ある宴会について


ぼくが勤めていたのは、青山にある外資系の会社でした。アトランタに本社がありました。大きな会社ではありましたが、社長も平社員もみな、お互いを「さん付け」で呼び合う、個人の意見を尊重する自由さがありました。

ですから、会社帰りに上司や同僚と渋谷や六本木へ飲みに行くことは、たまにはありましたが、それもほんとにたまにのことで、たいていの日は、だれもが自分の仕事が終われば、さっさと帰っていました。

なので、日本の会社にありがちな、宴会や、そこで無理矢理に芸をさせられるなんてことはありませんでした。

会社のあり方としては、わりとさっぱりしていたように思います。

ただ、関連会社というものが、日本全国に17ありました。

ある時、関連会社の経理担当が東京に集まって、研修と会議がありました。

沖縄からも、北海道からも、日本全国から来ていました。

会議が終わり、夜、青山のレストランで懇親会が開かれました。しばらく立食で歓談したあと、17の会社の一人一人が、前へ出て挨拶をすることになりました。

それはかまわないのですが、その時に誰が言い出したのか、挨拶だけではつまらないから、何かやってくれないかと言い出したのです。

その場の雰囲気でそのようなことになってしまい、全国の会社の、経理担当の人が、ひとりひとり段に登って、しなれない挨拶をし、その場で急に用意した「笑い話」をしたりとか、歌を歌ったりしたのです。

聴いていて決して面白いものではなく、本人たちも、いやいややっているのがわかりました。

もともと経理担当の人というのは、ぼくもそうですが、人前に出てものを言うのが苦手な人が多いのです。

ですから、だれも楽しめない余興が延々と続いていたのです。

ただ、その内のひとりの人の挨拶を、ぼくは、何十年経った今でも、思い出すのです。

スーツが体に合っていない、小柄で痩せた男の人でした。見るからに実直そうでした。東京からかなり遠い南の方から来ていました。

ああ、あの人に挨拶をさせるのは見ていてつらいな、と、ぼくはハタで心苦しく感じていました。

「XXからきたXXです。この度は、思いもよらず、研修と会議ということで、東京に来させてもらいました。感激しています。わたしは、東京に来るのは初めてです。このような機会はもうないだろうと思います。明日は早朝に起きて、原宿と銀座に行って、歩いてくるつもりです。それから帰ります。」

というような内容の挨拶だったと思います。聞いていてぼくは、その訥々とした誠実な語り口に、気がつけば感動をしていました。

この出張を、この人は、上司から聞かされてからどれほど楽しみにしていたことだろうと、思えば、なんだか自分もその人の気持ちになって、嬉しくなっていました。この人は明日、原宿をどんなふうにして歩くのだろう。この出張のことを、この人はこれから幾度も思い出し、日々の経理業務を、机に向かってし続けるのだろうか。

ぼくは、そんなことを思いながら聴いていました。

挨拶が終わり、それではと、その人はやおら歌を歌いだしました。誰もが知っている歌でした。決してうまいとは言えませんでしたが、声を張って、精一杯歌っていました。大丈夫だろうかと、見ていましたが、恥ずかしいとか、いやだなとか、そのようなことのない、迷いのない、挨拶と同じほど誠実な歌声でした。

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