親孝行の旅
私が子供の頃、とにかくうちは貧乏だった。旅行といえば、両親の実家のある宮城に車で行くくらい。おんぼろの小さな軽自動車にお土産詰めて、帰りはその倍くらいのお土産を頂戴してくる。
お金がなかったウチらしい、なんなら大量食料ゲットの旅だったが、私にはわくわくする旅だった。決まって夜中に出発し、首都高速を走る頃、ビルの間から朝日がキラキラしていて、私はそれが見たくていつも起きていた。
急に、両親を宮城旅行に連れて行こうとひらめいた。
2人とも80歳超えて、もうなかなか行けなくなるかも知れない。
貧乏ながら、あの頃、私をわくわくさせてくれた両親を、今度は私がわくわくさせてあげようと。
昭和初期のもったいない精神が抜けない両親の為に、とびきりの旅にしよう。
旅初日。
東京駅からは東北新幹線のファーストクラスと言われるグランクラスを用意した。
グランクラスのチケットがあると、東京駅構内のサロンを使える。
外の喧騒とは無縁の静かなサロンでコーヒーをいただいた。
グランクラスはサプライズだったので、乗る事を知らない父親は
「こんなとこ、勝手に入って大丈夫か…」
と心配していた。
東京駅構内の巨大な駅弁コーナーで
各々、好きなお弁当を購入。
楽しそうに選ぶ両親の背中を見て、この旅が楽しくなる予感。
父、牛肉弁当。
母、ウニいくら弁当。
そして、何も知らずに新幹線に乗った2人。
父「これはすごいグリーン車だな…」
(違いますよ…その上のグランクラスですよ)笑
電車旅が好きな母は、グランクラスの存在を知っていて、いつか乗ってみたいと話していたので、
「これは、もしかして‼️✨」
と感動していた。
奇跡的にその車両は、私達3人だけ。のんびり、お弁当とおやつを味わいながら、窓の外に流れていく田んぼの景色を楽しんだ。
到着して、すぐ手配済みのレンタカーで父親の生まれ育った街へ。
父親のリクエストは、兄弟に会いにいく事とご先祖様のお墓参り。
あいにくの雨模様だったが、ひたすら車を走らせて、久しぶりのご先祖様にご挨拶。それから父の兄弟を訪ねて回っておしゃべり。
父の弟叔父が、謎の手作り“ワキガが治る化粧水”をお土産にくれた。
「これが効くんだよ」自慢げに。
100均のまあまあ大きいボトルに、ご丁寧に1人一本づつ。私と母にはさらに美肌になるというボトル付き。怪しすぎる…苦笑
…私たち、今はレンタカーに乗ってますが、帰りは新幹線ですけど…
うちの田舎あるあるなのです。
新幹線なのに巨大なお土産…笑
その日用意したホテルは、母親のリクエスト。
昔から憧れていたという“ホテル観洋”
いつも、お金持ちの親戚はここに泊まっていたらしい。自分は近くに実家があるし、お金がないから行けなかったと。
ちょうど旅番組を見ていたらこのホテルを紹介していたらしく、いつも遠慮して、
「お母さんはいいからいいから」
が口癖の母にしては珍しく、
「ホテル観洋に泊まってみたい」
即答だった。
車を走らせ、近づくに連れ、
“ここは…”
と、複雑な気持ちに苛まれた。震災の時、ニュースでよく見た景色だった。
南三陸。
綺麗に整備された新しい道路。
不自然に何もない空き地。
その中にポツンと残る防災庁舎の鉄骨…
ここだったのか…
自然の脅威と人間の底力を感じた。
きっと、私たちには到底理解する事ができないほどの苦しみから立ち上がってきたのだろう。
こうして、道路を走れるようになっている事も、地元の方々の努力のおかげ。感謝が込み上げてきた。
ホテル観洋も被害に遭っていた。
強度な岩の上に立つ鉄筋だったおかげで、流される事はなかったが、3階まで津波が流れ込んできたらしい。
その後、無事だった上の階は、避難所や、ボランティアの人達の宿泊施設になっていた。
部屋から見る、南三陸の海はとても穏やかで美しかった。養殖筏が浮かんでいる。あんなに恐ろしい経験をしても、人間は海の恩恵を受け共存する事ができるんだ。
偶然、その日は金環日食の日。
屋上で天体観測イベントが行われていた。空を見上げている私達の歓声や笑い声…目の前の静かな夜の海。
