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従軍慰安婦問題の本質(1)

 ※-1 従軍慰安婦の問題を隠蔽・歪曲したところで,この歴史問題が消滅するわけがない

 従軍慰安婦問題に関する歴史的理解のイロハすらよくしらずに語りまくる多くの人びとがいる。また,従軍というコトバを取りのぞき慰安婦だけにしたところで,従軍慰安婦問題の歴史が抹消できることはない。
 付記)冒頭の画像はかもがわ出版,2013年の表紙カバーから借りた。

 そもそも,できもしない「戦前への回帰」を熱望した故安倍晋三は,第2次政権の時期(2012年12月26日-2020年9月16日)に,このヤマト国を戦前へは戻れないほど破壊してしまった。この「世襲3代目の政治屋」君は,どうしても「美しい国へ」向かいたかったけれども,みずから自国の足許を掘り崩す為政しかなしえなかった。

 結局,その「美しい国」とは美辞麗句で自国を語ることに主眼があったに留まり,「過去の歴史」に対しては完全に目をつむっていないと,想像すらできない「青い鳥」が舞っていると思いこんでいたに過ぎない。

 もっとも,2010年代における安倍晋三第2次政権は,この国を「戦前に回帰」させることさえ。どだい無理な窮状を作りあげてきたのだから,歴史の皮肉というか,彼に特有の時代錯誤「観」は無限大に広がるものであった。

 安倍晋三の為政のなかではとくに,2014年夏からみずから画策し,ある程度までは成就させえた朝日新聞社の,「従軍慰安婦問題」に関した誤報問題を奇貨とした権柄づくの越権行為的な攻撃は,表面的には勝利したかのような結末になっていたものの,この自国の品位・品格をみずから破綻させる結果を呼びこんでいた。 

 補注)「本稿(1)」の初出は2015年5月20日,更新 2021年9月18日を経て,本日2023年8月11日に再更新した。

 補注)この記述を書きはじめてみたが,以下の「前論」部分じたいがだいぶ長くなってしまったので,本日の記述として復活・再掲を意図していたもとの旧ブログ:2015年5月20日(以下など)の関連する記述は,この記述に続く「本稿(2)」以下を設けて構成することにし,そちらにまわすことになった。

 この「従軍慰安婦問題の本質」と題した連続ものの記述は,いまの予定としては全5回を予定している。
 

 ※-2 従軍慰安婦問題の歴史的な存在を否定できない理由

  要点・1 旧大日本帝国陸海軍における従軍慰安婦問題-具体例を語ったある本の内容-

  要点・2 旧日本軍兵士にとっては常識も常識であって,戦時中における朝鮮人慰安婦などの存在は,兵舎や戦場においては,しばしば日常的な風景の一部であった

 補注)国連人権委員会に採択されたマクドゥーガル報告書では慰安婦の総数を20万人以上としている。

 その数値の根拠には,1965年11月20日に自民党議員荒舩清十郎が選挙区の集会で発言した「朝鮮の慰安婦が14万2000人死んでいる」を引用しているが,アジア女性基金はこの慰安婦の数値は荒船議員が勝手に並べたものであり,これが根拠とされることは遺憾だとしている。

 註記)「荒舩清十郎」『用例. jp』 http://yourei.jp/新舩清十郎 参照。

 前段の文面における荒舩清十郎の発言については,旧大日本帝国軍における従軍慰安婦の員数をより正確に把握しるためには,その発言のまだ舌足らずであった表現を再現すると,こうなる。

 旧大日本帝国時代において朝鮮人は,「徴用工に戦争中連れて来て成績がよいので兵隊にして使ったが,この人〔たち〕のなかで57万6000人死んでいる。それから朝鮮の慰安婦が14万2000人死んでいる。日本の軍人がやり殺してしまったのだ」

 荒舩清十郎のこの発言録については,国会議員だった清十郎がかなり個性豊かでありすぎた人物であっただけに,あくまで例外あつかいしたがるその後の〈観察・措置〉がなされてきた。

