郎は「原発推進をあいまいに認める東大的な権威学者の立場」から,その「権威をかかげて提唱される失敗学の『失敗の論理』,その『破綻の提唱』」をした工学者である。その工学的な技術思想の “根本的な立場” に対しては,懐疑的に評価せざるをえず,あらためて批判をくわえておく必要があった。

 どうしても「原発推進派」とみなされる〔結論になる〕ほかないその人物が,その委員会の委員長を務めるとなれば,この委員会の結論はいまから,ぼんやりながらも的確に予想できる。

 あるいは,この委員会が調査・検討の途中でたとえば,今回の福島第1原発事故の被災地を代表する福島県川俣町長古川道郎(2022年1月26日,77歳で死去)が,怒って飛び出してしまうような「議論の展開:結論」にならないともかぎらない。

 この古川道郎が,震災から6年目だった時期,強い口調でこう語った。この発言は「失敗学」が基本において,今後も「失敗というもの」を許すほかない立場なのであれば,原発を利用する人類・人間の立場がとうてい許されない「反面の真理」を物語っていたことになる。

 「原発事故は本来ありえないことだし,絶対に二度とあってはならないことだ。復興はまだ半ばです」。

 「震災復興に尽力した元川俣町長の古川道郎さん追悼 法大時代に箱根駅伝に出場」『スポーツ報知』2022年1月27日 17時17分,https://hochi.news/articles/20220127-OHT1T51143.html?page=1

 断わるまでもないが,東電福島第1原発事故現場の後始末はデブリの除去・移動という廃炉関連の作業を,その万分の1も終えていない。耳かきひと掻き程度のデブリしか取り出しえていない。今日は2023年2月27日であり,来月には事故から12年目の「3・11」が来るというのに,このありさま:体たらくの現状を余儀なくされている。

 東京電力福島第1原子力発電所の事故調査・検証委員会委員長に決まった畑村洋太郎東大名誉教授(1941年生まれ)は,現在〔2014年時点で〕,工学院大学グローバルエンジニア学部,機械創造工学科教授で,創造的設計論・知能化加工学・ナノ・マイクロ加工学を研究している。最近では,ものづくりの領域に留まらず,経営分野における「失敗学」などにまでその研究を広げてきた工学研究者である,と紹介されてもいる。

 2) 原発の「失敗評価」に失敗した「失敗学者」
 本ブログの筆者は,原発問題の重大性をめぐっては,その「悪魔学の権威者になるのでもなければ」とうてい相手をしきれない『原子力の悪魔性』,つまり「失敗が必然的な付きもの」であるほかない原発の基本的な問題性,この反社会性・非人間性を議論してきた。

 本ブログはすでに,木川田一隆という東電で社長を務めた人物がまだ副社長のとき,原発の建設が話しに出た段階で,「原子力はダメだ。絶対にいかん。原爆の悲惨な洗礼を受けている日本人が,あんな悪魔のような代物を受け入れてはならない」と喝破した点に関説してみた。1954年の4月ころの発言であった。

 そもそも「原子力の平和利用」(Atom for peace )といった「決めゼリフ」じたいがマヤカシの文句であった。原子力は医療用に有効に応用されている領域があるとはいえ,基本的には兵器・武器との相性が一番合っている。

 いまなお進行中である「プーチンのロシア」が,もしかしたら狂気のあまり核戦争を勃発させるのではないかと,世界中がたいそう懸念している理由は,実際にそうなったらこの地球環境は「一巻のお終り」となることが分かり切っているからであった。

 「原爆の平和利用(?)」といっても大きな語弊のないのが,原発という電力生産方式であった。もともとその用途に不適である核エネルギーを応用して電力をえようとしたところからして,ボタンのかけちがいどころではない,原発事故の発生可能性という非常の恐ろしいを覚悟するほかない,この地球の状況があった。

 3) ところが,東京電力福島第1原子力発電所の大事故を契機に,この失敗学者の畑村洋太郎が原発問題について,なにをいったかと思いきや,失敗学の概念・思考を活かしてこれからもかわらず,事故を起こさないように対処しながら「原発を利用していこう(いける?)」と主張していた。これは実は「非科学的・反社会的な見解」である。以下の記述でくわしく説明していく。

 東京大学名誉教授・工学院大学教授という肩書をもつ畑村洋太郎は,2011年5月30日の『日本経済新聞』朝刊「経済教室」に「科学技術の役割 原発事故に学ぶ(上)『最悪時』前提に設計見直せ-完全制御志向改めよ,原子力になお未経験部分-」という寄稿をしていた。この寄稿のなかでつぎの図表をかかげていた。 

畑村洋太郎「科学技術の役割 原発事故に学ぶ(上)『最悪時』前提に設計見直せ-完全制御志向改めよ,原子力になお未経験部分-」『日本経済新聞』2011年5月30日朝刊「経済教室」

 畑村洋太郎が『日本経済新聞』に寄稿したその「科学技術の役割 原発事故に学ぶ(上)」は,末尾〔むすび〕の部分でこう主張していた。なお以下では,「 a)  b)  c)  の符号が付した当該の段落のみ」が「畑村自身の主張」(を引用したひとつの段落)である。

 a) 畑村は,日本が原子力を使わずに生きていけるとは思わない。1950~60年代,日本は電気がほしくて仕方がなかった。世界銀行から借り入れまでして完成させた黒部ダム(黒部川第4発電所)の発電能力は34万キロワット程度だ。これに対し,原発は1基で100万キロワットを超えるものもある。

