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自分で選んで自分で引き受ける

前項のルーティンについて自分の方向で色々考えてた訳だけど、夫と話していて結果的に育児や生き方の話になった。

夫のスタンスははっきりしている。
その基本の一つとして、
「全ては自己責任」ということらしい。

自分で選んだ結果は自分で引き受ける。
それだけ。シンプル。

親の顔色を窺って従って(従わなければと思って)動く癖が付いている私にとっては、頭では分かってもなかなか出来ない。

子どもの頃に染み付けられた「従って生きる」ということは、つまり「決めた人が引き受ける」という基本ルールから逸脱していて、「決めたのは親なのに引き受けるのは自分」。歪である。

そして、小さな頃から「親のせい」を求められて生きてきたのに、大人になると急に「自分のせい」にしないといけなくなる。
そのときに急に対応できない。これまで「自分のせい」を自分で引き受けたことがなかったから。

結果的に、いろんなことを「人のせい」にしてしまって、自分で自分の人生を引き受けることができなくなってしまう。

誰しも必ずそうなるとは言えないけど、少なくとも今の私はそう感じている。

冒頭の夫との話に戻すと、子が風呂に入るも入らないも、「子ども自身のせい」。

(毎日風呂に入るべきか否か、その論点は「入ったらそれはそれでいいけど、入らなくてもいい。衛生面的に抜かしても問題なさそう。問題あるなら入ればいい。毎日入らなかったら途端に不都合があるものとは思えない」という夫のスタンスを一先ずの前提として話す。)

放置ではなく、風呂に入る利点、入った方がいいということ、入らなかった場合にはこちらはこうするということ(例えば、うちの子は肌が少し弱く、入浴からの保湿をきちんとしないと痒くなることがあり、その時に親に掻いてもらいたがる。風呂に入らないなら掻かないよ、と話す)を伝えて、選ばせる。

それでも入らないなら、子ども自身がその結果(事前に伝えたこと)を受け入れるまで。それ以上のことも以下のこともしない。子どもがそれで困ってても助けない。

私は「えー冷たい」と漏らしたが、夫曰く、本当に冷たいのは何も説明せず、何も関与しないことだそう。冷たくないから説明もきちんとする。その上で本人が結果を自分で引き受けるのは当然ということらしい。

夫と話をしながら、私自身は、ルーティンがどうのこうのと言いながら、心の底で「親から感情的にルーティンを強要されてきた痛み」みたいなものが燻っていて、ルーティンの中身を云々というよりもそれ自体がトラウマになっていたことがなんとなく分かった。

だから今回のことは、子どもも私もそれぞれ自己責任というのを一旦意識してみようかということに落ち着いた。今までそうでうまく行かなかったんだから、この方法をやってみようと。

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