 要するに,従軍慰安婦問題の本質は彼女らが「〈軍事物資〉と同じ」にあつかわれていた事実にみいだせるが,そうであったならば「従軍」というコトバは「旧大日本帝国軍の従軍慰安婦」の場合,ひとまず不要でありえたのかもしれない。

 しかしながら,問題は〈コトバの使い方〉でゴマカし切れるような性質ではなかった。戦前・戦中の旧日本軍においてめだっていた,つまり,より深刻な歴史問題となって実在した従軍慰安婦の話題は,21世紀〔以降〕になっても「旧日本軍における重大な話題」として語りつがれていく経緯を,必然的にも残した。

 ※-3 前論・1 安倍晋三の祖父岸 信介が加計孝太郎と骨相的にとてもよく似ているのは偶然ではなかった,という指摘がある点

 前川喜平・元前文部科学省次官は「加計学園問題」に関した発言をめぐり,一気に話題の人となった。「あったことをなかったことにはできない」と述べたのである。

 その加計学園問題とは,愛媛県今治市における加計学園グループの岡山理科大学獣医学部新設計画をめぐる問題であった。2017年3月13日,参議院予算委員会で社民党の福島瑞穂がこの疑惑に関し質疑した事で国会で論戦が始まった。

 文部科学省は長年獣医学部の新設を認めていなかったところへ,2017年,安倍内閣によって国家戦略特別区域に指定された今治市で,岡山理科大学が獣医学部新設を申請すれることになった。

 このとき,この今治市ありきで獣医学部の新設が進められたのではないかという疑惑がもたれ,関係者の調査がおこなわれた。ほぼ同時期に問題になった森友学園問題と併せて,「モリ・かけ問題」と俗称される話題を提供した。

 補注)「加計学園問題とはなにか?」
 
 文部科学省が,獣医師が過剰になることを理由に半世紀以上も既存の16大学以外が獣医学部を新設することを認めず,定員を規制していた。2007年以降の今治市の度重なる要請に応えるかたちで,通常の行政のルートではなく,国家戦略特区の仕組みのなかで4つの条件を満たせば,獣医学部の新設を認めようとした。

 そのさい,獣医学部を新設しようとする加計学園の理事長が安倍総理の友人であったことから,安倍総理の周辺にいた人たちが文部科学省に認可するように圧力をかけたとされ,前文部科学次官がこれによって “行政が歪(ゆが)められた” と主張する事態に発展した。

 新聞報道をみると,最初から加計学園の主張を入れるかたちで議論が進められ,これに抵抗する文部科学省に官邸側から圧力がかけられたのではないかという点が,主たる争点となっていた。

 註記)以上は,山下一仁「加計学園問題に隠された日本行政の疾患」『WEBRONZA』2017年7月21日,https://webronza.asahi.com/business/articles/2017072000002.html から 

 この加計学園問題に関した識者の解説は,安倍晋三の介在があってこそ発生した「問題の由来」とは別に,関連していた獣医学部じたいをめぐる論点を指摘することに得意になったかのような論旨であった。

 2010年代の日本国において,極悪な内政を記録するだけで終始していた,その総責任者の本質的問題からは離れたところへ話題を移動させることに主旨があったかのような話法が,そもそも焦点ボケになっていた。

 むろん,その種の論点も教育社会学的には重要であるとはいえ,日本の為政を破壊する行為そのものに焦点を外さずに注目としてみれば,一大問題であったはずの「加計学園問題」がもとから具有させていた内政的な痼疾を,わざわざ薄めたごとき意向は買えない。

補注

 その後も安倍晋三が首相であった時期には,さらに「桜問題」「河井案里問題」など政治疑惑,権力者による「国家行政の私物(死物)化」,「国家統計の改竄・捏造」など,

 その種の非常に深刻な問題が絶えることがなかったこの元首相の為政全般(森羅万象!)は,通常時ならば内閣総辞職どころか,刑法上の嫌疑を受けて断罪されるべき事件に相当する行為を,なんどでも性懲りもなく犯しつづけてきた。