 この畑村洋太郎のいいぶんは妥当しない。時代後れとなったエネルギー観である。現在では,最新式の石炭火力やLNG火力による発電装置でも,100万キロワットまで性能を有するから,この段落の説明は古いというか,要は時代の潮流から取り残された意見であった。再生可能エネルギーの現状をもしだしたら,以上の「批判点」はもっと強調されることになる。

 まずは,そういった発言をした「畑村の意図」についてつぎのように指摘する。21世紀の現段階における「電力需給の問題」にかかわらせて,半世紀以上のもまえの電力事情を比較させようとした点に無理があった。

 21世紀の電力事情は,1950~60年代当時とは完全に異なっている。畑村洋太郎は,根っこ:「基本のところ」で,なにを考えていたのか不可解な点を残している。だが,このように時代を超えて「比較するには〈不適切な比較〉」を,あえておこなっていたところに無理があった。

 つぎに,原発1基での出力が100万キロワット台にもなる性能を指摘している。最近における原発の出力は,100万キロワットをいくらか上まわるのが平均的な水準になっている。畑村の「失敗学」の対象は,「万が一」にでも原発事故が起きるといった,単なる想定話なのではなかった。

 すなわち,実際に2011年3月11日,メルトダウンの大事故を起こしてしまい,いまだにその廃炉作業終息の見通しすら全然ついていない,福島第1原発の1・2・3号機の「出力の内訳と合計」が「46.0+78.4+78.4」=「202.8」万キロワットであるという数字を,踏まえた議論になっていた。
             
 原発事故という《失敗》は,絶対に許されない「性格の事故」である。その大前提を厳守したいのであれば,失敗学をもって「原発事故」の発生をあれこれ議論するという発想じたい,実は基本的におかしい仮定の問題となる。

 以前は「原発安全神話」が堅く信じられ,原発は事故を起こさないとみなされていた。もっとも,それが本当の前提になりえたいたときまでは,失敗学は多分,原発向けには不要・無用であり,出番もなかった。というか,関心じたいがなかった。

 しかし,現実に原発に事故が発生してしまい,人間社会および地球環境に対してとりかえしのつかない大きな損害を与えた。この事実はとくに,チェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)および今回の福島第1原発事故(2011年3月11日)によって,わわれれは嫌というほど思いしらされてきた。

東電福島第1原発事故のレベル

 そうした事実が記録されたにもかかわらず,失敗学の提唱者・権威学者であるという人物が「失敗を重ねても,改良をくわえ,安全にしていけばいい」というきわめて楽観的な技術思想を,工学者の発想として披露した。

 そもそもこの失敗学者は,「原発安全神話」をどう考えていたのか? この記述で参照した日本経済新聞の寄稿を読むかぎりでは,いったいなにを考えているのか分かりにくい。きついいい方になるが,まるで極楽トンボ的な発想が最初から含まれていたことになる。

 「原発安全神話」はそもそも,東電福島原発事故の発生によって破綻したのではなかった。それはもともと「政治家や産業人,技術者などがしくんで」推奨してきた,それも間違えていた「虚偽の発想」であった。いつかはきっと瓦解するほかなかった「空想的な提唱」であったのである。

 b) 原発の将来像を描くさいには,前述した「本質安全」の考えかたを採り入れなければならない。最悪の事態を想定して,それに対応できるよう従来とは別の思考ルートで設計しなければならない。要求機能と制約条件を定めれば,必らず設計は可能なはずである。

 畑村洋太郎がいうこの「本質安全」とは,事故の発生を完璧に締め出せる技術思想でも工学的理念でもない。つまり「〈現象〉として発生する事故」というものは,事前に覚悟を決めて折りこんでおくべきそれであった。しかし,原発事故という最悪事態はともかく,いちどでも起きたら,人間が生きるための地球破壊を破壊し,人類を滅亡させる。

 東電福島第1原発事故のせいで,はたしてどのくらいの人間が死亡させらえるハメになっていたのか,政府はこの問題意識を抱いて事後の調査・研究をすることなど,けっしてしない。その付近の現実問題は隠蔽し,抹消しておくために陰でこそこそ画策してきた。

 小出裕章『放射能汚染の現実を超えて』(河出書房新社,2011年5月30日発売。初版は北斗出版,1992年)は,原発事故によって飛散する「放射能というのは,煮ても焼いてもなにをしてもなくならない」「結局どういうことをやっても救いにならない」化学物質であると解説している(24頁)。

 小出はさらに,こうまでいいきっている。「原発が危険なことなど,議論の必要がまったくない。原発は都会に建てられない。それは原発が危険であることを,原発を推進している人たち自身が十分にしっているからにほかならない」(183頁)。

 その原発の問題に対して「失敗を想定する」ための学問である「失敗学」が構想されていた。だが,科学的に判断していえば,この失敗学は「砂上の楼閣」的な思考であった。

 大事故を起こした原発の後始末は,完全にはとうていできない。この事実をあらためて論じた著作が, 東京五輪の危険を訴える市民の会編『東京五輪がもたらす危険-いまそこにある放射能と健康被害-』(緑風出版,2019年9月)であった。

