見出し画像

子育て親育ち

不勉強な私でもなんとなく分かるくらい、こんな言葉は使い古されていると思うけど。

普段、「この子をどう育てよう」「この子に何を与えよう、どう話しかけよう」と頭で考えていることが多い。

でも最近実感できるようになったのは、子は鏡。人は鏡。
人をどうこうする前に、映っているのは自分自身ということだ。

自分が未熟なくせに子どもを思い通りに育てようなんて、おこがましいね。


子どもの望ましくない姿にイライラするのは、それ即ち望ましくない自分自身を見てるようだから。だからイライラする。

そんなイライラをぶつけられたって、子の側からすればとばっちりだ。


今夜も、娘・はーちゃんが言うこと聞かなくて(寝ようとしない)、私は疲れて余裕が無くて、イライラをぶつけてた。叱れば鬱憤が晴れるかと思ったけど、そんなことを甘んじて受け入れる娘ではない。


しつけとして叱ることは必要かもしれない。
でも今の私には、余裕がある時しか出来ない。
余裕がない時にはただの自分のイライラの八つ当たりになってしまう。

それはそれとして、イジイジと言うことを聞かない彼女の求めてるものは?


私が怒りながら、ふと気が付いて「ママ、はーちゃんが大好きだから、ギューしたいからこっち来て」と言うと、
彼女も怒りながら「立てない。抱っこしに来てよ」ときた。

抱っこしてギューっとして彼女の背中をさすりながら、
「生まれてきてくれてありがとう。はーちゃんと一緒にいられてママもパパもめっちゃしあわせなんだよ。」
と言うと、彼女が笑顔になったのが顔を見なくても伝わってきた。

結論から言うと、彼女は眠くてグズっていたということで、そのままスッと文句も言わずに寝てしまった。

私の頭の中の「先生」は、言うこと聞かない彼女をどう叱ってやろうか、どうやって言うこと聞かせてやろうかと構えていたけど、なんだか拍子抜けだ。

彼女が怒り返してくるのは、私がイライラをぶつけてるから。
彼女が喜んだのは、私が愛情を伝えたから。

今思えば、私も「私の言うこと聞いてよ!」と親に対して怒っている子どもだった。(怖くて言えなかったけど)

今もそれを自分の子どもにぶつけていて、かつそれと同じような姿を子どもを通して見せられてたんだ。


自分が「私の言うこと聞いてよ!」「あんたの言うことなんか聞かない!」と思ってるのに、相手には真逆のことを求めるなんて、それはおかしな話だったんだな。

そして、親に言うこと聞いて欲しかった(受け止めて欲しかった)自分を癒すように、今の自分がはーちゃんの言うことを受け止めると、二人とも嬉しさで満たされるのが分かる。

こんなことたぶん何度も機会があって知ってきたはずなのに、すぐに忘れてて、やっと少しずつ体験として積み重ねられるようになってきた気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?