【参考記事】-『日刊ゲンダイ』2019年1月30日の報道-

 ただ「公明・自民1強内閣」だという政治情勢(力関係)が長期間にわたり継続されているために,幸運にもアベ君は逮捕されるうきめに至っていなかっただけであった。

 もっとも,その後安倍晋三は「統一教会・2世」山上徹也の狙撃を受け,2022年7月8日,落命させられた。

 山上徹也は海軍(海上自衛隊)に勤務していたおり,射撃手として最優秀だという評判があったが,6個の鋼球を装填した手製の散弾銃では,その腕前が発揮できたか疑問が残ったままである。

 要は,安倍晋三と統一教会のつながりにおいては,「亡国,滅国,壊国」の首相であった姿が彷彿させられるだけでなく,さらには,まさしく「国恥・国辱・売国」の首相だといわれ,「いまだけ・金だけ・自分だけ」に一貫していたこの「世襲3代目の政治屋」の面目躍如を,より的確に観取しておく必要があった。

 そもそも第2次政権の発足にあたり,自民党内での総裁選挙では統一教会筋の「党員票」がもろに効いて安倍晋三が当選したと分析されているゆえ,安倍自身の売国奴指数はその分析器の針が振り切れるほどに高かった。

 つぎの画像資料はネット上にころがっていた現物を拾い,紹介するものである。単なる邪推以上の,一定の程度には,かなった推理が成立する余地のある画像資料。

なお「改行,太字,リンクなど」は
この画像使用に反映されていないので念のため

 ということで,前段の話題に戻す。

 安倍晋三と加計学園理事長の加計孝太郎は実は「2代にわたる異母から誕生した〈血縁の兄弟〉」ではないかといった「巷での裏情報」がある。つまり,一方のタネ親はもちろん安倍晋太郎だが,他方のそれは岸 信介といわれている点のことである。

 その理解がいちがいにガセネタだといった「反論」を許さない現実味がある上記の画像資料であった。いってみれば「事実は小説よりも奇なり」の実例ではないかとまで思わせるほど,観る側になにかを迫ってくる画像資料になっている。

 前段の推論は,前掲の画像資料をじっくりみればみるほど,伊達でも酔狂でもないと思わせる。そのくらいに,なんらかの「事実」に関した情報が示唆された画像資料だと想定できる。

 要は,岸 信介が「加計孝太郎の父親」だという推測がなされうる。

 安倍晋三は岸の娘:洋子の息子で信介の孫に当たる。安倍晋三は1954年生まれ,そして加計孝太郎は1951年生まれで,岸 信介は1986年生まれである。

 1950年だと岸が64歳,信介は生前,しかもまだA級戦犯として巣鴨プリズンに収容されていたときの話題だが,

 笹川良一述,桜洋一郎編『笹川良一の見た巣鴨の表情-戦犯獄中秘話』(文化人書房,1949年)が,岸 信介のことをこう述べていた。

 「『笹川君,君はどうだい? 僕は一物が元気で困る,まさかこの年になって,中学時代の独り楽しむ行為でもあるまいし,全く是は自分ながらもてあます,巣鴨生活最大の苦痛はこいつだ』と旺盛なる性慾の攻勢を率直に打明け呵々大笑する岸君であった」

岸 信介と笹川良一の対話

 1950年といったらまだ岸 信介が多分,まだ「生殖能力が旺盛であった年齢」であったらしい。そうみなしてもよかった。 この種の話題はこれまで……。

 ※-4 前論・2 従軍慰安婦ということばをなくしたいのは,あまりにも「歴史の事実」である記録が明々白々だからで,いわゆる「しらを切る」という典型的な一例

 文部科学省次官を務めた前川喜平は,加計学園問題をめぐる発言で,一気に話題の人となった。内閣官房によってこの前川を標的にしたデッチ上げの挙げ記事が,『読売新聞』2017年5月22日朝刊31面に掲載されたことは,あらためて指摘するまでもなく,まだ,多くの人びとの記憶に残っているはずである。

『読売新聞』2017年5月22日朝刊
『読売新聞』2017年5月26日朝刊
その社会部長の氏名は
原口隆則

 その前川喜平が加計学園問題に関して,けっこう有名になったつぎの文句を披露していた。すなわち「あったことをなかったことにはできない」と,ある会見で明確に指摘した。前川は退官後に『面従腹背』と題した自著を公刊していた(毎日新聞出版,2018年6月)。