 同書は,東電福島第1原発事故によって発生し,いまもなお持続している放射性物質の被害状況を隠蔽するために,実は,2020東京オリンピックが〈イチジクの葉〉として悪用されている事実を批判している。その被害がオリンピック大会に参加する選手や観客たちにまで拡散されるほかない事実が,重大な問題としてとりあげられ,批判されている。

 c) 失敗に学んだ原子力の作りなおしが求められている。日本にはその力があると思う。それには従来とはまったく違う発想で新しい原子力のありかたについて提案し,マスタープラン(基本設計)を描き,現在従事している人たちを使いこなせる人をみつけてこなくてはならない。大変な作業ではあるが,そうした人選や枠組作りは政治の力で実現しなければならない。

 要は,畑村洋太郎「失敗学」は,当人の主観的は意図とはかかわりなく,原発推進派の驥尾に付する見解を披露したのである。しかし,「原発 ⇔ 核兵器」といった自明である「必然的な関連問題」には,いっさい触れるところがない。いうところの「政治の力」というものが,原発を推進させてきた「原子力村の〈力学〉」から自由でない事実もまた,周知の事情である。

 なによりも,「従来とはまったく違う発想で新しい原子力のありかたについて提案し,マスタープラン(基本設計)を描き,現在従事している人たちを使いこなせる人をみつけてこなくてはならない」という提案じたいが,原発問題=事故発生に備えた〈技術的な提案〉として,どの道,適切であるとは思えない。
 

 ※-6 畑村洋太郎「失敗学」の失敗的発想

 1) 畑村作成の図表に関する批判的議論
 まず,原発未稼働のために起こると懸念された電力不足は,「3・11」以後3回の〔いまは2022年だが〕夏を経てきた事実(実績)からだけでも分かりえたように,格別の問題はなかった。

 畑村洋太郎の議論は杞憂に終わっていた。この話に限定していうと,その「前提条件」になっているような「高度成長時代における電力需給関係」の発想は,21世紀の現段階にもちこむ必要はないのである。

 再生可能エネルギーの開発・利用はその後,万全とはいえないにせよ,大幅に進展してきていている。原発を新たに建設することはむろん,未稼働である現有原発を全基稼働させる必要性などない時代状況に向かっている。ただし,再生可能エネルギーの導入・活用が日本では遅れている。

 ここで原発の「新増設」を決めた岸田文雄首相の判断は,完全なる失敗であった。再生可能エネルギーの今後における展開を,堂々と妨害する原発推進路線を敷いた現首相は,愚かな決定を下した。

 したがって,前掲したが「畑村作成の図表」(つぎに再掲)も,実は「見当違いの曲線の作図」をしていた。「原子力」が未来に向けて,ここに描かれている諸曲線のように推移するという予測そのものが,もとより不適切な思考方式であった。

前掲図表

  2) ここでは,この図表をつぎのように批判的に説明する。
 イ) 「ボイラー → 鉄道 → 自動車 → 航空機」のあとに ロ) 「原子力」を置いて並べているが,そもそも,この順序によった「関連づけ」じたいが,無理強いになっている。

 なんといっても,イ)  と ロ)  とのあいだには,技術的に大きな懸隔が存在する。いままでえられている「その実例数」の多寡(=数差)は,双方のあいだでは桁違いである。

 技術的な成熟・完成度の高い イ) 「航空機まで」の一群につづけた前後関係になっているけれども,そこに無理やりに ロ)「原子力」を,そのつぎの陣列に配置していた。だが,これは強引に過ぎる措置,整列のさせ方であった。

 肝心なのは,原子力利用のばあい「失敗は成功の基」という イ) の原理的な関連を,そのまま延長させて当てはめるわけには,絶対にいかない点である。いまのところ,「失敗は失敗で終わっている」のが「原子力利用の宿命」である。

 高木仁三郎『原子力神話からの解放-日本を滅ぼす九つの呪縛-』(講談社,2011年。初版は光文社,2000年8月)は,チェルノブイリ原発事故(1986年4月)によって巨大事故の可能性が否定できないし,ひとたび巨大事故が起きれば,非常に長期的に広範囲に破壊的な影響を与えると警告していた(高木,講談社,54頁)。

 ところが本当に日本でも,2011年3月11日に発生下東日本大震災のために,東電福島第1原発の3基が同時に炉心溶融を起こす,という深刻な事故が起きた。高木は2000年10月に亡くなっていたが,チェルノブイリ原発事故を踏まえて彼が発していた警告(予言)が現実のものとなって登場した。

 3) 高木仁三郎の警告が現実化していた。
 畑村洋太郎の失敗学は以前からの提唱であり,2011年「3・11」を契機にして注目を惹いた工学の構想である。しかし,高木仁三郎による前段のような警告(指摘)も,以前から与えられていた経緯があり,両者の主張を関連させて判断するとしたら,畑村の失敗学は「3・11」の原発事故発生によって,その真価を根本から問いなおされたことになる。

 端的にいってしまえば畑村「失敗学」は,原発事故という『大失敗』に学問的に備えるための「工学的な技術理論にもとづく発想」であった。だが,この畑村「失敗学」は元来,原発のための安全学としてはもとより不適格であった。

