日記 いのちのなまえ

自分の名前が好きだ。
ハンドルネームでなく、本名の方。幼い頃から好きだったが、歳をとるにつれ右肩上がりに好きになっていっている。どれだけ他人の良い名前を聞いても、私の名前には及ばない。書きも読みも、全てが素敵だ。かっこいいとかかわいいに偏ってもいないし、かといって特徴がないわけでは決してない。珍しすぎもしないし、発音すると心地よい。画数も良いらしい。私は私自身のことが好きじゃないし、全ての能力が平均か平均以下だなと思うが、私の名前だけは世界一だ。

名前は、親から貰ったものだ。当然私の名前に私の意思は介在していない。だが、紛れもなく私だけのものだから、私が自慢に思えるのだ。どうだ、私の名前は魅力的だろう、と。

他人から何を言われるまでもなく好きだった名前だが、かつての友人に「芸名みたいだね!」と言われた時は自分の名前とその友人に対する好感度が爆上がりしてしまった。結構前の話だが、今でもはっきりと思い出せる。芸名というのは、自分が自分に与える名前だ。売れるために考えて、あるいは強い願いを込めて、大衆が自分を自分と認識するための輪郭として生み出すものだ。もちろん友人はそんな深いことは考えず、響きがそれっぽいというだけで言っていたのだろうけれど、それを踏まえたって「芸名みたい」という褒め言葉をもらったことはこの上なく嬉しい思い出で、私の心の深いところにずっと刺さっている。(これは、私の名前が全くキラキラじゃないから素直に「褒め」として受け取れた故のポジティブな印象だったな、と今になって思った。)

人は名前に寄っていく、というのはよく聞く話だ。「優」が名前に入っていると優しい、とかそういう単純な話ではないが(そういうこともあるのか?)、名前の響きから受ける印象と本人の雰囲気がなんとなく合っているな、と思うことは多い。「他者から見た自分の名の印象」をそこはかとなく提示されながら生きていれば当然のことだし、「名前から浮かべるイメージ」の方をその名を有する人に無意識に寄せてしまっているところもあると思う。
その点、私の名前は本当にどう寄れば良いかわからないから良い。どうなるとこの名前っぽいのかがさっぱりわからない。自分の名前だからというのもあるが、それにしたって私の名前を初めて見た人は私の名前に対して、何も具体的なイメージを持てないだろう。
それが、なんだか、とっても良いのだ。

もう一つくらい自分の名前の好きなところを書き留めておこうかな。
私の名前は、まず初見では読めない。キラキラするような無茶な読み方はしないけれど、するっと読まれたことは一度もない。しばらく考えて読み方を当てる、という形であれば今までの人生で2人だけいた。人数は覚えているものの、それがどの関係性の誰だったかはさっぱり覚えていない。となると、「珍しく読める」ことよりも「読めない」ことの方が重要なんだろう、私にとって。
初めましての挨拶で名前が読めないと、自分の名前はこういう読み方をするんですよ、こっちはこれで、こっちはこう読むんです、と説明するパートに入る。それがちょっとした会話に繋がるから良いというのもあるが、このパートがやたら気に入っている理由は(たぶん)ちょっと別のところにある。
「説明する」というのは、自分が相手よりも知識を持っている状態だ。内容はさておき、その知識一点においては私が相手より優位に立っていることになる(この場合、何を"優"とするかが難しいところではある)。初対面の相手に対して、ほぼ100%それが発生するのだ。きっとこれのおかげで初対面の相手と気負わずに話せるんだろうな。ちなみに二度目ましてや三度目ましての人に対してはバッチリキョドる。私の名前を知られちゃってるので。

私の名前、最高!の気持ちがあふれた結果、文字に起こせてよかった。今までは頭の中で思うばかりで、口にすることすらなかったから。口にしたところでこの話を楽しく聞ける立場の人がいない。親にはふとした時に私の名前良いよねということは伝えているものの、上に書いたような内容をつらつら話すのはちょっと違う気がする。

私の名前は、言葉としては唯一、私が私であることを認識できる鍵であり、その鍵が世界一素敵だなんて、奇跡みたいなことだと思う。私の命を名付けたこの言葉は、いつも魔法みたいに私を照らしてくれている・・・・・・。

なんてポエムを言っちゃいたくなるくらい、私は私の名前が大好きだ。


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