 官僚時代の仕事に対する姿勢について前川喜平は,自分は上司に対しては面従し,腹背はしてきたものの,けっして嘘・偽りをする仕事はしなかったという信念をもって,生きてきたという。

 という事情があって,『読売新聞』2017年5月22日朝刊31面にデッチ上げが99.99%を占めていた,それも180%くらいは「前川喜平を貶めるためになされた〈陰謀的な報道〉」は,それでなくとも落ち目であった新聞紙業界に対して,結果としてさらに好ましくない影響を与えた。

【参考記事】-郷原信郎の『読売新聞』批判-

 日本における新聞購読者は以前から顕著に減少してきた。そこに,『読売新聞』が自社の特性であった「ゴミ売り新聞」性を発揮したかたちで,そのでっち上げ記事をわざわざ制作し,しかも得意げに報道した。ところが,新聞紙業界に顕著になっていた凋落傾向が,さらに拍車をかける始末にあいなっていた。

自分で自社の首を絞めた読売新聞社の暗愚
権力者に奉仕する『読売新聞』は無用


 ※-5 前論・3 読売新聞社が2014年の出来事であったが,『朝日新聞』「従軍慰安婦問題」への安倍晋三政権による非難・攻撃を受けて,これに大いに悪乗りし,いい気になって振るまった結果,新聞業界にはどのような影響が降りかかっていたか? 


 さて,2021年3月度のABC部数(註記参照)が明らかになったとき,どのような結果が出ていたか? それによると,朝日新聞は年間で約44万部を失った。また,読売新聞は57万部を失った。新聞部数の減少傾向に歯止めはかかっていない。

 その2021年3月度の中央紙5紙の部数は,つぎのとおりであった。軒並みに減少傾向が目立っていた。なお〔 〕内の%は,減少率である。各社それほど多きな差がなく,ともにそろって減少した。前掲の図表から具体的に,数値で表現した年月・時期のものである。

  朝日: 475万5806(43万5614)部 〔 9%〕
  毎日: 200万9556(28万7102)部 〔14%〕
  読売: 715万4983(57万2627)部 〔 8%〕
  日経: 188万0341(21万9472)部 〔11%〕
  産経: 121万6588(12万5165)部 〔10%〕

 註記)「2021年3月のABC部数,朝日は年間で44万部減,読売は57万部減」『KOKUSYO』2021年05月17日,http://www.kokusyo.jp/oshigami/16329/
 
 補注)一般社団法人日本ABC協会は,新聞,雑誌,フリーペーパー等の発行社からの部数報告を公査し,その結果を公表する活動を行う業界団体。 
 なお『読売新聞』は,2014年に安倍晋三(当時首相)が『朝日新聞』に対して「従軍慰安婦問題」(「誤報」だと牽強付会にみなした材料)をネタに,暴力団に負けないような権柄尽くの凶悪的な方法を使い,猛攻撃をしたさい,

 『読売新聞』は,あたかも国家権力の立場を代弁した「第5列」のごとき姿勢でもって,『朝日新聞』に対して全面攻撃をおこなった。そのさいとくに,安倍晋三の尻馬に乗ったかっこうで『朝日新聞』潰しを欲望し,実際に新書判の本まで刊行しては,たいそう勢いよく『朝日新聞』憎しの感情を丸出しにするその攻勢をしかけていた。

 だが,その読売新聞社のはしたないやり方は逆効果になっていた。かえって新聞購読者の減少傾向に拍車をかける結果を惹起させたのは,皮肉のかぎりであった。

 国家権力側〔具体的には官邸発だった〕が,ゴミ売り新聞にガセネタを提供したかたちで「前川喜平に対するデッチ上げ記事」を書かせた件は,安倍晋三政権にとっても読売新聞社にとっても,限りなくみっともなく,恥ずかしい事件になっていた。,その事実はこれからも,たびあるごとに機会あるごとに回顧されつづけるに違いあるまい。
 