 というのは,畑村「失敗学」はこれからも,「失敗」=「原発事故」の発生を〈こみ〉で想定しておかざるをえない「信頼性工学の観点」を提示していたからである。

 畑村洋太郎『未曾有と想定外-東日本大震災に学ぶ-』(講談社,2011年7月)は「どんな技術でも,成熟してだれもが安心して使えるようになるまでに,だいたい200年はかか」るものだから,「原子力を扱っている人たちがそうした考えをもっていなかったとすると,その点は素直に反省しなければならない」と述べていた(134頁)。

 だが,畑村洋太郎のこの指摘・主張のとおりだとすれば,原発という発電装置が「だれもが安心して使えるようになるまでに」は,あと1世紀半という長い年数がまだ要求されている。しかも,その間において前提しておくべき,いいかえれば覚悟しておくべき条件となるものがあった。

 正直いって,畑村流「失敗学の基本思考」からすれば,今後においても「原発の事故が起きること」を,計算に入れてこの失敗学の発展・進歩を図らねばならないことになる。

 しかしながら,原発の利用の仕方についてそのように悠長な期待をかけるのは,時代錯誤の技術観だと批判されていいという以前,原発の事故が起ききたらこれに失敗学は「学習する材料をえた」ことになるとでも,いったも同然の〈着想〉は,ことが原発問題にかぎってはとうてい許されない。換言ると,それこそトンデモない発想である。

国際原子力事故評価尺度

 「スリーマイル島の原発事故(1979年3月)」→「チェルノブイリ原発事故(1986年4月)」→「東電福島の原発事故(2011年3月)」と3度,原発の〔とくに重大〕事故が歴史に記録されてきた。

 だが,失敗学の理論的見地は,あと1世紀半のうちにまた「原発の大事故」が発生することを「想定内」に入れて考えてもよいかのように発言していた。そう解釈し,受けとるほかない論旨になっていた。

 2011年から1979年を引くと32年である。150年という年数が経たねば原発という発電技術は「成熟・安心」に域まで達しないのだと,畑村は指摘した。とすれば,その間にさらになんどかは必らず,原発の事故がくわえて起きる,などと想定しておかねばならないのか?

 畑村洋太郎「失敗学」については,そのように説明するほかなくなる。しかし,こうした解釈が許されるはずがない。チェルノブイリ原発事故や東電福島第1原発事故の規模に相当する事故をはじめ,原発事故は絶対に(極力に)起こしてはならない。

 ということで,「原発安全神話」が復活でもしないかぎり,畑村「失敗学」の発想は成立しがたい。だが,この種の思考回路は論外であった。

 4) 高木仁三郎は,前掲『原子力神話からの解放-日本を滅ぼす九つの呪縛-』のなかで,こうもいっていた。

 核エネルギーは日常世界にかかわるエネルギーとはまったく異質のものだという事実です。つまり,これまでのエネルギー,あるいはいままでの技術やテクノロジーの体系にはなかったようなエネルギーの使われ方が導入されたことを意味していたのです(41頁)。

 核の世界は,私たちの世界では本来的に前提になっている原子核の安定性にあえて挑んでいって,その原子核の安定性を崩します。不安定化することにで棒大なエネルギーをとり出すわけですから,私たちの日常生活にとっては脅威となるような現象がそこから起こってくることになります。そのことは原子力の歴史のなかで,概して非常に軽視されてきました。

 考えてみれば,これはたいへんなことです。私たちが生活している日常世界の原理,すなわち原子核が安定していることによってなりたっている日常生活の安定性に,あえて挑むわけですから……(42頁)。

高木仁三郎『原子力神話からの解放』41頁,42頁。

 高木が強調するのは,原発に使用される核エネルギーは,従前より存在した諸エネルギーとは基本から異質の特性を有する。この核エネルギーを利用して発電する「原発という装置」の,機械工学的ならびに物理学的・化学工学的な特性は,畑村「失敗学」のように「従前の諸エネルギー → 核エネルギー」と単純に併存・整列させてはならない特性を有していた。

 いわば「従前の諸エネルギー ⇔ 核エネルギー」というもののあいだには,決定的な意味をもつ〈断絶的な異質性〉が介在している。すなわち,なかでも核エネルギー側に〈固有である特性〉を無視した議論は許されず,この大前提となる認識がゆるがせにされてはいけない。

 にもかかわらず,単に「従前の諸エネルギー」に連続させて「核エネルギー」をとりあつかってもよい対象とみなしたうえで,イ)「ボイラー → 鉄道 ⇒ 自動車 ⇒ 航空機」のあとに ロ)「原子力」と関連づけ整列させていた。

 しかしこれでは,「失敗学」が信頼性・安全性「工学」の見地に則して構想された立場だとしても,この立場に核エネルギーを連接させる方法じたいに,そもそも無理・逸脱:危険があった。

 ところが,畑村洋太郎はこの看過できない「失敗学」に固有であるはずのその「基本的な特性(限界・制約)」に無頓着であった。要言すれば,失敗学の発想基盤には,高木自身が指摘している〈過去の教訓〉そのものが,実践学に生かされていない。

 5) 小出裕章の反原発に関する説明
 前出,小出裕章『放射能汚染の現実を超えて』(河出書房新社,2011年5月)は,こう述べていた。

 「仮に原子力が化石燃料の代わりになりうるとしても,それは」,原子炉を積んで動力に利用している航空母艦・潜水艦・人工衛星など,ごく一部の軍事・科学方面においてであるか,またあるいは「発電だけであり,それも基底負荷用のごく一部分だけである。町工場が原子炉をもつこともできない,自動車や列車が原子炉を積んで走ることもできない。各家庭に原子炉を置くこともできない」。

