余力ということ

いま起きた気づき。

昨日の仕事復帰を終えた翌日でお休みの今日、前から入れていた予定のために一人で電車に乗っているんだけれど、周りに乗ってきた人がふと気になって、席譲った方が良いのかなという気持ちになった。

自分が腰を上げるタイミング(いざ立ち上がろうと思うと「本当に?わたし疲れてない?もっと座っていたくない?」とも声がする)、知らない人に急に声を掛けることへの躊躇、もろもろが重なって、一人また一人と譲ることを失敗。

うーんダメだったなと落ち込みかけていると、長椅子の端っこに座っていた私のすぐ横に白状をついた方が乗ってきた。

グッと勇気を出して声を掛けて、譲ることに成功!

(いきなり「席座りますか?」と声を掛けたのはびっくりさせたかも、すみませんくらい最初に言った方が良いと直後に恥ずかしさが自分を襲ってきたけど、身震いして受け止めることにした。)


なんかすごく気持ちが落ち着いた。

そういえば、休職して療養してたこの一年、こんなことなかったんだと気づいた。

出掛けることが好きで電車にも何度も乗っていたけど、譲る/譲らないで悩んだことも無く、そもそも周りの人が目に入ってすらいなかった。一人でひたすらスマホをいじっていた。


余力がやっと出てきたということなのかなと思う。

譲るべき、譲らないべきといつ話じゃなく、譲るにもまず自分の余力が必要なんだ。それが無い時なら無理しなくて良いだけ。

自分の余力があって、必要としてる人にそのバトンを繋げられたなら、こういうふうに自分の気持ちがまた嬉しくなるんだ。


元気になってきたね。と電車の窓に反射する自分に向かって心の中で言うと、涙が滲んできた。

恩返し、恩送りはまず自分の余力あってこそ。

ということを感じた朝だった。

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