 ※-6 前論・4 大手紙業界で他社の足をひっぱり,自社も自沈していく読売新聞社となった『ゴミ売り新聞』の悪臭紛々ぶり

 この読売新聞編集局『徹底検証 朝日「慰安婦」報道』中公新書ラクレ,2014年9月という本が出版されていた。「当時における読売新聞社」が異様なまで意気ごんで実行した朝日新聞社「叩き」は,ある週刊誌の記述も引用して書かれたあるブログが,つぎのように描写していた。

 註記)以下は,「読売新聞,朝日の慰安婦報道検証で攻勢 チラシを各戸配布(追記あり)」『edgefirstのブログ』2014-09-02,https://edgefirst.hateblo.jp/entry/2014/09/02/205328

 ◆-1(追記:2014/9/10)  〔2014年〕9月8日に発売された『週刊現代』に,〔『読売新聞』の〕販売店関係者の声が載っていた。上記の「朝日を購読している家庭にもポスティングされていた」という情報を裏付けるものであり,チラシが本社の負担で印刷・配送されたものであること,読売が「千載一遇のチャンス」とみなしていることなのが読みとれる。

 これまで,「朝日=信頼のおけるクオリティ・ペーパー」と信じていた読者が,今回の騒ぎで急速に離れはじめている―これをチャンスとみているのが,ライバルの読売新聞だ。読売の販売店関係者は語る。

 「販売店には読売本社からさまざまな業務連絡が来るのですが,8月20日付の連絡では『今月のポイント』の欄で『A紙作戦,千載一遇のチャンスです』と強調されていたんです」

 ここでいうA紙とはほかでもない朝日新聞。慰安婦問題で躓いた朝日から読者を奪って,販売を拡張しようというわけなのだ。その業務連絡の内容がなかなかえげつない。販売店関係者は続ける。

 「朝日批判のリーフレットを全額本社負担で刷ったので,読売読者の家のほかにも,地図データでわかるかぎりの朝日読者や,元読売の読者の家にばらまけ,というんです。読売の読者センターにも朝日批判の電話がかかってきて,乗りかえたいという声が多いようです。

 読売本社の販売部からは『A社やA販売店が一番苦しい時に徹底的に攻撃を仕かけましょう!」といわれています。(『週刊現代』2014/09/20号「慰安婦報道でライバル・読売が大攻勢! 『朝日新聞』の憂鬱」より)

 ◆-2(追記:2014/9/27)  さらに新しいパンフレットを制作し,各世帯に配っていることがわかった。20ページにもおよぶ大作で,朝日新聞の慰安婦報道の問題点を「何が報じられたか」「何が起きているか」「何をなすべきか」の3章に分けて解説。

 最終章では「真実を知ることが解決の第一歩」とし,今後「明らかになった真実を国内外に発信すること」を読売新聞が責任もっていっていくことが宣言されている。また,この問題に関する新書を緊急出版し,新規読者や試し読み読者にプレゼントすることもおこなっているようだ。

 紙面やウェブサイト,各戸配布チラシなどでここまで大々的に攻勢をかけているのは,やはり部数減少に対する懸念があるのではないか。ABC部数を調べると,2011年から2013年にかけてほぼ10万部減少(ただし11月のみ1000万部回復)という,他紙とそれほど変わりない減少幅で来ていたのが,今〔2014〕年に入って減少ペースが急加速。

 〔それが2014年〕4月には前月比20万部減の948万部,7月には925万部まで落ちこみ,6カ月連続の減少となっている。前年同月と比較して約60万部もの減少であり,神戸新聞の全部数(58万部)に匹敵する部数の減少が報告されたことになる。ついに販売店が発行本社からの目標達成のための数字を支えきれなくなったのでは,と思わせる落ちこみぶりだ。

 ちなみに,以上の引用・記述で登場していたのが,つぎの画像で示す図表(冊子:パンフレット)であった。自社の不満・不安までもついでに,他社の問題にこじつけ,その標的にすりこませて「まぎらす」かのような,つまり「業界内だけでのずいぶんとケチ臭い,しかも,あだ後ろ向きになっての購読者分捕り・獲得抗争」の構図が浮かんでみえる,という印象しか抱かせなかった。

