死産後のトラウマ


背景

弟|妹の死産と息子の死産はどちらも私の人生において大事な経験で、どちらも詳細を思い出すだけで泣けてくる。特に弟|妹死産の頃の幼少期の自分を別人のように捉えて、あんな小さい子がこんな経験をするなんて、と憐れんでしまうこともある。
どちらがトラウマになっているかという観点で問われたら圧倒的に弟|妹の経験の方が強い。できるだけ自分のトラウマを緩和させるためにも本件について書く。
以前に書いた記事との関連もあるので余裕があれば読んでいただきたい。

トラウマに気付いた話


私の1回目の妊娠中の話。
息子が生きているまでの妊婦健診で、診察前はドキドキしながら、診察後は安堵してその日の予定などを考えながら産婦人科の待合室で穏やかに待っていた。ただ、産後退院するお母さんと赤ちゃんを迎えに上の子が来ているのを見た時だけ落ち着くことができなかった。勝手に涙が出てくることに自分でも驚いた。
緊張した面持ちの子やニコニコしている子、興奮しているような子、照れている子等、様々だった。微笑ましい、良かったな、と本気で思っているのに、無意識に彼らに羨望していたようだ。母の最後の子が無事に産まれていたら私もあんな感じだっただろうか、と自分が考えていることに気付いて戸惑ってしまった。いまさら何を思い出しているのか、と視界に入れないように頑張っていたが、彼らの様子が今でも思い出せることを鑑みるとじっくり見てしまっていたらしい。人を羨むことをほとんどしたことがないと自負しているのに、幼少期の悲しんでいた自分と彼らを比較することを止められなかった。

こんな調子だったので息子死産後、自分がなることができなかった出産間近の妊婦さんを見るだけでも辛いのではないか危惧していたけれど、そんなことはなかった。妊婦さんや小さい子供を見て思い出しはしても辛い思いをすることはそれほどなかった。

2回目の妊娠時はどうだったか。
変わらず退院に付き添う上の子を見ると涙が込み上げてきた。自分はこの光景に一生反応し続けるのだろう、と気にしないようにすること自体を諦めた。いずれにしろこの光景を見る機会はそうそうあるものではなく、何らかの理由で産院にいるときだけなので大きな問題はない。

自分自身のトラウマ分析


弟|妹死産時の自分の記憶は歯抜け状態で、丸々全部飛んでいたことも一時期ある。退院していくお母さんと赤ちゃんに付き添う彼らを見ることで母の入院に一泊付き合ったことを思い出した。きれいに忘れていたのに、母が入院していた産院の外観と個室を鮮明に思い出せた。もし無事に産まれていたら私はあの産院から…と頭の中で考えたくないことが湧き上がってきて待合室で平静を装うのに苦労した。
幼少期はそのようなタラレバを考える余裕もなかったが、実際に自分ができなかったことをしている子達を見ることでトラウマが出てきてしまったようだ。

赤ちゃんや妊婦さんと比較して、退院していく赤ちゃんの上の子への自分の異常な反応に我ながら驚いている。
ただ、息子死産よりも弟|妹死産の方が衝撃的だったのだろう。当時は妊娠したら絶対に赤ちゃんは産まれてくるものだと思っていたからだ。たしかに弟|妹死産の経験があったから息子死産宣告時はそれほど衝撃を受けず、自分も同じことになったのか、と受け入れた。思い出してみると、死産宣告時に先生が丁寧に気を遣いながら私に説明していたけれど、パニックにならない私を見て少し動揺しているようだった。
また、死産をしても再び自分は妊娠出産する可能性があると考えていたことも影響しているかもしれない。いくら自分が頑張っても今後弟妹が産まれることはありえないが、頑張れば自分の子供を産むことはできるかもしれない、という差はかなり大きいと思う。

大人になってから流産死産を経験したら


私の場合、初めて流産死産に触れた時の方がトラウマになっている。私自身の死産も辛かったけれどトラウマというほどのことはない。
そのため、身近に流産死産を経験している人がおらず、そうそう起こるものではないと思っていたところに急に流産死産となった人達、さらにその後に何らかの理由で妊娠ができなくなった人達の感情を私は想像できない。後々、外で妊婦さんや赤ちゃん、子供連れの家族を見ただけで辛くなってしまう人もいるかもしれない。
私にはそのような人達への慰め方がわからない。
ただ、自分の思いを整理してできれば前向きに生活してほしい。そのような経験のない人達には、辛い思いをしている人が世の中にそこそこいるということを気に留めておいてほしい。

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