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メモ:2024-05-07


私は自らの方針、見解、、アプローチを示す。
例えば、対応時の認識として「理解と対応を切り分ける」ことなど。
ここでの「対応」として一般的に忌避されるものも現象として対等に認める。

例、
復讐、呪い、攻撃、破壊、暴力、支配、コントロール、洗脳、脅迫、
いじめ、迫害、殺し、強姦、あらゆるネガティブとされるもの全て。

もし仮に私の「対応」が、他者にとって、集団にとって、好ましく感じるものだとしても、それは私の表層から深い領域(魂の領域)等の個性と、内外の環境や役割、体験等とが、合わさって生じたもの。
上記に示した、支配、呪い、暴力、殺し、強姦、洗脳といった、あらゆる忌避される「対応」との、「連続性」の中にある。
それらとの垣根は、本質的にはない。対等な現象としての存在である。
状況や環境によって、いつでもあらゆる忌避されるものとして現象化される可能性があるし、その可能性との繋がりは常にある。

ここで言う環境というのは、個人を取り囲む身近なものから、集団、社会、人類、地球といった大きなものまで、全てだ。



今からある種おこがましいと捉えられうることを言う。
私は心優しい魂たちの純粋性を守りたい。
過去の自分と、同じタイプ、似たタイプの魂たちもそうだが、それだけでなく、よりグループ的に、優しく純粋なものたち、純朴な魂たちもだ。

純粋性を持っている魂であっても、人間の器を持って存在している故に、個としての物質的、精神的な利の追求があることは認める。
その上で、守る。というか、そうした魂たちが活き活きしていないと嫌なんだよ。全体の構造レベルとして
すごく個人的な理由だ。



その上で、自らの方針、見解、アプローチを示すが、それぞれの魂にとって、表層というよりも深い領域において、プラスになる影響だけ生じて欲しい。

仮に私の見解が表層上で好まれても、私のエネルギーに引っ張られて、同調しているだけで、その魂たちの深い領域において、望ましい方向性や体験からズレてしまうのは、望まない。
更にそれを私が感知してしまうのは、嫌なんだよ。

大きな視点では、何かのエネルギーに同調してしまうということも、純粋な魂故に生じうることであり、体験として、またそれぞれの魂にとってより深い意図や目的のためのこととして、生じているかもしれない。
同調することも、大きな視点からは魂の変化のプロセス上の体験として、宇宙的な現象として肯定される。

だけれども、できれば、その各段階での私の感性や感知する力から見て、表層だけでなく、深い領域でも望ましいと思われる変化であってほしいと思う。それを願う。
私の好みだ。



私は、私が示す「理解と対応を切り分ける」等の、方針、見解、、アプローチに至ったことに、一つの個性ある魂として誇りと自信を持つ。

「理解と対応を切り分ける」という認識を例とすれば、

・ネガティブとされるような、
 支配、暴力、洗脳、呪い、殺し、等といった対応と、
 好ましいとされる対応とを対等なものとして捉えるということ

・また、自らの対応が仮に好ましいものとして受け取られたとしても、
 ネガティブとされる対応との連続性の中にあるということ、
 個性や状況、環境等によって、
 いつでも、いかようにでも可変してしまうということ

・その上で、自分自身の幸福感を追及するという観点から、
 自分にとっても、相手にとっても、集団にとっても、
 プラスになると思われ、
 かつポジティブとされるような対応を取るように努めること

・しかし、状況的に理想的な望ましい対応が厳しいようであれば、
 暴力、殺しなどの程度や段階ではないとしても、
 私の感性から見て、ネガティブとされる方面の対応も、
 「暫定的」なものとして、取り入れることも辞さないこと

・また状況や環境、時世が変われば、暴力や殺しなどの対応にも、
 段階的に至ってしまう可能性もあるということ

・もっとネガティブとされうるブラックボックスな
 未知の対応に至る可能性もあるということ
 (これはポジティブ側についてもしかり)
 
・それらと自らの対応との垣根は無いということ

これらの認識に至ったことに、誇りと自信を持つということだ。



これに対して、優しい魂たち、純粋な魂たち、素晴らしい環境(物質的だけでなく、それぞれの魂や人間の器にとって好ましい、望ましい精神的な環境)で育ったリ、体験してきた魂たちにおいては、色々な反応、決してポジティブとはいかないような反応もあることだと思う。
それでも、この見解に対して、私は誇りを持っているし、また特定の体験や役割を担う魂にとっては、それが一時的であったとしてもプラスになる部分もあるとも思っている。

それを踏まえた上で、私が示す見解やアプローチに対して、同調せず、それぞれ独自の色合いでの方向性を見出して、進んで欲しい。
私の言っていることに囚われず、それぞれの心優しさや純粋性等に基づき、それが砕けたり、妥協した感覚の入っていない、それぞれ独自のアプローチや道を見出し、創造し、体現していって欲しい。
私の見解やアプローチに対して、ある種影響を受けずに(影響が及ばないような状態として)、進んでいって欲しい。



私の見解に対して、心優しく純粋な魂たちにおいては、影響を受けずに進んでいって欲しいと行ったが、私は私の尊厳も保ちたい。
そのニーズを抑圧すれば、他の面で望ましくないことになる。自他において。