『朝日新聞』攻撃に熱心だった『読売新聞』
吉田証言を取り消させたら従軍慰安婦問題がなくなるのか?
これは初歩の初歩である疑問
枝葉末節ないしは針小棒大で一貫していたゴミ売り新聞のいいぶん

 以上の話題は,2014年夏からしばらく(数カ月)の間つづいたものであった。しかし,いまではそれから7年(2023年なら9年)もの時が経過した。現在は,新聞業界の低落傾向に歯止めがかかるみこみがない「ネットの時代」になっている。

 ◆-3 読売新聞社は「従軍慰安婦問題」を毛嫌いしつつ,自紙の販売競争に悪用したあまり,自社の首をみずから締め上げる行為にはまっていた。その「後遺症」はその後もてきめんに効いていた。

 前掲の図表にも明らかであった。2014年の時点にあってすでに,読売新聞社のみならず,朝日新聞社も「従軍慰安婦問題」で安倍晋三に苦しめられる以前から,販売部数を減少させてきた。そして,どの他紙も基本的には同様な傾向をたどってきた。

 もしかしたら,このあたりから湧き出てきたどこへぶつけていいのかよく判らぬ腹いせもあってなのか,『読売新聞』は『朝日新聞』への攻撃になおさら力がこもっていたのか,などとも推理してみたくなる。

 もっとも,その種の「マイナスの逆作用として現われた効果」は,ゴミ売り新聞社が本来狙っていたところの「もの:相手」からは離れていき,異なった領域において確実に現われた。それこそ,こちらにおいて,その負的な効果が「てきめんに効いてくる」顛末をもたらしていた。

 つまり,「時代の大きな流れ」にかかわる要因(新聞業界の退潮傾向)に,その会社を挙げて,しかも調子に乗っておこなった行動がさらに悪い影響をもたらしたのである。 

【参考記事】-夕刊がなくなる,2023年7月19日の報道-

 

 ※-7 前論・5 2021年9月の「従軍慰安婦問題」関連記事

 いまここでの「本日」の日付は,2021年9月18日である。1931〔昭和6〕年のこの日,旧大日本帝国陸軍が「満州事変」を起こしていた。この「満州事変」は,6年後の1937〔昭和12〕年7月7日に始まる「日中戦争(シナ事変)」へと連続する意味をもつ前哨戦であった。

 さて,2021年の9月の9日であったが,「従軍慰安婦問題」に関連する出来事が,つぎのように報道されていた。それは『朝日新聞』朝刊と『日本経済新聞』夕刊の各記事であった。以下の段落に引用する。

 さらに本(旧)ブログが書いていた2015年5月中における記述も,ここですぐに併せてつづけて再掲・復活させたかったのだが,ここまで書いてきた「前論」そのものの各段落がすでにだいぶ長くなってきたので,次回の記述にゆずり,ここで「前論」と称した記述部分の利用だけにかぎっておく。

 補注)ということで,本(旧)ブログのその「2015年5月」の記述の再掲・復活は,明日以降になる。

 ◆-1「『従軍慰安婦』の記述変更 教科書3社,政府答弁受け」『朝日新聞』2021年9月9日朝刊30面「社会」

 「従軍慰安婦」という用語について「誤解を招く恐れがある」などとする答弁書を政府が閣議決定したことを受け,中学社会,高校地理歴史,公民科の教科書を発行する3社から教科書計10点の記述計11カ所について訂正申請があり,承認したと文部科学省が〔9月〕8日発表した。「従軍」の記述を削除する社や,記述は残したまま政府見解を併記する社など,対応は分かれた。
 
 補注)前段でいう政府の文句「誤解・・・」とは,より正確に代弁するとしたら「間違いだ」といいたいそれであった。

 政府は〔2020年〕4月,「『従軍慰安婦』または『いわゆる従軍慰安婦』ではなく,単に『慰安婦』という用語を用いることが適切」との答弁書を閣議決定。一方,「いわゆる従軍慰安婦」という用語を使った1993年の河野洋平官房長官談話は「継承」する立場も記した。文科省は5月,教科書会社20社近くを対象に説明会を開き,訂正申請は「6月末まで」と示すなどしていた。