小出裕章『放射能汚染の現実を超えて』168頁。

 畑村洋太郎が日本経済新聞「寄稿」のなかにかかげた〈先段の図表〉は,そのまま配列し,比較するには不適なものを,あえて並べていた。すなわち,イ)「ボイラー → 鉄道 → 自動車 → 航空機」と ロ)「原子力」を,なんら疑問を抱くこともなく連続させうるかのように,順列させていた。

 もともと,イ) 「ボイラー → 鉄道 → 自動車 → 航空機」と ロ)「原子力」とのあいだには,「重大な断絶=物性上の決定的な齟齬」が介在していた。それはまず,動力として利用するにさいして認識されるべき「技術思想面および実際利用面の基本的な差異」であった。

 だが,その留意点には目もくれず素朴に,その イ)  と ロ)  を並列に順序づけていた。これでは,工学者の立場である「応用・実践的な基本視点」をないがしろにしている,と批判されて当然である。

 つぎに,原子力発電に「本質安全」を求める発想=「最悪の事態を想定」からして,これにはもともと疑問があり,始めから無理を抱えていた。いわば,原発の「最悪の事態」とは,失敗学ではいったいどのような想定(定義づけ)になるのか?

 もしかしたら原発事故のさいは,日本国中に放射性物資が拡散してしまい,この国土には人間が住めなくなる事態も考えよ,とまでもいえるつもりか。

 どの技術でも「十分な失敗経験を積むには200年かかる」という想定じたい,原発に関していえば完全に倒錯した,現実離れの〈超発想〉である。これは,なにも提言していないに等しい意見であり,実質では思考停止に近い発言である。

 旅客機は墜落事故を起こすたびその教訓に学び,安全性をより増してきたのだから,「航空機の事故史」に「原発の事故=失敗史」を重ねれば,これから具体的な安全への対策がえられるかのように議論されている。事故が起きたらこれを糧にしてさらに,原発の安全問題を向上させればよい,とでもいっているかのようである。

 ところが,技術の信頼性や安全性に関する問題意識として,原発に限ってはそのような発想は,どうみても許されない。

 6)そこで,畑村洋太郎「失敗学」に単刀直入に聞きたい。
 世界中に居る「原子力村の人間たち」が,あと何回「原発事故」を実際に起こせば(あるいは「起こしてしまえば),原発の管理が “より安定した技術水準に到達できる” といえるのか?

 いまだに絶えず墜落事故を起こす航空機とて,事故じたいは絶対起こしてほしくない交通機関である。ましてや原発に至っては,である。航空機と原発はしかも同じにあつかっていい,技術であるとは思えない。

 2011年「3・11」の福島第1原発事故が起こる20年近くもまえに,前段に触れた小出裕章『放射能汚染の現実を超えて』(初版 1992年)は,こう危惧していた。

 「大事故の可能性が低くないことは歴史が示しているし,ひとたび大事故が発生したばあいに投入しなければならないエネルギーは巨大なものとなる」。

小出裕章『放射能汚染の現実を超えて』188頁。

 その「3月11日」以来,日本の政治・経済・社会すべてが,福島第1原発の大事故に振りまわされてきている。これからもフクシマの原発事故問題をかかえたまま,日本社会は歴史を生きていかざるをえない。そして,いつになったらこの事故の悪影響が完全に収まる見通しがえられるのか,いまだにそのメドすら立っていない。

 さらに,原発の基本設計がそれこそ半世紀以上も前の技術思想で成立している事実じたいを,どのように克服していけるのか不詳である。原発関係に従事している労働者集団の行方・進路も,畑村は心配しているようであるが,この問題をともかく政治力で解決する方途を示唆している。原子力行政に関する畑村の基本姿勢は,従前となにもかわるところがない。

 つぎに提示する画像資料は,2016年2月段階における東電福島第1原発事故現場の状況を解説しているが,この「当時の現況」はデブリの取り出しという点で判断するに,実質,1歩の進展もない。

2016年2月,東電福島第1原発事故の状況

 だが,以上のごとき方向違いでありながらも,なお「無駄な努力」を強調・提唱する『失敗学者の〈失敗的な政策提言〉』には,失望させられる。この畑村洋太郎という工学研究者は,世のため・人のためにものを考えて「失敗学」を構想したのか? 原発にこの失敗学を応用する発想じたいが問題含みである点に,まだ気づいていない。
 

 ※-7 原発継続論の危険性

 2011年6月1日『朝日新聞』朝刊の特集記事「(神話の陰に 福島原発40年:8)地震警告  耳をふさいた国」は,こう解説していた。

 19「90年代初めごろ,青森県六ヶ所村の核燃料サイクル施設の安全審査に呼」んだ大学教授(京都大学の入倉孝次郎)が,「隠れた活断層も考慮すべきだと主張した」ところが,これは「受けいれ〔られ〕ず,やがて」この入倉教授は,安全「審査に呼ば」れ「なくなった」と。

