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2.5次元俳優の告白

はじめに

 2.5次元俳優として活躍ししている星元裕月氏が性同一性障害であることを公表したことがニュースになった(性同一性障害を公表の2.5次元俳優・星元裕月 公表への思い「100人いれば100通りの考え方がある」|日テレNEWS NNN (ntv.co.jp))。
 LGBTQ+は人権を理解する上で非常に重要なので、この機会に取り上げたい。

LGBTQ+について

定義

 LGBTQ+の意味を確認しておく(LGBTQとは? | 特定非営利活動法人東京レインボープライド (tokyorainbowpride.org))。
 Lとは、Lesbian(レズビアン)すなわち女性同性愛者のことである。
 Gとは、Gay(ゲイ)すなわち男性同性愛者のことである。
 Bとは、Bisexual(バイセクシュアル)すなわち両性愛者のことである。
 Tとは、Transgender(トランスジェンダー)すなわち性自認が出生時に割り当てられた性別とは異なる人のことである。
 Qとは、Queer(クイア)やQuestioning(クエスチョニング)の頭文字をとった言葉で、性的マイノリティ(性的少数者)を表す総称である。
 +が付くのは、LGBTQ以外にも多様な性があることを意味する。
 したがって、どの性を恋愛対象とするかという「性的指向」は様々であり、自分の性別をどのように認識しているかという「性自認」は生物学的な性別とは必ずしも一致しない。

なぜ重要なのか。

 道徳では、他人の立場に立って考えようといわれる。しかし、性自認と生物学的な性が一致し、性的指向が異性愛である人がLGBTQ+の立場に立って考えることは難しい。
 人権思想においては、すべての人は生まれながらに自由で平等であるから自分と他人を置き換えることが難しくても他人の自由を侵害することも不平等な扱いをすることも許されない。これが権利の保障である。
 LGBTQ+の問題が重要なのは、その社会において人権を保障することの意義が理解されているかどうかを判断する試金石になるからである。

課題は何か。

 LGBTQ+については、LGBT理解増進法が制定された(性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律 | e-Gov法令検索)。
 この法律については、次にような問題が指摘されている(LGBT理解増進法が成立。「多様な性」尊重の流れを止めないためにできること(松岡宗嗣) - エキスパート - Yahoo!ニュース)。
 差別禁止規定がないため、具体的な被害を解決できないとされている。この点は、法の下の平等が憲法によって保障されているから(14条)、それに反する行為は、公序良俗違反(民法90条)や不法行為(同法709条)となりうる。
 また、「多数派の安心への留意指針」が盛り込まれ、理解増進の施策が制限される可能性があるとされている。しかし、立法趣旨は立法者意思と同じではなく、憲法が最高法規(98条1項)である以上、憲法に適合するよう解釈することが求められ、それができないのであれば当該法律は違憲になる。このことは、当該法律の基本理念(3条)にも表れている。
 さらに、「家庭や地域住民の協力」が明記され、学校教育が制限される可能性があるとされている。しかし、法の下の平等が憲法で保障されている以上、学校は家庭や地域住民の協力を得るよう努力すべきであり、協力が得られないことを理由に必要な措置を講ずることを怠ることはできない。

なぜ保守派は反対なのか。

 岸田文雄首相が同性婚の法制化で「社会が変わってしまう」という国会答弁をしたとする報道がある(「LGBT理解増進法案」三つの迷走ぶり その違いは?当事者「現状より悪くなる」:朝日新聞GLOBE+ (asahi.com))。この答弁は保守派の考えを端的に表している。保守派の考え方については、既に投稿した(日本の保守|precious time (note.com))。本当に「社会は変わってしまう」のか。

 憲法学説に宮沢俊義の八月革命説がある。通説は、憲法改正にはその前後で同一性が失われるような変更はできないという限界がある(改正限界説)と解している。したがって、同一性を失う場合には法的には「革命」である。そうすると、天皇主権の明治憲法と国民主権の現行憲法の間には同一性はないから、現行憲法の制定は明治憲法から見ると革命である。つまり、現行憲法が制定される前とは全く異なる国家になったということである。既に社会は変わってしまったのである。
 したがって、元に戻すには再度革命を起こすしかない。憲法が最高法規であることを考えれば、保守派=護憲派、改革派=改憲派になってもよさそうなのに保守派=改憲派(法的には革命)になっているのは、上記のような理由からである。

右派と左派

 ついでに右派と左派についても言及しておく。保守=右派とされるのが一般的であるが、我が国においては再度革命が起きない限り、保守を実現することはできない。
 冷戦の時代であれば、右派=資本主義、左派=社会主義という分類もありうるが、資本主義陣営の一員である我が国における分類としては適切ではなかろう。
 小さな政府=右派、大きな政府=左派という分類もある。しかし、日本国憲法は社会権(25条)を保障していることから、小さな政府にはなりにくいのではなかろうか。
 むしろ憲法9条が存在することから、防衛力強化に賛成する勢力=右派、反対する勢力=左派とするほうが妥当ではなかろうか。なお、自衛隊違憲論は憲法学説としては有力であるが、それを支持している国民は少ないので、自衛のための実力組織の存在を否定する見解は除外しておく。

緊縮財政派と積極財政派

 最近、緊縮財政派と積極財政派という区別も耳にするので、保守や右派との関係を考えてみたい。結論からいうと必ずしも保守かどうかで分かれているわけではないようである。
 エコノミストによると、国が破綻するとかしないとか、ハイパーインフレになるとかならないとか等の議論がされている。
 ところで、緊縮財政派は、経済政策として主に最低賃金の引き上げを考えているようである。そうすると、引き上げの程度によっては中小企業が倒産する。この場合、法的には、倒産手続、失業手当、生活保護等で対応することになる。我が国では、中小企業が全企業の約99%を占める(中小企業とは 日本企業の99.7% - 日本経済新聞 (nikkei.com))ので、緊縮財政であっても生活保護受給者が増えれば、公費負担は少なくない。
 また、生活保護は必ずしも十分とはいえない(生活保護費減額取り消し 国に賠償命令は全国初 (tv-asahi.co.jp))。我が国における中小企業の割合を考えると大量の失業者が出ても健康で文化的な最低限度の生活を送れるようにする必要がある。

再度革命を起こすことは可能か―結びに代えて

 日本国憲法から明治憲法に戻すということは、人権を保障する国々との信頼関係を失うということである。しかし、保守派は安全保障において米国を中心に人権を保障する国々とも協力関係を築こうとしている。ここに矛盾が生じる。再度革命を起こして人権を保障する国々には頼らず軍備を拡大して自国の軍事力のみで安全を確保しうる国家を目指すのであろうか。それは極めて難しいのではないか。

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