ぼくは何のために詩を書いていたんだ

「ぼくは何のために詩を書いていたんだ」
 
 娘が小さい頃からピアノを習っていたんです。で、中学生の頃には横浜の我が家からわざわざ千葉県の下総中山の先生のところまで、毎週日曜日にはるばる通っていました。片道2時間半もかかる道のりですし、駅から先生の家へ歩く途中に、寂しげで危険な場所もありましたので、そのレッスンに僕も一緒について行っていたんです。
 
 子供を先生にあずけた後、外で待っていました。とは言っても近所に喫茶店もないところで、ただぶらぶらしていたんですけど、少し歩いたところに静かで地味な公園があったんです。そこで待つことにしたんです。そこで壊れかけたベンチに座って、ぼおっと雲を見て待っていました。
 
 人間、何もやらないでいると自然に何かをやりたくなるもので、毎週公園でただ待っていると、暇で仕方がなく、何かやることがないかなと思うようになったんです。
 
 その時ふと、「ああ僕は昔、若い頃に、詩を書いていたことがあったなんだな」と思ったんです。でも、その思い出が幸せなこととして思い浮かばなかったんです。いつも何かに追い詰められて、締切日を前にして書けなくて、徹夜して、適当な詩をでっちあげて、絶望して、投函して、そのまま会社へ行ったことや、作品を発表したらひどい批判を受けて、ひどくしょんぼりしたことなど、情けないことやつらいことしか思い浮かばないんです。
 
 それで、そんな書き方ではなく、もう一回、本当に書きたいことを好きなように書いたらどうなんだろうと思ったんです。
 
 人になんと言われてもいいから、好きなテーマで好きなふうに書いてみようと思ったんです。ぼくは何のために詩を書いていたんだと思ったんです。
 
 そのうち、子供のピアノの先生が変わったので、もう日曜日に千葉の公園に行くこともなくなりました。
 
 それから一年くらい経ったころのことです。部屋の掃除をしていたら、偶然その時のノートが出てきました。暇つぶしに公園で書いていたノートです。読んでみたんです。そうしたらそんなにひどい詩ではないんですね。少なくとも、好きなように書いているんです。だったら記念に詩集を出そうかなと思ったんです。
 
 子供が生まれてから一冊くらい詩集を出してもいいかなと思ったんです。もう詩とのかかわりはこれで最後にしようと思い、岡田さんに頼んで、ミッドナイトプレス社から詩集を出したんです。これが最後の詩集だから一番好きな詩人に帯文を書いてもらおうと思い、清水哲男さんに書いてもらいました。
 
『きみがわらっている』という題をつけて、ささやかに出しました。ほんとにとてもささやかな詩集でしたけど、詩とまたつながれたと思いました。詩が、ぼくの冷たい手を再び握ってくれたのだと思いました。

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