私達はこの宇宙の、この地球という星で生かされているんだなと、壮大なスケールの中で感じた夜だった。
旅2日目。
チェックアウトしてすぐに、母のリクエスト“自分のご先祖様のお墓参りに行く”ミッションスタート。
これが困難極まりなかった…
困難を極めた理由
その① 母は若い頃、行ったきり行っていない。
その② 去年行った母の妹叔母の情報がデタラメ。笑
その③ 想像以上に広い墓地。小高い山一面お墓。
その④ 場所を案内してくれるはずの住職不在。
最近行きましたという、一回も会ったことのない遠い親戚に電話でリモートしてもらいながら探してみた。
でも、全然辿りつかない。
日本昔話に出てきそうな、狐につままれて墓地をぐるぐる状態。
高齢の母は、足場の悪い登り下りに疲れてしまって
「もう、いいよ。帰ろ…」
と言い出した。
私はここまできたからには、絶対にミッションクリアしたい‼️母の願いを必ず叶える‼️という思いで、ひたすら歩き回る事1時間半。
そんな思いがご先祖様に通じたのか
「おーい。あったぞぉ」
父が偶然見つけた。
墓地に滞在2時間…
ご先祖様もさぞお喜びでしょう…汗
お昼は母の親戚の家へ。
母の大好きな叔母がいる。もう高齢で足も悪く介助がないと動けない。私達に会えた事をとても喜んでくれた。みんなで大きなテーブルに並べられたお寿司や煮物など食べながら談笑。
心から母は嬉しそうで楽しそうだった。
この日の宿泊ホテルは“松島一の坊”
部屋から松島海岸が一望できた。
ハイクラスのホテルだけあって、食事はビュッフェスタイルだけど、各コーナーにコックさんがいてその場で調理してくれる。お酒もジュースもすべてフリー。(オールインクルーシブ)
「こんなすごいとこ、一緒じゃないとどうしていいかわからない」
カルガモ親子みたいにみんな私の後をついてきた。笑
食後は、暖炉の火で暖まりながら、ピアノの生演奏を聞きつつ、コーヒーをゆっくり味わった。
昼間の騒動の疲れを温泉でゆっくり癒して…
後一日。何事もなく予定通り旅を終えますように。
私自身にお疲れ様…
旅最終日。
チェックアウトまでの時間ひとりのんびり外を眺めてコーヒーを飲んだ。
(無事に終われそうでやれやれ…)
チェックアウトの時間に、昨日の足の悪いおばあちゃんが、わざわざ叔母に支えられながらお見送りきてくれた。
なぜかずっと泣いていた…
「会えて良かった良かった」と。
母も名残惜しそうにずっと手を握っていた。
「これ、お土産ね」
叔母さんに各自手渡された、まあまあデカい萩の月…そして評判の魚の粕漬け。
絶対うまいに決まっているのだが…
…新幹線です。泣(ふたたび)
急遽、宅配便ミッション追加。
仙台駅に隣接している商業施設で、さらに嬉しそうにお土産を買いまくる母を急かし、新幹線の時間が迫る中、ダッシュで荷物を箱詰めして発送。
駅弁を構内で買って新幹線に乗り込んだ。帰りは、さすがに予算の関係でグランクラスではなくグリーン車を手配。
やれやれと、椅子直立でお弁当を食べている両親を見て、
(グリーン車が似合わないな…)
と、少し笑えた。
私が子供の頃、生活が苦しくて両親は働き詰めだった。帰省の新幹線も指定席なんてもったいないと自由席に並んでいた。いつもお盆や年末に帰省するから、座れない事もあって、デッキで荷物に腰掛けていた。それでも私にはその旅が楽しみで仕方がなかった。
そんなわくわくをくれた両親に、経験したことのない世界を味わってほしかった。
少しは恩返しできたかな。
私がプレゼントしたこの親孝行旅を忘れてしまったらどうしようと高齢の母は心配していた。
(お父さんは絶対忘れるわよとも)笑
「忘れても良いんだよ」
この先、記憶が消えてしまってもいい。その瞬間を楽しめた事が大切だから。
それから1年後、母の大好きだったおばあちゃんは他界した。
みんなでご飯食べた時の集合写真には、満面の笑みで笑うおばあちゃんと母が写っている。
母はその写真を眺めながら、あの時楽しかったなぁと、呟いてた。
急に思い立って、計画した旅はこの為だったのかもしれない。
親孝行の旅は、私にとっても幸せな旅だった。