友人とは何か ー 岡田幸文さんのこと

「友人とは何か」

 もしもつらい時期に手を差し伸べてくれる人を真の友人と言えるのなら、数年前に亡くなった岡田幸文さんは、間違いなく僕の真の友人でした。

 岡田さんは僕と同い年で、性格もおとなしく、どこか僕に似ていました。そして岡田さんと知り合ったのは、まさに僕の最もつらい時期でした。

 僕は三十代で詩が書けなくなってしまいました。ろくな詩が書けなくなりました。目も当てられない詩しか書けなくなってしまいました。さらに、あることがあって、書くことをやめました。無残でした。みじめでした。

 当然、詩の依頼はまったく来ることはなくなり、詩の関係の人と会うこともなくなりました。詩とは関係のない日々を過ごすことになりました。

 そういった日に、誰もが僕を忘れてしまった頃に、手を差し伸べてくれたのが岡田さんでした。

 当時、岡田さんは「詩学」という雑誌の編集をしていました。今はなくなってしまった雑誌ですが、当時は「現代詩手帖」のライバル雑誌でした。「詩学の新人投稿欄の選者をやりませんか」と、ある日、岡田さんから手紙を貰いました。どうして僕に頼むのだろうと思いました。さっきも言いましたように、当時の僕はろくな詩が書けなくてどうしようもない気持ちだったのです。でも、もう何も失うものもないのだし、なにかのきっかけになるかなと思って、その依頼を引き受けました。

 当時の選者は僕だけではなくて5人いました。その中に辻征夫さんもいて、月一回、東大近くにある「詩学社」に集まって選考会をするのですが、僕は毎月、辻さんと話ができるのが嬉しくて、とてもありがたいなと思っていました。辻さんに「詩がどうしても書けないんです」という相談をずいぶんしました。

 あの頃、岡田さんだけが、つまらない詩を書いている僕なんかに声をかけてくれたのです。それなのに僕は、きっかけをもらったのに、詩はやっぱり書けないままでした。

 そしてそれからまた何年かして、相変わらず僕は詩とは関係のない月日を過ごしていました。そんなある日、岡田さんからメールがきました。

 当時、岡田さんは「詩学」をやめて、「ミッドナイトプレス」という雑誌をやっていました。その雑誌の投稿欄の選者だった川崎洋さんが亡くなって、「川崎さんのあと、選者を松下さんがやってくれないだろうか」というメールでした。「松下さんしかいないと思った」と言われて、僕はふたたび岡田さんに救われた感じでした。川崎洋さんのあとの仕事を継ぐ、ということで、僕は胸を熱くしていました。

 今、思い出すまでもなく、僕が書けなくて苦しい時期に、二度も手を差し伸べてくれたのが岡田さんでした。その岡田さんに作ってもらったのが『きみがわらっている』という詩集です。岡田さんと作った詩集でした。僕らしい詩集でもあり、目をこらせば、岡田さんが見えてくる詩集でもあります。

 では最後に、同じことをもう一度言って、今日の話を終わります。

 もしもつらい時期に手を差し伸べてくれる人を真の友人と言えるのなら、岡田幸文さんは、間違いなく僕の真の友人でした。

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