ある青年の話

ひとりの青年のことを、思い出すことがあります。

ぼくの勤めていた会社は、大きな会社だったので、財務、経理、会計は、いくつかの部署に分かれていました。

ぼくが50歳くらいの頃、隣の部にひとりの新入社員が入ってきました。

外資系の経理というのは、語学と会計についての知識が必須で、だれもが自分の能力を上のものに認められたいと、必死に仕事をしていました。

そんな中で、その青年は、ほとんど目立たなかったと思います。ぼくがその青年を知ったのは、隣の部で、よく上司に注意を受けている人が最近いるな、ということからでした。

オープンスペースなので、隣の部の声は、聞きたくなくても聞こえてきて、叱られている様子は、ほんとにしょぼんとうなだれていて、ああ、そうなんだなと、思いながら、ぼくはつらい思いを抱いていました。

というのも、ぼく自身が、若い頃に、厳しい上司のもとで働いていて、頑張って作業をしている背中から、「ダメな人だな」と言われたことがあるからです。その言葉は、何十年経った今でも鮮明に覚えています。

その青年は、たしかに何度か注意されたミスを繰り返したようでしたが、それでも、頑張ってほしいな、もう少し業務に慣れてくれば、ミスも減るだろうにと、昔の自分を見るように、陰ながら応援していました。

一年ほど経って、配置転換の発表があり、その青年がぼくの部署に来ることになりました。それで、ぼくのところへやってきて、「松下さん、よろしくお願いします。」と深く頭を下げるのです。

「はい」とぼくは言って、ぼくのところへ来たら、何からやってもらおうかな、と思っていたのでした。

会社から、その青年が亡くなったと知らせが来たのは、その数日後だったと思います。なにかの病気だったのでしょうが、あんなに若くて、そんなことがあるのかと、驚きました。

お葬式に行って、お寺の前で佇んでいると、その青年のご両親がぼくのところにやってきました。

「松下さん、息子は、松下さんのところで予算をやるんだと言って、すごく嬉しそうにしていたんです。楽しみだったんです。」と、お父さんが泣きながら話しました。

そうですか、とぼくは言って、そのあと、でも言葉が出ませんでした。

これが、一度も一緒に働いたことのない、でも、今でも思い出す青年の話です。

たぶんその青年は上司に注意を受けながら、隣の部の人が自分を見ているということが、わかったのだと思います。

けれど、ぼくがその人に、自分の若い頃を重ねているとまでは、知らなかっただろうと思います。

もしもぼくのところに来ていたら、いつか、そのことを、話すこともあったかもしれません。

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