「焦らなくてもよいのだということ」 ー 安岡章太郎さんのこと

「焦らなくてもよいのだということ」

 もう半世紀も前のことです。わたしは靖国神社の裏にある都立九段高校に通っていました。飯田橋駅から坂道をのぼってゆくと、道が二股に分かれます。その中央に、くさびをうつように高校の校舎がありました。

 決してはつらつとした若者ではありませんでした。劣等感だらけの無口な高校生でした。

 そんなある日、小説家の安岡章太郎が高校に講演に来ました。安岡章太郎は九段高校の先輩なのです。その頃から名前は知っていました。何冊かの小説も読んでいましたが、当時の若いわたしには今ひとつぴんときませんでした。ですから期待もせずに全校生徒が集まる講堂に向かいました。

 期待をしていなかった講演でしたが、でもいざ始まると、安岡さんの話はめっぽう面白くて、夢中になって聴いてしまいました。特に、若い頃に病床で文学と向き合ったくだりは、文学に触れ始めたわたしにとって強い刺激になるものでした。若くして病気になり、みんなから人生の遅れをとる、ということはさぞつらいことだったろうにと思いました。でも結果的に、その日々こそが深い思索に向かわせ、表現を際立たせ、その後の安岡章太郎を作り上げたのだろうと思いました。

 話はあちこちに飛び、高校生を楽しませるすべもきちんと心得ているようでした。途中、その当時はやっていた美樹克彦の「赤いヘルメット」という歌の話になり、しぐさを真似て、決して若くはない安岡章太郎が舞台の上で腕をぶるんぶるん振り回したことをよく覚えています。

 わたしはその後、早稲田に行き、就職し、それからささやかな詩集を出しました。けれど、すぐに詩が書けなくなり、文学から長く遠ざかりました。詩が書けずに焦る日々を、長いあいだ過ごしました。その時に思い出していたのが、安岡章太郎のことでした。

 みんなから遅れをとり、自分だけがじっとしていることはつらいことであるけれども、その時間は決して無駄ではなく、将来のわたしを作り上げてくれるかもしれないのだと。そう信じていてもよいのだと。

 思えば、だれのものでもない私の人生です。誰と比較する必要もないのです。そうであるのならば、何も焦ることはないのだと、そう思っていたいのです。あせる心とは、いったい何から追いかけられているのだろう。いったい、何から遅れをとっていることなのだろう。姿の見えないものに、ただ追われているようには生きていたくないのです。いっそもっともっと人から遅れてしまって、たった一人取り残されて、その地点から、ホントの詩を書き始めればよいのだと、わたしは思うのです。

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