 畑村洋太郎の「失敗学」の見地にもとづく「原発継続容認論」は,二重の意味で破綻している

 そのひとつの事由は,彼が創設したつもりらしい《失敗学》という学問形態そのものにある。原発問題にかぎっていえば,「失敗の範疇」のなかにはとうてい収めえない「物騒な〈悪魔の火〉」が介入している。これが,原発問題に適用される失敗学の問題意識を,最初から成立させない,つまり〈失敗させる必然の要因〉になっていた。

 もうひとつの事由は,「原発はなしでも」日本の産業活動および家庭生活に必要な電力は十分に賄えているのであって,福島原発事故以降,日本の社会経済に「必要な電力供給体制」は確保できている。

 その間,54基ある原発の全基が未稼働であった2年近い期間を,われわれはすでに体験してきている。

 「3・11」直後,数ヶ月はかかったものの,東電が実際に,「東日本大震災以降は原子力発電所が停止したため,原子力をカバーする形で,火力発電所の稼働率が上昇しました」と説明していることからも分かるように,原発なしでも急遽,「3・11」以降の電力供給は,しのげることができていた。

 2011年6月1日の『朝日新聞』朝刊は,「原発事故処理費 5. 7~20兆円」という日本経済研究センターの報告を,毎日報道されている〔これは当時の紙面のこと〕「図表:各地で観測された大気中の放射線量」の左横に組んだ記事として,報道していた。

 その後,2019年3月になるが。民間シンクタンク『日本経済研究センター』(東京都千代田区)は,東京電力福島第1原発事故の対応費用を,総額で81兆(~35兆円)と見積もる試算を公表していた。ちなみに,経済産業省が2016年に公表した試算では約22兆円とされていた。

 畑村洋太郎は,原発(正確には〈原子力〉といっているが)も失敗を重ねていけば,「ボイラー → 鉄道 → 自動車 → 航空機」のように人間側が,より上手にこなして使いこなせる動力源になりうるといいたいらしい。そうだとすればこれは単に,「原子力(原発)」にかけた技術的な信頼性・安全性を,過信しすぎた工学者の発想だと断定される。

 ここでは,2016年度に引きもどして,「東京電力福島第1原発事故の対応費用」の水準を,ひとまず20兆円という金額で考えよう。2023年度の国家予算案がつぎの円グラフに描かれている。こちらはもちろん1年度分のそれぞれの金額であるが,比較して考えるための材料となる。

 【参考画像資料】

2023年度国家予算案

 つまるところ,原発事故の恐ろしさ・怖さは,「原発安全神話」の「三猿=みざる・いわざる・きかざる」の境地では,克服できるはずもない。しかし,そうした境地は,いまも政府(当時は安倍政権,現在は岸田文雄)が固執している。

 『忘却とは「忘れ去ることなり」』といってみたところで,放射能(放射性物質)の汚染状態はそう簡単に消えるものではない。この放射能というものは,いま生きている個々の人間が〈無限大の時間〉を費やしていっても,とうてい追い払いきれないほどに,末永く「有毒性」をもちつづけていく。そういう「物理・化学的な性質」を本来的にもっている。

 要するに,原発の事故は「もうこれ以上,1回であっても,けっして発生させるわけには」いかない,つまり,絶対に許されない〈事件〉となるのである。

 この期に及んでもまだ「原発」そのものに安全性を工学技術的に求めるという理屈=「失敗学」は,自動車や飛行機の安全性(安全度)を高めるという理屈〔つまり,一定の確率でどうしても事故は起きるし・起こすものでもある〕という発想(覚悟)とは,完全に「異次元でいわれるべき」ものである。

 失敗学という発想はそういうあつかいにしておかねば,とうてい理論としては間尺が合わないし,成立の余地もありえない工学思想である。

 ※-8「福島原発『津波の想定,過小評価』IAEA報告書原案」『朝日新聞』2011年6月1日朝刊

 東京電力福島第1原子力発電所の事故調査のために来日した国際原子力機関(IAEA)の調査団の報告書の原案が2011年5月31日,明らかになった。

 津波と地震による複合災害への対応が不十分だったことを指摘,東電をはじめ事故対応の当事者間で,責任の所在などの共通認識が欠けていると分析した。概要版が〔同年の〕6月1日に公表される見通し。

 調査団は5月24日から6月2日までの予定で来日。各国の原発への教訓をえるため,東日本大震災で被災した福島第1原発や第2原発,東海第2原発を視察したほか,東京電力,経済産業省,文部科学省などの関係者から聞取調査をした。報告書案は,事故を時系列で整理したうえで,えられた教訓を挙げた。

 福島第1原発事故の直接的な原因は地震と津波とし,電源や,炉心冷却に必要な多くの機能を失ったと指摘。東電は2002年以降,同原発の津波の想定高さをみなおしたが,過小評価だったと認定。過酷事故対策も,準備されていたが,複数基の事故に対処するには不十分だったとした。

 注記)以上は,『朝日新聞』2011年6月1日3時00分,http://www.asahi.com/national/update/0531/TKY201105310707.html

 2023年2月にもなってこの記事を紹介したところで,たいした意味もないように感じられるが,「津波と地震による複合災害への対応が不十分だった」と報告されている点のみ注意しておきたい。

 関連しては,つぎの記事を参考にしておくのがよい。東電福島第1原発事故での「東電旧経営陣」に対して提起された株主代表訴訟では,13兆円という金額が判決で出ていた。この数値はいままで類似の裁判では最高額,それも世界で一番多い金額であった。