故に、心優しく純粋な魂たちが体現したそれぞれの色合いに対して、それらを認め、個としての存在や尊厳を揺るがさずに、肯定的に受け止め、実感できる、イメージングや状態のアプローチを見出し行う。

これは、今回は詳しくは説明しないが、以下のような流れとなる。


日常の中で直観的に腑に落ちた気付き、何かを読む、見る、体験すること等により腑に落ちたこと、それらに関して、メモを取る。またそうした内的感覚、身体的感覚の変化の瞬間(外界の記憶(視覚的に見えているもの、景色など))を覚えておく。今回の場合は特に、自らの尊厳を保つことに繋がるような気付きや内面の変化だ。


心優しく純粋な魂たちが体現した色合い、発したエネルギーに対して、自らの存在や尊厳が揺らいだとする。
その際に、自らのゆらぎの感覚を強く感じるハートや頭などの身体的な部分(時に身体に限らず、頭上や身体前方など)を感知し、そこに対して、気付きや腑に落ちたことをメモした内容、文言、内面が変化した際の瞬間の外界についての記憶(視覚的に見えていたもの、風景など)を引き出し、そのゆらぎの感覚が生じた部位に適用する。

②A
適用するとは、個人的な例だが、メモを該当部位上にイメージし、それを両手を圧縮したり、メモに関する画像記憶を筒状に丸めて該当部位に複数突き刺したり、など、イメージと同時に何かしら身体的な反応、心や思考、身体内外への感覚的な反応や変化などが生じるような、内面でのアプローチを行うということだ。

そうすると、ゆらぎの感覚が収まったり、無くなったり、別の自らにとってポジティブと感じられる感覚(胸が熱くなり、相手に対して俯瞰して肯定的に受け止められるような状態や感覚等)へと変化したりする。

②B
一つのメモ等の適用だけでは厳しい場合は、複数のメモ等を様々な身体内外、心、思考等への反応がある、様々なイメージを組み合わせ行うことで、かなり内的な反応や反応パターン自体が変わってくる。
これらは、自らに生じた内的な反応を捉え、そこに対して様々なイメージを適用したり、またこうした方が良いかも、これが効きそうだ、などの直観や、イメージによる感覚の微調整等により、自らに適したものを見出していく。



こうしたアプローチを行うことで、心優しく純粋な魂たちが体現したそれぞれの色合いに対して、それらを認め、個としての存在や尊厳を揺るがさずに、肯定的に受け止めることが出来るようになる。
こうした、自らが揺らいだ時のイメージ等を用いた対応は、あらゆるゆらぎの元になる事柄に対して有効と思われる。
自己のゆらぎが生じる事柄に対する対応に繋がる気付きや体験等をストックしたり、見出し、その適した適用の仕方を見出していくことで、対応が可能となってくる。

これらは、トラウマや怒りなどの感情、ショックや動揺、良く生じる心の反応パターン、身体の緊張や反応のパターンなど、あらゆるものに対しても、イメージによる心身への影響を感知し、少しでも意識的に扱えるのであれば、有効と思われる。繰り返していけば、感覚も強くなっていき、より適したイメージへと変化していったり、見出せる。

期待を持たせたくないが、心の病とされるもの等に関しても、根本的なレベルでかなり有効と思われる。
また他者との比較、優劣、どう思われるか、承認欲求、敵意、猜疑心、罪悪感等に対してや、また幸福感や喜び、楽しさ、感謝といったポジティブとされるものの質自体の変化等といったようなものまで、様々な心の事柄に対して、根本的なレベルで有効と思われる。
解決解消としてだけでなく、新しい感覚を生み出し、体験するということ、反応のパターン自体の変化、幸福感などポジティブとされる感覚や感情自体の質の変化なども、生じるし、繋がる。



話がそれたが、まとめる。

私は、私の方針、見解、アプローチを示す。
その際に、ある種とんでもないことも言う。
また心優しい魂たちの純粋性を守りたいとも思っている。
故に、心優しい魂たちにとってビックリさせることもある。
ただ、私の見解等に対して、心優しい魂たちには影響を受けずに、それぞれの道を突き進んで欲しいと思っている。
私は自分の尊厳も大切にしたいので、ある種脆弱なので、自己の尊厳を保つ、整えるアプローチも行いながら、自己の見解等を示す。
故に、素晴らしい色合い、私の通った道や色合いとは異なる未知を行く魂たちを妨げないが、同時に自己を卑下もしない。自己の通った道や、自己の見解等の色合い、自己の存在を卑下しない。
(これは私だけではなく、表現する内容は違えど似た役割の魂たちなどにとっても、全体にとっても望ましいと思われるので、「同時に自己を卑下もしない」をしっかりとここに示す。)

私は基本、心優しい魂たち(広く見れば、皆どの魂たちもそう)、そうした魂たちが、私の感性から見て、純粋性を保ち、活き活きとしていて欲しい、と思っている。
そうした世界にしたい。そうで在れる世界にしたい。そうした世界でそれぞれを世界を感じていたい。
私の好みとして。


最後に一言。
これらは全てリアリティのあるおとぎ話だ。



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