 文科省によると,山川出版社,実教出版,清水書院の3社から6月末に訂正申請があり,〔9月〕8日承認した。

 山川出版社は,現在使われている中学社会科や高校の日本史の教科書にある「いわゆる従軍慰安婦」という記述をなくしたり「従軍」を削ったりした。一方,清水書院は来年度から高校で使われる「歴史総合」の教科書で,「いわゆる従軍慰安婦」の記述は残し,注釈に「日本政府は,『慰安婦』という語を用いることが適切であるとしている」との政府見解を付記した。

 戦時中に朝鮮半島の人びとを日本で働かせたことを「強制連行」と表現することについても,政府が「適切でない」との答弁書を閣議決定しており,これらの3社と東京書籍,帝国書院の計5社が,「徴用」「動員」などと計28点で計53カ所の記述を訂正した。(引用終わり)

 ◆-2「慰安婦記述訂正,文科省が承認 教科書会社が削除や変更」『日本経済新聞』2021年9月9日夕刊,https://www.nikkei.com/article/DGKKZO75594030Z00C21A9CE0000/(なお,同紙の『夕刊・電子』最終版には該当記事がみつからず,ここでの引用は『日本経済新聞』の当該夕刊「紙面(筆者のスクラップ)」からのものとなる)

 文部科学省は〔9月〕9日までに,慰安婦問題や第2次大戦中の朝鮮半島からの徴用をめぐる教科書の記述について,教科書会社5社から「従軍慰安婦」「強制連行」との記述の削除や変更の訂正申請があり,8日付で承認したと明らかにした。現在使用されている教科書の他,来春から使われるものもある。

 政府は〔2021年〕4月,「従軍慰安婦」という表現は誤解を招く恐れがあるとして,単に「慰安婦」とするのが適切とする答弁書を閣議決定。朝鮮半島から日本本土への労働者の動員を「強制連行」とひとくくりにする表現も適切でないとした。

 5社は山川出版社,東京書籍,実教出版,清水書院,帝国書院。教科書は,中学社会1点と,高校の地理歴史26点,公民2点の計29点。

 「従軍慰安婦」では,多くが「慰安婦」に変更。山川出版社の「中学歴史 日本と世界」は「いわゆる従軍慰安婦」の部分を削除した。清水書院は「いわゆる従軍慰安婦」との記述を維持したうえで,注釈として「政府の談話などを含めてこのように表現されることも多かったが (中略) 現在,日本政府は『慰安婦』という語を用いることが適切であるとしている」を追加した。

 「強制連行」「強制的に連行」では,「強制的な動員」としたり,「徴用」としたりした。教科書検定基準は,閣議決定などで示された政府の統一的な見解にもとづいた記述にすると規定している。(引用終わり)

 以上のごとき,日本政府が閣議決定にもとづき,従軍慰安婦問題という用語から「従軍というコトバを削除した政治の行為」は,「歴史の事実」抹消に相当する。ここでは反論のために以下の文献から引証をしておく。

 ◆-3 島田俊彦『関東軍-在満陸軍の暴走-』講談社(学術文庫),2005年(初版は1965年)は,従軍慰安婦問題の歴史に関して,こう説明していた。1941〔昭和16〕年8月時点に関した記述である。

 このとき,すでに北満には約70万人の兵力,馬約14面,飛行機約6百が集中されていた。作戦準備のため,満洲,朝鮮に集められた作戦資材は,その後何回か南方や内地に転用されたにもかかわらず,終戦のとき,全量の約5割が残るほど莫大だった。

 原善四郎参謀が兵隊の欲求度,持ち金,女性の能力等を綿密に計算して,飛行機で朝鮮に出かけ,約1万(予定は2万)の朝鮮女性をかき集めて北満の広野に送り,施設を特設して “営業” させたという一幕もあった(同書,221-222頁)。

島田俊彦『関東軍-在満陸軍の暴走-』

 島田俊彦のこの著作『関東軍-在満陸軍の暴走-』が「歴史の事実」をありのままに語っていたとすれば,21世紀の現政権が閣議決定で以上のごときに「過去の現実」をいいかえさせたところで,「歴史の真実」そのものを勝手に変更できるわけがない。