 「震災で転園・転校2万人超  福島から他県へ1万人」という話題を,この※-8で言及した記事から引用しておく。

 東日本大震災の影響で転園・転校した全国の幼稚園児や児童生徒が,2011年5月1日時点で2万1769人に上ったことが文部科学省の集計で分かった。被災地から県境を越えて転出した子どもも1万人を超えており,文科省は受け入れ先などへ教員やスクールカウンセラーを追加で配置,派遣する方針だ。

 集計によると,福島県内の幼小中高などから他の都道府県に移った子どもは9998人に上った。同県内での転出入も5473人に上る。大半が東京電力福島第1原子力発電所周辺から避難したとみられ,計1万5471人が震災前の学校に通えず,避難先の学校などへの通学を余儀なくされている格好だ。

 津波で沿岸部の学校が被災した岩手,宮城県でも,県内外での点出入はそれぞれ969人,3980人に上った。

 被災地からの受け入れは埼玉県が最多で1311人。新潟県1205人,東京都1199人と続く。原発周辺の住民を集団で受け入れているほか,親戚などを頼って引っ越してきたとみられている。
 注記)『朝日新聞』2011年6月1日5時04分,http://www.asahi.com/national/update/0531/TKY201105310717.html

 以上の報道に表わされた原発事故事後の波及的被害は,前段に出ていた「原発事故処理費 5. 7~20兆円」(ただし,これはまだ低いほうの金額であった)という被害総額計算に組み入れられているか?

 自動車事故で5人が死んだとか,ジャンボジェット機が墜落して5百名もの人命が失われたとかいう事故の被害を,原発事故の発生によって経済・社会のあらゆる部面にまで及ぶその悪影響と,同じ〈質的な尺度〉で量るわけにはいかない。もとより〈比較の思考〉に関して問題があったからである。

 以上の論及に照らして考えるに,畑村洋太郎がいっていたこと,つまり「失敗に学んだ原子力の作りなおしが求められている」し,また「日本にはその力がある」から「それには従来とはまったく違う発想で新しい原子力のありかたについて提案し,マスタープラン(基本設計)を描き,現在従事している人たちを使いこなせる人をみつけてこなくてはならない」。

 これは「大変な作業ではあるが,そうした人選や枠組作りは政治の力で実現しなければならない」といったごとき提言は,とうてい受けいれられない。現実的な発想にも思えない。

 ※-9 要は,『失敗学』とは,土台:根柢から間違えていた主張であり,学問たりえない発想にもとづく提唱であった

 a) もちろん,こうした批判は,その失敗学のなかに原発問題を包摂したがゆえにこそ,畑村洋太郎の立場が回避できなくなった論点,いいかえれば,アポリア-解決不可能な難問を指摘している。

 畑村が「自動車や飛行機のさきに原子力も並べてみた」という関係の論点はさておき,ここではとくに原発にかぎって言及しておく。これからも,原発の事故が起きないという絶対の保証はない。

 「その保証が百%ない」ことに限っては,絶対的に「百%の確信をもっていえる」。これは「自動車の衝突事故や飛行機の墜落事故がこれからは百%ない」とはいえず,絶対に「百%の確信をもっていえる」といういい方と同断でもある。

 しかし,原発の基数は,自動車の台数や飛行機の機数に比べて桁違いに少ない(現在の時点で分かる原発は世界で430基ほどである〔がその後も多少増えているが,まだ500基にはなっていない〕)。このことからしても「無数の自動車や飛行機」が発生させる事故と「有数の原発」の事故とを,どのように関連づければよいのか,まだまだ不明の要素が多い。

 ともかく,原発の事故がこれから絶対に起こらないという保証はない。

 b) 新刊紹介,鬼塚英昭『黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア-狭い日本に核プラントが54基も存在する理由-』(成甲書房,2011年5月30日)

 本書は,小出裕章『放射能汚染の現実を超えて』(河出書房新社,2011年5月30日)と同じ日づけに発売されていた。本ブログの筆者は,鬼塚英昭のこの本:『黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア-狭い日本に核プラントが54基も存在する理由-』を購入して読んでみ。本書の目次と概要を紹介しておく。

 ヒロシマ,ナガサキ,そしてフクシマ……,日本人の命を,カネで売った日本人がいる! 憤怒と慟哭で綴る原子力暗黒史。

   序として 「原子力発電所」は「原爆工場」である
   第1章  原発マフィア,誕生の物語
   第2章  日本の原発マフィアたち

   第3章  スリーマイル島事件の裏を読め
   第4章  ウランを制する者が世界を支配する
   第5章  かくて日本はアメリカに嵌められた

   第6章  原子力ルネッサンスが世界を狂わす
   第7章  日本は「核の冬の時代」に入った
   終わりに 日本が悲劇を繰り返さないために

 なぜ,こんな狭い日本列島に55基(ママ)もの原子力発電所=核プラントが存在するのか? それはヴィクター・ロスチャイルド卿を頂点とした「原発マフィア」が「原子力の平和利用」の美名のもとに全世界に原発を売りさばいたからである。

 ウラン鉱山の8割を支配するロスチャイルド金融財閥に巨万の富が転がりこむ仕組みだからだ。そのお先棒を担いだ,「和製・原発マフィア」が,読売総裁の正力松太郎,風見鶏・中曽根康弘,そして田中角栄であり,角栄の隠し資産は娘の眞紀子に継承されている。そして彼ら利権屋の背後には,誰であろう,昭和天皇の了解が存在するのだ!

