「決してわたしを捨てないもの」

「決してわたしを捨てないもの」

費やされた時間と思いの総量でその人が何者であるかということが決まるのならば、わたしは間違いなく「詩を書く人」ではなく「勤め人」です。

かつて、ある出来事が突然わたしを襲って、それをきっかけに、長い間わたしは詩を書かずに生きてきました。しかしそのときにも、勤め人であることからは離れることはありませんでした。

「勤め人」であり続けたことはむろん金銭的な問題が影響していたこともありますが、それだけではなく、わたしがこの世の一員として参加してゆくための重要な部分がそこにあったからでした。

その出来事があったあと、わたしはたやすく詩を捨てることはできましたが、わたしはわたし自身を捨てることはできませんでした。その、捨てることのできない、もとのところに残っていたわたしが「勤め人」のわたしであったというわけです。

仮にあの時、無理をして「詩」を書き続けていたとしても、その「詩」はわたしに、生きてゆく上での何らかの言い訳にはなっても、私を根本のところで支えるものにはなりえなかっただろうと思います。

わたしにとって生きてゆくということは、朝起きて、会社に向かうことでした。単にそういうことでした。

しかし、とそれでもわたしは思うのです。あの時、わたしがあれほど容易に詩を捨て去ることができたのは、それだけ「詩」に、わたしが甘えていたからではなかったのかと。

気を使わずに「詩」から去らせてもらえたのは、それだけ「詩」が、わたしにちかしいものだったからではなかったかと。

わたしはどこかで信じていたのです
どんなにひどい扱いをしても
どんなにつれなくしても
「詩」はわたしを
いつでも受け入れてくれるだろうと

わたしはあの時
ひとつの信じるものから捨てられましたが
決してわたしを捨てないものが
おそらくひとつあるだろうと
思い
それはほかのなにものでもなく

なのだろうと

だからこうして歳をとって、わたしは図々しくも戻ってきました。

そして詩は何も言わずに、扉をあけて、わたしを抱きしめてくれたのです。

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