 以上の話は,「三猿」たちが全匹「頭隠して尻隠さず」をするかっこうにソックリである。

 島田俊彦は「現代日中関係史」を専門とする歴史学者であるが,政治家の中曽根康弘も,旧帝国海軍主計将校だった時期,従軍慰安婦の動員にかかわった体験について,こういうふうに自慢げに回想し,また別の場面において,従軍慰安婦の要員調達を「バカ」正直に語っていた。

 3千人からの大部隊だ。やがて,原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために,私は苦心して,慰安所をつくってやったこともある。……。私の心は不思議にすがすがしかった。それは,毎日,死と直面した生活のなかで,私が悟った貴重な教えがあったからである。

 註記)中曽根康弘「23歳で3千人の総指揮観」,松浦敬紀編著『若い世代へ伝えたい残したい 終わりなき海軍』文化放送,1978年,98頁。

中曽根康弘が語った従軍慰安婦の真相一端 

 この松浦敬紀編著は『若い世代へ伝えたい残したい……』という書名になっていた。21世紀のいまごろになってだが,自民党政府がこのように中曽根康弘たちも回想した「歴史の事実」を,小手先でごまかしたうえで,できれば否定にまでもっていくための閣議決定をおこなっていた。

 中曽根が挙げた,しかも自分が設営させた慰安所に狩り出された女性たちは,軍属とはいいえない「従軍であった」と理解するほかない “動員のされ方” になっていた。特定の島(もちろん戦場になっていた地域)においてなされたその動員「話」であった。強制もなにもあったものではなかった。それどころか,問題としてはただの強制そのものでしかありえず,むしろ半奴隷的なあつかいがされていたその「実話」であった。

 中曽根康弘がそのように「書いて・残した文章」の含意は,従軍というコトバの意味を否定するどころか,つまり「いわず語らず」にすなおに肯定する文章になっていた。それは正々堂々と,戦争中における旧大日本帝国軍の『従軍慰安婦「観」』,つまり軍隊:軍事力によって動員を強制し,調達しえた「軍事物資」の関して正直に告白していた。正確にいうとしたら,告白というよりは自慢話になっていた。

 旧大日本帝国陸海軍にあっては,それほどに「従軍慰安婦」の存在は普遍的に実在していた,それも軍人ではない女性たちだったゆえ,軍事物資ないしは付属施設内でその一部を構成する物体あつかいされていた。彼女らそのものは人間としてではなく,あくまでも戦時中における軍隊用に「必要不可欠のただの物資」とみなされていた点に注意したい。

 要するに,「従軍」というコトバを必死になってもみ押さえこみ消そうと画策してみたところで,その従軍慰安婦問題にかかわる「歴史の真実・事実」が消えてなくなることは,けっしてありえない。日本政府が閣議決定という形式でその従軍というコトバを消しえたつもりであっても,この抹消手続そのものがまた「従軍慰安婦」問題に新しい〈論点〉を付加したことになる。

 最後は画像資料でもう一点,上のものを追加しておく。「従軍慰安婦」問題向けの回顧談であるが,こうなると「従軍慰安婦問題」から「従軍」の文字を取りのぞいたところ,もともと従軍しかありえないこの慰安婦「問題」であったものを,なにゆえそこまでこねくりまわしながら,その関連する「史実=存在」じたいを否定しようとするのか?

 中曽根康弘の自慢話は,従軍慰安婦問題そのものになる話題であっただけに,いまとなってはできればなるべく,それも完全に打ち消しておきたい歴史の思いでであった。

 どうやったところで,それらの事実を「なかったもの」として消し去ることはできない。自分たちの発言でもあった「それ」を,みずからが正直に発言していた事実が書物に残されている。

 いまさら,そうした文句が「文字にして書かれてあった本」は,それを全部集めて燃やし,なくすことなどできない。たとい,それをなくせたつもりになれたにしても,従軍慰安婦問題そのものは「慰安婦が本当に実際に従軍していた事実」あったからには,この歴史を否定しなきものにすることはできない。

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