 本ブログの筆者は,東日本大震災の被災地を慰問・慰労のために訪ねている皇族一家の動向までを眺望に入れた〈執筆の方法〉を採っているが,この鬼塚英昭の本は意味深長である。

 c) 畑村洋太郎と小出裕章の比較・対照
 ◆ 畑村洋太郎の原発継続の立場。 「失敗に学ぶ原子力の作りなおしが求められているが,日本にはその力がある」。「従来とはまったく違う発想で新しい原子力のありかたを提案し,基本設計(マスタープラン)を描いて,現在従事している人びとを使いこなせる人をみつける必要がある」。「これは大変な作業ではあるが,そうした人選や枠組作りは政治の力で実現する」。この畑村の見解は原発継続論である。

  ◆ 小出裕章が謝罪する立場。 「小出氏は入場できない人のためにホールの外に出て,『長年原子力にたずさわって来た者として,今回の事故を止められなかった事を謝罪します』と涙ながらに語りかけた。原発を推進してきた学者が謝罪もせず雲隠れしているにもかかわらず,反原発を貫いてきた小出氏が謝罪したことに聴衆は感銘し,拍手が起こった。現在,原子力関連でもっとも信頼の置ける学者として,情報を発信している」。
 注記)http://www47.atwiki.jp/goyo-gakusha/pages/59.html(この住所は現在は削除)

 かつて,原子力村からもっとも嫌われていた,それこそ原発の推進派からは「蛇蝎のように見下され,排斥されてきた」そのうちの1人であった小出裕章が,福島第1原発事故をきっかけに一躍注目を浴び,執筆や講演で八面六臂の活躍をさせられている。しかし,この小出のこうした繁忙状態は,ある意味では,けっして好ましい出来事ではなかったと思いたい。

 d) 電力需要の今後
 つぎの図表は,2004〔平成16〕年から2013〔平成25〕年にかけての東京電力による電力供給量である。発電電力〔供給〕量は,天候の影響もあるけれども,以前より減少してきた様子が数値でもって正直に表わされている。しかも「3・11」(2011年)はこの傾向をさらに確実にする基本要因になっていた。

 前段で既述であったが,「3・11」直後,数ヶ月はかかったものの,東電が実際に,「東日本大震災以降は原子力発電所が停止したため,原子力をカバーする形で,火力発電所の稼働率が上昇しました」と説明されていた経過のその後をさらに説明している。原発なしでも,もともと電力供給はしのげていた日本の電力事情は,再度確認されてよい。

「3・11」後の東電管内電力需給

 藻谷浩介『デフレの正体-経済は「人口の波」で動く-』(角川書店・角川グループパブリッシング〔発売〕,2010年)は,「3・11」の直後に「無計画停電を意図してずさんに実施した東電幹部」に関する記述なかで,「人口減社会=消費旺盛な現役世代の減少と高齢者の激増」の時代に突入した日本は「電力需要は減少に転じている」と指摘していた。

 過去10年以上,それら各年における使用電力量で理解できるようにその「全体:総量」は減少傾向にある。とくに2008年秋のリーマンショック以後,景気悪化も重なり,“電力離れ”が広がっているのである(横田 一「『計画停電』騒動 東京電力の “電力ないない詐欺”」『ZAITEN』2011年6月号,50頁4段)。

 前掲の図表で2011年3月以降は,電源構成における原発の割合がほぼゼロに近い趨勢(数%)で経過していく時期でもあった。東電関係では,つぎの図表も参照したい。

東電販売電力量-2005年以降

 その間,2013年9月15日,関西電力の大飯原発3号機・4号機(福井県)が停止して以来,日本国内の原発はすべて2年近く停止していた。2015年8月11日,九州電力の川内原子力発電所1号機(鹿児島県)が起動され,2013年7月に新規制基準を導入後,安全審査に合格した原発が初めて再稼働した。

 要するに,日本における総発電〔供給〕量が減少していくとともに,再生可能エネルギーにおける発電〔太陽熱・風力・水力・LNGなど〕の比率の増加が,電源構成における原発の比率を最小化・極小化させる対抗的な要因に育ってきた。原発の比率はこのさきゼロにできることは,実証済みであり,あとはやるかやらないかだけである。

 いま,電力エネルギー源構成比率が基本的に変化してきたその趨勢をしれば,冒頭で畑村洋太郎・東大名誉教授が「原子力〔発電〕の作りなおしが求められている」といって,しかも原発に関連する「失敗学の必要性」を高調したことは,エネルギー問題全体にかかわらしめて考えるとき,どうみても「ピント外れ」の提唱であったというほかない。

 以下に挙げる文献は,2011年3月11日以前に公刊されていた反原発論者の本である(アマゾンの通販用情報媒体を借りて紹介している)。

 上から順に3冊までとくに断わっておくと,久米三四郎と広瀬 隆の本は2010年8月,小出裕章の本は2010年12月にそれぞれ発行されていた。これらの本の題名はいずれも,原発の危険性を警告していた。しかも現実に大規模の原発事故を日本が「起こした」。

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